「真っ赤な嘘」は人工的・人為的であり、都市化の典型であり、文学そのものだよ~ん
時差惚けでまだきつい。朝がダメだ。起きられない。けふは、8時にベッドを離れた。
昨日の夜は中国語講座に(居住地の方)参加した。したが、なかなかアタマの回転がうまく回らない。そんなことを言ったら、普段からそうじゃねぇかと笑われる。あたりめぇである。学業劣等大学院生であったからだ。
コンバンワと言って教室に入るのだが(ワンシャオハオとか言って)、それも忘れてしまった。単語を。しかも昨日は遅刻したから、それをなんと言うのかということで往生した。まるっきり忘れている。わははっははははである。バカも休み休みである。幼児語でしか英語も話せないじーさまであるから、ま、仕方ない。
退学した大学の社会教育関連分野でも中国講座を受けていたが、成東のインフォメーションセンターが、駅前開発で取り壊された。それでもう教えていただくべき会場がなくなってしまった。断念せざるを得ない。実に残念である。
よって、居住地の方でやってくださる中国語講座の充実を図るしかない。だから、講師の中国人センセとM氏というボランティアで我々日本人にもよく理解できるようにと、助手を買って出ておられる男性に頼んでみた。後期もこの講座を自主講座としてやっていただけないかということをである。
検討してくださることになった。ありがたいものである。こういうつながりが、生涯学習の動機付けになる。
したがって、生涯学習というのは経済的にはなんの意味もなくなるっていう案配になる。メリットとかデメリットというような世界とは無縁になる。あたりめぇである。儲けようとして学んでいるんじゃねぇのだから。こっちは。
じゃぁなんで年取ってまだまだ学ぶのかということになる。メリットがなんにもないのだから、いい加減に世捨て人になっちまぇ!っていうことである。それはそれで大いにわかる。生産性もへったくれもまったくワシには関係がないからだ。いまさら、どっかで教えてみたり、きちんとした収入を得たいというのとは違う。
バイトならやっている。しかし、これは定職ではない。気軽に働いて、かる~い収入をいただいているだけである。時間が自由になるから、やっているようなもんである。
年金の他に、高収入をもらっている輩も知人にたくさんいるが、私にそんな現金収入の話があるわけもない。それに、あちこちからそういう話もいただいたが、全部お断りをしてきたからそんなことは世間に知れ渡っている。再就職の声もかからなかったし。やる気もなかったからだ。
そんなことより、好き勝手にゴミ論文を書いて、海外旅行に行っていたほうが気が楽である。もっとも、古女房ドノのバースディ記念に海外旅行に行ってしまうという我々夫婦が特異な存在なんだろうけれども。
身体が健康なうちに海外旅行に行っておきたいからだ。けっこう辛いからだ。時差惚けというのは。それに、私の身体は病後である。もっとも病後の割には、遊んでばかりいるが。
それよりもなによりも生きがいである。
家族の平安と健康を祈っているばかりである。私の子どもたちの幸福と健康、孫たちのすこやかな成長。
なにも天下国家ばかり論じているだけで絶対的価値が高いというわけではない。中国の古典にもあるではないか。政治家がいるかいないかわからないほどでないと、国家は治まっているとは言えないのである。あまりにも混乱と無秩序でバタバタしているようでは、話にならぬ。リーダーなんていない方がむしろいいとすら私は思っているくらいである。
政治ほど人工的なものはないからだ。
そもそも、人為的というか人工的に作ったものというのは、「真っ赤な嘘」が多い。中国の歴史もそうだ。人為的であり、人工的である。だから、中国語を学んでいるといっても、中国に憧れているからではない。よくそういう日本人がいる。中国を絶対的に崇拝して、日本を貶めている輩が。
私はそうではない。あくまでも、藝能史研究の材料として学んでいるだけである。中国への憧れはまったくない。人工的な建物についても関心がない。
あるのは「真っ赤な嘘」としての中国古典とか文学のみである。
村上春樹レベルの「真っ赤な嘘」である。そういう話を見たり、読んだりしているだけである。
都市化しているということである。人工的なものというのは。あるいは人為的なものというのは。
そういう意味で、カナダの自然は人工的なもの、作為的なものを拒絶しているからこそ魅力的であると思うのだ。
スッピンで勝負している美女のようなものである。
もっともカナダの女性は、ちょっといかがなものかとは思う。短パンに、キャミソールというのを着ていて、Tシャツ以上にご自分の太った身体を露出されている。あれはちょっといただけない。おバカキャラのミニスカオネーチャンも日本には多いが、あれ以上である。みっともない。それ以前に鑑賞にたえない。太ったシロクマが歩いているようなもんだ。
そんなことよりも、カナダは「真っ赤な嘘」を拒否している。山火事だって、そのまんまである。燃えたいのなら、燃えていればぁ~ってやつだそうだ。燃え残った樹木はそのまま土地の肥やしになるのだそうだ。バンフの現地ガイドにそう聞いた。
文学なんてまさに「真っ赤な嘘」の塊である。放っておくべき山火事とは違う。人工的な産物でしかない。
それでもおもしろいからやっているだけだ。
所詮ニンゲンナンテ、「真っ赤な嘘」に振り回されて、往生しているだけだからだ。
メリットとか、デメリットとか、愛した・恋した・失恋したというような「真っ赤な嘘」でもって時間を空費しているだけだ。
私のような爺が、経済的な利益を生み出さないから、そんなもんは殺してしまえというような社会にだけはならないように願っているだけである。
どうせ、若い人だって、利益をたくさん生み出してくれるから尊重されているのではありませんぜ。
そんなの「真っ赤な嘘」に決まっているというもんじゃ。
だまされてはいかんでっせ。
リーダーなんてなんにも考えていないんだから。
(^-^)/
そんなこんなは、「胡蝶の夢」という話に書いてあったような気がするのだけれども。
もっとも、これも「真っ赤な嘘」っちゅうもんだねぇ。
けふは、久しぶりに、夜、働く。キャバレーではない。「爺ホスト」という落語が、桂三枝(現文枝)の創作落語にあったような気がするが、あれとは違う。夜は夜でも、バイト先の塾に行く。若いチューボーと語りあう。教科は、国数英である。楽しみだ。それこそ胸がドキドキするってぇもんだ。趣味でやっているバイトだからだ。
それまでには、時差惚けを治しておかなくちゃ。これから寝るしかないのかな?
ま、それもありか。
じゃぁね~。
(^_^)ノ””””