延々とバスで移動 なんと441キロ 約5時間 バスのドライバーが愉快なアメリカ人で、ワシのバブバブしかしゃべれない幼児英語でもなんとか通じたよん。英語は度胸じゃ!わははははははのは。
バスから見える西部の荒野
コロラド川の勇姿
コレも
西部劇のガンマンになったつもり・・・?
だんだんと広がってきたコロラド川
しかし、しかし広大だなぁ~
途中レストルームを借りたコロラドの博物館があったビジターセンター
ダムじゃよ。このダムができたから、水の便がよくなって人が住めるようになったらしい。ここもウキペディアから引用してみる。
フーバーダム (Hoover Dam) は、アメリカ合衆国の多目的ダム。アリゾナ州とネバダ州の州境に位置するコロラド川のブラック峡谷にある。
概要
フーバーダムは、1931年に着工し、1936年に竣工した。ルーズベルト大統領のニューディール政策の一環として建設されたとの話もあるが、着工は大統領就任の前である。ダムの建設作業にあたって熱射病のため122人が死亡した。また、1940年には貯水が原因と思われるM5の誘発地震が発生している。
建設当時の名称はボールダーダム(Boulder Dam)だったが、1947年に着工当時の大統領ハーバート・フーヴァーにちなんで改称された。フーバーダムの堤頂の道路は、国道93号線である。片側1車線でボトルネックとなっているため、ダム直下にバイパス道路として日本の大林組によりコロラドリバー橋が建設された。
型式は重力式アーチダム、高さ221m、長さ379mで、ダム湖はミード湖と呼ばれ、貯水量は約400億トン。日本には約2,500基のダムがあるが、それらの貯水量の合計は250億トン程度である。日本最大の湖である琵琶湖の貯水量でも280億トン程度である。フーバーダムで発電された電力は、カリフォルニア州、アリゾナ州、ダムの北西48kmと近いラスベガスなどに供給されている。
ダムの完成により、広大な乾燥地で灌漑農業を行うことが可能となったが、同時に下流域では塩類集積の害が見られるようになった。1961年、下流のメキシコは、1944年に締結した「コロラド川、ティファナ川およびリオ・グランデ川の水利用に関するアメリカとメキシコ間の条約」に違反し、国際水域を汚染したとしてアメリカへ抗議を行っている[1]。
フーバーダムは1985年にアメリカ合衆国国定歴史建造物に指定された。
コロラドの谷 西部開拓時代には、モルモン教徒が右の谷から、左の谷に渡るのに三ヶ月を要したという
アンテロープキャニオンに行くジープの発着場で先住民族の男性が踊りを披露してくれた。ワシは、これはビデオに撮影したので、この程度。
アンテロープキャニオンに到着した。凄い砂埃である。ここには良い格好で来たらアカン。
(^-^)/
またウキペディアの引用です↓
アンテロープ・キャニオン(英名:Antelope Canyon)は、アメリカ合衆国アリゾナ州ページ(Page, Arizona)近郊の、ナバホ族の土地に位置する渓谷。アメリカ南西部では、最も写真撮影され多くの人々が訪れるスロット・キャニオン(幅の狭い渓谷)である。アンテロープ・キャニオンは2つの岩層から成り、個々にアッパー・アンテロープ・キャニオンとロウワー・アンテロープ・キャニオンと名づけられている。
地質
アンテロープ・キャニオンは他のスロット・キャニオンと同じく、周囲の砂岩(ここではナバホ砂岩)の侵食によりできた何百年にも及ぶ地層を形成しており、これは主として鉄砲水のほか、風成の侵食によるものである。特にモンスーンの 時期に降る雨水はアンテロープ・キャニオンの一部である谷間を流れ、より狭い通路を流れるにつれ水は加速して砂を拾いあげる。その後長い時間をかけて通路 が侵食されると、狭い通路は更に広くなり岩の鋭さはより滑らかにされて、岩の「流れる」ような特徴を形作る。こうして独特の岩の通路が、長い時間をかけ完 成された。
観光
アンテロープ・キャニオンは写真家や観光客には人気の場所であり、ナバホ居留区(ナバホ・ネイション)の観光ビジネス源にもなっている。
アッパー・アンテロープ・キャニオン
ナバホの言葉で「水が岩を流れる場所」という意味の、ツェー・ビガニリニ(Tse bighanilini)とも呼ばれるアッパー・アンテロープ・キャニオンは、正確には西経111度22分20秒・北緯36度51分28秒の位置にある。 この場所は観光客が最も頻繁に訪れる場所であるが、それには2つの理由がある。一つは、その入り口と全長が地表と同じ位置にあり、岩などを登る必要性が無 いためだ。もう一つの理由としては、キャニオン頭頂の開口部から直接放射する太陽光の光線が、ロウワー・アンテロープ・キャニオンよりもアッパー・アンテロープ・キャニオンによく起こるためである。特に夏期間は、太陽が空高く昇った時この光線がよく見られるという。
ロウワー・アンテロープ・キャニオン
ナバホの言葉で「螺旋の岩石アーチ」という意味である、ハスデトワジ(Hasdeztwazi)の別名もあるロウワー・アンテロープ・キャニオン は、アッパー・アンテロープ・キャニオンから数キロ離れた場所に位置する。鉄製の階段が取り付けられる以前は、キャニオンを訪れるために一定の場所をロープや はしごで登らなくてはならなかった。階段が設置されている現在も、長く狭い場所も多い上、全体を通して足場が悪いなどアッパー・アンテロープ・キャニオン と比べて散策が困難である。こうした制限された状態にあるものの、ロウアー・アンテロープ・キャニオンはかなりの数の写真家を惹きつけているが、アッ パー・アンテロープ・キャニオンより単なる観光目的で訪れる旅行者は少ない。
鉄砲水の危険性
モンスーンの時期に思いがけず降る雨がすぐにキャニオンを水浸しにしてしまうため、アンテロープ・キャニオンは専ら案内人付きの旅行で訪れる観光客がほとんどである。キャニオン近く及び真上から降る雨が必ずしも激しい鉄砲水になるのではなく、キャニオンの「上流」となる数十マイル離れた場所で降る雨が、ほとんど予告無しにキャニオンへ注ぎ込んでくる。過去の事故例として1997年8月12日、ロウワー・アンテロープ・キャニオンを訪れていた11人の観光客が鉄砲水の犠牲となる事故が発生した。その日キャニオンにはほとんど雨は降っていなかった。
凄い!凄い!の連発なり。バスで延々5時間も乗ったかいがあった。
別にライトアップされているわけではない。自然の明かりである。
これもそのまんま、こういうように見える。
出口付近。折り返すのだけれども。
バスの中でオオツノジカの写真を見る
今日の宿泊先のhotel ハンプトン カイエンタ 先住民の方が経営しておられてアルコール厳禁。ワシには好都合だったケド。
けっこうきれいな部屋だった
暖炉があった
夕食は先住民族の料理でナバホタコというもの。かなりおいしい。こういうのを食べたことがなかった・・・・・マジに。
本日はこれにてバタンキュウ~・・・・水不足の土地なので、シャワーも十分出ないということであったので、注意して身体を清めた。
明日はいよいよモニュメントバレーである。楽しみ、楽しみ。
じゃぁねぇ~。お休みなさいませ。