好きなように勉強していればいいというスタンスは、教育の正道なのかも
昨日の老人大学では講義があまりおもしろくなかったので、古文書を読んでいた。内職である。中学生時代から得意だった。あまりおもしろくない授業だとそういうムシが、私の体内奥深く巣くっていて、騒ぎ出す。バカバカしいと思うと自然とそうなる。もっとも、あらかじめ内職用のホンとかノートをトートバッグに忍び込ませているのだから、手に負えない。確信犯である。わははっははっはははは。
おかげで、堤中納言物語の虫愛づる姫君の一章を全部解読した。かなり苦労したが。もっとも、私のノートには、古文書の復刻版を縮小コピーして貼ってある。それを崩し字専門辞典で読んでいけばいい。しかし、これが難儀である。なかなかレベルが高くてスイスイと読むわけにはいかない。しかし、この姫君、風の谷のナウシカのモデルだと巷間言われているけど、ホントかね。かわいい娘ではあったんだろうけど(^0^)。
こういう作業を博士論文提出をした方々というのは経ているのだろうから、まったく凄い方々ばかりだ。とても、ワシごときもんができる技では無い。
初歩の初歩でつまずいているってぇ案配じゃよ。
で、今日は古文書講座がある。江戸時代に農村改革をした人間の記念館(大原幽学記念館)というのがあって、そこで教えてもらえる。楽しみだ。まったく楽しみだ。受講生は私のような素人とは違って、全員年齢的にも先輩である。中には寺の住職もおられる。そういうつながりがありがたい。私ごとき浅学非才のものを相手にしていただく。これはなかなかあり得ない話であるからだ。
講師の先生がお使いになっている資料は、全部自分でも買った。Amazonから入手できた。だから真剣にやっているのである。自前で買えば、本にどういう工作を施しても文句を言われる筋合いはない。
古典を写本から勉強していると、なかなか雰囲気がいい。文法も、語義も、みんな楽しみになる。係り結びの法則でも、本格的な勉強をしているような気になる。味わいがある。
これを写本として残してくれた先人たちが、どういう思いで写しておられたのだろうかとなるからだ。
なかには省略とか、間違った写し方というのもあって、これまた楽しい。そういう低レベルの話で楽しんでいるのだ。
もっとも私ごときが楽しんでやっている趣味である。他人にどうのこうのと自慢できるような話ではない。
そもそも、そんなのやってなんになるのだ?というのが、多くの方々の疑問であろう。私の場合もそうだ。家族からの理解がまったく無い。暇だからやっているとしか思われていない。
そりゃそうだ。
事実、まったく暇である。暇すぎる。やることがないからやっているというように言われたら否定できない。収入とも結びつかない。今更どっかで古典の教育をしようとしても、場所がない。定年で追い出されてしまったからである。
塾ではできない。こんなことを言い始めたら、受験に関係ないと拒否される。あ、私は国語の授業はあまりやらせてもらえなかった。塾では。数学と英語が多い。出番がないのである。笑ってしまう。こんな自堕落な爺が、専門外の授業をやらせていただいているのである。
世の中というのは変わっているなぁと思う。私もかなりの変わりモンであるが、世の中はもっと変わっている。ニーズがあるから数学と英語をやっているらしい。保護者の評判がいいと言われたからだ。親切丁寧であるからだとも言われた。
そりゃそうだ。こっちは、数学英語の素人であるからだ。だから自学自習するしかないからだ。謙虚に学んで、十分な教材研究をしてから、塾に行っているし。木・金の週に二回。しかもたったの二時間だけ。これでもって、アルバイトをさせていただいているんだから、こっちの方からカネを払ってでもやらせてもらっているような感覚になる。払わないけど。
それにしてもまだ時差惚けがある。
昨夜も老人大学から帰ってきて、夕食をありがたくいただいて、速攻でベッドに行ってしまった。眠くて、眠くて仕方がないのである。疲れた?・・・そんなことはない。内職をしていたのであるから、疲れるワケがない。それに老人大学である。レベルがそんなに高くないから、緊張がない。試験もない。レポートもない。その場にいればいいだけだ。ふうううむ。これが教育の本質かもなぁと思ったこともある。その場にいればいい、後は自分の課題でもって自学自習せよというのは、確かに教育の本質であるのかもしれない。
つまり、試験のため、レポートのために勉強しているのではないからである。好きなように勉強していればいいというスタンスは、もしかしたら、老人向けなのだろうが、教育の正道を表現しているのかもしれない。退学した大学の大学院と同じだな、こういうのは。学業劣等爺がそんなことを言ったら失礼だからこれくらいにするが。
そういうことなのである。
生涯学習というのは、好きなようにやっていればいいのだ。試験もなければ、やる気のない奴は当然去っていくだろう。そういう学びの場から。レポートもなければ、課題意識がなくなってしまって、やはり去っていくだろう。
楽しみで学んでいなくちゃできない。そういう世界なのかもしれない。
8月20日に、老人大学仲間(つまりクラスメイト)と一緒に鎌倉に行くことにした。寺院回りである。昨日言われた。快諾した。
青春18切符というのを使っていくのだそうだ。
驚いた。そのシステムは、「青春18切符」というのである。青春なのである。ふるいつきたくなるような単語である。だから、18歳で無いと使えないと思っていた。そしたら、我々爺婆でも使えるのだそうだ。かなり格安で行くことができる。
爺婆になると、いろんなことを知っている方々がいる。そういう皆さんのお知恵を拝借しながら鎌倉に行くことができる。むろん、初めてではない。これまで何度行ったかわからんくらい行っている。中世史の大舞台であるからだ。
しかし問題は、8月20日だということだ。
古女房ドノに言われた。
「暑いよ~。ぶっ倒れないようにしたほうがいいよ。ミンナ老人なんだから」
あ、暑いってぇことに気がつかなかった。
もう遅い。
熱中症にならないように行ってきまひょ。
(^_^)ノ””””