体重が62.8キロしかない。大腸内視鏡の検査食を食っていたら、そうなっちまったよん。今日、尻の穴からキャメラをぶち込まれるけど。(あああああ、ヤダ・ヤダ・・・笑)
検査食を食って昨日は一日過ごした。
今朝もなにも食っていない。このまま東洋一の巨大病院に行かないと、大腸内視鏡の検査をしていただけない。途中退学である。ま、強制退学とか、中途退学というのは慣れているけどねぇ(*^O^*)。
だから、今朝の体重が62.8キロしかない。
中学生以来である。14歳くらいの時に、確かそれくらいだった。
その頃は、走るのが速くて、なんと全校でトップであった。マジである。陸上部のスー君というのがライバルで、1500メートルの選手であったが、彼と何度もトップを争ったのである。校内陸上大会では、素人のボキが陸上部のエリートとトップ争いをして、なんと3勝3敗であったのだ。スー君が怒ったのは言うまでもない。
「と~まよ、なんで陸上部に入らないのだ?」と聞いてきたが、あんな苦しい練習はまっぴらごめんであったから、陸上部に入るわけがない。
しかも、ボキは、陸上部ではなかった。悪名高い応援団であった。悪の巣窟。中1の時に、当時の全国紙に何度も我が母校は不良中学ということで載ったのである。全部、その2歳上の先輩たちがやっていたのである。
ドスを校内で振り回しているのであるから、まぁまぁ凄まじい中学校であった。それが全員応援団に入っていたのである。
A先輩というのがいて、それが番長だった。近所に住んでいたのである。A先輩は、それこそガキの頃から遊んでもらっていたのだった。だから、当然のように応援団に入るしかなかった。A先輩の弟(ケンちゃん)とボキは親友だったからである。小学校の四年生から学習塾にも通っていた。一緒にである。ケンちゃんとボキである。
ホントである。ボキだって塾ぐらい行っていたのである。
ところが、ケンちゃんは地元の中学校に入らなかった。国立山形大学の附属中学校に入っていった。兄が兄であるから、不幸を予測したのであろう。ケンちゃんは、高校も別のところに行ってしまった。大学は福沢諭吉の大学に行ってしまった。今はナニをしているんだろうか。わからないけど。まさか、死んでいたりして。
去年の秋に亡父・亡母の墓参りに行った時に、ケンちゃんの生家にも車で行ってみた。しかし、もう影も形もなかった。何度もケンちゃんの家に遊びに行って、時には泊まったこともあったからである。
あの悪名高かったケンちゃんの兄もどうしているんだろうか。
なんだか、全部記憶の彼方に吹っ飛んでしまっている。現実が現実になっていない。我が母校(中学校)は、まだそのままの地にあったが。校舎がまったく新しくなっていて、悪の巣窟であったという面影はまったくない。
もっとも旅館が20軒くらいある温泉場であるから、当然夜の遊びにも困らない町である。新幹線も止まるから賑わいはある。今、ボキが住んでいる九十九里とはずいぶん違っている。しかも、東京からだと、九十九里までずいぶん時間がかかる。電車でもバスでも。
ところが、新幹線があるから、東京から二時間ちょっとで我がふるさとの温泉町には着いてしまうのである。風情もへったくれもない。あっと言うまにである。道路も広くて快適である。ショッピングセンターもいくつもある。
九十九里とはまったく違っている。
九十九里が唯一勝っているのが、東洋一の巨大病院である。これは東北全部、関東全部、関西全部を見ても負けないだろう。東洋一というんだから、当たり前か。
わはははっははっはははっは(そんな計算もできねぇのかと言われそうだな)。
今日は、9時までに外来に行かなくちゃならない。
それまで、絶飲食である。
ハラが減ったけど、我慢するしかない。
検査は、午後1時から始まる。
それまで、下剤を飲みつづけてすっかりハラの中をきれいにしなくちゃならない。
もともと、ボキのハラは綺麗だけどねぇ~。
清廉潔白であるから。
わははっはははっははっははっははっはははっはは。
さぁ、そろそろ出かけましょ!
いざ、出陣。
では行ってきまーす。