茂木健一郎センセの「脳を活かす勉強法」に書いてあったけど、朝起きてすぐブログの記事を書いてから、勉強を始めるのだそうだ。センセは。ボキもそうだけど、アタマが悪いボキのような人間は、なんかもっと良い例があるような気がしてならんのだけど。
昨日は暖かかった。ちょっとおかしいくらいに。しかも九十九里は、それでなくても暖かい。ストーブ無しでもよかったくらいである。雪国の方々には悪いくらいである。
昨日は、現役時代にやっていた仕事の退職ナントカ会というところから、退職**だよりというのが送られてきた。ざっと読んで捨ててしまったが、相変わらずボキのブログと一緒である。つまり、つまらないのだ。ボキのブログも日常生活を書いているからつまらないのであるが(あまり正直に書いているとは言えないけど)、退職**だよりというのはもっと私的な世界が書いてある。しかも文章が硬いから、読む気がしない。知人が書いている場合は斜め読みをするが、生きていたということを確認すればそれで終わり。訃報連絡もあるから、そこだけはじっくりと見ている。それだけである。
つまり、文章が硬いというのはおもしろくないのである。だから、論文もおもしろくないのが多い。そりゃそうだ。おもしろおかしく書いていたら、書いた本人の能力や適性が疑われる。必要だから読んでいるだけである。論文というのはそもそもそういうもんだろうから。
しかしである。おもしろいか、おもしろくないかというのは、結構重要である。読んでいて楽しくないのでは、本を買う気もしない。
昨日も、古書店にGymの帰りに寄って二冊ほど本を買った。合計216円。脳科学者の茂木健一郎センセの「脳を活かす勉強法」を買った。さらにもう一冊。おもしろそうだから買ったのである。
そしたら案の定、あっという間に読了。二冊とも。ビジネス書みたいなもんで、まったく時間がかからない。斜め読みをしているからである。じっくり読むに値しないからだ。ノウハウだけ知ればそれでいいからである。だから古書で十分である。
ビジネス書なんて、著者がそれこそぺちゃくちゃしゃべって、それをライターが代理で書いている場合もあるから、本の選択には気をつけなくちゃならんと思っているくらいである。
じっくり読むのは、古典だけでいい。時代を超えて残ってきたということだけで、やはり価値はある。人を引きつけるものがあるんだろうから。
しかし、古典ばかり読んでいるとアタマが堅くなる。
興味関心が狭くなるからである。
これは気をつけないとアカン。
だから、ボキも可能なかぎり、興味関心を広く持つようにしているのだけれども。もっともアレか。興味関心を広く持っていても、なんの価値もない。だいいちそれを応用する場がない。
生きているだけでめっけもんだからである。そういう意味では、ボキは謙虚である。いかに自分に価値がないか、応用がきかないか、世の中のためになっていないかということは分かっているからである。十分に。マジに。
だから一隅で生きているのだ。一隅を照らすという文言があるが、ボキは照らす程の人間ではない。むしろ照らしていただくような人間である。他人から愛情をいただいて、照らしていただいて、やっと生きているだけの人間である。
感謝である。
それだけでも。
ふうううううううううむ。
今日もかなりまともに書いてしまったねぇ~。
今日は、Gymも休みだし、図書館は長期の休館に入った。あああああああああああああ。
行くところがない。退屈しのぎの場所が。
パチンコ行っても、カネがねぇし。
それにアレは、実につまらんし。
そうか、ごろごろ寝っ転がっているか。それくらいしかないか。
それにしても、つまらんジジイですなぁ。
さ、これくらいにしましょ。
健康に悪いから。
グハハッハハハハッハ。
Bye-bye!