と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

欠席予定であった老人大学に登校して、Testを受けさせていただいた

2016年02月24日 07時14分41秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

今日は、ホントはローマにいたのであるが、イタリア怪人紀行を前日にキャンセルしたから日本にいる。そして「健康生活支援講習」のTestを昨日受けて、100点を取れた。こんなに嬉しいことはない。明日からの生きるチカラになるかも・・・ボキの場合は。

 

 

健康生活支援講習というのが、昨日老人大学で終わった。ローマにいたはずであったから欠席予定であったのだが、復活させていただいて、昨日は老人大学に登校したのである。

日本赤十字から出ているテキストを使って老人大学の負担で実施してくださった授業である。先生方も赤十字から来てくださった本格的なものである。

都合3週間の講義と実習の連続であった。内容は、実に今のボキにぴったしである。高齢になったら、どのように健康な生活を送るか、あるいは身近にいる高齢者(配偶者)をどう介護していくかという喫緊の課題である。

内容は、章立てを見ただけでもわかる。

第1章           高齢者の健康と安全

第2章           地域における高齢者支援

第3章           日常生活における介護

以上である。

A4版で180頁はあるような本格的なテキストである。

特に参考になったのが、「第3章 日常生活における介護」であった。

介護の段階になった高齢者(つまりボキのこと)をどのように介護するかということが話の中心であったのだ。

これを介護する方から見ていたのではない。

ボキはあくまで、「介護される方からの視点」で受講していたのである。介護をする方からではない。あくまでそういう覚悟である。マジに。

勘違いをしたらアカンと思っていた。介護する方からの視点で見ていたら、こういう講習は、他人事になっちまう。所詮、オレには関係ねぇ話だ、オレはアタシはいつまでも健康で元気だからという案配になっちまう。ヘタしたら、オレはアタシは死なない、配偶者を看取ってから死ぬのだと思ってしまいがちになる。

なにもそういうのは、禁句なのではない。ダレだって、死ぬのである。100%である。どんなに嫌がっても、100%である。諦めるしかないのである。

それをである。介護は自分がする方であって、される側にはいないと思う方がおかしいのではないか。

だから、今回の講義・実習は身につまされたのである。

とりわけ、配偶者のおむつ交換実習というのは身にこたえた。確かに、そういう可能性はボキの場合も古女房共々あり得る。どっちが先で、どっちが後かということである。しかも具体的に実習までさせていただいた。

これはこれからの老後を生きる上で、実に差し迫った問題でもある。

おむつを交換する方も、される方もそれなりの覚悟がないとできない。しかも、相手のことを毛嫌いしていたら、できない。わかるかな?

そういうことなんである。

後は、車いすになったときのハウツーも教えていただいた。これも印象に残った。車いすになる可能性はダレも否定できないからである。

食事の仕方、させ方も大変にベンキョウになった。介護とかかわる場合の食事である。

排泄の仕方、させ方もそうだった。ポータブルトイレのことも教わった。排泄ケア用品のことも教えていただいた。

半身麻痺になった場合の仕方、させ方も実習コミであったからこれもまたベンキョウになった。

清潔にしてどのように生活していくかということについても、実に良かった。アタマの洗い方まで教えていただいた。ま、ボキのようにアタマに毛がないのは簡単だか。

認知症高齢者への対応という講義・実習はさらにこたえた。まさにボキの場合がぴったり当てはまる。他人事ではない。

床ずれもそうである。これもまたある得る話である。寝たきりになる可能性だって捨てきれない。

在宅での看取りの条件というのも、深刻な話である。

昨日は、総て終わってからTestがあった。

講習のTestである。

(*_*) マイッタ。

名前しか書けないかもしれないではないか。

だから、ズーズーしくも質問したのである。ボキは。

「名前しか書けなかったらどうしたらいいですか?」って。

バカである。

講師の先生が、笑っていた。「80%とれなきゃいけませんよ」と。

Testが終わってから、採点結果を聞きに行った。

そしたら、ボキはパーフェクトであった。つまり100点。

わははっはははっははっはははっはは。

久しぶりに100点をとったよ~ん。

バカでも嬉しいもんである。

今日は、ホントはローマにいたのであるが、イタリア怪人紀行を前日にキャンセルしたから日本にいる。そしてTestを受けて、100点を取れた。こんなに嬉しいことはない。

明日からの生きるチカラになる。

 

\(^_^)/

 

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2月23日(火)のつぶやき

2016年02月24日 06時42分47秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

ちょっとした仕草。微笑んだ顔。ふとつぶやいたこと。中でも、後ろ姿が印象的な場合もある。生き方が左右する。故人の。

故人の思い出というもの、それはどんなものがあるのだろう... goo.gl/BUkcD6


『ボレロ』を聴くよろこびは、2の原理と3の原理、シンメトリーと非シンメトリーという、現実の世界ではめったに和解しあうことのないモデルどうしが、「この世ならぬレベル」で(中略)、調和や対称性を実現しているのを知覚することによってもたらされる、幸福感に根ざしている。

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思想は言葉により、言葉は否定機能によって表現をおこない、表現は逆説によって、言葉を超えたもののありかを言い当てる。伊勢神宮でおこったことは、まさにそうした思想の歴史である。伊勢神宮は、まことに、日本思想の原郷なのである。~「日本思想の原郷」

Waishan Richunanさんがリツイート | 4 RT

【福岡・泥打祭り】<3月第4日曜日>朝倉市阿蘇神社の祭り。氏子内からおみくじで決められた代宮司は神衣に着替えた後、神田の泥を10~12歳くらいの男子に塗り付けられる。その後、500mほど先の道祖神まで歩くが、道中も泥を投げられる。 pic.twitter.com/WGDFJMORm7

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今まで自分だと思っていた肉体は、自分ではありゃしない。自分が生きるための必要な仕事を行なう道具なのだ……。腹が痛いといっても、それは本当からいったら、隣の人の腹痛を見守っているのと同じような気持ちで、自分の腹の痛いのを感じて… bit.ly/16nPOnQ

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曰く、「同じ理由で「環境論のほうがポリティカリーコレクト」だというのも古い感覚だと思う。いまや遺伝論のほうがポリティカリーコレクトな場面がすごく増えている。典型的なのが発達障害の原因論。」 / “アニメや漫画の主人公の持つ「力」…” htn.to/eurcArrkh

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「科学に引きずられる倫理」読売『いのちを“つくって”もいいですか』pic.twitter.com/qyPwwQwNCj 米大統領生命倫理評議会報告書『治療を超えて』に触れる。報告書は人間の体を「治療」以上に増強する危うさを指摘。 goo.gl/CZp1YX

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goo.gl/PCBdhm 「天国に一番近いアイドル」KBG84をご紹介します。 pic.twitter.com/jxqMRg71OM

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Retweeted 毎日新聞写真部 (@mainichiphoto):

goo.gl/PCBdhm 「天国に一番近いアイドル」KBG84をご紹介します。 pic.twitter.com/3BLSv7N9Zn fb.me/4vSt6u4P1


"「翁」が能といえないように翁の面も能面とはいい難い" / 「能と能面」金剛巌著 #金剛流

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Retweeted 金剛流 (@kongou_noh):

"「翁」が能といえないように翁の面も能面とはいい難い" / 「能と能面」金剛巌著 #金剛流


反核の運動は日本でも大変長い歴史を持っていますが、これまであまりうまくいってこなかったのは、アンチに安住しているやり方に原因があったと思うんです。(中略)反原発運動自体がいったん解散するくらいの気持ちで、次の段階に入らなければならないと思います。~『哲学の自然』

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【京都・櫛まつり】安井金比羅宮で、9月の第4月曜日に行われる祭り。女性の髪に華やかさを与えてくれている櫛に感謝し使い古した櫛やかんざしを供養するお祭りで、古代から現代までの髪型と衣装を着た女性達が祇園界隈を練り歩く行列が行われる。 pic.twitter.com/eEi3yuecKj

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地球上に巨大国家がつぎつぎと出現しつつあった時代に、一神教はそのパラノイアと戦おうとしていたが、同時にそれは資本主義の萌芽との繊細な戦いでもあった。今日ではイスラームの原点回帰的な人々だけが、このことを記憶している。~『緑の資本論』

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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/