と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

イタリア怪人紀行前日キャンセル・・・夫婦喧嘩をしたわけではないのだけれども

2016年02月22日 07時53分11秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

どうしても外せない事情というものがある。冠婚葬祭である。しかも、予定外でもって、突然そうした事情というモノはやってくる。それもまた人生、これもまた人生、あれもまた人生である。

 

 

実は今日からイタリア怪人紀行に出発する予定であった。すでに料金も振り込み、楽しみにしていたのであるが、前日キャンセルとした。よって料金は・・・ま、いいか。アリタリア航空で、今日の午後に成田から機上の人になる予定であった。世界遺産が世界一多いイタリアである。事前にそれこそ生涯学習をやっていたのである。Kindleにも作成した資料を、OneDriveに置いて準備万端整えていたのだが、知人の突然の死によってキャンセルとした。しかも昨日の朝である。わかったのは。

ま、仕方なし。かなり親しかったから。

なにもボキの体調が悪くなったわけではない。こういうことも人生には起こりうるのである。どうしても外せない事情というものがあるからである。冠婚葬祭である。しかも、予定外でもって、突然そうした事情というモノはやってくる。それもまた人生、これもまた人生、あれもまた人生である。

特に、「死」である。突然やってくるのが「死」である。病気はじわじわとやってくるが、たいていは気がつかない。あるいはもしかしたら、オレはアタシは病気になるのかもしれないと思う時はある。否、あったというべきか。ボキも、もしかしたら病気になるかもしれないという生活ぶりをしていたから、当然のごとく病気になった。

しかし、「死」だけは、誰しも100%死ぬのだけれども、予定というものがない。自死以外は。

ともかく死生観というものを、こんなバカジジイではあるが、持つことの必要性は感じて生きて来たからである。とりわけ武蔵野大学大学院で人間学の修士を60歳でとらせていただいた時から、人間の「生」と「死」を真剣に見つめるようになってきた。かの大学には、「死生学」という実にユニークな講義もあったからである。たいへんベンキョウになった。マジに。ジジイになってからの必須科目である。こういうのは。

しかも、還暦になってから修士をいただいたから、とりわけ「死」の問題について真剣に考えるようになった。当たり前である。

還暦を過ぎたということは、それだけ「死」に近づいたからである。ダレでも死んじゃうのである。わかるかな、わかんねぇだろうなぁ~。

つまらない不倫だの、暴力だの、家庭内不和だの、多くのトラブルを抱えている方々は、およそオノレの人生が永遠に続くと思っているからである。そう言い切っていい。

しかも永遠はないのである。命だって、永遠ではないという真理の前には、なにをもってしても逆らえない。そのことだけは絶対的真理である。一度生まれた以上はどんなもんでも死んじゃうのである。

しかも100%である。逃れようがないのである。

愛だの恋だのと命が永遠に続くという錯覚のもとに成り立っているものは、まさに錯覚なのである。永遠の愛があるんだったら、不倫だの離婚だのあり得るわけもない。愛を説く宗教もあるが、所詮錯覚なのである。愛が永遠ならば、不倫だの離婚だのをどうやって説明するのだろうか。ただ単なる努力義務であるのだろうか。

そんな疑問を感じるからである。

 

ま、こんなバカジジイには永遠にわからないことだけれども。

 

Bye-bye

 

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2月21日(日)のつぶやき

2016年02月22日 06時20分22秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

今日もナニを書いているのか、よくわからん。しかも、ふらふらしている。さまよっている。ボキの人生のようだよん。フフフフ・・・・

昨日は午前中晴れていた。九十九里浜は。だか... goo.gl/phvmCS


僕たちのすべてが、潜在的にはシャーマンであること。(中略)シャーマンの文化が存在したおかげで、僕たちは文学をもつことさえできたのだ。だが、現代はつとめてそのことを忘れようとしている。しかし、そんなことは不可能なのだ。~「地上にひとつの場所を」

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【兵庫・団子ころがし】淡路島の死者を送る風習。千山などの居住地最寄の高い山からあの世へ上る故人を援護。故人が行く道を餓鬼に邪魔されぬよう、死後35日目に団子(にぎりめし)を作り、山頂から谷へ後ろ向きに投げる。決して谷を見てはならない pic.twitter.com/g1uGWfGjf0

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音楽を聞いたときに、人がしばしば感じる幸福感、人を世界の外に連れだしていくような、あの四次元的な幸福感こそが(どうして、音楽が人に幸福感をあたえることができるのかは、いまだに深い謎につつまれている)、豊かな人間の暮らしの基礎に、すえられなければならない。~『哲学の東北』

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愛子大仏:宮城県の五教九山佛国寺に所在する大仏で、敬宮愛子内親王誕生を祝し建立された(読み方はアヤシ)。FRP(繊維強化プラスチック)製で、大仏の拝観はナムナム号というスロープカーで行う。 pic.twitter.com/sFSXkZyBo8

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なぜいまでも民俗学のような学問が必要なのか、という問いに対して、私たちはこんなふうに答えることができる。それはモノについてのいまだに形成途上にある学問なのであり、「モノとはなにか」という問いがこんなに深刻な意味を持ってしまっている現代だからこそ、必要とされる学問なのである。

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本来の目的は高崎市の小祝(こぼり)神社に行くこと。街中の小さなお社ですが、式内社です。 pic.twitter.com/Lv2qlz4k1j

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Retweeted 太田宗邦(Munekuni Ohta) (@imamura27kaz):

本来の目的は高崎市の小祝(こぼり)神社に行くこと。街中の小さなお社ですが、式内社です。 pic.twitter.com/c73tJWmZHe fb.me/2jEbxqSns


出かけておりました。行ったのはこんな神社がある所。これは群馬県妙義山中にある中の嶽神社。 pic.twitter.com/ZMIzIpfKs5

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Retweeted 太田宗邦(Munekuni Ohta) (@imamura27kaz):

出かけておりました。行ったのはこんな神社がある所。これは群馬県妙義山中にある中の嶽神社。 pic.twitter.com/dpRPiHyv30 fb.me/57YmCuF1f


@imamura27kaz 中の嶽神社の本殿には、甲子園を夢見る高校球児たちの絵馬がたくさんありました。そういう神社なんです。ここの本殿は、武尊大権現の巨石に平成2年に落雷があって、岩が割れて落下して直撃倒壊。再建されたものです。

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【大阪・和大津だんじり祭り】<10月第2土曜、日曜>泉大津市各地で行われる秋祭。岸和田をはじめ、各地域でだんじりは行われているが、この地域では前を行くだんじりを後ろから追いかけてぶつける「かちあい」が見られ、挟まれる人も出る。 pic.twitter.com/vWO11Min4I

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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/