「さすが、小論文の神様って、オレのねーちゃんが言っていたとおりだ~」と叫んだのには、苦笑したけど。
宇陀市が、「古事記」「日本書紀」「万葉集」と宇陀市というようなYoutubeの動画を公開してくださっている。秘書広報室が関わっているらしいのだが、こういう動画を初めて見た。だから、このバカブログでもリンクをかけておいた。当然、ボキがいつでも見られるようにという意図である。
たまには、こういうまともな動画を見るのもいいもんじゃ。
で、ついでに、小学館から出ている日本古典全集本の「万葉集」も、古書で買った。Amazonである。まだ第一冊目である。この小学館のシリーズは、頭注がついていて、真ん中が原文、一番下に訳がついている。
だから、ボキの学部生時代には不評だった。こんなもんを読んでいるようでは、バカの上塗りだ(恥の上塗りの変形バージョンだけど)とまで学部生時代には酷評されていたんだよん。だから若い時は買わなかった。
でもねぇ。
退職してから古文書講座を受講するようになって、特に、居住地の古文書講座の先生が、この小学館の方を使って、解釈についてしゃべってくださるんだが、これがなかなかなんである。
ナニがなかなかというと、解釈にはいろいろな説があって、その説のどれをとっているかということをしばしばボキのような素人に実にわかりやすく指導してくださるから、目から鱗だったんである。
知らなかったよん。
そんなにしてまで、オノレに厳しく解釈されていたってぇことを。
だから、ボキなんか、ドクター論文なんて無理だったんだよねぇ~となんとなく分かってきたのだ。まったく、今更ながらである。バカは、オノレのバカを自覚していないから、バカなんだね。
ま、だから生きているのかもしれないけど。
オノレの顔は見えないし、たとえ鏡を使って見ても、その鏡の中に映っている顔は本当にオノレの顔かとなったら、確かなことは言えないではないか。そう思うからである。つまり、そうだから、生きていられるのかもしれないから。
真実のオノレの姿は、とんでもなくみっともない姿かもしれないではないか。
そう思いません?
そっちのあーた、こっちのキーミ。
生きているだけで、誰かに迷惑をかけているのかもしれないしなぁ。
古女房ドノにも、他人にも。そして家族にも。
これまでやってきた悪業は数知れないし。
だいいち、毎食ごとに、魚や肉や野菜をいただいているし。
命あるものの命を奪って、オノレの命を維持しているし。
これは致し方ないのだろうけど、しかし後ろめたい思いはある。
食事の度にボキは合掌をしてから、食事をいただいているけど、実はこれって大切なんだよねぇ。感謝して命をわけていただいているってぇあんばいだから。
そういえば、ボキの孫たちも食事の度に合掌をしている。通っている保育園で指導されたらしい。いいことである。実にいいことである。
ジイジと孫二人が、合掌をしながら食事をありがたくいただく。こんないいもんはない。自画自賛である。
わははははっはははっはははっはははは。
*
これから折口信夫全集を読む。
Kindleにも、彼の万葉集の本がインストールしてある。
おおらかな万葉ビトの心情を味わいながら今日も一日過ごすつもりである。
今日は一日暇だし。
あ、いつも暇だったよん。
明日も暇。
明後日も暇。
やることねぇし。
Walkingでも行くしかないから。
まったく、まったく。
申し訳ないくらいだ。
だからせめてのつぐないでボランティアをやらせていただいているんだよん。
昨日も塾で、小論文の有償ボランティアをやらせてもらったし。完璧に書けたと言って、中三の男子が喜んで帰っていった。しかも、二つ書けてしまったのである。
「さすが、小論文の神様って、オレのねーちゃんが言っていたとおりだ~」と叫んで帰っていったのには、苦笑したけど。
そしたら、教室長が明日も明後日もやってくださいますか?と言ってきたので、それだけはご勘弁をと申し上げて、それっきり。逃げるようにして、5階建ての塾をおさらばしてきた。
銭が欲しくて塾に行っているのではないからで。
マジに。
じゃぁねぇ~。
Bye-bye