好きです、好きです、ど~してもアータのことが忘れられませんと何度言ってもあっちから逃げられてしまったように、今回もまた・・・・・トホホ
葬式とか通夜に行くときがある。そうして、故人の死について話をすることがある。思い出話であったり、これからの話であったりする。
ところが、たいていの人は死について語ることを嫌がり、避ける。なんでだろうかとボキは思う。
忌みすべきことだろうか。たぶんそうだろう。忌みごとなのである。言ってはならないことなのである。
ミンナ忘れているからである。自分が死ぬことを。
しかし、ダレでも死ぬ、100%死んじゃうことは絶対の真理である。それが恐ろしいからダレもクチにしないだけである。だから、見て見ないふりをしているだけである。
生きているのがアタリメェであって、テメェが死ぬ、この世の中からきれいさっぱりおさらばしてしまう、オノレの美醜を伴った身体も消滅してしまうことに耐えられないのである。美人だって死ぬのだ。絶世の美女だって、死んだら腐っていくのである。それこそ九相の段階を経て腐っていくのである。
九相図とは、仏教絵画である。死体の変遷を九の場面にわけて描くもので、死後まもないものに始まり、次第に腐っていき血や肉と化し、獣や鳥に食い荒らされ、九つ目にはばらばらの白骨ないし埋葬された様子が描かれる。九つの死体図の前に、生前の姿を加えて十の場面を描くものもある。
強制退学させられたた(古女房ドノに)大学院で、ドクター論文を気取って書いていた駄文の参考文献のトップに出てくるボキの愛読書である。
こんなもんを机の脇に置いて、駄文を書いているなんて、妙なジジイである。もっとも妙でなければ、死や生について興味関心を持つこともなかったなぁと思う。思うけど、そう思うが故に周囲に嫌われるんでしょうなぁ~。
そもそも、男性特有の仕事中心主義にもともとないからで。ボキは。
男は、どこまでいっても仕事中心で生きている。退職しても仕事のことから、アタマが離れない。老人大学でもご学友の皆様が、会社員時代のこと、現役時代にどんなにエラかったかとかというような話題をする。
ボキには、なんも語る資格がない。
アタリメェである。
もうすっかり現役時代のことなんか忘れてしまったからである。
忘れたくないのは、ドクター論文を完成することができなかったこと。この一点である。マジに。
それだけ思い込みが激しかったし、やる気があったんである。これもマジに。
そして、それが生きがいであったのだ。
もしかしたら、その生きがいが復活しつつあるのかもしれない。体調と相談しながらであるが。
楽しいからだ。
根っからの雑文書きなんであろう。
好きなんであろう。
*
もっともあれか。
好きです、好きです、ど~してもアータのことが忘れられませんと何度言ってもあっちから逃げられてしまったように、今回もまた失恋の連続ですかなぁ~。論文という「美女」から、最後通告をいたいたりして。
わははっははっははっははっはははは。
じゃぁねぇ~。
(ToT)/~~~