バチカン市国からローマ、さらにナポリへ
5月31日(火)
午前中はバチカン市国へ。カトリック総本山である。キリスト教会には非常に関心がある。あったというべきか。それも知識としてであったから、今は反省している。
そもそもキリスト教というのは、庶民には理解しがたいものであったのではないのか。ラテン語で書かれていたし、読むことが困難であったのではないのかと思うからである。ボキもまったく理解できないのだけれども。バイブルっていうのは。
それは日本における仏典もそうである。何が書かれているかまったくわからん。難語句のオンパレードである。ただひたすらそれを読経しているだけで、ありがたいと思っているボキのような庶民がたくさんいるのである。もっとも、ボキには信仰がないから、そんなインテリぶったことはいえねぇけど(^_^)。
ま、ともかくバチカンである。現地ガイドのMsサイトウさんからの案内をいただいた。
最初にバチカン博物館に寄る。
システィーナ礼拝堂の説明をいただき、ピーニャの中庭からエジプト展の一部を見ながら上階へ。
燭台のギャラリー(ギリシャ、ローマの彫刻)から、タペストリーのギャラリー(ゴブラン織り等)、地図のギャラリー(イタリア各地図)を歩いた。
驚いたのは、現地ガイドのサイトウさんである。博識である。もっともこのガイド試験というのは、かなりの難関である。受からない。なかなか。ボキのような一介の田舎ジジイが、ちょっとローマ史を勉強したからって言ってもかなうわけがない。だから、ド素人はおとなしく聞いているしかないのである。本当にたいした方がおられるものである。
いよいよシスティーナ礼拝堂に着いた。ミケランジェロの傑作と言われる「最後の審判」「天井画(旧約聖書)」を拝見。とうとう見られたのである。憧れのミケランジェロ。ホンモノである。ホンモノ。綺麗じゃなぁ、とうとうここまで来ることができたのだなぁと感慨もひとしおであった。
そのままサン・ピエトロ大聖堂へ。
今年は特別聖年(ジェビリオ)ということで、免罪をいただくべく「聖なる門」から入場した。触ってもみた。ボキはさらに、ボキのキタネェハゲアタマをこすってきた。むろん惚け防止のためもある。さらに、これまで幾多の悪業を重ねてきたボキの行動を指示してきたふざけたアタマを綺麗にしていただくという思いもあったからで。
わはははっはははっはははっはははは。
もっともこんなことで綺麗さっぱり免罪がされるとは思ってもみなかったけど。マジに。
ミケランジェロの「ピエタ」、ベルニーニ作「司教座」など世界最大の大聖堂である。圧倒された。ベルニーニ作のサンピエトロ広場を写真で写して、マンゾク・マンゾク。
次にはローマをVIPバスで車窓見学。
ローマの成立に深く関わったテヴェレ川沿いにバスは走る。塩野七生さんの書籍に何度も出てくるから、実際どんな川であるかタノシミにしていた。物語がある。この川には。ローマの成立を知るには必須の川である。
ティベリーナ島から左岸に渡り、アベンティーノの丘、チルコ・マッシモ(馬車レース場)、さらにドムス・アウグスターナ(王の宮殿)、パラティーノの丘でバスから下車。コンスタンティヌス帝の凱旋門とコロッセオの写真を撮って楽しんだ。
さらに、カンピドーリオの丘からベネチア広場、独立記念堂からサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂を通ってランチ。
やっと昼飯にありつけたのである。店の名前は「scoglio di friso」。サラダ、リガトーニ・カルボナーラ、マチェドニア(フルーツポンチ)を食せり。
再び、車窓からヴィマーレの丘(内務省)、大統領官邸を見て、それから有名な「トレヴィの泉」。ここはコインを投げるとなんとやらという場所だったが、ボキはパス。いまさらである。いまさら願い事なんかありゃしないからである(^_^)。
無原罪のマリア像を見て、それからスペイン階段へ。共和国広場からディオクレティアヌス浴場を見て、「SPQR」のマンホールなどを見た。ああああああ、あまりにもたくさん見過ぎたから、参った。だから拙ブログに記録しているんだけど、忘れてしまったらもったいないので。
わはははっははっはははっははは。
ローマに別れを告げて、ナポリへバス移動。
ホテルは、「ホリディインナポリ」であった。夕食は、ホテルでスパゲティの「ソレント風 ミートボール」と「フライドポテト」と「サラダ」、さらにセミ・フレッド。
盛りだくさんで疲れましたな。
でもかなり強行軍ではあったけど、いろんな物語と地名が一致してよかったですよん。ボキには。
ワインがうまかったから、古女房ドノには叱られてばかりいた。しょうがねぇジジイでございます。
おやすみ。