と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

あこがれのバチカン市国とローマを韋駄天のように駆け抜けて(^_^)

2016年06月09日 13時03分58秒 | イタリア紀行2016年5月

バチカン市国からローマ、さらにナポリへ

 

 

5月31日(火)



午前中はバチカン市国へ。カトリック総本山である。キリスト教会には非常に関心がある。あったというべきか。それも知識としてであったから、今は反省している。

そもそもキリスト教というのは、庶民には理解しがたいものであったのではないのか。ラテン語で書かれていたし、読むことが困難であったのではないのかと思うからである。ボキもまったく理解できないのだけれども。バイブルっていうのは。

それは日本における仏典もそうである。何が書かれているかまったくわからん。難語句のオンパレードである。ただひたすらそれを読経しているだけで、ありがたいと思っているボキのような庶民がたくさんいるのである。もっとも、ボキには信仰がないから、そんなインテリぶったことはいえねぇけど(^_^)。

ま、ともかくバチカンである。現地ガイドのMsサイトウさんからの案内をいただいた。

最初にバチカン博物館に寄る。

システィーナ礼拝堂の説明をいただき、ピーニャの中庭からエジプト展の一部を見ながら上階へ。

燭台のギャラリー(ギリシャ、ローマの彫刻)から、タペストリーのギャラリー(ゴブラン織り等)、地図のギャラリー(イタリア各地図)を歩いた。

驚いたのは、現地ガイドのサイトウさんである。博識である。もっともこのガイド試験というのは、かなりの難関である。受からない。なかなか。ボキのような一介の田舎ジジイが、ちょっとローマ史を勉強したからって言ってもかなうわけがない。だから、ド素人はおとなしく聞いているしかないのである。本当にたいした方がおられるものである。

いよいよシスティーナ礼拝堂に着いた。ミケランジェロの傑作と言われる「最後の審判」「天井画(旧約聖書)」を拝見。とうとう見られたのである。憧れのミケランジェロ。ホンモノである。ホンモノ。綺麗じゃなぁ、とうとうここまで来ることができたのだなぁと感慨もひとしおであった。

そのままサン・ピエトロ大聖堂へ。

今年は特別聖年(ジェビリオ)ということで、免罪をいただくべく「聖なる門」から入場した。触ってもみた。ボキはさらに、ボキのキタネェハゲアタマをこすってきた。むろん惚け防止のためもある。さらに、これまで幾多の悪業を重ねてきたボキの行動を指示してきたふざけたアタマを綺麗にしていただくという思いもあったからで。

わはははっはははっはははっはははは。

もっともこんなことで綺麗さっぱり免罪がされるとは思ってもみなかったけど。マジに。

ミケランジェロの「ピエタ」、ベルニーニ作「司教座」など世界最大の大聖堂である。圧倒された。ベルニーニ作のサンピエトロ広場を写真で写して、マンゾク・マンゾク。

次にはローマをVIPバスで車窓見学。

ローマの成立に深く関わったテヴェレ川沿いにバスは走る。塩野七生さんの書籍に何度も出てくるから、実際どんな川であるかタノシミにしていた。物語がある。この川には。ローマの成立を知るには必須の川である。

ティベリーナ島から左岸に渡り、アベンティーノの丘、チルコ・マッシモ(馬車レース場)、さらにドムス・アウグスターナ(王の宮殿)、パラティーノの丘でバスから下車。コンスタンティヌス帝の凱旋門とコロッセオの写真を撮って楽しんだ。

さらに、カンピドーリオの丘からベネチア広場、独立記念堂からサンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂を通ってランチ。

やっと昼飯にありつけたのである。店の名前は「scoglio di friso」。サラダ、リガトーニ・カルボナーラ、マチェドニア(フルーツポンチ)を食せり。

再び、車窓からヴィマーレの丘(内務省)、大統領官邸を見て、それから有名な「トレヴィの泉」。ここはコインを投げるとなんとやらという場所だったが、ボキはパス。いまさらである。いまさら願い事なんかありゃしないからである(^_^)。

無原罪のマリア像を見て、それからスペイン階段へ。共和国広場からディオクレティアヌス浴場を見て、「SPQR」のマンホールなどを見た。ああああああ、あまりにもたくさん見過ぎたから、参った。だから拙ブログに記録しているんだけど、忘れてしまったらもったいないので。

わはははっははっはははっははは。

ローマに別れを告げて、ナポリへバス移動。

ホテルは、「ホリディインナポリ」であった。夕食は、ホテルでスパゲティの「ソレント風 ミートボール」と「フライドポテト」と「サラダ」、さらにセミ・フレッド。

 

盛りだくさんで疲れましたな。

でもかなり強行軍ではあったけど、いろんな物語と地名が一致してよかったですよん。ボキには。

ワインがうまかったから、古女房ドノには叱られてばかりいた。しょうがねぇジジイでございます。

おやすみ。

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6月8日(水)のつぶやき

2016年06月09日 06時04分25秒 | 老人大学ごっこ2015年から2016年

成田空港内でそれぞれ違った周波数で立っているボキ達

5月30日(月)成田空港。

九十九里浜に住んでいるボキにとっては、お馴染みの空港である。しかも、成田市内にも勤務... goo.gl/y8DQgp


現代の家から、決定的に失われているもの、それはカマドのようにこの世界に転換をおこす力をもった装置の存在である。スポーツ番組とヴァラエティを流し続けるテレビは、みんなの注意を逸らして、いまある世界の秩序に転換がおこったりしないようにするために機能している。~『大阪アースダイバー』

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【東北・三日とろろ】東北や関東などの一部地域で行われている風習。正月3日にとろろご飯を食べるとおせち料理でつかれた胃をいたわることになると好んで食されている。また、一年風邪をひかず、中風にもかかりにくくなり、長生きできるとも言われる pic.twitter.com/09bOzvVwrV

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狩猟採集文化というのは、どうしても生と死の一体性を主題にせざるをえません。人間が生きていくためには動物を殺さないといけない。生は同時に死であり、死は同時に生であるということを、日々深いレベルで痛感せざるをえなかったということです。~『縄文聖地巡礼』

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ギリシアの時代から、民主主義には特殊利害を共同利害にすり替えるという問題がつきものです。ギリシアでは奴隷も女性も民主主義から排除されていました。これはいまの民主主義でも同じです。なにせ民衆と動植物が入っていないんだから(笑)。~『哲学の自然』

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私の地元・三田市の西山の麓にあるお寺「心月院」は、白洲次郎と正子夫妻の墓所がある寺として知られています。しかし、本来は三田藩主九鬼家の菩提寺で、その名前も、初代藩主の父君・九鬼守隆の戒名の一部を取って名付けられたものです。 nohgaku-kyodo.xyz/blog/sanda-his…

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【沖縄・島尻のパーントゥ】<旧暦9月初>「千と千尋の神隠し」の「カオナシ」に似た様相の仮面をかぶり、ンマリガーという聖なる井戸の泥に全身を浸した3神が練り歩き、無病息災、無事故を願って行き合う人や乗り物、家屋に泥を塗る行事。 pic.twitter.com/5JxrbE2xZC

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Retweeted ネイティブアメリカンの名言 (@Indianteachings):

■「すべての暖かい夜 月光の下で眠れ その光を、一生をかけておまえの中に取り込むのだ おまえはやがて輝きはじめ いつの日か 月は思うだろう おまえこそが月なのだと」【クリーインディアンの詩】


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光こそ、すべての源という気がするのだが

柔道をやると~ま君

サンスクリット般若心経

高齢\(^_^)/