下り坂こそ勝負なり・・・これからは。
高校の同窓会とか行くと、ほぼ全員が人生の上り坂成功者ばかりでいたたまれない。国立大学に行ったのが、なにしろ三桁でそれも200人近かったから、ボキのようなアホは居場所がなかった。
だから、ボキはもう15歳の4月から人生真っ逆さまに下り坂ばかり滑ってきたことになる。
上昇志向の強い人間は、会社とか組織とか定年で捨てられた場合に一番始末におえない。いつまでも専務とか、部長とかオノレを呼ばせるわけである。
老人大学にはそんなのはいない。誰でも前歴はあるが、そんなのは話題にしない。それが暗黙の了解である。聞きもしないし、言わない。それが一番である。
ところがである。知人でボキより3つほど年齢が上の人間がいるが、未だに前の職場の人間と定期的に酒を飲み、現役時代に面倒をみた方々をその飲み会に呼び出しては、いじり倒しているのがいるのだ。
しかも、仕事をしていた時代の人間としかつきあわない。今、釣りに行っているが、それも昔の職場仲間である。退職してからも人間関係が捨てられないのである。再就職してもそうだった。***顧問とか言われて悦に入っていた。得意そうだった。
上昇志向の強いヒトは、ボキのような平民にもクチのききかたが荒い。さらに、ボキのような平民では理解できない、できそうもない英単語なんかつかってバカにする。アカン。そんなんじゃぁ。
なぜ、人生下り坂になったことを喜べないのであろうか。
人生は退歩もあるのである。確実にある。退歩の結果、ミンナ死ぬのである。そのことを忘れてバカをやっていちゃぁいけねぇ・いけねぇ。
スキーだって、そうではないか。
リフトで簡単に登れるようにはなったが、なにもスピードを出して一気に滑り降りなくてもいい年齢になったのだ。ゆっくりゆっくり周囲の景色をタノシミながら、きれいなかわいいオネーチャンを見ながら滑っていてもいいのである。そうするとたまには、美女が「きゃぁ~~~ごめんなさ~~い」とか絶叫して、ボキにぶつかってきたりするからこれまた楽しい。ボキは、すかさず抱き留めてやるけど(^_^)。事実福島の猪苗代スキー場で体験済みであるから。
さらにある。自転車である。こっちも登り坂はきつい。ふーーふーー言いながら登り坂をこぐ。しかもボキの自転車はママチャリである。駕籠がくっついている。途中で、休憩を入れないとてっぺんまで行き着かない。ところが、下り坂は楽ちんである。なにもしなくてもいい。勝手に自転車が下り坂を行ってくれる。ただし、ブレーキをかけないとどっかに吹っ飛んでいくから、ボキのお手々は真っ赤になる。それが残念だけれども。
もっとある。
「時流から取り残される」ってぇことである。これこそ実にすばらしい体験である。インターネットとかスマホとか盛んになっているけど、あんなもん、クソの役にも立たない。若い衆からバカにされても、どこ吹く風である。関係ねぇのである。ボキもご多分に漏れずそういうたぐいのモノを買ったが、完全におもちゃである。なんの内容もない。調べるっていってもwiki程度の底の浅い知識しか無いから、笑っちまう。わけぇーのがである。フン!そんな程度かということである。しかも当人が気がついていないからもっとおかしい。
60過ぎたら、時流に乗るこたぁねぇのである。老人大学でも、ずいぶんパソコンをやってみないか?とか、若者ぶって現代ダンスをやってみないかとか、果てはカラオケ同好会に入らないかと言われた。カラオケは自宅にあるのだ、ボキは。それに、素面では歌えない。おバカキャラのミニスカネーチャンがいるような店でしかやったことがない。しかも、もう飽きたから行かない。それにゼニもない。一番はアルコールが飲めなくなっちまったから、行く気持ちがまったくない。
パソコンは捨ててしまいたいほどやってきたから、これももういい。ダンスはがに股だから一番似合わない。
わはははっははははっははははっははは。
なにも無理して時流に乗ることはないのである。
*
どうせ後は、下るだけの人生である。
後半生は、だからできるだけ脚力を使わない自転車のようなものである。しかも、下り坂専用の。
この方が長生きできると思っているのだが。
ところが、世に溢れている啓蒙書は、まだまだ老人たちに上昇志向を説く。第二の人生を設計しようとか、ローンを組んでデカい家を建てようとかというふざけたことを言ってくる。
だから下り坂を下っていくのもラクではないのである。右も左も敵ばかり。油断も隙もあったもんじゃぁない。
悠々と人生の下り坂を下っていくためには、体力も精神力も必要なようである。
あああああああああああ、バカバカしい。
また明日!