周辺の低山ばかり回っていたら、肝心の富士山に登ることはできないからなぁ。
計画的というのは、無駄なこともあるらしい。たとえば高い山に登るのに、低い山からチャレンジするようなものである。富士山に登るのに、関東ならまず筑波山からチャレンジするようなものだ。
それを計画的と呼ぶのなら計画的なんだろう。用意周到ともいう。されど、低い山に次から次へとチャレンジしていてとうとう肝心の富士山には登ったこともないというのでは真逆である。
これって、生涯学習にも当てはまるのではないか。周囲の山ばかり登っていて、富士山にチャレンジしないというのと一緒である。
核となる目的はなにかということにもなる。
まずはやってみることだ。実践である。いきなりでもいいではないか。ダメだったら、元に戻れば良し。再出発である。
ボキも、博士になりたかったからチャレンジしてみた。しかし、挫折した。元に戻ったのである。それで、さらに計画的に論文チャレンジを始めた。ダメでもいい。ダメであっても、チャレンジである。再出発である。
これで良し。
だってしょうが無いではないか。学力劣等で中退したからである。評価は在籍していた某大学がやったことで、ボキではない。興味関心がある分野で、ささやかでもいいからチャレンジしていくことである。ただし、なんでもかんでも博士になりたいというのは考え直した。要するに、細々でもいいから生涯学習をやれば良いのである。ボキとしては。
生涯にわたって知的好奇心を持っていたいというだけである。くだけた言い方をすれば、惚け防止である。
なにもすることがないというのを避けたいからである。ウオーキングもそうだし、いくつかの副業もそうだ。惚け防止でやっていることである。健康になり、ささやかな収入もある。タノシイではないか。
それで昨日「今でしょ」で有名な林修先生の動画をみていた。彼の教育論をYouTubeでやっていたからである。ナント、彼は借金2000万を抱えていたという。東大法学部を出てから就職したが、挫折したとのことであった。彼がやったことは、小さな予備校の講師。自分で言ったのだからそうしておこう。得意な分野で再出発をしたのである。
これにハタとなった。
自分の得意な分野でチャレンジしていけばよいのである。これにハタとなったのである。ボキは、教えるという分野でメシを食ってきた。これでチャレンジしていけば良いのである。そうすると、今やっている五つの副業で良しであったのだ。
迷うことはない。このままチャレンジしていけば良しである。
周辺の低い山だけを徘徊していてはならない。いきなり富士山で良し。いきなりチャレンジしてみることである。ダメ元である。ダメになるかもしれない。しかし、チャレンジすることを怖がっていたらなにもできないではないか。
そう思った。
今年はなにか変化する可能性があるような気がする。ナニガ待っているか。それは誰にもわからない。ボキにもわからない。それでもチャレンジしていくつもりである。
ヾ(*´∀`*)ノ