今日もバイトに行った。千葉市である。帰りは、6時近かった。ま、これもまた良し。
しかし、年金も貰っているのだからあまり欲をかかないこっちゃ。これから貯金して、デカイ家でも建てようなんてぇ思ったら、後半生を失敗しちゃう。
器にあわせて生きるこっちゃよん。
それで、「定年和尚」という本を電車の中で読んでいた。
産経新聞の記者であった著者が、定年後に出家してしまうのだ。日大法学部を出ているのだから、仏教関係の大学ではない。浄土真宗の檀家であったらしいけど、寺院関係者でもない。
東本願寺系統の僧侶になれる専門学校に行って出家してしまったのである。うらやましい。
ボキは、学部を出てから西本願寺系統の専門学校の初心コースを出た。むろん、教員をやりながらである。教員をやりながらというと、大学院修士も西本願寺系統の武蔵野大学であった。こちらも卒業できた。だから定年後に某大学大学院の博士課程に入学できたのである。
ま、今となってはどうでも良いような話である。
そして、その定年和尚さまの本に書いてあったのが「今日は今日、明日は明日」というフレーズであった。
感動しちまったよん。
確かに、今日は今日である。
今日のことは、今日一日で終わりだなぁと思ったからだ。
明日のことをシンペェしてもなんにもならないからだ。
今日のことを精一杯やりゃぁそれで良しだ。
まさにこれだ、これ。
明日のことで、くだらないことをいろいろ、くよくよ悩まないこっちゃ。
なるようにしかならないではないか。
ゼニがなければ、仕事してくれば良いだけではないか。
健康なうちは仕事していくことだよん。
それだけである。
それだけ。
計算しても、明日になったら生きていられるかどうかすらわからんのだ。
明日起きれればそれで良し。
今日だって、これから寝るが(21:10)生きていられればめっけもんである。シアワセだ、ボキは。
さ、これでオシマイ。
寝ます。
(。・_・)ノ