過剰な自己評価は破綻する。クワバラ、クワバラ。そんなもんなんの根拠もないからだ。
高慢は身を滅ぼす。以前やっていた仕事のポジュションというものを忘れていかないと滅びる。以前の仕事から離れられていないからだ。誤った自己評価だ。過剰な自己評価はオノレを滅ぼす。こんなのを持っていると、人間関係も破綻する。
ましてや、ボキは不思議ちゃんジジイである。とっくに隠居していても良いはずなのに、まだ働いている。それに、元々変人でもある。
教師だったから、センセと呼ばれることもある。ボキは、今更そんな言い方はよしてくださいなと懇願しているのだが、周囲が許してくれない。だって恥ずかしいではないか。それに、センセと呼ばれるほどアホで恥ずかしいものはない。だって、誰だってセンセなのである。先に生まれたのだから。柔道界然り。塾もそう。公立や私立学校もそう。政治家もそう。師匠と弟子の関係にある各種業界もそう。
それにまだ働いているのは、ローンを抱えているからか?と質問されることもある。実際は、ローンはまったくない。しかし、周囲がそう思うのならそうすることにするか。生活が苦しいからとでも言っていれば、周囲は納得するのだろうから。
実際は、惚け防止でやっているだけである。ホントに亭主元気で留守が良いと思っているのだ。だから、家に閉じこもっていないのである。
某大学大学院在学中に大病をしたことも影響している。博士はとりたかったが、じっとしていて論文書きばかりやっていて、病気になっちまったんでは洒落にもならない。
だから好きなように生きているのだ。すべてを受容しているからだ。過去も現在も未来も。
生涯学習ごっこもそうだ。
家に閉じこもっているよりは、良い。
ただし、仕事をさせていただいている以上、落ち度のないようにやらなければならない。バイト五つというのは、確かに多すぎた。気をつけなくてはならない。
黙って仕事をこなすことである。そもそもが、ボキ、口数が多い。黙っていれば、アホがバレナイ(^_^)。
かしこく見えるのかもしれない。
ま、どうでも良いことだが。
周囲からどう見えるかなんてぇことは、もう関心がない。どう見られても問題にならない。問題を問題と意識していないからである。
こうなったのは、九十九里浜に親戚もいないからだ。いわば「ひとり」である。あくまでオノレとの対話を中心に生きてきたからだ。地元の高校を出たわけでもない。同級生もいない。いるのは長男夫婦だけ。孫もいるけど。
オノレとの対話を厳しく探求していきたい。世話になったヒトはたくさんいたが、今のボキにはまったく無関係である。所詮他人であるからだ。
自己との対話ということを、もっと追求していきたい。マジに。
(^_^)ノ””””