ボキも含めて人間というのは、なぜ自分が善で、他人が悪だと思うのだろうか。他人が悪であって、その悪が自分を責めてくるから善である自分は傷を受けると思っているのだ。ほとんどのヒトは。
ボキだって例外ではない。他人を責めて、自己弁護をしてしまう。仕事の失敗でもそうだ。他人が悪くて、オノレが善だという前提でものごとを進めている。これはおおいに恥ずべきことである。
バイト先でもいろいろと失敗ばかりしている。これもまた他人が悪くて自分は善と思い込んでいるから起こる。悪はボキである。失敗するとどうしても他人を責めたくなる。オノレの失敗であることを認めたくないからだ。責任逃れを無意識にしているではないか。日常におけるボキは。
つまらない人間だなぁと思う。実際つまらない人間であるけど。
こういう悪を見つめたのが親鸞ではなかったのか。そして、西行。孤独な生き方をした二人であったが、共通しているのは悪。悪を見つめて、生涯ぶれることはなかった。
あくまで自分自身のことである。自分が悪だということである。つまらない人間だということである。欲望に苦しめられている人間だということである。
だから、善から悪を見つめることはできない。西田幾多郎先生のように、善から一気に無へと飛躍することもできない。そもそもそれだけの知性がない。当たり前である。
今朝起きてから、以上のようなことを考えていた。
今日はちょっと寒い。
太陽が出ていないからだ。
さすがの九十九里浜もこういう時はある。
新年早々からバイト三昧であるからちょっと疲れた。
今日は古女房殿もいないから(料理教室の講師で)、九十九里浜のスパにでも行ってくるつもりである。
こんなときもあって良いのだろう。
悪人と~ま君への施しでもある。
わははっはははっははっはははっはははっはははっははっはははっはは。
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