蔡英文総統の令和を迎えた日本へのメッセージに感謝の声
今朝の新聞は永久保存しておこう。
令和になったからだ。
そして、ボキはこの時代に死んでしまってあちらの世界に行ってしまうからだ。
仕方なし。
誰でも死んじまうのだから。
否定できない真理である。
生まれた以上は、死ななくてはならないからだ。
避けたくても避けられない。
だから、不必要に力むこともない。リラックスしてやっていれば良し。そんな世間のくだらないシガラミなんぞ、捨ててしまえば良し。ともかく執着していたら死んでも死にきれない。
こだわらないことだ。現役時代になにをやっていたかなんてぇことは、関係ないのである。定年退職してなにをやっていようが、たとえ何もやっていなくても関係ないのである。焦ることはないのだ。バイトでもなんでもやりたいヒトだけやっていれば良いだけの話である。
やりたくなかったら、やらなければ良し。それで良いのである。
ボキの場合は退屈だからいろいろやっているだけの話である。それを自慢しちゃいけねぇのである。そんなもんを自慢したらアホである。完全なアホ。
どこに行くのにもボキは格好なんかつけない。ネクタイすらしない。ネクタイではなくて、ループタイである。他人にどう見られていようが、眼中にないのである。気楽なものである。
気がかりなのは、ボキの子どもたちのことだ。全部貧乏しているからである。ボキも貧乏年金暮らしだけど。
やはり経済のことがちょっと気になる。暮らしがなりたっていくのだろうかって。子ども世代がどうやって生きていくのだろうと思っているからである。孫もそうだ。孫の時代にはどうなっているのかというのが、若干ある。令和の時代にそれがどうなるのかということである。
なんとかなるだろう、なんとかなると頑張ってきたのが、戦後世代である。つまり、ボキ等団塊の世代である。ボキ等の世代にも勘違いしていたのがたくさんいた。革命家を気取っていた連中である。あいつら、令和の時代をどう思っているのかねぇ?それでもやはり天皇制反対なのだろうかと思うからである。
昭和、平成、令和と生きてきた。それぞれの思い出がある。ボキの近所には、大正、昭和、平成、令和と生きておられる大先輩の女性がおられる。教師だった方で、いまでもかくしゃくたるものである。90代である。一人暮らしで、炊事・洗濯・買い物もご自分でやっておられる。ボキは、その方をお見かけすると自然に涙が出てしまう。尊敬しているからである。ボキのようなふざけたバカジジイではないからだ。
令和の時代に、もうちょっと人格改造を試みてみたいなぁと思っている。でないと、死んでも死にきれないからだ。
うううううううううううううううううううううううううううむ。
(_ _ )/ハンセイばかりの朝である。
BYE-BYE!