今日は、退学した某大学に行く。三年間教えていただいた先生の「方丈記」社会人対象講座があるからだ。そして、今日が二回目で最終日。もうお会いすることもできないかもしれない。極端にお痩せになって、体調が明らかに悪そうだったからだ。前回の講座をお聞きして感じた。そう思うと寂しいかぎりである。
お世話になった。まことにお世話になった。ありがたい限りである。研究というモノの厳しさを震えるほどの感動で教えていただいた。
学問というのは、すぐれた師がいてこそ成り立つ。出来の悪い弟子は、師匠を目指して努力するからである。
モノにならなかったのは致し方ない。それだけの能力しかなかったからだ。どんなに努力しても、ダメなものはダメだった。挫折である。
あきらめが肝心だった。挫折したから、「淡々として生きる」ことが可能になったのだ。
しかし、まねごとはできる。それが生涯学習ごっこである。指導的立場に立とうとするから、地獄に落ちる。未練だ。執着だ。
そういうことを、三年間かけて学んだのである。情けないけど、事実である。
すべては、滅びる。いくら勉強しても、いくら出世しても、いくら金持ちになっても、すべては無くなってしまう。無になってしまう。
こんなことを考えたり、このバカブログに打鍵したりしているのも、一種の病気である。執筆癖という病気である。なにしろ、打鍵しながら考えているのだから病気と言わずしてなんと言おうか(^0^)。
病気と言えば、最近の世の中には妙な病気が流行っている。
自慢したがり症候群とか(ボキがつけた病名だが)、ロシアと戦争しないかと言った某国会の議員さんとか、いろいろある。特に某国会議員の発言は飲酒癖の影響らしい。これまた国士ぶって、なにをかいわんやである。自分の主義主張に酔っている。しらふの時があるんだろうか、この御仁。不逮捕特権まで持ち出したというから、ロシアでは通用しないではないか。
オノレは優秀であると思い込んでいるアホはかなり多い。指導的立場の人に多い。ボキはただのジジイで凡人である。一介の庶民である。まさに一介。つまらない人間である。一介とはつまらないという意味だそうな。そういう庶民から見ても、うぬぼれている御仁には腹が立つ。アホではないのかと思ってしまう。
第一、行動基準がない。自己規定がメチャクチャである。つまらない主義主張に酔っているのだ。陶酔である。
オノレは何者であるのかということを一瞬でも考えたことがあるのかと思ってしまう。
あるいは、焦っているのかもしれない。
まさかとは思うが、「自己宣伝」のためにああいう無茶を言ったのであろうか。ならばますますアカンですなぁ。
若造よ、しっかりせいと申し上げたいものである。
こういう輩ほど、ジジイのボキにタメ口をきいてくるからなぁ。
わははははっはははははっははははっははははっはははは。
今朝も歩いてきた。
タノシカッタなぁ。
田んぼは良い色をしてきたし。
アロマの匂いも昨日から実に快適に、ボキの書庫でしている。
BYE-BYE!