老夫婦であっても、いかに円満な関係を構築していくかということは、永遠の課題である。若い夫婦というのは、愛という言葉に目がくらんでしまって、そもそもお互いが他人であったということを忘れてしまう。だから、離婚だの別居だのと騒ぐ。
そもそも結婚というのは、ウソから始まっているのではないのか。そう思う。しかもただのウソではない。大ウソから始まっている。
「君を一生幸せにする」というフレーズ自体、大ウソではないか。できるわけないではないか。世間のことをなんにも知らないのに、ただの勢いで結婚しちゃうからである。わかっちゃいねぇなぁと思うのじゃ。もっとも、樹木希林さんではないが、世間のことがわからんから、勢いで夫婦になっちまう可能性もあるから、世の中はおもしろいのかもしれない。樹木希林さんの言葉はおもしろくてならないから、いろいろと著書を買ってきたが。
派手な結婚式でおきまりの台詞を言い、誓ってみても無駄である。参列者は、こころの中で失笑しているかもしれないではないか。自分の経験上。
プロポーズの言葉は新婚生活が始まったら即刻破棄される運命にある。
さらにある。現代は、「おつきあい」と自称して、事実上の結婚生活を送っているのと変わりない関係性があるそうな。そうなというのは、ボキはそういう「おつきあい」という経験がまったくないからである。だいいち、おつきあいをしてくださる女人がいなかったからである。まったく不幸な20代を送ってしまったものである。かわいそうだったよん。
つまり慣れているのだ。男も女も。結婚がスタートなのではないのだ。再出発に近いのではないのか。あきれてしまうけど。
上手に隠し事をしたり、潤滑油としてのウソをもっと見直すべきであると言っているのだけれども。ギャンブルなどで大損していて、ローンを借りていたりしてそれも隠しているというのでは言語道断であるが。
結婚生活に入って、お互いのことがよくわかりすぎてそれであきれてしまうというのも可能性としてはある。
あるからウソも大事であると言っているのである。
相手の底が見えすぎてしまうというのがそうだ。なんだこんな程度の男だったのか(女だったのか)ということである。このことはなにも結婚に限らない。会社や組織でもそうだろう。日頃偉そうにしていたって、まるっきり度量のない小物だった上司もたくさんいたからである。経験上。
会社での実態を妻には知らせるべきではないのだ。会社でどんなに苦労しているかということも言っちゃならない。ヘコヘコしながら生きているかもしれないではないか。
ウソはそういうときに、つくべしである。
円滑に回ればいいだけの話であるから。
もっとも、自称エリートにはつけるクスリはないだろうけど。
わはははっははっはははっははっはははっはははっはははっははは。
BYE-BYE!