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「一期一会」という。よく使われる熟語である。
しかし、これって夫婦関係にも使われて良いものなのではないだろうか。
ボキは、夜寝るときに明日も無事眠りから目覚めて、死なないで、家人と会えることを楽しみにしているのだ。前の晩に、脳梗塞かなにかで意識を失ってしまって、それっきりという可能性もあるではないか。
だから、昨日の妻は今日も妻だとは限らないのである。昨日妻であったとしても、こっちの方が死んじゃっていたらthe endである。
これって、仕事人間をしていたらなかなかわからなかったことだ。時間が永遠に続くと思っていたし、人間関係もずっとこのまま続くと思っていたからだ。しかし、現実は違っていた。
職場の人間からは切られたし、人間関係も大きく変化した。元****なんて肩書きもなんにもないし、そんなもんで老後を生きていこうなんて考えてもいない。
だから、バリバリアルバイトをやって、新しい人間関係を構築して楽しんでいるのだ。それは当たっている。
タノシイからである。
特に、夫婦である。明日死んじゃうかもしれないと思ったら、夫婦といえども「今日一日限りのおつきあい」と大事にするこったよん。明日になったら、相手がいないという可能性もあるからだ。病院に行っていたり、火葬場に行っていたり(死んですぐには行けないけど)、いろんなことが考えられるではないか。
時間が連続していると勘違いしているから、永遠に人間関係が続いて「うんざり」することになるのだ。「うんざり」のあまりに、もう別れましょうとなってしまうのである。しかし、別れたとしても、ご当人の方が明日も生きているとは限らないではないか。夕方には骸骨になっているかもしれないからである。
これってあらゆる人間関係に共通するのではないのか。今日一日限りの人間関係だということになれば、瞬間瞬間を大事にしていくことになる。トラブっている暇なんかないではないか。悪口を言っている時間ももったいない。他人に関心を持っている暇もないではないか。
だって、もうすぐこの世とおさらばしなくちゃならないからである。
永遠に生きていられるわけもないからだ。
だったら、夫や妻に感謝して生きるに限る。そして、「他人行儀」に生きることである。夫や妻を自分の半身のように勘違いしているから、わがままも出てくる。相互に腹を立てたりしてしまうのだ。家庭は憩いの場だとかのたもうて、好きなだけ酒を呑んで、体調を崩し、あげくの果てには病院送り。そして治療の甲斐無く死んじまう。
他人行儀に生きていれば良い。毎朝リセットするようなものである。相手にあいさつもする。ブスッとして新聞なんか見ていないことである。会話を優先させて、朗らかに生きていくことである。
昨日の妻は、今日の妻。
今日の妻は、明日も妻。
なんて思わないことである。
だったら生きてさえいれば、じつにありがたいと思えるようになるからまか不思議である。
退職したからと言って、前職にコダワルことなんかちっともないのだ。
今月から、幕張で研修会のコウシ様をつとめるが、後輩諸君に世間知らずの狭い了見で仕事をしないほうが良いとアドバイスさせていただくけど。これも、退職してみないとわかんねぇことだろうなぁ。
さ、これから歯医者に行く。
良い天気だ。
朝、4時半に起きてもう4000歩歩いてきたから、あと少し歩くけど。今日も元気でしぶといジジイでございまするよ(^0^)。
BYE-BYE!