歩いてきた。朝5時から一時間ほど。実にさわやかな朝である。気分が良い。世間のしがらみもなにもない。ワンコを連れた方ともお会いできた。お二人である。ただし、ワンコは三匹。お一人で二匹連れていた方がおられたから。
ワンコはかわいい。裏切らないからだ。おっと、そうでもないか。ボキが十七年の長きにわたって飼っていた紀州犬は、二度ほどボキに噛みついたからだ(^0^)。
歩く効用というのは、宗教学者の山折哲雄先生もやっておられて、力説しておられる。先生も入院を多々繰り返された。しかし、八十代になられてもまだまだお元気である。京都の街を二時間は歩いておられるからだ。
良い先生のご本に巡り会えたものである。老後の楽しみに拝読させていただいているが、老後はまさに山折哲雄先生のように生きたいものだと思っているからである。ただし、体力面だけである。偉大な学者であるから、そっちの方はまねしたくてもできやしない。
山折哲雄先生の動画もたくさんあるから、ボキは、自分の車でも聞けるようにSDカードにした。そして、拝聴もしている。これだけ、ジジイになってからはまっている学者もいない。東北大学でインド哲学を学ばれて、まさにボキがやりたかったことを実践してこられた先生であるからだ。むろんボキはそんな優秀な大学に入ることはできない。能力の面で。だから、憧れているのである。
それにしても、ある一人の学者や研究者、文学者、哲学者などに入れ込むというのは、なかなか良いものである。その方のすべての著書を読みたくなってしまうからだ。
来週月曜日に、退学した某大学大学院のある東金市に行って、その大学の社会教育講座を受ける。太極拳講座である。半年で六千円の受講料である。中国人の先生に教えていただく。楽しみである。後期もあるようだから、それも受講するつもりである。
太極拳をやっていると、なんとなくではあるが、体調が良い。気というものを信じるか信じないかは別だが、ボキは、これってけっこう重要な気がするのだ。
気が乱れると、心も乱れる。これはマジにそう思う。その大学大学院に在籍していたころは、まさに乱れていたからである。どうしても博士になりたくて、執着していたからだ。
それでなくても、執着気質である。しつこいのである。情けないけど、そう思う。
そう思うから、淡々として生きることをモットーとしているのだ。
なにしろ、一度思ったことはなかなか変更できないし、変更をしようともしないからである。頑固なんだろう。
どっかで人格が破壊されたのかもしれないけど。
わははっははっはははっははははっははっはははっははははっは。
これから千葉市に出かける。所属させていただいている歴史の会の役員会があるからだ。
久しぶりの大都会である。
古本店にも寄ってくる。それしかできないからなぁ。
BYE-BYE!