老後 定年後は要注意!マウンティングしがちな困ったシニア
このブログだけど、だんだん出稼ぎバイトの内容になっちまっているですなぁ。話にならん。しかも出稼ぎだ。それにしても、使えないジジイですよ。家事手伝いもやりたいのだが、家人があれこれご指導をしたがるから、こっちがイヤになってしまうのじゃよ(^0^)。
ボキ、小学校の時に教えていただいた家庭科が得意だったのだが・・・トホホ。むしろ中学校で教えていただいた技術家庭の方が不得意だったのだ。なにしろ手先が不器用であったからだ。大工道具なんかも持たされたが、ホントに作品の出来が悪くてしょうもなかった。
出来が悪かったというと、他教科も全部だったけどねぇ。
それでもめげなかった。めげないのが、ボキの特性らしい。なにを言われても馬耳東風。だいいち、聞こえないのだからこんな便利なもんはない。都合の悪いことは、まったく聞こえない。都合の良いことだけが聞こえてくるのだ。実に良い耳じゃった。だからありがたいのだ。
悪口も聞こえてこない。むろん、ボキのこった。欠点は多々ある。悪行三昧だから、けっして褒められたもんではない。だから、他人の欠点も言わない。言えない。言う資格もない。
よって、ボキは自分も含めて人間の美点のみを見つめることにしているのだ。
こんなに出稼ぎバイトばかりやっていて、ナニガおもしろいのだ?と聞かれたこともある。しかも、一つだけやっているのではないからだ。複数である。けっこうな数である。しかし、雇っている方からすれば、専念して欲しいというのがあるだろう。可能ならば、毎日来て欲しいとも言われたからだ。毎日やっていたら、こっちの身が持たない。出稼ぎバイトをやりすぎて、体をこわしたら洒落にもならないではないか。
年金は全部いただいているから、守銭奴でもってバイトしているのではないのだ。貧しくても生活はできるからだ。
趣味もそんなにない。旅行くらいか。
だったらなぜやっているのだということになる。それは、「有用感」である。世間様のお役にたっているのではないかと、たとえ誤解だとしても、そう思っているからである。それに、全部レールは一貫している。EDUCATIONにかかわっているからである。これまでやってきたこともそうだったし、最後は自宅で寺子屋をやってオシマイにするつもりだからだ。それが夢でもある。ある意味、江戸時代の寺子屋に憧れているからでもある。そして、自分をひたすら消していくことである。
某大学大学院で論文書きをしていた。歴史の会でも論文書きをしていた。まともな論文ひとつモノにできなかった。むろん、博士になりたいという大望なんか吹っ飛んでしまった。能力がないのだもの、当然であった。
しかし、「自分の存在を消してしまう」というスタンスからは、今のボキでおおいに結構なのだ。
中根東里のようになりたい。それだけである。無理かもしれないが、死ぬまでにはできるのかもしれない。ひたすら、オノレを消し去っていけば良いのだから。
寺子屋の机の上で死にたい。死んだら、消えるだけだけど(^0^)。
BYE-BYE!