サントリーという会社がある。ウイスキーの会社だ。かなり有名だ。ボキもよく呑んだ。アルコール度数が高いからすぐ酔っぱらってしまう。しかし、今はやらない。そういう店に行かなくなったからだ。カラオケのある店にも行かなくなったし。行くなら寿司屋である。うまい日本酒で食べる。こんなのが好きになっちまった。
一人でしみじみ呑み食べる。あるいは、家人と一緒に。それだけである。つまらんジジイになっちまったものである。だから覇気がなくなっている。こいつは反省材料である。覇気がなくなってしまうと、なんでも面倒になってくるからだ。まともな論文を書いてみたいと思っても、実践力がない。実行しなくちゃこんなもん書けるわけもない。そして、論文書いてなにをするのかと聞かれても、「自己満足」としか答えようがない。就職できるわけもない。相手にしてくれる組織もない。
わははっはははっはははっはははっははっははっははははっははっははは。
話題は違う。「琥珀の夢」という本を昨日の風呂の中で読んでいたのだ。伊集院静作である。例の古本屋から、一冊200円で買ってきたものである。全部で2冊ある。小泉純一郎さんが推奨の帯に「信治郎に惚れた」と書いていた。笑ってしまった。いつもながらの短文でストレートである。彼の息子さんも似たような名前ではなかったかなと思ったからで。
つまり、サントリー創業者の伝記だった。この手の本はあまり読まないのだが、好きな作家の伊集院静である。だから買ったのだ。彼の小説はほとんど読んでいるからである。
賞賛であふれているのだろうと、半分馬鹿にしながら風呂の中で読んでいた。そしたらはまった。奉公先でいろんな試練を味わうからである。これはたまらん。なぜなら、ボキも苦学していた時代に、似たような経験をたっぷりと味わったからである。いじめもあったしなぁ。新聞配達だったから、社会からの差別にも遭遇した。銀行員が読むようなエリート新聞(日経)だったから、配っているボキ自身にも何が書いてあるかわからないのだ。笑ってしまう。そのころからだ。銀行員ってそんなに偉いのかねぇって思っていたのである。なりたくてもなれなかったけど(笑)
そして、そういう経験が鳥居信治郎を成長させていく。大きな人物となっていく。
ボキは、同じ奉公をしてもちっとも成長できなかったがねぇ。
それにしても、他人の飯を食っていくというのは、良いもんである。なぜなら、それこそオノレの器をでかくしてくれるからである。買ってでもせよと言いたい。買ってでも、他人の飯を食わせていただいて、苦労したほうがよろしい。
それでこそ、学校である。
思いやりと慮りの精神が育つからだ。
昨日の風呂はそんなわけで、90分は入ってしまった。家人に怒られた。さんざん。
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