睡眠時間を確保する方法【精神科医・樺沢紫苑】
しっかり考え、やさしく語る。
こんなことを今朝は考えながら歩いていた。さっき家に帰ってきた。ラジオ講座を聞いていた。歩数は、もう9000歩を過ぎている。昨日は雨が降りそうだったから、急いで歩いていたのだが、なんとか天気はもった。ノルマにしている歩数と距離は稼いだ。これでけっこうである。
しっかり考え・・・の部分には当然ながら情報収集も入る。読書も入る。いろいろ読まないと、まともな論文を書いてみたいという老後の最大の願いが実現しないからである。ほんとうに、まともな論文を書いてみたいのじゃよん。それまでなにひとつまともな論文も書いてみたことがなかったからだ。いろいろやってきたが、シンケンミが足りなかったなぁと思う。事実である。
昨日も中国語講座に参加してきた。社会教育講座で、前期しかやってくれないからこれでおしまいであった。これもまたなんにもモノになっておらんのじゃ。簡単なトラベルチャイナならできるのかもしれないが、ヒアリングがまったくダメである。なにを言っているのかわからんのだ。真剣さの度合いが不足しているのじゃなぁ。
そして思うのは、江戸時代の碩学たちのことである。旅行なんか行けない時代に、中国語をマスターした御仁がたくさんいるではないか。江戸時代以前なら、空海だ。近世では尊敬する中根東里しかり。
中根 東里は、江戸時代中期の儒学者。名は若思、字は敬夫、通称は貞右衛門。 伊豆国下田村生まれ。父は三河国出身の農民で医師を兼ねていた重勝。13歳のとき父が死去し、母の勧めで出家して地元の禅宗の僧となった。のちに山城国宇治の黄檗山萬福寺に赴いて中国語を学び、次いで江戸駒込の浄土宗蓮光寺に移り読書に励んだ。
こういう覚悟があったのかと自省している。
激しく学び、やさしく語る。
こういうことがまったくできなかったのじゃよ。だからいつまでも、世を拗ねたジジイ生活を送っているしかないのだなぁというこっちゃ。
昨日、アマゾンから祭文の本が来た。最近はこれにはまっているのだ。呪術と祭文。うううううううううううううううううううううううううむ。タノシミである。むろんやさしく語るための情報収集であるのだけれども。
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