失敗したらどうしようと最初からたじろいでしまうのは、中退経験から来ているのはわかっている。63歳で大学院を中退してしまったのがトラウマになっているからだ。こっちは、それまでずっと通信教育でやってきたのが、この退学した某大学大学院だけは通学生で行っていた。国文学界ではかなり有名な憧れのM教授に一対一で教えていただいていた。幸せだったよん。院生仲間には、中国の大学で副教授をやっておられる方々もいた。かなり熱心であった。ボキも仲間も。脱落したのはボキだけだったが(笑)。
しかし、勝負を避けたということも言えますなぁ。病気になったから、それを言い訳にしている面もあるからだ。情けない。それに、大学院を中退してからは健康面にだけ注意しているだけであって、論文書きのペースは落ちた。所属している歴史の会に論文を投稿して、掲載していただいてきたけど、まだまだである。所詮素人であるから。
それにこの歴史の会は、半世紀もたっている千葉県屈指の会であって、所属メンバーには学芸員の先生方や大学教授も数多い。つまり専門家の集団である。だから、なかなかついていくことが困難なのである。しかも、今年からこの会を預かることになってしまったから、余計に始末に負えない。歴代の会長先生には、文学博士までおられるからだ。専門家中の専門家。ほかの役員の先生方でも著書がある方々が多い。
反して、ボキはなんにもない。だから、勉強したいと思うのである。必然であろう。周囲にそれだけ優秀な方々がおられたら、刺激されるからである。
しかし、ある不安がある。目のことである。白内障になったからだ。
でも、そんなの言い訳なのかねぇ。
あれこれとここに打鍵しているだけ、無駄か。
チャレンジしてみようと思っても、先に失敗したらどうしようと思ってしまうのだ。これはアカン。アカンたれである。
失敗したっていいじゃぁねぇかとなぜ思えないのか。一度失敗して挫折したなら、二度三度失敗挫折してもおんなじこったと思えばいいのだよん。
さっき、ドーハで行われている100メートルの競争を見ていて、そう思った。
(T_T)/~~~