おのださんが使ってるカメラで撮影してみた! 6/5-101
クリス・ハート - 「いのちの理由」MUSIC VIDEO
中根東里にタイトルのような言葉がある。非常に好きな言葉である。
まさに、出てこない月はないからである。沈みっぱなしの月はない。これまで絶望ばかりしてきたが、確かに月のある夜もあったからだ。そして、月は静かに夜空にいたからだ。まるでボキを見守ってくれているようにである。苦学生時代も、月にどんなに癒されたかわからなかった。
ともすると、なんで俺だけこんなにことまでして大学に行っているのだと思ったからである。しかも、学費は安かったがそれが払えないからこんな境遇に落ちてしまったというのが決定的な要因として、ボキにのしかかってきていた。
散る花を追っていたからである。地位とか名誉とかいろんなことを考えていたからである。若干18歳でもそういうことを考えていたのであった。新聞店のわずか畳二枚ほどの部屋で思わず涙を流したこともあった。つまり、大学進学でボキは散ってしまったからである。思うような進学もできなかったし、アホみたいな大学のいわゆる同級生たちとは別次元の悲惨さにあえいでいたからだ。
散ってしまったものを追いかけてはならないとは、まったくその通りである。
以来、ボキは現実をみることにした。起こってしまったことは訂正できないからだ。九十九里浜に流れついて茅屋に住み着いているのも、また然りである。これしかできなかったからだ。定年後に某大学大学院に入学して、華々しく散ってしまった。病気で中退であった。こころのどっかに学問へのあこがれがあったから入学したのだが、これもまた夢として散ってしまった。教えていただいた先生は、ボキにとっての唯一のあこがれの先生であった。中世文学の泰斗である。本名を書いたら誰でも知っているような方である。
その先生に、「名を好む心は学問の大魔なり」ということを教えていただいたのだ。博士になりたいというのは、まさに「名を好む心」でしかなかった。だから十分に実力をつけてから博士論文にチャレンジしなさいということを教えていただいていたのである。
今、修士課程に在学している。ここは一度卒業している。本格的に論文を書いてみたいから、何年かかってもいいと思っているのである。そのために、バイトにチャレンジしているのである。
そのうち死んじゃうだろうけど、それでもいいのだ。
名を求めているのではないからだ。
今日は、アマゾンから新しいノートパソコンがやってくる。今まで使っていたのを長女の家に置いてきたからである。婿殿にあげた。これで、来月少年院のこどもたちに講話をすることになっているから買った。命の大切なることをいっしょに考えてみたいからである。
ボケないでいるとこんなオファーもある。
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