仕事を辞める人と続けられる人の違いとは【精神科医・樺沢紫苑】
ふと思った。それは「未熟な親が未熟な子供を作ってしまう」ということであった。ボキにも二人子供がいる。すでに家庭を持っている。孫もいる。彼らを見ていると、まったく未熟な親であって、ジジイとしては恥ずかしい限りである。
しかし、そりゃぁボキも自分に当てはまっている。未熟な親であったからだ。ボキがである。未熟なまんま家庭を持って赤ちゃんを作り、育ててきた。ボキの子供たちは健康でまがりなりにもいっぱしの親になってくれた。
もう止そうと思う。我が子供たちに、あれこれ文句を言うのは。子育てだって不安なかぎりであるけれども。孫をどう育てているかについてこうしたらどうかなんてぇことを言うのは。
そりゃぁ、愛情という名の劣等感からきているからである。ボキは真実そう思う。劣等感を持ったまま、子育てをしてきたからだ。こうしてやりたいとか、ああしてやりたいというのは、愛情という仮面をかぶったボキの劣等感であったからだ。
ボキの子供たちは二人とも大学まで行って就職した。これだけで十分である。劣等感というのは、ボキの亡父が大学を出ていなかったから生涯世の中に、公務員の世界に文句を言っていたからである。つまり、亡父の劣等感を知っていたからである。確かに頭のいい亡父であった。しかし、それだけでは世の中を渡っていくことはできない。人間関調整力というものがなければ生きていくことは難しい。経験上、しみじみとそう思う。
もうボキの子供たちは放っておこう。それがいい。孫だけかわいがっていればいいだけである。孫には責任がないからなぁ(笑)。
昨日、知人がボキんちにやってきた。入院するという。四方山の話をしていた。入院の保証人になってくれというのでなった。それだけである。そして、思った。家族というのはありがたいもんだなぁって。なぜなら知人は独身だからである。
今朝から雨が降っている。
歩くのも中止。
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