自分の声が悩みです【精神科医・樺沢紫苑】
ここんところずっと劣等感ということを考えてきた。威張っている奴が劣等感を持っているかもしれないと、ふと思ったら確かにそうだった。しかも、威張っている奴は苦労してゴマすり人生で出世していることにも気がついた。低学歴ほど、威張るのじゃ。マジにそう思った。そしたら、世間のことがだいたいわかってしまったよん。
低学歴だからといっても、なにもめげることはない。ボキが良い例である。東京に集団就職列車で来て、やったことといえば新聞配達だけである。そして、FランもFランの超底流大学に通った。いちばんしょうがなかったのが、夕刊があったということ。夕刊配達までには店に帰らなくちゃアカンかった。こんなんじゃ、友人もできなかった。麻雀もできなかった。あたりめぇである。夕刊の後は朝刊配達があるからだ。寝ているヒマもなくなっちまう。
それに高校時代に出来が悪かったから、本を読まなくちゃ学部のアホ大学生についていけない。そりゃぁ出来が悪くても、それくらいはやらんと苦学している意味もない。あんなアホ学生と一緒にしないでくれと言っても、最低限の努力はしないと、ついていけないからだ。
一番はっとしたのが、もしかしたらボキは劣等感を持っていた両親に愛情という仮面をかぶったもので育てられたのではないのかということである。田舎の公務員と、師範学校出の小学校教員。この二人は、向上心はあった。しかし、くすぶっていた。
なにが?
劣等感である。しがない田舎の温泉町で可も無く不可もないつまらない人生を送っていると思っていた。亡父は、とりわけシベリア抑留帰りでニヒリズムに陥っていた。生きて帰ってきたことが、亡くなっていった戦友達に申し訳ないといつも言っていた。つまり「自分で自分を裁判にかけていた」のである。
こいつはたまんないことだったろう。生きていることに罪の意識があったからである。
ボキもそういう傾向がある。自罰主義である。劣等感の最たるものである。
しかし、もうすぐ死んじまうのに、なにを今更である。劣等感もクソもないではないか。
自罰なんかやっているヒマがあったら、バイトでもやるこった。
なにしろ学費を稼がなくちゃ。もったいないからだ。
ボキの18歳のころとかわっちゃいなかったのだ。
アホですなぁ。
アホ。
BYE-BYE!