精神的にきつい仕事ベスト3【精神科医・樺沢紫苑】
NHKラジオに聞き逃し放送というのがある。NHKらじるらじるというサイトから聞くことができる。
タノシミにしている。Kindleで聞いている。昨日も聞いた。ベッドの中である。
なにを聞いたのかというと、詩人の高橋順子先生の放送で「宗教の時間」であった。直木賞作家のご主人とお遍路に歩いたという内容であった。今年の7月7日に放送されたのだということである。
「直木賞作家・車谷長吉と歩いた四国お遍路」 詩人…高橋順子
まさに聞き逃してしまった。だから、よかった。実によかった。ちなみに高橋順子先生は九十九里浜のご出身である。地元の匝瑳高校から東大仏文科卒。詩人でもある。こういう非常にレベルの高い方が、お遍路に興味があるというのが意外であったからだ。
ボキのような平々凡々・ただの庶民が弘法大師に興味を持つというのならわかる。実際、ボキは弘法大師の宗派に墓地を求めたからである。しかも、高野山には二度参拝している。さらに弘法大師が修行した西安の寺にも行ってみた。
かなりの知識人が弘法大師をどう語られるのかと思ったから、タノシミにしていた。
ラジオ放送の内容は、体験談であった。しかも、高橋順子先生らしい語り口でこころに響いてくる。このような語りであると、シミジミとした安堵感のようなものが伝わってくる。
インテリも、宗教に興味を持っておられるのだ。ほんとうに驚いてしまった。
ボキは、高橋順子先生の名を冠する地元の文芸賞の審査員をさせていただいている。審査委員会等で時々お目にかかることがあって、実際にお声を拝聴することがあるのだ。だからお遍路に興味があるということに、えっとなったのだ。もっともお遍路についての著作があることは知っていた。しかし、拝読することがなかった。これはこれは。
今日、図書館に行って借りて来ましょう。
BYE-BYE!
LATAM航空ビジネスクラスでサンティアゴからアメリカへ!!約11時間のフライト
海外旅行に行って動画をアップしてくださる方々が増えている。ありがたいものである。なぜか。事前学習に役立つからだ。このたぐいの動画をYouTubeで見ているのが好きだ。リビングで寝転がって見ていると、なんだか実際に行った気分になるから不思議である。
事前にそれらを拙ブログにリンクさせておいて、毎日のように見ている。ボキンチのテレビは、YouTubeと書庫にあるボキのデスクトップパソコンとそれぞれリンクさせてあるから余計にタノシイ。
へぇ~~~~、こんな使い方もあるんだと感心ばかりしている。
そしてハタと思ったことがある。それは、こうやって自分用に動画を作っておけば旅の良い記念になるのではないかということである。写真のような静止画だと、その時限りの思い出でしかない。アルバムにしても、見るのは家人とボキだけである。我が子たちに見せても、ふううううううんと言っているだけ。こういうのを他人に見せても、自慢話をしているだけだと曲解されるからそんなことはまったくしない。
ブログだと別だ。リンクをかけておけばそれで自分用の記念になる。さらにDVDにでもしておけばまさに自分用の記念媒体になる。
YouTuberという方々もたくさんいるが、なにもあれで儲けようという訳では無い。だから、ボキがあるとき狂ったように自撮り棒を持って歩いていても誰もなんも文句は言わないだろう(^0^)。
ふううむ。
やってみたい。おもしろそうだ。
ある温泉町で、自撮り棒を持って、自ら解説してヘラヘラしゃべっているジジイがいたら通報されるかな?ありうるなぁ。
わはははっははっはははっははははははっはあっはははっはははは。
ビデオカメラは持っているのでやる気になったらできないことではない。どうせ、退屈しているだけのバカジジイだから。
あ、最近ビデオカメラも使う時がなくなってしまったなぁ。撮したいと思う対象がないからだ。それだけ無味乾燥な生活を送っているからだ。
感動がない。毎日、ぼ~~~~~~っとして過ごしているからだ。昼寝ばかりして、暑い暑いと言っているだけだし。
行動を改めよということなり。
マジに。
そのうち、ジジイYouTuberとしてデビューしたりして(^0^)。
BYE-BYE!
(11)【第6日】山形の代名詞 最上川・銀山温泉・花笠踊りを見る 《夏休み日本一周の旅 鶴岡駅→荒砥駅》8/6-101 │ Yamagata Trip Ginzan Hotspring
出羽の海部屋の夏合宿が行われている。九十九里浜からちょっと西に行ったところにある東庄町である。毎年やってくださるのだ。約二週間行われている。この東庄という町は、歴史のある町で経済的にも豊かである。なぜなら、利根川を挟んだ川向こうには日本有数の工業地帯を抱えているし、農業も盛んで相当に裕福な方々が多いからである。でないと、相撲合宿を呼んでくることもできないだろうから。
しかも、隣の銚子市からの合併話にものってこなかったやる気のある町でもある。
この町はずいぶん前から知ってはいた。センセ稼業をしていた頃にも、練習試合に行った。中学校の体育館と校舎が美しかった。そんな昔の記憶がある。中学のセンセをクビになってからは、一度も行っていないけど。あ、違ったなぁ。後に高校のセンセの採用試験を受け直してから、生徒募集には行ったっけ。それを忘れてはアカン。おかげで定年までキンムさせていただた高校は、立ち直ることができたのだから。
東庄という町は、ボキのお世話になっている歴史の会で知った。千葉県の郷土史の会創設に関わってこられたK博士の薫陶からである。東庄の古文書から、K博士は、学位を取得されたのであった。近世史である。
以来、司馬遼太郎の作品にも出てくる東氏に興味を持ってきた(街道をゆく)。この東氏というのは、伝統的に和歌文学に優れている。
そもそも東氏という姓もなかなかない。頼朝に使えた千葉常胤の第六子である千葉胤頼が東庄を治めたのだそうだが、総鎮守に東大社がある。
司馬遼太郎は、郡上八幡と東庄との歴史的関わりについて書いている。これが実におもしろい。詳しくは、そちらを見ていただきたいが、城主の東氏に歌人がいたのである。拙ブログにも紹介してある。
2016年08月08日のボキの記事
「中世のかおりだった・・・下総の東氏について」
司馬遼太郎の「街道をゆく4『郡上・白川街道 堺・紀州街道ほか』」という作品がある(朝日文芸文庫)。
この文庫本の中に、「室町武家のこと」という一項目があって、そこに東氏のことが出てくる。東(とう)という珍しい名字の武家である。
九十九里浜から近い房総半島北東部の町である東庄町というところに縁がある武家である。銚子市と旧佐原市に挟まれた利根川沿いの風光明媚な町である。財政健全であって、銚子市からの合併話にもいっさいのらないという気骨ある町である。
歴史的にもかなり古いものがあって、以前から興味を持っていたのである。それが決定的になったのが司馬遼太郎の上記の本にまさに東氏のことが出てきてからである。
さすがに司馬遼太郎である。
まるで中世時代をそのまま生きているような錯覚におちいってしまった。楽しく読ませていただいた。それからである。東庄町に俄然興味を持ち始めたのは。
長良川上流にある郡上八幡城のことから司馬遼太郎は書き始める。
あの郡上八幡である。行ったことがないから、よけいである。行ってみたい旅行先の筆頭になっている。ボキには。
室町の時代に、この城に歌人の東常縁(とうのつねより)がいた。むろん城主である。室町風の山城をここに作ったのである。
そこから司馬遼太郎の文章で知ったのであるが、東氏という珍しい姓名の由来のことである。下総の豪族千葉氏から出ている東氏一族のことが書かれてあったのだ。
「下総に東庄(とうのしょう)という荘園があり、千葉氏の一族がここの荘官になった時期にその姓を称した」と書かれている。
荘園制度にルーツがあるわけである。中世時代に、下総にはたくさん荘園があって、いろいろな権力関係に支配されていたのは知っていたのであるが、荘園そのものが姓名の由来になっているというのは愉快である。へぇ~っていうような案配であったからである。
ちなみに、ボキの追いかけている鬼来迎もまた匝瑳南条庄という荘園の支配下にある。もっともこっちは九十九里浜の中間部にあるが、東庄は九十九里浜からかなり内陸部に入る。浜といっては誤解を生む。なだらかな丘陵地帯にあって、場所によっては山間部のような雰囲気もある。
石橋山の合戦で敗退した源頼朝に再起を促した東胤頼という人物がいて彼がなかなかの文学的素養のある人であった。そして東胤頼こそが、東氏の文学的才能の始祖になるのである。彼の子孫の一派が美濃国郡上に移ってから、文学的才能はむしろこちらに移動してしまったくらいだと司馬良太郎は評価しているくらいである。
ややややややっやややっやややっやややや。
もう3000字を超えている。
もうこれで終わりにする。一度九十九里浜に来てみてくだされませ(^0^)。明後日相撲を見に行くけど。孫と一緒に。
BYE-BYE!
モアイがあるイースター島の空港&LATAM航空ビジネスクラス搭乗レビュー
今年は、海水浴客があまりいない。梅雨が長かったからだ。おかげで海の家関係者は困っただろう。8月に入ってからは、暑くなった。持ち直してくれただろうか。景気が悪いと九十九里浜居住者としては困る。活気がなくなるからだ。
やはり、海のそばの人間は多少とも活気があるほうがいい。乱暴でもいい。クチのきき方は乱暴だけど、どことなく明るい。明朗である。なんでもそうである。明朗でなくちゃパワーが出ない。偉そうにしているアホもいない。みんな親しみがある。
ボキは、自分がちっとも偉くないから威張らない。偉そうにしていたら、天に笑われる。説教もしない。他人にこうせい、ああせいと言えるような人間かという自戒が常にあるからだ。したがって、舐められることもある。ボキの汚い顔でも舐めたいのであるならば、ど~~~~ぞ・ど~~~~ぞ!である。
わはっはははっははっははっははっははははっはっはははっはははっは。
そして、せせら笑っているのじゃよん。舐めてきた相手を。
こういうのは良くないと言われたこともあった。ヒトを観察しているのかと言われてしまったこともあった。確かにそうだ。じっと見つめていると、おもしろいからである。ヒトはそれほどおもしろい。ジジイになったのに、まだドンファンのようにしているアホもたくさんいる。かっこ付けやがってと思うのだ。服装も派手である。そして、一番笑うのが酒を提供している店でチークダンスなんかやっているジジイたちだ。アホの極まりである。
現役生活のときには、先輩でそういうのがいた。変わった先輩だった。同僚とチークダンスをすぐ始めるのである。今なら、セクハラだ。優秀だったが、そういうことには抜け目なく取り組んでいた。ボキは呆れていた。アホかと思っていた。つまり、ボキにはチークダンスをやってくださる相手もいなかったからで(^0^)。
なにしろ美味い酒を無駄にしてまでダンスなんかやりたくなかったからである。無駄な動きは、人間をダメにしてしまうのじゃよ。酒は味わって呑むものであって、動きの中で呑んでいたら悪酔いするからである。
昨日、ちょっと海を見に行った。
浜の砂が流れていた。波に呑み込まれて。そして二度と同じ砂はあらわれてこない。流されっぱなしである。
波も同じ波は来ない。あらわれては消え、消えてはまたあらわれる。その繰り返しである。
まるで、人間の繁殖のようである。生まれてきて、死んで、死んではまた新たな生が生まれてくる。
その繰り返しである。そうやって人間は繁栄してきたのだろう。
今日はお盆である。さっき亡くなった義母の墓参りにいってきた。朝早くである。ボキは歩いていった。往復6キロ。唯一お世話になった九十九里浜の姻族である。
祈ってきた。その内容は書けない。自分のことだから。それに祈りが通じて実現したとしても、すぐに消え去るものでしかないから。
BYE-BYE!
副業まではいかないが、現在出稼ぎバイトを8個やっている。そんなに稼いでどうすると言われるが、なんのことはない。年に一回のバイトも入っているからできるのである。そんなのバイトとすら言えないではないかと呆れられる。
そりゃそうだ。だったら、年に数回の副業とでも言い直すべきか。そうではないなぁ。
それぞれに責任があるからだ。デタラメなことは言えないから、けっこう自学自習してからそれぞれのバイトに行くのである。聞いている方が優秀な場合だってかなりあるからだ。
稼ぐというのは簡単ではないのだよん。マジに。でも、だからと言って怖じ気づくことも無い。準備さえきちんとやっていれば、出来るからだ。もっとも、ボキのバイトは現役時代の仕事の延長みたいなものだから出来るのだろうけど。その点では、現役時代に感謝している。そして、こんなアホジジイでも定年までやることができたということにも感謝しているのだ。
年齢なんかまったく関係ない。やればやれるかぎりやった方が良い。体力と健康に問題がなければ、チャレンジすべきである。年金暮らしだからといって、なにも閉じこもっている必要も無い。
昨日は、高速バスをネットで予約できないかと思って調べていた。来月行われる従兄弟会で、仙台まで行くからだ。いろんな行き方を調べていた。なにしろ、こっちは仕事がないのだから時間を競うように新幹線で行く必要も無い。時間がないのではなくて、仕事がないのである。
わはははっははっははははははははっははははっははははっはは。
それでいろんな行き方を考えていた。ネットで検索しながらである。常磐線経由で仙台まで行くのもあり得る。鈍行で行く手もある。乗り換え乗り換えで行くとタノシイかもしれない。かなりこっちの方に興味がわいてきた。
しかし、亡父の妹の家に午後2時までに着かなくてはならない。そういう約束であるからだ。鉄工所を経営している。そこから石巻の追分温泉まで従兄弟たちと一緒にバスで行くらしい。
だったら、東京から新幹線で行って、仙台乗り換えで叔母の家がある利府駅というところまで行くかと思った。それも、大黒屋というチケット屋で買うかとなった。佐倉ではそういう店がなかった。あるいは知らないだけかも知れないが。
今週の土曜日には千葉市に行く。歴史の会である。千葉市にはある。この3月まで行っていた某私立高校の近くにある。そこに寄ってみよう。
そして、仙台から九十九里浜までは高速バスで帰ってくることにした。新幹線の半分である。費用が。助かる、助かる。なにしろ年金暮らしだからなぁ。
時間はかかる。新幹線で行っても、九十九里浜からは時間がかかる。落語家の話にも出てくるのだ。札幌で高座があっても東京まで日帰りできるのに、九十九里浜からだと最終がない。午後9時台で終わってしまうから、泊まるしか無いと小遊三が言っていた。然りである。小遊三いわく、東京の隣は北海道よりも遠いのである(^0^)。
副業だ。いそがしいわけがない。だったら、のんびりゆっくりやっていきましょうや。
BYE-BYE!
LATAM航空ビジネスクラス搭乗記!!サンティアゴ⇒イースター島#ファーストクラスで世界一周
ジイとバァに会いたいと言われると、たまんないですなぁ(^0^)
帰省ラッシュピーク 夜も混雑続く
今朝も歩いてきた。まるで修行僧のようにである。一日10キロ歩くから、10日で100キロになる勘定だ。これじゃぁ靴がモタナイわけだ。しかたなし。それで健康になったのだから、靴くらいなんのそのである。
それから老人フリーターとしてバカブログを打鍵し始める。毎日の習慣である。こんなことしかやることがないのだから、気楽なジジイである。もっとも、バイトはやっている。昨日も佐倉市まで行った。家庭教師をやっているのだ。相手はおとなである。子どもではない。頼まれごとは全部引き受けるからだ。借金だけはお断りだけど。なにしろ原資がないから。
で、出稼ぎバイト以外にもなにかやることがないかと思い始めてしまったのだ。佐倉駅から帰ってくるときにである。チューハイのお茶割りを呑みながら考えていた。無為。これだけが怖いのである。
稼いだ後にちょっと呑むというのは実に気持ちが良い。労働というのは、快感につながる。だからやっていられるのだ。普通、出稼ぎバイト8つというとおかしいのではないかと言われてしまうだろう。確かにボキもそう思う。それにスケジュール調整もしなくちゃアカンから、それだけでも惚けない。したがって、ボキのシステム手帳は真っ黒けになっている。空いた日には、家人との旅行を入れる。しかも、海外である。こいつがくせ者である。長期間にわたってしまうからだ。
でも、孫が成人になるまでと思うと焦る。あと何年こうやって旅行なんかに行っていられるのか?と思うからだ。死んじまうのがいつか知らないけれども、遠い国から行ってみるしかない。
旅は良い。普段のゴミ状態になっているボキの精神をリフレッシュしてくれるからだ。学ぶべきこともたくさんある。最近見たテレビでは、アゼルバイジャンをやっていたし、昨日はペルーもやっていた。地球発見という番組だったような気がするけど。
行ったことがないから行ってみたいという実にシンプルな理由である。死んじゃったら行けないからだ。
それに旅は高揚する。精神がである。
もっともボキは、九十九里浜にも旅の延長で住んでいるだけかも知れない。所詮、彷徨しているだけの。
だからあまり大きなことは言えないのだよ。
わははっははっはははははっはははっはははっはははっははははっは。
BYE-BYE!
夏目雅子スペシャル 「いま甦る伝説の女優 母と娘感動の秘話」 (2004.03.05)
伊集院静「潮流」に出てくる彼ら夫婦の共同作品である。
懐かしい。
しかも、美しい。
これだけの女優もない。
佳人薄命であったけど。
カネボウCM 夏目雅子 クッキーフェイス