「口が軽い」を瞬時に直す方法【精神科医・樺沢紫苑】
会社の上司とか、管理職とか、ともかく責任ある立場の人というのは、劣等感のカタマリであったのだ。例えば学歴の劣等感。高学歴ではないのに、出世しちゃった上司とかがいるけど、そういう人は自己主張が激しい。だから威張り散らすのだよん。
ボキ?
ボキは、低学歴である。それに、ちっとも出世できなかった。だから威張らなかった。威張ってみてもしょうがねぇではないか。アホが、アホに威張ってそんなもんなんになるのだろうかって思うからだ。
そういう意味では、威張っている奴らを観察するのは実に楽しいもんである。どの程度アホかがよくわかるからである。
コロナで学校が疲弊している。これは学校というか教育が大変革をする可能性がある。そして思った。学校の責任者の器がたいしたことがないってわかってしまったという現実がある。橋下徹がそのことを言っていた。ガッコは右往左往していた。むろん、市町村教育委員会様も展望がまったくなかった。それが明らかになっちまった。全部お国に丸投げ。野党も、無責任。全部、内閣の責任にしていればそりゃ気楽だろうよん。
無責任国家である。誰も責任をとらないで、コロナもなんも全部内閣が悪いと言っているならば、そんなもん誰だって言えるからだ。アホのボキですら言えるですなぁ。
ボキは、まだ若いころにもし大地震が来て、ガッコに住人が逃げてきたらどうするのかということで対応マニュアルを作ったことがある。マジに。全頁で40。危機管理対応である。死者を入れる棺桶の数まで計算した。簡易トイレの数も算定した。誰かから依頼されたという話ではない。ヘッドティーチャーをしていて、危機管理をどうするのかとふと思って作り始めたのだ。自主的にである。
それが東日本大震災が来たときに役立った。覚悟が違っていた。電話もなにも通じない。上部組織の指示を待っているわけにはいかなかった。目の前でガッコが揺れているのである。避難者も来た。ガッコに。丁寧に対応できた。
普段からの覚悟が違っていたからであると思う。
こいつは、低学歴のボキだからこそできたのだ。劣等感があったから、能力がないから、用心深く仕事をしていたからである。
その意味で、ボキは、劣等感をいい意味で活かしていたのかもしれない。俺はアタマが悪いから、普段からこんな危機が来たらどうすのじゃと自分でトレーニングをしていたからである。
威張っちゃいけねぇのだ。劣等感がオノレを鍛えてくれる時もあるからである。
コロナで右往左往しているより、対応策を考えていたのかと後輩諸君には申し上げたいからである。
もっともあれか。人より劣っている劣等生のボキに、そんなことは言われたくねぇってか。
自称エリートさまは。
わあっはははっははっははっははっははっはははっははっははは。
今朝、九十九里浜で地震があった。震度5だった。ボキんちは大丈夫だった。しかし眠れない。そうなのだ、もう起きていたからだ。起きてなにをしていたかというと、レポートを書いていた。インド仏教のである。参考文献を広げて。
そしたら、書庫の本がドサッと崩れてきた。なんと日本古典の本であった。
もう用済みなのかと笑ってしまった。これで飯食ってきたのにねぇと思った。もう半世紀になるからだ。今は、別のお勉強をさせていただいている。こっちは飯が食えない。そりゃそうだ。寺に住んでいるわけではないからなぁ。
(@^^)/~~~
※とりあえず、地震でも無事に生きております、まだ(笑)
【武田邦彦 6/24最新】全部インチキでした!あのノーベル賞学者も 重篤85万人教授も みんな予測をハズしまくった理由がコチラです!あの人たちに必要なのは“この処分”です
劣等感とのタタカイというのが、ボキの半生だった。ある意味ボキの亡父と亡母が、劣等感をボキに伝えたようなもんだ。
ボキは実にいい子供だった。よく遊び、よく勉強し、いい子ぶっていた。なぜなら、役場の小役人だった亡父と田舎教師の亡母の子供だったからである。それなりに自覚していたのである。悪いことをしたら親に迷惑がかかるって。
これがいけなかった。知らず知らずにオノレを自己規制していたのである。親に迷惑をかけてはいけないとホントに思っていた。
これでボキはダメになった。要するに演じていたのである。役者だった。すばらしい役者だった。
いけすかないガキである。今でもそうだが、世のなかを、他人をシニカルに見つめるようになったのは、ガキのころのこういう態度にある。
さらにある。それは親の劣等感が、ボキをしばっていたのである。そのことに昨日気が付いてしまった。
亡父は、シベリア捕虜の生き残りである。ソ連でシベリア強制労働に連れ去られてしまった。そして生き残ってしまった。多くの戦友たちとの死別。これが亡父に劣等感を与えてしまった。生き残って日本に帰ってきてから、みちのくの小さな役場の小官吏になった。学歴もなかったから苦しめられたのである。
さらに亡母の家に婿養子に入った。これまた亡父の劣等感を刺激した。亡母は、大学を出ていたからである。
要するに、ボキはこの二人から劣等感を伝えられたのだ。それは愛情という仮面をかぶっていた。自分が劣等感を持っていたから、ボキを厳しく育てたのだろうが、それはまったく逆効果だった。
このあたりが、勘違いというのである。厳しく育てれば、愛情になるというのは嘘である。いわゆるスパルタ教育は、このあたりを勘違いしている。
結局、ボキは苦学せざるを得なくなった。両親が、ボキに学費を出すのを惜しんだのである。そもそも田舎の役場の小役人と田舎教師の収入では、とてもじゃないが、東京の私学に通わせることなんかできるわけもない。払う気もなかったから、苦学を選んだ劣等生のボキが家出のように田舎の駅を出ていくのを許したのであろう。
苦学自体も劣等感を刺激した。あたりまえの学部生ではなかったからである。実際腹が立った。馬鹿丸出しの学部生たちに。こんな程度で親の支援で遊びながら東京遊学してやがると実に腹が立った。ボキは、教科書すら新聞配達してもらった月給から支払っていたからである。
ま、そういう学部に学んだからこそ、自学自習の癖がついたんだろうがねぇ。まだ、現役の院生だから。
わははっははっはははっはははっははっはははっははっははっははは。
(@^^)/~~~!
日々の生活には波がある。好調な時もあれば、アタマが痛いとか、熱があるとかいろいろある。ボキも例外では無い。いつもいつもアホなことばかりやっているが、いつもアホばかりやっているわけではない。アホはアホなんだけど、好不調の波があるからだ。
それでもボキは、絶好調でありたい。朝からである。これは、朝から散歩に出て太陽を受けるからであろう。よく知らないが、鬱の防止にもなるらしい。鬱とは反対であるボキのことだから、そういう心配はないのだが、好不調の波はあまり無い方がいい。それと、どんなものにも人間にも感謝することが大事でっせ。バイト営業に行っても、貴重な時間を割いていただいたのであるから、「ありがとうございます」と一言感謝してから営業を始めるべきであろう。実践しているけど。
こりゃぁ、家人に対してもそうだわなぁ。「ありがとうございます」「ありがとうございます」「ありがとうございます」の連発をした方がいい。あ、だからボキは家人に口先だけだと叱責されてしまうのだ。
どうも、その傾向があるのは否定できない。クチだけであるのは。
それもこれも、人格が軽いからだ。重厚さがない。かけらもない。軽くてどうしようもない。ボキの重大な欠点である。
もっとある。ボキは官尊民卑が大嫌いで、偉そうに威張っている奴を見ると張り飛ばしてやりたくなっちまうのじゃ。で、つらつら考えてみた。そりゃ、ボキにもその傾向があるからだと気がついたのである。民間をレベルがヒクイと思ったことは一度もなかったが、官だと思って偉そうにしていたことが全くなかったかとなると自信がない。なにしろ何が起きても責任とって退職しなくちゃアカンかったからだ。相撲の横綱と一緒だった。後は引退しか無い。だって、ボキの後ろには誰もいないからだ。そのためだけにいるのだから。
幸運にも、実に幸運にも定年まで仕事をさせていただいた。これだけが、ボキのやったことである。引退をしなくてもよかったのだ。職員のミナサマや、家人にも支えられてここまで来ることができたのであった。
感謝すべきことの筆頭である。
「ありがとうございます」「ありがとうございます」「ありがとうございます」の連発である。
BYE-BYE!
このサイトに紹介されていた↓
なかなかです、なかなか
妙好人(みょうこうにん)とは「在俗の篤信者」すなわち、在家者(僧侶ではない仏教徒)で念仏信仰に篤い人物を指す。江戸中期から明治初期にかけて、妙好人の伝記が編まれ、多くの妙好人が知られるようになった。
妙好人は、不遇に遭ってもそれを嘆くだけで終わらず、肯定的に受け止める見方を併せ持っていた。一例をあげると、江戸時代の大和国(奈良県)の妙好人、清九郎(せいくろう)はある時、自宅を泥棒に入られた。ところが清九郎は「さぞかし不自由をしているであろうに」と泥棒に同情し、さらに「お慈悲のおかげで盗み心も起こらず、かえって盗まれる身になったということは有り難いことです。もしこの清九郎が五匁(もんめ)、十匁でも人のものを盗んだと評判になれば、私はもちろん、同行の顔まで汚し、再び同行の仲間入りはできません。盗まれたこと自体、油断があったといえましょうが、私の恥になることでもなく同行の顔を汚すことにもなりませんから、これほど嬉しいことはない」と語った。清九郎がこのように言ったのは、物事の優劣や損得に注目する、世間一般とは異なる視点を身につけていたからである。
これ以外にも、妙好人の言葉には、自分の至らなさを知る謙虚さと、「何があっても阿弥陀如来は見捨てない」ということから湧いてくる安心感がうかがえる。
浄土真宗に限らず、宗教の教えは日常と異なる価値観を提示する。そのため、不幸の中に肯定的な要素を見出し、幸運にあっても慢心しなくなる。これが信心の利益である。「宗教を信じることにどんな利点があるのか?」と思っている人にこそ、本書を勧めたい。
【武田邦彦6/22】今までの常識では考えられなかった『神様の正体』がコチラです!世界でこれが理解できるのは日本人だけ!人間は神様がいなければ生きていけないのです