新聞に載っていた第2回「『御土居堀ものがたり』を歩く会」に参加してきました。
2月19日(日)午後1時に地下鉄京都市役所前駅改札口に集合。
約40名ほどの人が集まり、初めての人も多かったようです。
参加費500円を払って資料をいただきました。
前回寒かったので、出町から丸太町までしか見て来られなかったとかで、今回は一旦丸太町通り一筋上ルまであがり、また下がって最後は四条通り八坂神社のお旅所前で4時に解散しました。
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「御土居堀研究会」代表の中村武生先生がハンドマイクを持って説明してくださるので、今まで知らなかったことがいろいろわかり、おもしろかったです。
今回”目からウロコ”だったこと。
1.河原町通りの西側には出町あたりからずっと御土居の土塁が続いていて、そこから東は基本的に河原だった!
2.場所にもよるけど、御土居の幅は約20メートル、高さは約4メートルで、竹薮で覆われていた。そんな大きな土塁が京の街を取り囲んでいた!
3.竹薮は切り取って使い道があったので、江戸時代の御土居の管理は角倉家があたり、今の日銀京都支店辺りにあった角倉邸で、竹の入札が行われていた!
4.秀吉は御土居の内側(西側)に寺を集めた(100寺以上も)が、主君の織田信長を弔うために、本能寺には特に大きく広い境内をとった。御池通りを越えて、今の市役所の地も本能寺の境内だった!
5.寺町通りは平安京の時代には東の京極大路でみやこの東の果てだった。その東側に寺が並んで、その東に御土居、さらにその外側の河原に江戸時代から商家が並んで賑わっていった!
6.寺町通りに東西にまたがる道は枡形のように折れ曲がっている道が多いが、これは徳川の時代になってからの戦略上の故意によるもので、秀吉の時代には三条通りのようにまっすぐに突き抜けている道しかなかった!
7.四条通りは御土居築造によって遮断されたため、八坂神社のお神輿が通れなくなり、三条通りまで大回りしていたことが何年間かあった!
8.三条通りは、みやこから外部に通じる重要な通りで、河原の湿地の中に盛り土をして作られているので、今でも寺町通りから鴨川までの間には通りの南北で急な傾斜になっている場所がある!
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これは河原町通りから一筋東に入って下る路地で、三条通りから入ると急な坂になって道が下っている所。立て札でもして記録すべき場所だそうです。
他にも新京極通りで三条通りから下る所は「たらたら坂」と言われて急な坂道になっているのは、よく通るのでわかりやすいとろこです。
京都の繁華街の中にもいろいろとおもしろい歴史が隠されていて、興味がつきません。
引き続き、月に1回づつくらい開催して、御土居をぐるっと見て回るそうです。
次回は、3月11日(土)午後1時、北野天満宮南大鳥居前集合、小雨決行 参加費500円、天満宮観梅料は別途必要 事前の申し込みは不要だそうです。
2月19日(日)午後1時に地下鉄京都市役所前駅改札口に集合。
約40名ほどの人が集まり、初めての人も多かったようです。
参加費500円を払って資料をいただきました。
前回寒かったので、出町から丸太町までしか見て来られなかったとかで、今回は一旦丸太町通り一筋上ルまであがり、また下がって最後は四条通り八坂神社のお旅所前で4時に解散しました。
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「御土居堀研究会」代表の中村武生先生がハンドマイクを持って説明してくださるので、今まで知らなかったことがいろいろわかり、おもしろかったです。
今回”目からウロコ”だったこと。
1.河原町通りの西側には出町あたりからずっと御土居の土塁が続いていて、そこから東は基本的に河原だった!
2.場所にもよるけど、御土居の幅は約20メートル、高さは約4メートルで、竹薮で覆われていた。そんな大きな土塁が京の街を取り囲んでいた!
3.竹薮は切り取って使い道があったので、江戸時代の御土居の管理は角倉家があたり、今の日銀京都支店辺りにあった角倉邸で、竹の入札が行われていた!
4.秀吉は御土居の内側(西側)に寺を集めた(100寺以上も)が、主君の織田信長を弔うために、本能寺には特に大きく広い境内をとった。御池通りを越えて、今の市役所の地も本能寺の境内だった!
5.寺町通りは平安京の時代には東の京極大路でみやこの東の果てだった。その東側に寺が並んで、その東に御土居、さらにその外側の河原に江戸時代から商家が並んで賑わっていった!
6.寺町通りに東西にまたがる道は枡形のように折れ曲がっている道が多いが、これは徳川の時代になってからの戦略上の故意によるもので、秀吉の時代には三条通りのようにまっすぐに突き抜けている道しかなかった!
7.四条通りは御土居築造によって遮断されたため、八坂神社のお神輿が通れなくなり、三条通りまで大回りしていたことが何年間かあった!
8.三条通りは、みやこから外部に通じる重要な通りで、河原の湿地の中に盛り土をして作られているので、今でも寺町通りから鴨川までの間には通りの南北で急な傾斜になっている場所がある!
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これは河原町通りから一筋東に入って下る路地で、三条通りから入ると急な坂になって道が下っている所。立て札でもして記録すべき場所だそうです。
他にも新京極通りで三条通りから下る所は「たらたら坂」と言われて急な坂道になっているのは、よく通るのでわかりやすいとろこです。
京都の繁華街の中にもいろいろとおもしろい歴史が隠されていて、興味がつきません。
引き続き、月に1回づつくらい開催して、御土居をぐるっと見て回るそうです。
次回は、3月11日(土)午後1時、北野天満宮南大鳥居前集合、小雨決行 参加費500円、天満宮観梅料は別途必要 事前の申し込みは不要だそうです。
御土居がそんなに立派なものだったなんて、始めてしりました。
御土居跡を見ている限りではそんな印象がなかったので意外です。
人から話を聞いて「知る」というのもいいですよね。
次回は天神さん周辺の御土居ですね、私も本をもってるから行ってみようかな。
今の街角の中に昔の姿を想像しながら歩く趣向も面白いなあと思いました。でも、事故にあわないように歩かねば。
入れば、いろいろ聞けてやみつきになりそうです。
ひと段落ついて遊びにまいりました。ありがとうございました。
さて、中村さんのブログのほうでこの件を拝見していましたので、こちらに遊びにまいりまして、「おお」と驚きました。
http://siseki-kukan.way-nifty.com/heiankyokyoto/2006/02/post_880d.html
ついでに「そうだ、井戸の仕事もしなくちゃ」と別件の仕事もにわかに思い出しました。(汗)
私は参加者がたくさんいるなあ、御土居もよく知られているのだと感心したのですが。
さらにあほな質問をして先生を嘆かせなくてよかったです。