wakabyの物見遊山

身近な観光、読書、進化学と硬軟とりまぜたブログ

僕の読書ノート「がん-4000年の歴史ー下(シッダールタ・ムカジー)」

2023-11-11 07:38:56 | 書評(生物医学、サイエンス)

 

「がん-4000年の歴史」の下巻では、臨床試験の解析方法がより的確・合理的になり、がんの予防や早期診断が重要視されるようになり、がんについての生物学が進展しそれに伴う新しい治療法が開発されつつあることなど、ここ60年くらいの歴史について述べられている。

私なりに注目したところを下記に記録しておきたい。

・1940年代初め、遺伝学者エドモンド・フォードは進化を直接証明するために、「前向き研究」を考案して、10年近くにわたって蛾の個体群の毛の色のわずかな変化(つまり遺伝子の変化)や個体群の構成の大幅な変化、さらに蛾を捕食する鳥による自然淘汰の痕跡を、記録することに成功した。この研究に深い興味を抱いた、オースティン・ブラッドフォード・ヒルとリチャード・ドールは、1951年、ヒトの集団(コホート)を対象に同じような研究を行うことを思いついた。1954年までの29か月間に、肺がんによる死亡は喫煙と関連していることが明白な結果が出た。36人の肺がんによる死亡者のうち全員が喫煙者だったのだ。

・喫煙と肺がんの関連についての証拠をまとめるための諮問委員会が立ち上げられた。委員会のメンバーの一人、統計学者のウィリアム・コクランは、臨床試験を分析するための新たな数学的方法を考案した。どれか一つの臨床試験だけに注目するのではなく、すべての臨床試験の結果を統合し、得られた数値から相対的リスクを導き出すという方法だ。メタアナリシスと呼ばれるこの解析法は疫学の将来に多大な影響を与えることになる。

・1960年代末、細菌学者ブルース・エイムズは、発がん物質の検査法を発見した。サルモネラ菌が持つ、糖の一種であるガラクトースの「消化」をつかさどる遺伝子は、糖の供給源としてガラクトースしかない培養皿のなかで細菌が生育するために不可欠の遺伝子だ。ガラクトースを消化できないサルモネラの一種を寒天培地に撒いても増殖しないが、ガラクトースを消化できるような遺伝子変異を獲得すれば、サルモネラは増殖できるようになる。このとき、1個の細菌が培地上にコロニーを形成するので、そのコロニー数を数えれば、そこに添加した物質の持つ突然変異誘発性を定量化できる。この方法を用いることで、変異原性物質を探し出すことができるようになった。変異原性物質は同時に発がん物質である場合が多かった。

・疫学者は、予防を二つの観点からとらえる。原因を攻撃することによって病気を予防する一次予防(肺がんを予防するための禁煙や、肝炎を予防するためのB型肝炎ワクチンなど)と、スクリーニング検査による二次予防だ。二次予防は、症状出現前の初期病変をスクリーニング検査で発見することによって病気を予防するものだ。子宮頸がんを早期発見するパップスメアや、乳がんを早期発見するマンモグラフィーが二次予防にあたる。

・「芸術は長く、人生は短し」と、ヒポクラテスは言った。これは「医術の習得は長い時間を要す」という意味である。(後に「人の一生は短いが、芸術作品は作者の死後も後世に残る」という意味でも使われ、坂本龍一氏が好んだ言葉だ)

・1976年、がん生物学の世界を根本から再編成しなおし、遺伝子をその中心に押し戻した。ハロルド・ヴァーマスとマイケル・ビショップの原がん遺伝子説は、発がんのメカニズムについての初めての説得力ある包括的な理論となった。その理論は、放射線や煤やたばこの煙といったなんの共通点もないように思われる多様な原因がなぜ一様にがんを誘発するのかを説明していたー細胞内の原がん遺伝子を変異させ、活性化させることによって誘発する、と。二人は1989年に、レトロウイルスのがん遺伝子が正常細胞に由来することを発見した功績で、ノーベル賞を受賞した。

・がんは、たった1個の遺伝子の変異で引き起こされるわけではない。乳がんや大腸がんでは、50~80もの変異が存在し、すい臓がんでは50~60もの変異が存在する。比較的若い世代のがんであるために変異の蓄積が少ないと予想された脳腫瘍ですら、40~50もの変異を有している。一方、ゲノム変異が比較的少ないがんもわずかに存在する。その一つ、急性リンパ性白血病では、わずか5~10個の変異が存在しているにすぎない。しかし全ての変異ががんに影響しているわけではなく、無害な「パッセンジャー(乗客)」変異と、がん細胞の増殖と生物学的挙動を惹起する「ドライバー」変異がある。例えば、127個の遺伝子変異を持つ乳がん患者の標本では、ドライバー変異は10個しかなく、残りの変異はパッセンジャー変異であった。

・フォーゲルシュタインのチームは、がんゲノムの変異を別の戦略を用いて再分析した。個々の変異遺伝子に注目するのではなく、がん細胞内の変異した経路(シグナル経路)の数を数えたのだ。Ras - Mek - Erk経路の構成要素の遺伝子に変異が見られるたびに、それは「Ras経路変異」と分類された。同様に、Rbシグナル経路の構成要素に変異のある細部は「Rb経路変異」と分類され、すべてのドライバー変異が経路ごとに分類された。1個のがん細胞には異常なシグナル経路が11~15個、平均して13個存在すると判明している。ある膀胱がんの標本ではRasが活性化しており、別の膀胱がんではMekが、さらに別の膀胱がんではErkが活性化しているが、結局のところどれも、Ras経路変異だということになる。

・われわれが50年後にがんとの闘いで使っている道具はがらりと変わっているはずであり、がんの予防と治療の地形も大きく様変わりしているはずだ。未来の医者は、ヒトという種にとってもっとも本質的かつ高圧的な病気を殺すのにわれわれが用いてきた原始的な毒のカクテルをきっと嘲笑うことだろう。しかしこの闘いの多くは今と変わっていないはずだ。執拗な努力も、創意も、立ち直りも、敗北主義と希望とのあいだで揺れ動く不安な心も、普遍的な解決策を求める強い衝動も、敗北がもたらす失望も、傲慢とうぬぼれも。

《仲野徹氏による解説》

・国際がんゲノムコンソーシアムなどにより、大腸、肺、肝臓、乳腺、胃など、多くの臓器のがんゲノムが解析され、いろいろなことがわかってきた。我が国では、その一環として、肝臓がん300症例の全ゲノム解析がおこなわれ、遺伝子異常のパターンから、肝臓がんを6つの種類に分類できること、そして、それぞれの死亡率が大きく異なることなどが明らかにされた。

・がんの原因となる突然変異によってもたらされる異常を狙い撃ちにする分子標的治療薬の開発が進み、すでに、約30種類の遺伝子異常に対して、50~60種類ほどの分子標的治療薬が使用可能になっている。ゲノム解析により、がんをがんたらしめている「ドライバー変異」をあぶりだし、次いで、そこに照準を定めた分子標的治療薬を選んで使用する、という時代がやってきつつあるのだ。



最新の画像もっと見る

コメントを投稿