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2009年冬シーズンTVドラマレビューNO.1:「風のガーデン」VS「ありふれた奇跡」

2009年01月30日 23時29分52秒 | TVドラマ(新作レヴュー)
今クールでの注目はやはり,脚本家山田太一にとって久しぶりの連続ドラマとなったフジの「ありふれた奇跡」だろう。山田太一といえば,高度成長期からバブル揺籃期にかけて,揺れ動く家族の形や若者達の悩みを活写した秀作「岸辺のアルバム」や「ふぞろいの林檎たち」などで知られる,日本TV界屈指の名脚本家だ。ここ最近は単発ドラマかミニシリーズに限っての執筆が続いていたが,TVの連続ドラマ初主演となる加勢亮という逸材を得て,12年振りの連ドラ挑戦と相成った。
しかし前クールの同枠「風のガーデン」で,同作を最後にTVドラマはもう書かないと宣言した同世代の倉本聰が,役者の資質を活かした丁寧かつヴィヴィッドな脚本で,見事に健在振りを示した後だけに,そのペンにかかるプレッシャーは並大抵のものではなかったと思われる。

そんな話題作だが,今週の放送まで4回を終えての印象を問われたら,「つらいものがある」と言わざるを得ないのが正直なところだ。
自殺を試みた経験のある若い男女と中年男の3人が,それぞれ抱える過去の傷を確かめ合いながら,徐々に心を通わせていく姿を描いたドラマだが,とにかくどの台詞もが,もたれる程重いのに,ことごとく画面から浮いてしまっている。それも痛々しいくらいに。

映像ではなく,演技者の独白で状況説明をやってしまうという,台詞主導型脚本が,最近のドラマの「流れ」のようなものに合わなくなってしまっているという部分はまだ許せる。根本のところで映像的な演出を信用していないという点は,映画出身ながらTVに転出してきた脚本家の一種の個性として,認知されてきた部分もあるからだ。

それより辛いのは,20年前は有効に機能していたはずの独特の節回しが,殆ど全て的を外して,微妙なニュアンスを塗りつぶしているように聞こえる点なのだ。
その最も代表的な例は,主人公二人が同じように多用している語尾の「いいけど…」が産み出す空気の感触だ。山田太一が狙っているのは,様々な可能性を含む曖昧ながらも前向きな迷い,のような気分なのだろうが,本作でデジタル画面にくっきりと映し出されるのは,残念ながら取って付けたような「空虚さ」以外の何物でもない。

主人公二人の会話を,カット割りやアングルの工夫も施さずに,延々かつ淡々と撮り続ける演出は意識的なものかもしれないが,「風のガーデン」における宮本理江子の清々しくリズム感に溢れた演出に慣れた目には,退屈と映ることも織り込み済みなのだろうか。多分そうに違いない。
山田太一は最後の連続ドラマで,自ら築いてきた独白主導主義を武器に,総合芸術としてのドラマの可能性を拡げて見せた盟友倉本聰と実の娘(宮本理江子)のコンビに,挑戦状を叩きつけているのに違いない。負け戦は覚悟の上なのだ。きっと。
(この項続く)


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