高度成長期の終焉期といういにしえに,よみうりランドや真駒内で行われていた「LIVE UNDER THE SKY」,札幌の山奥,盤渓や芸術の森で催されていた(る)レゲエやジャズ・フェスなどを聴きに行ったことは何度かあった。しかし「FUJI ROCK」に端を発する,複数ステージ,大量出演を前提とする所謂「巨大夏フェス」と呼ばれるものには,これまで全く縁がなかった。
サマソニやフジには食指を動かされるラインナップが揃うことも多々あったのだが,同年代で同好の士を殆ど持たない40代のサラリーマンにとっては,いずれもハードルが高すぎた。程度からいえば,40年近い歴史を持つイギリスのグラストンベリーと変わらないくらいに。
私が住んでいる札幌の隣まち,石狩で行われ,今年10周年を迎えたライジング・サン・ロック・フェスティヴァルも,夏フェスの一つとしてすっかり定着しているそうだ。「そうだ」としか書けないのも,行ったことのある何人か(自分の子供たちも含めて)から「素晴らしいお祭り」という評価を聞いたことはあったのだが,実際にこの目で確かめる機会にはついぞ恵まれなかった,というか,万難を排して出掛ける決断が出来なかったためだ。
しかし,「井の中の中年」や「可愛い壮年には旅をさせよ」という諺もあるとおり(あるのかっ?),何が起こっているのかを,星飛雄馬の姉のように木の陰から垣間見ることくらいはしておいた方が良いのではないか,と思い立ち,とうとう10周年のお祭りの年に出掛けることにした。
そして,頑張って雨の中を5時間強,立ってパフォーマンスを見続けた。
その結論から言うと,思っていたとおりハードルは高かった。夏フェスは,やはり若者のお祭りだということが,身体で理解出来た。そのことは皮肉でも何でもなく,収穫だったのだが,来年以降初体験をしてみようという(主に中高年の)方のために,結果的に苦情めいた内容が多くなってしまうが,感じたことを少しまとめておきたい。
中年の初体験として,大変だったと感じたことは,会場の広さ,観客の多さをはじめとしていろいろあったのだが,肉体的のみならず精神的にも疲れた原因は,管理運営に関する基本態勢について,彼我の考え方に些細な違いがあったことに起因していたのではないかという気がしている。
例えば,自家用車を使わずに会場入りするためには,地下鉄麻生駅からシャトルバスに乗らなければならないのだが,地下鉄コンコースで乗車待ちの列に並ぶこと45分。ここから既に体力勝負は始まる。しかしこの待ち時間については,バスターミナルのブースの関係で致し方ない,ということは理解できる。
問題は,バスチケットを持っていない人(私もその一人)に対する乗車方法のアナウンスも表示もなかったことだ。私はバス会社の腕章をした人に尋ねて,現金での支払いでも良いことを知ったのだが,地下鉄駅の係員らしき人に,バスチケットを何処で売っているのか訊いている若い人がいた。
更に小銭で600円を用意していない人に対して,列の途中に一人立って両替を行っていれば,あれだけ並んでいる間にいくらでも両替は可能だったはずなのに,両替担当者は何故か乗り場毎に配置され,更に列から離れて両替しなくてはならないために,座れたはずの位置に並んでいた人が,両替を終えて戻ってきた人がステップに立たされる,という現象が現に私の目の前で起きていた。
アナウンスや表示という点では,バスを降りた場所の方が問題だった。降車場所に係員が全く配置されておらず,入場待ちの最後尾を示す看板を持った人がただ一人いるだけ。私はその看板の後ろに並んだのだが,10分以上並んだ後で,看板を持った人がいきなり「ここはキャンプサイト入場者の最後尾です」と叫んだのだから堪らない。泊まらずに1日目のみ観る予定の私は慌てて列から離れ,観るだけの人の列に並び直したのだが,これまた列を仕切る人もいなければ,ロープも何もないため横入り自在の混沌状態。ロープは難しくとも,せめて列の折り返しの地点と,最後列くらいには案内の人がいる,というのがあれだけの人を捌くために必要な最低の態勢と感じたが,入場者の大半を占めると思われるフェス経験者には必要ないという判断だったのだろうか。
加えて,入場ブースの数が,行列を形成している人の数に比べて圧倒的に少なく,13時25分に列に並び始めた私が,ようやく入場かなってメインステージの前に駆け足で到着したのが,主催者の挨拶が始まった14時55分。私の後ろにも相当数の入場待ちの人がいたが,その多くは最初のステージ(メインアクトと言える「くるり」だった)が観られなかった可能性が高い。
コンサート自体が開幕する前にかような試練を課せられた私は,この時点で既に相当応えていたと言って良い。
更に加えて,帰りのシャトルバスについてはマップに乗り場の記載はなく,場所を示す案内表示も…,もういいか。
昨年初めてこのフェスを経験して,入場待ちに時間がかかることを知っていた高三の二男は,11時に麻生で待ち合わせたおかげで,バスの乗車には時間がかかったものの,行列時間は30分で会場には入れたそうで,私がぼやいた,以上の事柄にも特に不満は抱かなかったようだ。
色々と書いてきたが,結論としては,これだけ大がかりな催事なのだから,ある程度はシステマティックな運営が必要だろうと考える,私のような一見(いちげん)さんを観客の標準に据えて様々なことを考えていては,フェスティバルそのものが成り立っていかないということなのだろう。多分。
大半がリピーター,もしくはグループの一部に経験者がいるということを前提にしたシステムだからこそ,これだけ規模が膨らんでも事故も大きな騒ぎも起こらず,好評のうちに回を重ねてきたという事実は重い。
ここで些末な事柄をあれこれ指摘してはみたが,主催者にとっては年長者の一見さんを取り込むためにそれらの改善に取り組むことより,国内有数の大規模フェスティバルとしてもっと重要な側面(アーティストの人選や環境問題への取り組みをアピールすることなど)の充実に取り組むことこそ,自らがやるべき事だと考えるはずと,充分に承知はしている。
だから私は,仮に同年代の音楽愛好家に「RSRに行こうと思うのだけれど」と,あまりあり得ない相談を受けた場合には,「中高年が行くところではありません。およしなさい」とは言わず,「そうですか。通常の社会生活における普通のシステムは期待せず,その上で半日並んで,立って,音楽を楽しむ体力と気力が伴えば楽しめますよ。頑張って下さい」と言おうと思っている。
改めてとても,貴重な体験だった。決して,皮肉ではなく。
(この項,ステージ編に続く)
サマソニやフジには食指を動かされるラインナップが揃うことも多々あったのだが,同年代で同好の士を殆ど持たない40代のサラリーマンにとっては,いずれもハードルが高すぎた。程度からいえば,40年近い歴史を持つイギリスのグラストンベリーと変わらないくらいに。
私が住んでいる札幌の隣まち,石狩で行われ,今年10周年を迎えたライジング・サン・ロック・フェスティヴァルも,夏フェスの一つとしてすっかり定着しているそうだ。「そうだ」としか書けないのも,行ったことのある何人か(自分の子供たちも含めて)から「素晴らしいお祭り」という評価を聞いたことはあったのだが,実際にこの目で確かめる機会にはついぞ恵まれなかった,というか,万難を排して出掛ける決断が出来なかったためだ。
しかし,「井の中の中年」や「可愛い壮年には旅をさせよ」という諺もあるとおり(あるのかっ?),何が起こっているのかを,星飛雄馬の姉のように木の陰から垣間見ることくらいはしておいた方が良いのではないか,と思い立ち,とうとう10周年のお祭りの年に出掛けることにした。
そして,頑張って雨の中を5時間強,立ってパフォーマンスを見続けた。
その結論から言うと,思っていたとおりハードルは高かった。夏フェスは,やはり若者のお祭りだということが,身体で理解出来た。そのことは皮肉でも何でもなく,収穫だったのだが,来年以降初体験をしてみようという(主に中高年の)方のために,結果的に苦情めいた内容が多くなってしまうが,感じたことを少しまとめておきたい。
中年の初体験として,大変だったと感じたことは,会場の広さ,観客の多さをはじめとしていろいろあったのだが,肉体的のみならず精神的にも疲れた原因は,管理運営に関する基本態勢について,彼我の考え方に些細な違いがあったことに起因していたのではないかという気がしている。
例えば,自家用車を使わずに会場入りするためには,地下鉄麻生駅からシャトルバスに乗らなければならないのだが,地下鉄コンコースで乗車待ちの列に並ぶこと45分。ここから既に体力勝負は始まる。しかしこの待ち時間については,バスターミナルのブースの関係で致し方ない,ということは理解できる。
問題は,バスチケットを持っていない人(私もその一人)に対する乗車方法のアナウンスも表示もなかったことだ。私はバス会社の腕章をした人に尋ねて,現金での支払いでも良いことを知ったのだが,地下鉄駅の係員らしき人に,バスチケットを何処で売っているのか訊いている若い人がいた。
更に小銭で600円を用意していない人に対して,列の途中に一人立って両替を行っていれば,あれだけ並んでいる間にいくらでも両替は可能だったはずなのに,両替担当者は何故か乗り場毎に配置され,更に列から離れて両替しなくてはならないために,座れたはずの位置に並んでいた人が,両替を終えて戻ってきた人がステップに立たされる,という現象が現に私の目の前で起きていた。
アナウンスや表示という点では,バスを降りた場所の方が問題だった。降車場所に係員が全く配置されておらず,入場待ちの最後尾を示す看板を持った人がただ一人いるだけ。私はその看板の後ろに並んだのだが,10分以上並んだ後で,看板を持った人がいきなり「ここはキャンプサイト入場者の最後尾です」と叫んだのだから堪らない。泊まらずに1日目のみ観る予定の私は慌てて列から離れ,観るだけの人の列に並び直したのだが,これまた列を仕切る人もいなければ,ロープも何もないため横入り自在の混沌状態。ロープは難しくとも,せめて列の折り返しの地点と,最後列くらいには案内の人がいる,というのがあれだけの人を捌くために必要な最低の態勢と感じたが,入場者の大半を占めると思われるフェス経験者には必要ないという判断だったのだろうか。
加えて,入場ブースの数が,行列を形成している人の数に比べて圧倒的に少なく,13時25分に列に並び始めた私が,ようやく入場かなってメインステージの前に駆け足で到着したのが,主催者の挨拶が始まった14時55分。私の後ろにも相当数の入場待ちの人がいたが,その多くは最初のステージ(メインアクトと言える「くるり」だった)が観られなかった可能性が高い。
コンサート自体が開幕する前にかような試練を課せられた私は,この時点で既に相当応えていたと言って良い。
更に加えて,帰りのシャトルバスについてはマップに乗り場の記載はなく,場所を示す案内表示も…,もういいか。
昨年初めてこのフェスを経験して,入場待ちに時間がかかることを知っていた高三の二男は,11時に麻生で待ち合わせたおかげで,バスの乗車には時間がかかったものの,行列時間は30分で会場には入れたそうで,私がぼやいた,以上の事柄にも特に不満は抱かなかったようだ。
色々と書いてきたが,結論としては,これだけ大がかりな催事なのだから,ある程度はシステマティックな運営が必要だろうと考える,私のような一見(いちげん)さんを観客の標準に据えて様々なことを考えていては,フェスティバルそのものが成り立っていかないということなのだろう。多分。
大半がリピーター,もしくはグループの一部に経験者がいるということを前提にしたシステムだからこそ,これだけ規模が膨らんでも事故も大きな騒ぎも起こらず,好評のうちに回を重ねてきたという事実は重い。
ここで些末な事柄をあれこれ指摘してはみたが,主催者にとっては年長者の一見さんを取り込むためにそれらの改善に取り組むことより,国内有数の大規模フェスティバルとしてもっと重要な側面(アーティストの人選や環境問題への取り組みをアピールすることなど)の充実に取り組むことこそ,自らがやるべき事だと考えるはずと,充分に承知はしている。
だから私は,仮に同年代の音楽愛好家に「RSRに行こうと思うのだけれど」と,あまりあり得ない相談を受けた場合には,「中高年が行くところではありません。およしなさい」とは言わず,「そうですか。通常の社会生活における普通のシステムは期待せず,その上で半日並んで,立って,音楽を楽しむ体力と気力が伴えば楽しめますよ。頑張って下さい」と言おうと思っている。
改めてとても,貴重な体験だった。決して,皮肉ではなく。
(この項,ステージ編に続く)
今年は矢沢ネタが無いけど~どんなだったかを知りたくて、検索でこちらに来ました。
想像どおおりのようですね~ネットで皆さんの記事を読むだけで満足の中高年です