団塊世代の人生時計

 団塊世代として生きてきた「過去」、「現在」、そして「未来」を、自分自身の人生時計と共に綴り、「自分史」にしてみたい。

コロナで奪われた日常生活

2020-04-05 07:35:12 | 新型コロナウィルス

コロナで奪われた日常生活

2020年4月5日(日)

 コロナにより、日常生活が奪われている人達がいます。私は自分自身はどうなんだろうか?と考えます。

 

 「この闘いは誰一人取り残してはいけません」とあります。私は、「ただの一人も」と更に強調したいです。

 この子ども達は、たまたま戦火の国に生まれただけです。一方私も、たまたま戦火のない日本に生まれただけです。日常生活が天と地ほどの違いがあります。

 

 3月30日、叔母を通院に連れて行きました。まだまだ広島では日常生活を行うことができます。

 

 叔母の入っているサ高住では、外来者の入館制限が行われています。日常生活に制限がかかっています。

 

 広島で一番高いビル(マンション)です。まだ、建設中です。私は、どうしてもバベルの塔を想像しちゃいます。コロナでは3つの「密」を避けるとあります。このビルってどう見ても「密」であります。

 

 車の中から花見をしました。

 

 

 桜そのものは、何時もの年と全く同じでありますが、見る私の気持ちは何時もの年と全く違います。目では見ることができても、気持ちで見ることができないといった感覚です。

 

 夕食の食材を買い出しに行きました。

 桜と違って、一機に食欲が湧いてきました。(笑)これ、生存本能でありましょう。桜は見なくても生きていけますが、食べなければ生きていくことはできません。

 左の大きい奴は1200円也でした。wifeが鯖はまだあると言うので、残念ながら買えなかったんです。(後悔してます。)

 

 まて貝1㎏1880円也!超安いのでありますが、こんなに沢山では持て余すようになります。100g188円にはなりませんですね。

 

 サザエのつぼ焼きをgetいたしました。

 この店は燻製も作っています。

 シシャモの燻製をgetいたしました。

 ネタが大きい!1パックgetいたしました。

 食の世界は、日常生活が維持できています。ただ、コロナが長引けばどうでしょうか?食料自給率(カロリーベース)が40%を切っている日本で輸入がストップするとしたら・・。まぁ、昔のように飢饉で餓死するってとこまではいかないと思いますけど、日常生活は大いに影響受けますです。食料は高くなりますので、私の身に置き換えるとアルコール飲料を飲んでいるような情勢ではなくなりますです。こりゃ、大変であります。

 

 トランプ大統領がGMに人工呼吸器の製造を「命じ」ました。「命令」ではなく、要請でGMが応じてくれればトランプ氏の株も上がると思うのですが、こりゃ自動車業界と信頼関係がありませんですなぁ。

 日本であれば、政府がトヨタに要請すれば、GMの半分の期間で造ると思います。しかも改善して。

 

 

 花見のルールも決められています。アルコールのルールも決めた方が良いと思いますけど。いつもの半分程度にしてね、って。酔っ払うとルールなんか無視いたしますので。

 

 人工呼吸器メーカーにベトナムから発注があります。

 

 各国から問い合わせが相次いでいます。

 

 「部品を全部押さえている」とあります。

 工場は日常生活とは言わないのでしょうが、日常業務が奪われています。

 3月末のTV放送ですが、この時点で政府から増産の要請はまだ無いとあります。大丈夫かいな

!安倍内閣!(「後手後手に『先手先手』とルビをふる」)←これ、朝日新聞に載っていたものです。

 

 トヨタさん、世界中「ただの一人も取り残さない」ため造ってくださいよ。

 

 

 

 

 3.11でも日常生活が奪われていました。次はその関係のブログです。

 

3.11以前

2013年12月31日(火)

 その写真は、4歳くらいの坊やが海岸の砂場に座ってこちらを振り向き少し笑っていました。写真を撮ったのは、パパでしょうかママでしょうか。そこには、家族のなにげない日常の幸せがあふれているように思えました。

 3.11は、そのようななにげない日常の幸せを残酷にも破壊してしまったのです。自然災害ですから、悲しみ、怒り、切なさ、様々な感情をぶつける相手のいない不条理さを感じます。

 

 孫が2歳から6歳まで、私の家の近くに住んでいましたので、頻繁に行ききしていました。私は、孫に会う時と分かれる時は必ず、名前を呼び「大好き 大好き」と言いながら抱きしめていました。私自身身体がジンと熱くなり、癒やされた気持ちになり幸せを感じたものです。しかし、その孫を喪失したらどうなるのか・・。先の坊やと我が孫を重ね合わせ、その写真を見ながら、いろいろと想像したのです。

 

 旅から帰って、その写真を何度も探したのですが、ありません。いろいろと思い想像し、写真を撮ったものと勘違いしたようです。東日本大震災写真保存プロジェクトの中にあると思うのですが、膨大な量ですので、見つけることは難しいです。

http://archive.shinsai.yahoo.co.jp/

 

 

・ 11月11日、宮城県南三陸ホテル観洋に宿泊しました。「3.11以前」という写真展があり、感銘しました。

 

 「この写真展や写真集が震災の記憶の”風化”を押しとどめ、「復興」のための一助になれば――そう願ってやみません。」とあります。

 想像力が風化を押しとどめる力になると思います。

 

 この写真は震災当日の朝6時少し前。「太陽柱というのでしょうか?光の柱が立っていました。3分ほど見えたと記憶しています。方角的に考えると、震源地の方向と思われます。」とあります。

 

 

 福島県浪江町。

 浪江町。

 宮城県気仙沼市。

 岩手県陸前高田市。

 先の建物が被災後、このようになっています。追悼施設として残されています。

 岩手県大槌町。

  気仙沼市。チリ地震の津波は、1.9mとあります。

  写真の選者は、「時間が止まっている」と言います。私は、喪失感を想像し言い表したものと思いました。

 

 震災前の写真でも後の写真でもそうなんですが、一枚の写真を見て想像することにより、点から線へ線から面へ疑似体験が拡がるような気がします。

 

 

 「がんばって」というのが多い中、私が一番好きな言葉、「ONE FOR ALL! ALL FOR ONE!」がありました。

 

 

 日常生活って、奪われて初めて分かるんですね。その大切さが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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