水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

共通テスト2021年 古文(5)

2021年01月25日 | 国語のお勉強(古文)
〈問3~問6〉

問3 傍線部B「よくぞもてまゐりにけるなど、思し残すことなきままに、よろづにつけて恋しくのみ思ひ出できこえさせたまふ」の語句や表現に関する説明として最も適当なものを次の①~⑤のうちから一つ選べ。「標準」

 ① 「よくぞ……ける」は、妻の描いた絵を枇杷殿へ献上していたことを振り返って、そうしておいてよかったと、長家がしみじみと感じていることを表している。
 ② 「思し残すことなき」は、妻とともに過ごした日々に後悔はないという長家の気持ちを表している。
 ③ 「ままに」は「それでもやはり」という意味で、長家が妻の死を受け入れたつもりでも、なお悲しみを払拭することができずに苦悩していることを表している。
 ④ 「よろづにつけて」は、妻の描いた絵物語のすべてが焼失してしまったことに対する長家の悲しみを強調している。
 ⑤ 「思ひ出できこえさせたまふ」の「させ」は使役の意味で、ともに亡き妻のことを懐かしんでほしいと、長家が枇杷殿に強く訴えていることを表している。


 傍線部B「よくぞもてまゐりにけるなど、思し残すことなきままに、よろづにつけて恋しくのみ思ひ出できこえさせたまふ」は、

「よくぞ持参しておいたことよ」と、思い残すこともないまま、何につけても恋しくばかり思い出し申し上げなさる。

と訳してみたが、「思し残すことなきままに」が正直わからない。ネット上でさがしてみた他の訳をよんでも、なるほどと感じるのに出会えてない。
 ただし、選択肢を吟味してみると、正解にはたどりつけそうだ。

 ②は、「思し残すことなき」を「妻とともに過ごした日々に後悔はない」としている点が、全体から考えて間違い。むしろ後悔しかしてないぐらいの悲しみ方だ。
 ③「『ままに』は『それでもやはり』という意味」とあるが、「ままに」の意味として出てこないだろう。
 ④「『よろづにつけて』は、妻の描いた絵物語のすべてが焼失してしまったことに対する」が誤り。文字通り「何につけても」と解釈するところ。
 ⑤「『思ひ出できこえさせたまふ』の『させ』は使役」とあるが、この「させ」は尊敬だ。
 ①が正解。「など」がついているから「よくぞもてまゐりにける」を心内文ととらえてカギカッコをつけ、その結果「ける」は過去ではなく詠嘆と見分ける。すると選択肢①の解釈はぴったりはまるから、論理的に正解できる問題だと言える。
 単語の意味、文法の理解、文脈の把握などが入り交じった、応用で難しいけど、実力の測れるいい問題ではないだろうか。


問4 この文章の登場人物についての説明として最も適当なものを次の①~⑤のうちから一つ選べ。「標準」

 ① 親族たちが悲しみのあまりに取り乱している中で、「大北の方」だけは冷静さを保って人々に指示を与えていた。
 ② 「僧都の君」は涙があふれて長家の妻の亡骸を直視できないほどであったが、気丈に振る舞い亡骸を車から降ろした。
 ③ 長家は秋の終わりの寂しい風景を目にするたびに、妻を亡くしたことが夢であってくれればよいと思っていた。
 ④ 「進内侍」は長家の妻が亡くなったことを深く悲しみ、自分も枕が浮くほど涙を流していると嘆く歌を贈った。
 ⑤ 長家の亡き妻は容貌もすばらしく、字が上手なことに加え、絵にもたいそう関心が深く生前は熱心に描いていた。

 ①「『大北の方』だけは冷静さを保って」、②「気丈に振る舞い亡骸を車から降ろした」、 ③「妻を亡くしたことが夢であってくれればよいと思っていた」、④「自分も枕が浮くほど涙を流していると嘆く」が誤り。
 ⑤「長家の亡き妻は容貌もすばらしく、字が上手なことに加え、絵にもたいそう関心が深く生前は熱心に描いていた。」は、本文「顔かたちよりはじめ、心ざま、手うち書き、絵などの心に入り」と対応し、これが正解。


問5 次に示す【文章】を読み、その内容を踏まえて、X・Y・Zの三首の和歌についての説明として適当なものを、後の①~⑥のうちから二つ選べ。「標準」

【文章】
『栄花物語』の和歌Xと同じ歌は、『千載和歌集』にも記されている。妻を失って悲しむ長家のもとへ届けられたという状況も同一である。しかし、『千載和歌集』では、それに対する長家の返歌は、
 Z 誰もみなとまるべきにはあらねども後るるほどはなほぞ悲しき
となっており、同じ和歌Xに対する返歌の表現や内容が、『千載和歌集』の和歌Zと『栄花物語』の和歌Yとでは異なる。『栄花物語』では、和歌X・Yのやりとりを経て、長家が内省を深めてゆく様子が描かれている。

 ① 和歌Xは、妻を失った長家の悲しみを深くは理解していない、ありきたりなおくやみの歌であり、「悲しみをきっぱり忘れなさい」と安易に言ってしまっている部分に、その誠意のなさが露呈してしまっている。
 ② 和歌Xが、世の中は無常で誰しも永遠に生きることはできないということを詠んでいるのに対して、和歌Zはその内容をあえて肯定することで、妻に先立たれてしまった悲しみをなんとか慰めようとしている。
 ③ 和歌Xが、誰でもいつかは必ず死ぬ身なのだからと言って長家を慰めようとしているのに対して、和歌Zはひとまずそれに同意を示したうえで、それでも妻を亡くした今は悲しくてならないと訴えている。
 ④ 和歌Zが、「誰も」「とまるべき」「悲し」など和歌Xと同じ言葉を用いることで、悲しみを癒やしてくれたことへの感謝を表現しているのに対して、和歌Yはそれらを用いないことで、和歌Xの励ましを拒む姿勢を表明している。
 ⑤ 和歌Yは、長家を励まそうとした和歌Xに対して私の心を癒やすことのできる人などいないと反発した歌であり、長家が他人の干渉をわずらわしく思い、亡き妻との思い出の世界に閉じこもってゆくという文脈につながっている。
 ⑥ 和歌Yは、世の無常のことなど今は考えられないと詠んだ歌だが、そう詠んだことでかえってこの世の無常を意識してしまった長家が、いつかは妻への思いも薄れてゆくのではないかと恐れ、妻を深く追慕してゆく契機となっている。


 本文以外のもう一つのテクストが与えられたとはいえ、複数の和歌の解釈を問うという、センター時代からの問題と同じ型式。この手の問題は、センター時代、むやみに難しいのがあったけど、今回はわりと解きやすいのは、歌そのものがそこまで難しくないし、選択肢の誤答もそれほど紛らわしくないからだ。
 ①は、全文誤り。
 ②は、後半「和歌Zはその内容をあえて肯定することで、妻に先立たれてしまった悲しみをなんとか慰めようとしている」が誤り。
 ④は、前半の同じ言葉を用いるが「感謝」もおかしいし、後半の「それらを用いないことで、和歌Xの励ましを拒む姿勢を表明」はあきらかに誤り。
 ⑤の前半「私の心を癒やすことのできる人などいないと反発した歌」は、本文読まなくても誤答の雰囲気しかしない。
 正解は③と⑥。
 古文は他のに比べて難しいとはいえ、センター試験時代にたまに見かけたような、大学の先生でも20分で解くのは絶対ムリだろうと感じたタイプのものではなかった。
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共通テスト2021年 古文(4)

2021年01月22日 | 国語のお勉強(古文)
〈問1・問2〉

問1 傍線部(ア)~(ウ)の解釈として最も適当なものを、次の各群の①~⑤のうちから、それぞれ一つずつ選べ。→ 基本的な単語、文法事項の組み合わせで解く問題。「標準」

(ア)えまねびやらず
 ① 信じてあげることができない 
 ② かつて経験したことがない
 ③ とても真似のしようがない
 ④ 表現しつくすことはできない
 ⑤ 決して忘れることはできない

 「え~やらず」……最後まで~しきることができない、「まねぶ」……真似る・学ぶ・そのまま伝える。歴史物語には「そのまま伝える」の意味の「まねぶ」が多く用いられる。正解は④。

(イ)めやすくおはせしものを
 ① すばらしい人柄だったのになあ
 ② すごやかに過ごしていらしたのになあ
 ③ 感じのよい入でいらっしゃったのになあ
 ④ 見た自のすぐれた人であったのになあ
 ⑤ 上手におできになったのになあ

 「めやすし」……感じがいい、「おはす」……いらっしゃる、「ものを……~なのになあ」。正解は③

(ウ)里に出でなば
 ① 自邸に戻ったときには
 ② 旧都に引っ越した日には 
 ③ 山里に隠(いん)棲(せい)するつもりなので
 ④ 妻の実家から立ち去るので
 ⑤ 故郷に帰るとすぐに

 「里」……実家、「出でなば」……ダ行下二段「出づ(出かける)」連用形+完了「ぬ」未然形+「ば」。「未然形+ば」なので、「もし~したら」。正解は①。
 

問2 傍線部A「『今みづから』とばかり書かせたまふ」とあるが、長家がそのような対応をしたのはなぜか。→文脈からいろいろ類推して解く「難」

 ① 並一通りの関わりしかない人からのおくやみの手紙に対してまで、丁寧な返事をする心の余裕がなかったから。
 ② 妻と仲のよかった女房たちには、この悲しみが自然と薄れるまでは返事を待ってほしいと伝えたかったから。
 ③ 心のこもったおくやみの手紙に対しては、表現を十分練って返事をする必要があり、少し待ってほしかったから
 ④ 見舞客の対応で忙しかったが、いくらか時間ができた時には、ほんの一言ならば返事を書くことができたから。
 ⑤ 大切な相手からのおくやみの手紙に対しては、すぐに自らお礼の挨拶にうかがなければならないと考えたから。


……宮々よりも思し慰むべき御消(せう)息(そこ)たびたびあれど、ただ今はただ夢を見たらんやうにのみ思されて過ぐしたまふ。月のいみじう明(あか)きにも、思し残させたまふことなし。内裏(うち)わたりの女房も、さまざま御消息聞こゆれども、よろしきほどは、A〈 「今みづから」とばかり書かせたまふ 〉。

 おくやみの「消息(手紙)」がいろんな方から寄せられる。今だったら、メールとかラインにあたるのだろうか。「宮々」は長家の姉たちを指すと注にあるが、おろそかに扱えない存在であろう。
 女房たちからも届く。「よろしきほど」どういう人かを指すか難しいが、「宮々」ほどの方ではないはずだ。物事の評価を表す言葉に「よし」「よろし」「わろし」「あし」の四段階がある。「よし・あし」は絶対的な「良い・悪い」だが、「よろし・わろし」は相対的なもので、文脈によって意味が幅広い。きわめて日本的な単語だ。
 だから「よろし」は、「いい感じ」「わるくない」「まあいいかな」「ふつう」「ましかな」のようになる。
「『今みづから』とばかり」の「ばかり」から、「~とだけ書いておく」というニュアンスが伝わる、宮々ほどでなく、ふつうの相手には、あとで連絡するね、またあたらめてねとひと言だけ返しておいたということだろう。無視もできないから、スタンプいっこ送っておくとか。
 ②「妻と仲のよかった女房たち」とは判断できないし、「この悲しみが自然と薄れるまでは返事を待ってほしい」は「今みづから」とも対応しない。
 ③「心のこもったおくやみの手紙に対しては、表現を十分練って返事をする必要があり」、④「見舞客の対応で忙しかった」は、ともに本文から導き出されない。
 ⑤「大切な相手からのおくやみの手紙に対しては」は「よろしきほど」とずれることになる。正解は①。
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共通テスト2021年 古文(3)

2021年01月20日 | 国語のお勉強(古文)
〈本文〉
 かやうに思しのたまはせても、いでや、もののおぼゆるにこそあめれ、まして月ごろ、年ごろにもならば、思ひ忘るるやうもやあらんと、われながら心憂く思さる。何ごとにもいかでかくと(イ)〈 めやすくおはせしものを 〉、顔かたちよりはじめ、心ざま、手うち書き、絵などの心に入り、さいつごろまで御心に入りて、うつ伏しうつ伏して描(か)きたまひしものを、この夏の絵を、枇(び)杷(は)殿(どの)にもてまゐりたりしかば、いみじう興じめでさせたまひて、納めたまひし、B〈 よくぞもてまゐりにけるなど、思し残すことなきままに、よろづにつけて恋しくのみ思ひ出できこえさせたまふ 〉。年ごろ書き集めさせたまひける絵物語など、みな焼けにし後(のち)、去年(こぞ)、今年のほどにし集めさせたまへるもいみじう多かりし、(ウ)〈 里に出でなば 〉、とり出でつつ見て慰めむと思されけり。

注1 この殿ばら――故人と縁故のあった人々。
 2 御車――亡骸を運ぶ車。
 3 大納言殿――藤原斉信。長家の妻の父。
 4 北の方――「大北の方」と同一人物。
 5 僧都の君――斉信の弟で、法住等の僧。
 6 宮々――長家の姉たち。彰子や妍子(枇杷殿)ら。
 7 みな焼けにし後――数年前の火事ですべて燃えてしまった後。

 人物関係図
          彰子――東宮――若宮
          妍子(枇杷殿)
          長家(中納言殿)
           ∥
 大北の方      ∥
  ∥―――――― 亡き妻
 斉信(大納言殿)
 僧都の君


〈現代語訳〉
 このように(世の無常など納得できないと)お思いになりおっしゃってはいるが、「いやしかし、私はまだ世のあれこれを分かるのであるようだ、この上、数ヶ月、数年も経ったら、(亡き妻を)忘れることもあるのだろうか」と、自分の心ながら、つらいものだとお思いになる。
 (妻は)どんなことでも「どうしてこんなに」と思うほど(イ)〈 感じがよくていらっしゃったのになあ 〉、容姿をはじめ、性格、筆跡もよく、絵などにも関心が深く、つい先頃まで、熱心に、うつ伏しうつ伏ししてはお描きになったのだが、この夏に描いた絵を枇杷殿(妍子)に持参申したところ、たいそう素晴らしいと褒めなさって、納めていただいたが、B〈 「よくぞ持参しておいたことよ」と、思い残すこともないまま、何につけても恋しくばかり思い出し申し上げなさる。 〉長年、(亡き妻が)書き取りなさった絵物語などは、みな焼けてしまった後、去年、今年の間に書き取りなさったものも大変多かったが、(ウ)〈 実家に戻ったならば 〉、(その絵を)取り出して見て気持ちを慰めようとお思いになった。
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共通テスト2021年 古文(2)

2021年01月20日 | 国語のお勉強(古文)
〈本文〉
進(じんの)内(ない)侍(し)と聞こゆる人、聞こえたり。
   契りけん千代は涙の水(みな)底(そこ)に枕ばかりや浮きて見ゆらん
中納言殿の御返し、
   起き臥しの契りはたえて尽きせねば枕を浮くる涙なりけり
また東宮の若宮の御乳母(めのと)の小(こ)弁(べん)、
 X 悲しさをかつは思ひも慰めよ誰もつひにはとまるべき世か
御返し、
 Y 慰むる方しなければ世の中の常なきことも知られざりけり

〈現代語訳〉
進内侍と申す女房が(長家に)申し上げた。
 契りけん……
  一緒にいようと約束したという千年は、悲しみの涙の水底に沈み、あなたの枕だけが浮いて見えているのでしょうか。
中納言殿(長家)のお返しの歌は、
 起き臥しの……
  起きても寝ても誓った約束がすっかり尽きてしまうことはないので、枕を浮かせる涙なのですよ。
また、東宮の若宮の御乳母である小弁は、
 X 悲しさを……
  悲しみを一方では慰めてください。誰もがずっとは生きてとどまれないこの世なのですから。
(長家の)お返しは、
 Y 慰むる……
  悲しみを慰めるすべもないので、世の無常も納得することができないままですよ。
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共通テスト2021年 古文(1)

2021年01月19日 | 国語のお勉強(古文)
第3問 次の文章は、『栄花物語』の一節である。藤原長家(本文では「中納言殿」)の妻が亡くなり、親族らが亡(なき)骸(がら)をゆかりの寺(法(ほう)住(じゆう)寺(じ))に移す場面から始まっている。これを読んで、後の問いに答えよ。


 出典は、平安時代の歴史物語『栄花物語』より。古文の出典としては、ど真ん中のストレートで、その意味では「試行テスト」で示されていた方向性どおりだ。東大二次でも繰り返し出題されているが、それより本文は難しい気がする。ていうか、古文はやはり難しい。理系の子はなかなか手が回らないだろう。
 もし今自分が高3の古文をもつなら、授業の半分は『栄花物語』か『大鏡』を読みたい。あと『源氏』少しと「歌論」をいくつか読んでおけば、奇を衒わない大学の入試には100%対応できると思う。
 問5で『千載和歌集』との比較問われているのは、複数テクストを出題するとの方針に従うものだろうが、別になくてもよかったなんじゃないかな。


〈本文〉
 大北の方も、この殿ばらも、またおしかへし臥(ふ)しまろばせたまふ。これをだに悲しくゆゆしきことにいはでは、また何ごとをかはと見えたり。さて御車の後(しり)に、大納言殿、中納言殿、さるべき人々は歩ませたまふ。いへばおろかにて(ア)〈 えまねびやらず 〉。北の方の御車や、女房たちの車などひき続けたり。御供の人々など数知らず多かり。法住寺には、常の御渡りにも似ぬ御車などのさまに、僧都の君、御目もくれて、え見たてまつりたまはず。さて御車かきおろして、つぎて人々おりぬ。
 さてこの御忌(いみ)のほどは、誰(たれ)もそこにおはしますべきなりけり。山の方をながめやらせたまふにつけても、わざとならず色々にすこしうつろひたり。鹿の鳴く音(ね)に御目もさめて、今すこし心細さまさりたまふ。宮々よりも思し慰むべき御消(せう)息(そこ)たびたびあれど、ただ今はただ夢を見たらんやうにのみ思されて過ぐしたまふ。月のいみじう明(あか)きにも、思し残させたまふことなし。内裏(うち)わたりの女房も、さまざま御消息聞こゆれども、よろしきほどは、A〈「今みづから」とばかり書かせたまふ 〉。

〈現代語訳〉
 大北の方(亡き妻の母)も、故人と縁故のあった人々も、また繰り返し転げ回って悲しみなさる。このことさえも、悲しく不吉なことだと言わないとしたら、他に何を言うだろうかと思われた。さうして(亡骸を運ぶ)お車の後ろに、大納言殿(斉信)・中納言殿(長家)が乗り、しかるべき方々は歩いて付いていかれる。(その悲しみの大きさは)言葉で表しがたく、〈ア そのまま書き写すことなどできない 〉。
 大北の方のお車や、女房たちの車などをその後ろに引き連れている。お供の人々は数しれず多い。法住寺では、普通のお越しではないお車などの様子を見て、僧都の君も、涙に暮れて、拝見なさることもできない。そうして御車から牛をはずして車をとめ、続いて人々が降りた。
 さて、この服喪の期間は、人々は皆、そこ(法住寺)に籠っていらっしゃらないといけないのだった。(長家は)山のほうをぼんやりと眺めなさると、木々の葉はそれとなく様々に色変わりしている。鹿の鳴く声に目を覚まされて、さらに少し心細さがつのっていく。(彰子や妍子の)姉宮さま達からも、気持ちを慰めくださるお頼りがたびたびあるけれど、今はただ夢を見ているようにばかり感じられて、そのままにして過ごしなさる。月がたいそう明るいのを見ても、思いをとどめなさることはない。宮中の女房も、あれこれとご連絡申し上げるけれど、まずまずの相手に対しては、〈A 長家は「すぐに自分で(行きますから)」とだけお書きになる 〉。
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源氏物語

2020年08月21日 | 国語のお勉強(古文)
 ~ 絵に描ける楊貴妃の容貌は、いみじき絵師と言へども、筆限りありければ、いと匂ひ少なし。太液の芙蓉、未央の柳も、げに通ひたりし容貌を、唐めいたるよそひはうるはしうこそありけめ、なつかしうらうたげなりしを思し出づるに、花鳥の色にも音にも、よそふべきかたぞなき。(『源氏物語』「桐壺」) ~


 理系の夏期講習で「共通テスト試行問題」の古文を扱う。
 予習は前にしてあるよね、とプリントを見つけてみると書き込みがあって安心した。
 上記の、桐壺の帝が、楊貴妃と比較しながら、亡くなった桐壺更衣を思い出す場面。
 「こそ~けめ、」は逆接で、前後を対称的にとらえる … などと普通なら書き込むものだが、さすがおれクラスになると違うな。
 「唐めいたる」に線を引いて、ボンドガール? プレイボーイガール? と書いてある。
 「なつかしうらうたげなりし」からは、永野芽郁? 西野七瀬? と。
 妖艶な美しさであったろう楊貴妃と、「人なつこくてかわいかった」桐壺更衣とをどうイメージさせるかという予習をしていたということだ。ナイス、おれ。
 「源氏物語」のような有名作品は、お話の概略を知っていた方がいい、マンガ「あさきゆめみし」を読んで、作品全体像を把握しようという、わりと定番の勉強法がある。たしかに時間があるなら読んだ方がいい。
 「登場人物を実在の人に置き換えると憶えやすい」というのも、一つのコツになるんじゃないかな。
 思えば、はるか昔日本史の鎌倉時代が得意だったのは、石坂浩二の源頼朝、岩下志麻の北条政子でイメージを確固たるものにしていたからだろう。今の高校生は明智光秀を長谷川博己で憶えることになるのか。
 まてよ、桐壺更衣をガッキーにして、藤壺女御を芽郁ちゃん、桐壺帝をムロツヨシにおいてみればいいのか。家族構成は変わるが。
 光源氏は、今までいろんな役者さんが演じてきた。沢田研二、東山紀之、生田斗真。最近なら千葉雄大か。天海祐希さんという大技もあった。今なら山下智久さんではないだろうか。頭中将は亀梨さんで。朧月夜に手を出して須磨に配流されちゃった。
 自分的に六条御息所は満島ひかり、女三の宮は森七菜、明石の君に小松菜奈、夕顔は唐田えりかさんがいい。
 かんじんの紫の上が思い浮かばない。
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古文練習問題

2018年02月24日 | 国語のお勉強(古文)

 難しすぎるということで没になった(涙)問題がもったいないので載せます。
 論理的思考力をはかる良問!(笑)。力をつけたい中学生はチャレンジを!


 次の文章は、親鸞(善信)が門弟の乗信に送った手紙の一節である。これを読んで後の問いに答えよ。

 なによりも、こぞ、ことし、老少男女おほくのひとびとの、死にあひて候(さふら)ふらんことこそあはれに候へ。ただし1〈 生死無常のことわり 〉、くはしく如来(にょらい)の説きおかせおはしまして候ふ上は、おどろきおぼしめすべからず候ふ。まづ善信が身には、臨終の善悪をば申さず、信心決定(けつじょう)の人は、うたがひなければ、正定聚に住することにて候ふなり。さればこそ2〈 愚癡無智の人も、をはりもめでたく候へ 〉。如来の御はからひにて往生するよし、ひとびとに申され候ひける、少しもたがはず候ふなり。3〈 としごろ 〉、おのおのに申し候ひしこと、たがはずこそ候へ。4〈 かまへて 〉学生(がくしょう)沙汰せさせ給ひ候はで、往生をとげさせ給ひ候ふべし。
 故法然聖人は、「浄土宗の人は愚者になりて往生す」とさうらひしことを、たしかに5〈 うけたまはり 〉候ひし上に、ものもおぼえぬあさましきひとびとの参りたるを御覧じては、「往生必定すべし」とて6〈 ゑ 〉ませ給ひしを、見参らせ候ひき。文沙汰して、7〈 さかさかしき人 〉の参りたるをば、「8〈 往生はいかがあらんずらん 〉」と、たしかにうけたまはりき。いまにいたるまで、おもひあはせa〈 られ 〉候ふなり。ひとびとにすかさb〈 れ 〉させ給はで、御信心たぢろがせ給はずして、おのおの御往生候ふべきなり。ただし人にすかされ給ひ候はずとも、信心のさだまらぬ人は、正定聚に住し給はずして、うかれ給ひたる人なり。
 乗信房にかやうに申し候ふやうを、ひとびとにも申され候ふべし。あなかしこあなかしこ。 (「末燈鈔」)

注1 死にあひて … あいついで亡くなられて
 2  臨終の善悪 … 臨終の際の死に様のよしあし
 3 正定聚(しょうじょうじゅ)に住する … 浄土に往生することが定まっている位に身を置く
 4 学生沙汰せさせ給ひ候はで … 学者ぶった議論はなさらないで
 5 さうらひしこと … おっしゃったこと
  6  文沙汰して … 学問的な議論をして
 7 うかれ給ひたる人 … 心が落ち着かれない人


問1 傍線部1の意味として最も適当なものを選べ。
 ア 死の訪れには情け容赦がないものだという現実。
 イ 死は生よりもすばらしいものだという仏教の教え。
 ウ 生を受けてから死にいたる人までの人の一生の筋道。
 エ 生あるものはいつ死ぬかわからないという道理。

問2 傍線部2とあるが、そのように述べる理由として最も適当なものを選べ。
 ア おろかな人は、仏に対する信心を疑うことがないから。
 イ おろかな人は、自らの地位や名誉に対する欲望がないから。
 ウ おろかな人は、仏の教え自体を理解することが困難だから。
 エ おろかな人は、人生の最後になってその価値を理解するから。

問3 傍線部3の意味として最も適当なものを選べ。
 ア 例年  イ 長年  ウ 年齢  エ 年中

問4 傍線部4と同じ品詞のものを選べ。
 ア あはれに  イ ただし  ウ くはしく  エ いかが

問5 傍線部5は誰に対する敬意が表されている言葉か。最も適当なものを選べ。
 ア 如来  イ 故法然聖人  ウ 善信  エ 乗信

問6 傍線部6を漢字に直したとき最も適当なものを選べ。
 ア 得  イ 会  ウ 笑  エ 絵

問7 傍線部7と反対の意味にあたるものとして最も適当なものを選べ。
 ア 老少男女おほくのひとびと  イ 信心決定の人  
 ウ あさましきひとびと     エ 信心のさだまらぬ人

問8 傍線部8に込められた気持ちの説明として最も適当なものを選べ。
 ア 極楽往生などできるはずがないと突き放す気持ち。
 イ 極楽往生の難しさをしみじみとかみしめる気持ち。
 ウ 極楽往生はどういう形になるのかと怪しむ気持ち。
 エ 極楽往生は難しいのではないかと心配する気持ち。

問9 波線部a「られ」・b「れ」の文法的意味を順に記したものとして適当なものを選べ。
 ア a自発・b受身  イ a受身・b可能  ウ a尊敬・b受身  エ a自発・b尊敬

問10 この手紙の表現と内容に関して説明したものとして、最も適当なものを選べ。
 ア 門弟達に対する毅然とした語り口からは、仏の教えを厳しく守ることこそが往生につながるという考えをなんとしても伝えたいという強い意気込みが感じられる。
 イ 亡き師法然の教えをひきながら諭すように語りかける言葉には、厳しい現実の中でも他力の信心に疑いを抱くことなく往生を願ってほしいという気持ちがこめられている。
 ウ 極楽往生する方法について様々な考えがあふれる世の中において、多くの人々に自分の教えが広まるにはどうしたらいいかを考えてほしいと、門弟達に強くよびかけている。
 エ 教えの本義を理解しようとして学問的な議論をするくらいなら、いっそ仏の教えを気にすることなく、自分の信じた道を生きるのも一つの方法だと整然と語っている。


  問1 エ  問2 ア  問3 イ  問4 エ  問5 イ
  問6 ウ  問7 ウ  問8 エ  問9 ア  問10 イ

【現代語訳】
 なによりも、去年、今年と、老若男女にいたるまで多くの人が相次いで亡くなられたことは、なんとも哀しいことです。ただし、生あるものはいつ死ぬかわからないという道理については、如来がくわしく説き置かれていらっしゃるところですから、いまさら驚きをお感じになる必要はありません。まず私善信(親鸞)の身には、臨終の際の死に様の善し悪しは申さず、他力の信心をしっかりうけとめた人は、〔信心を〕疑うことをしないので、浄土に往生することが定まっている位に身を置くことになっております。
 だからこそ、愚かな凡夫たちも最期はすばらしいものになるのです。如来におはからいによって往生できるのだという、〔あなたが〕話しておられることは少しも間違ってはおりません。年来〔私が〕あなた方に申してきたことに全くくいちがいはありません。決して学者ぶった議論はなさらないで、往生をおとげになってください。
 故法然上人は、「浄土宗の人は愚者になって往生する」と仰せになりましたが、それをたしかに承りましたばかりでなく、さらにその上に、道理をわきまえないで見下げたくなるほどひどい人々が参ったのをご覧になっては、「必ず往生するにちがいない」と微笑まれたお顔を、拝見したこともありました。
 学問上の論議をして賢くすぐれた人のように振舞う人が訪ねてきた時は「(このものたちは)往生できるだろうか」と(心配しておっしゃるのを)確かにお聞きしました。
 いまになっても、あらためてわが心に思いあわせられます。人々にだまされたりなさらないで、ご信心がゆらぐようなことはなさらず、それぞれが往生すべきです。ただし人にだまされなくても、信心がさだまっていない人は、浄土に生れることになっておられなくて、心が落ち着かれない人であります。乗信房にこのように申しましたことを、他の人々にもお伝え下さいませ。あなかしこあなかしこ。

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冬期講習

2016年12月14日 | 国語のお勉強(古文)

 

 冬期講習は古文の演習。レギュラーの授業で古文を教えてないので、ものすごく予習してしまった。
 最初の一行で余裕で一時間話せるくらいに。
 第一問はセンター試験1996年の「栄花物語」の一節だ。
 本文も設問もむだに難しく、作っている先生の古文の力を疑ってしまうような出題も多いセンター古文だが、この問題はいい。
 文章自体がほどよく難しく、同時に読みやすく、いろんな角度から古文の力を測るのに適切な問が設けられている。
 1行あれば、受講生個人に何が足りなくて、今後何をやればいいのかを瞬時に教えてあげられるので、結局お説教の授業になってしまった。
 「古文の基本を確認できる問題ベスト5!」に入るようなこの文章を、おぼえるくらい、自分で授業できるくらいに読み込めれば、ほんとうに力がつく … のは間違いないんだけど、信じて復習してくれる子はいるかなあ。
 いないかもしれないけど、講習後にやるべき作業を伝えておこうと思う。

 1 自分で全訳する。(一気に全文ではなく少しずつ)
  すべての単語を訳す。
  すべてのパーツの主語(Sガ)を補って訳す。
  すべての目的語(Oヲ、Oニ)を補って訳す。
  省略されている名詞を補って訳す。
  「スーパー単語集」「スーパー活用表」「助詞ミニマム」を確認しながら作業する。
 2 答えあわせをする。
  覚えていない単語は別の紙に書き出す。
  なぜそういう訳になるのかわからない箇所は質問にいく。
  時間をおいてもう一回やった方がいいパーツをチェックしておく。

 第一問(1996年)、第二問(2003年「五葉」)の二問だけでも、この作業をしておけば、ステージはかつんと上がる。

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「る・らる」の見分け方

2016年10月10日 | 国語のお勉強(古文)

 

「る・らる」の見分け方


a 「何々に」「誰それに」と書いてあったら、または書いてなくてもあきらかに想定できたら「受身」。

 〈 物に 〉おそは〈 るる 〉心地して、おどろき給へれば、火も消えにけり。

 ありがたきもの〈 舅に 〉ほめ〈 らるる 〉婿。


b 動作主が、それなりに目上の人だったら「尊敬」。高貴な人が主語の場合と説明されがちだが、本当に高貴な方の動作を「る・らる」で敬う例は少ない。

 こはいかなる〈 尼君たちの 〉、かくは舞は〈 れ 〉て、深き山の奥よりは出で給ひたるぞ

 かの〈 大納言 〉、いづれの舟にか乗ら〈 る 〉べき。


c 思わず、意図せずの動作だったら「自発」。

 またきこり人どもも、〈 心ならず 〉舞は〈 れ 〉けり。

 住みなれしふるさと、限りなく〈 思ひ出で 〉〈 らる 〉


d 打消とセットのときは基本「可能」。ただし、兼好法師『徒然草』以降は、肯定文でも用いられる。

  知らぬ人の中にうち臥して、つゆまどま〈 れ 〉〈 ず 〉。

  かくてもあら〈 れ 〉けるよと、あはれに見るほどに、


 もともとは「自分の意志と関係なくものごとがすすんでいくこと」を表す助動詞で、「自発」が大元である。
 自分の意志と関係なくできてしまうと「可能」になるし、他人のせいで「受身」になる。
 あなたが動作に私の意志などまったくないですとの表明が「尊敬」でもある。
 現代の「れる」「られる」も働きはまったく同じだから、「る・らる」は、古今同義語の仲間だ。

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東大二次古文(『夜の寝覚』)

2015年02月26日 | 国語のお勉強(古文)

 

 国立の試験が始まると、もう何もしようがないので、三年の教員で集まって、予餞会(三送会)の準備をする。
 とはいえ昔のように小芝居や映画をつくる時間もないので、みんなで「糸」「3月9日」を歌う練習。この二つならギター2本の伴奏がむしろあう。
 練習後、東大の二次試験を解いた。今年は、例年以上にオーソドックスな出題だ。
 現代文第一問の評論は筑摩選書で昨年出版された『傍らにあること 老いと介護の倫理学』からの出題である。予備校の先生なら、的中させた方もいるのではないだろうか。
 とられている部分の内容は、東大を受けようとする生徒さんなら理解できるはずだし、解答の方向性も見つかるとは思うが、いざ二行の解答欄にまとめる段階で、けっこう苦労するのではないかと思われる設問だった。

 面白かったのが古文の問題。平安時代の作り物語『夜の寝覚め』の一節という、アウトロー直球の出題だが、予備校さんによってバラつきのある(古文にしては)解答例が出された設問がある。

 

 ~ 次の文章は、平安後期の物語『夜の寝覚』の一節である。女君は、不本意にも男君(大納言)と一夜の契りを結んで懐妊したが、男君は女君の素性を誤解したまま、女君の姉(大納言の上)と結婚してしまった。その後、女君は出産し、妹が夫の子を生んだことを知った姉との間に深刻な溝が生じてしまう。いたたまれなくなった女君は、広沢の地(平安京の西で、嵐山にも近い)に隠棲する父入道のもとに身を寄せ、何とか連絡を取ろうとする男君をかたくなに拒絶し、ひっそりと暮らしている。以下を読んで、後の設問に答えよ。


 さすがに姨捨山の月は、夜更くるままに澄みまさるを、めづらしく、つくづく見いだしたまひて、ながめいりたまふ。
  (ア)〈 ありしにもあらず 〉うき世にすむ月の影こそ見しにかはらざりけれ
 そのままに手ふれたまはざりける箏の琴ひきよせたまひて、かき鳴らしたまふに、所からあはれまさり、松風もいと吹きあはせたるに、そそのかされて、ものあはれに思さるるままに、聞く人あらじと思せば心やすく、手のかぎり弾きたまひたるに、入道殿の、仏の御前におはしけるに、聞きたまひて、「あはれに、言ふにもあまる御琴の音かな」と、うつくしきに、聞きあまりて、(イ)〈 行ひさして 〉わたりたまひたれば、弾きやみたまひぬるを、「なはあそばせ。念仏しはべるに、『極楽の迎へちかきか』と、心ときめきせられて、たづねまうで来つるぞや」とて、少将に和琴たまはせ、琴かき合はせなどしたまひて遊びたまふ程に、はかなく夜もあけぬ。かやうに心なぐさめつつ、あかし暮らしたまふ。
 つねよりも時雨あかしたるつとめて、大納言殿より、
  (ウ)〈 つらけれど思ひやるかな 〉山里の夜半のしぐれの音はいかにと
 雪かき暮らしたる日、思ひいでなきふるさとの空さへ、とぢたる心地して、さすがに心ぼそければ、端ちかくゐざりいでて、白き御衣どもあまた、(エ)〈 なかなかいろいろならむよりもをかしく 〉、なつかしげに着なしたまひて、ながめ暮らしたまふ。ひととせ、かやうなりしに、大納言の上と端ちかくて、雪山つくらせて見しほどなど、思しいづるに、つねよりも落つる涙を、らうたげに拭ひかくして、
  「思ひいではあらしの山になぐさまで(オ)〈 雪ふるさとはなほぞこひしき 〉
我をば、かくも思しいでじかし」と、推しはかりごとにさへ止めがたきを、対の君(カ)〈 いと心ぐるしく見たてまつりて 〉、「くるしく、いままでながめさせたまふかな。御前に人々参りたまへ」など、(キ)〈 よろづ思ひいれず顔にもてなし 〉、なぐさめたてまつる。

〔注〕
 姨捨山 … 俗世を離れた広沢の地を、月の名所である長野県の姨捨山にたとえた表現。「我が心なぐさめかねつ更級や嬢捨山に照る月を見て」(古今和歌集)を踏まえる。
 そのままに … 久しく、そのままで。
 少将 … 女君の乳母の娘。
 対の君 … 女君の母親代わりの女性。

一 傍線部ア・イ・カを現代語訳せよ。

二「つらけれど思ひやるかな」(傍線部ウ)を、必要な言葉を補って現代語訳せよ。

三「なかなかいろいろならむよりもをかしく」(傍線部エ)とはどういうことか、説明せよ。

四「雪ふるさとはなほぞこひしき」(傍線部オ)とあるが、それはなぜか、説明せよ。

五「よろづ思ひいれず顔にもてなし」(傍線部キ)とは対の君のどのような態度か、説明せよ。 ~

 

 四の「雪ふるさとはなほぞこひしき」は、「雪の降る故郷(京)が、いっそう恋しい」と直訳できる。
「ひととせ、かやうなりしに、大納言の上と端ちかくて、雪山つくらせて見しほどなど、思しいづるに」と直前にある。
 雪が降るのをみて、そういえば昔、同じくらい雪が降ったときに、庭に雪山を作らせて、姉(大納言の上)と仲良く見たなあと、女君は思い出しているのである。
 この設問は、作成の先生が「アナ雪」を観たあとに作ったにちがいない、と確信した。
 ふるさとがたんに恋しいのではなく、姉との思い出がうかぶ雪の日ゆえに「なほ」恋しいから、という感じで答えを書いて、予備校さんの答えを見たら、ちょっとちがっていた。


  「広沢での生活が心細く、京の邸は姉と睦まじく過ごしたこともある場所だから。」(駿台)

  「雪によって京とのつながりも断たれたように感じて心細くなったから。」(河合)


 もう少し直接的に、眼前の「雪」と思い出の「姉」を書き入れたい。


  「姉との間に深刻な溝が生じてしまったが、今でも姉を大切に思っているから。」(東進)


 だと、前書きを受けて姉との関係性をよく表してはいるものの、傍線部(オ)そのものの理由説明としては、「不足」なのではないかと感じる。なので、


  「雪を見ると、元の家で姉と仲良く過ごした日々がしのばれるから。」(代ゼミ)


が、いちばんいいかなと思った。
 さらに言うと、「思ひいではあらし(あらじ)」、歌のあとにも「我をば、かくも思しいでじかし(お姉ちゃんは、あたしのことを、こんなには思い出してくれないだろうなあ。せつないなあ」とある。
 
 「雪が降り積もるのを見て、もう戻れない姉の元で過ごした日々が思い出されれたから」

なんてのは、どうかなと考えた。

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