水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

10月のインプット

2018年10月31日 | 演奏会・映画など

劇団新感線「メタルマクベス」@IHIシアター
 客席が360°回転するというIHIシアターを初体験してみた。最新と思われる音響・映像設備を備えている。池袋のシアターグリーンとか下北沢のいくつかとか、足を運ぶことの多い小屋とは真逆の空間で行われていたのは、お芝居というよりもアトラクションだった。もちろん、おもしろい。エンタメとしては、ほんとうにすごい。それでいて「マクベス」になってるし。若いお客さんたちは、「新感線」が小劇場からスタートしたことなど知らないにちがいない。つかこうへいなんて名前も。創設期のスタイルを頑なに守り続ける劇団もあれば、予想外の形に変わっていく劇団もある。予想外というのも観客がそう感じるだけであって、おそらく必然的な何かなのだろう。

「カレフォン」@オルタナティブシアター。
 川栄李菜ちゃん目当てで観劇。少女漫画原作で、亡くなった彼氏が電話をかけてくるという設定のお芝居で、鈴木おさむ脚本だから、どう考えても泣ける作品だろうと思ってたけど、予想以上だった。川栄さんは、舞台も上手だ。女優さんとしての充実ぶりをひしひしと観じた。

劇団ことのは「想構銀河鉄道の夜」@シアターモリエール。
 春名風花さん目当てで観劇。春名さんは声がとおりすぎるから、もっと大きな劇場の作品で見てみたい。若い役者さんたちの一生懸命さが伝わる舞台だった。役者さんたちの歌がいま一つだったのだけが残念。

「バッドジーニアス」
 台湾映画。ものすごく頭のいいヒロインが、その能力を用いて大々的なカンニングをシステム化し、それでお金儲けをする話。中国や韓国など、受験勉強が大変な国では流行るだろうなあ。日本は、一部を除いてもうそんなに受験勉強が大変なもものでなくなっている。

「音量を上げろこのタコ」
 吉岡里帆さん目当てで。う~ん、役者さんは贅沢な感じがするのだが、話としてはもうちょっと突き抜けるか、まとめるか、どっちかだったんじゃないかなあ。

「ここは退屈迎えにきて」
 橋本愛さま目当てだったが、門脇麦さん、岸井ゆきのさんという若手実力派が期待通りのお仕事をしてるし、柳ゆり菜さんもよかった。舞台の「海街Diary」を見た時、次女役の柳さんが実によかったのだが、この作品でも女帝愛様と互角の存在感だった。
 原作者の地元である富山を舞台にして、地方都市に暮らす若者の閉塞感を描く。同時に、都会に暮らしてても、けっしてそこに祭りや非日常があるわけではないことも浮かび上がる。サスペンスもラブロマンスもないけど、実によくできた作品だと思う。

「ピッチパーフェクト」
 このシリーズ三作目で最終版みたい。今までで一番よかったな。歌以外のドラマ部分がほどよく、わかりやすくあって。青春の終わりが、しみじみ描かれている。

「あいあい傘」
 宅間さんが主宰していた劇団「東京セレソンデラックス」が舞台にかけていた作品。同じ頃の「夕」は三回見てるのに、これは未見。今回は、舞台での再演と映画化が同時に行われる。まずは映画の方から。宅間さん自身が監督であるせいか、みなさんのお芝居が舞台的だった。宅間作品には客席全員が100%泣けるシーンが必ず存在するが、裏切られなかった。

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才能の正体

2018年10月31日 | 学年だよりなど

    学年だより「才能の正体」


 「ビリギャル」(『学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて慶應大学に現役合格した話』角川文庫)で有名な坪田信貴先生は、これまで1300人以上の塾生を指導してきた。
 「ビリギャル」の本がベストセラーになると、坪田先生もメジャーになる。講演会の依頼もくる。
 そして決まって、「さやかさんは、もともと頭がよかったんですよね」と質問される。
 坪田先生は「はい、そうです!」と答える。「みんな、同じように頭がいいのです」と。
 そもそも才能とは何か――坪田氏は、学生時代からこのことを考え続け、どうすれば才能を見つけられるのか、伸ばすことができるのか、試行錯誤を繰り返してきたという。


 ~ いわゆる「才能がある」と言われている人たちがいますよね。彼ら、彼女らには共通点があります。それは、みんな努力をしていることです。
 多くの人は、“あまり努力をしなくてもできちゃう人”のことを「才能がある」と言いがちではないでしょうか。
 でも、その考え方が根本的に間違っていることに、僕は気づいたのです。
 人間というのは他の動物に比べて本質的にもともと頭が良くて、脳の構造から見てもとても優秀です。つまりすべての人が、優秀と言われる可能性をもともと持っているのです。 ~


 ただ、その才能をどう見つけたらいいのかが、多くの人はわかっていない。才能をどう伸ばしていいのかも、わからない。むしろ、自分の才能を潰すようなことを、人はしてしまう。
 伸びる人と伸びない人との差は、どこにあるのか。


 ~ たくさんの子どもたちを見てきて言えるのは、勉強のやり方が間違っていたり、うまく継続できなかったり、動機付けができなくて意欲が湧かなかったり……など、いろいろな理由で、上達していかないことがあるんだということです。
 いきなり本質的なことを言いますが、自分に合っていない、ふさわしくない場所でいくら頑張っても、物事は身につきません。
 「才能がある」と言われている人たちは、
 “その人に合った”動機付けがまずあって、
 そこから“正しいやり方”を選んで、
 “コツコツと努力”を積み重ねている。
 そしてきっちりと結果を出して、そのときに初めて「才能がある」という状態になる。正確に言えば、「才能がある」と言われるようになる。 (坪田信貴『才能の正体』幻冬舎) ~


 私たちは、目に見える結果で判断する。
 結果だけを見て、「地アタマがいい人だからでしょ?」「才能のない自分にはできるはずがない」と考えてしまうのだ。

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「城の崎にて 」の授業 4

2018年10月27日 | 国語のお勉強(小説)

  四段落(9・10)


⑨  そんなことがあって、またしばらくして、ある夕方、町から小川に沿うて一人だんだん上へ歩いていった。山陰線のトンネルの前で線路を越すと道幅が狭くなって道も急になる、流れも同様に急になって、人家も全く見えなくなった。もう帰ろうと思いながら、あの見える所までというふうに角を一つ一つ先へ先へと歩いていった。物がすべて青白く、空気の肌ざわりも冷え冷えとして、もの静かさがかえってなんとなく自分をそわそわとさせた。大きな桑の木が道端にある。向こうの、道へ差し出した桑の枝で、ある一つの葉だけがヒラヒラヒラヒラ、同じリズムで動いている。風もなく流れのほかはすべて静寂の中にその葉だけがいつまでもヒラヒラヒラヒラとせわしく動くのが見えた。自分は不思議に思った。多少怖い気もした。しかし好奇心もあった。自分は下へ行ってそれをしばらく見上げていた。すると風が吹いてきた。そうしたらその動く葉は動かなくなった。原因は知れた。何かでこういう場合を自分はもっと知っていたと思った。

⑩  だんだんと薄暗くなってきた。いつまで行っても、先の角はあった。もうここらで引き返そうと思った。自分は何気なくわきの流れを見た。向こう側の斜めに水から出ている半畳敷きほどの石に黒い小さいものがいた。いもりだ。まだぬれていて、それはいい色をしていた。頭を下に傾斜から流れへ臨んで、じっとしていた。体から滴れた水が黒く乾いた石へ一寸ほど流れている。自分はそれを何気なく、しゃがんで見ていた。自分は先ほどいもりは嫌いでなくなった。とかげは多少好きだ。やもりは虫の中でも最も嫌いだ。いもりは好きでも嫌いでもない。十年ほど前によく蘆の湖でいもりが宿屋の流し水の出る所に集まっているのを見て、自分がいもりだったらたまらないという気をよく起こした。いもりにもし生まれ変わったら自分はどうするだろう、そんなことを考えた。そのころいもりを見ると〈 それが思い浮かぶ 〉ので、いもりを見ることを嫌った。しかしもうそんなことを考えなくなっていた。自分はいもりを驚かして水へ入れようと思った。不器用に体を振りながら歩く形が思われた。自分はしゃがんだまま、わきの小まりほどの石を取り上げ、それを投げてやった。自分は別にいもりをねらわなかった。ねらってもとても当たらないほど、ねらって投げることの下手な自分はそれが当たることなどは全く考えなかった。石はこツといってから流れに落ちた。石の音と同時にいもりは四寸ほど横へ跳んだように見えた。いもりはしっぽを反らし、高く上げた。自分はどうしたのかしら、と思って見ていた。最初石が当たったとは思わなかった。いもりの反らした尾が自然に静かに下りてきた。するとひじを張ったようにして傾斜に堪えて、前へついていた両の前足の指が内へまくれ込むと、いもりは力なく前へのめってしまった。尾は全く石についた。もう動かない。いもりは死んでしまった。自分はとんだことをしたと思った。虫を殺すことをよくする自分であるが、その気が全くないのに殺してしまったのは自分に妙な嫌な気をさした。もとより自分のしたことではあったがいかにも偶然だった。いもりにとっては全く〈 不意な死 〉であった。〈 自分はしばらくそこにしゃがんでいた 〉。いもりと自分だけになったような心持ちがしていもりの身に自分がなってその心持ちを感じた。かわいそうに思うと同時に、〈 生き物の寂しさ 〉をいっしょに感じた。自分は偶然に死ななかった。いもりは偶然に死んだ。自分は寂しい気持ちになって、ようやく足元の見える道を温泉宿のほうに帰ってきた。遠く町外れの灯が見え出した。死んだ蜂はどうなったか。その後の雨でもう土の下に入ってしまったろう。あのねずみはどうしたろう。海へ流されて、今ごろはその水ぶくれのした体をごみといっしょに海岸へでも打ち上げられていることだろう。そして死ななかった自分は今こうして歩いている。そう思った。自分はそれに対し、感謝しなければ済まぬような気もした。しかし〈 実際喜びの感じはわき上がってはこなかった 〉。生きていることと死んでしまっていることと、それは両極ではなかった。それほどに差はないような気がした。もうかなり暗かった。視覚は遠い灯を感ずるだけだった。足の踏む感覚も視覚を離れて、いかにも不確かだった。ただ頭だけが勝手にはたらく。それがいっそう〈 そういう気分 〉に自分を誘っていった。

⑪  三週間いて、自分はここを去った。それから、もう三年以上になる。自分は脊椎カリエスになるだけは助かった。


 事 風もなく動く葉を見る(理屈を超えたもの)
     ↓
 心 不思議・怖い・好奇心  ☆⑩の伏線

 事 自分の投げた石でいもりを殺してしまう
     ↓
 心 とんだことをした
   妙に嫌な気をさした
   いもりの不意の死を自分のことのように感じた
   生き物の寂しさを感じる
     ↓
 行 しばらくそこにしゃがんでいた

  ※さす ある種の気分・気持ちが生じる。きざしてくる。「眠けがさす「魔がさす」

 心 寂しい気持ち
    ↓
 行 ようやく宿にもどる
    ↓
 心 生への喜びはわかない
   生と死に差がない気分
     ∥
   不確かな身体感覚

Q32 「それが思い浮かぶ」とあるが、「思い浮かぶ」「考え」の具体的内容を本文から抜き出せ。
A32 いもりにもし生まれ変わったら自分はどうするだろう

Q33 「脇の小まりほどの石を取り上げ、それを投げてやった」という「自分」の行動の結果、「いもり」に何が訪れたか。文中の四文字を抜き出して答えよ。
A33 不意の死

Q34 「生き物の寂しさ」とあるが、どういう点が「寂しい」のか。15字以内で述べよ。
A34 生死が偶然に支配されている点。

Q35 「自分はしばらくそこにしゃがんでいた」とあるが、なぜか。60字以内で説明せよ。
A35 いもりの訪れた不意の死を自分の身に起こったことのように感じ、
   生死が偶然に支配される生き物の寂しさをしみじみと感じたから。

「実際喜びの感じはわき上がってこなかった」について、
Q36 何に対しての「喜び」か。10字程度で記せ。
A36 自分が死ななかったこと

Q37 なぜ「わき上がってこな」いのか。25字以内で記せ。
A37 生と死にそれほど差がないように感じているから。

Q38  「そういう気分」とはどういう気分か。25字以内で記せ。
A38  生と死を差がないもののようにとらえてしまう気分。


Q39 「脊椎カリエスになるだけは助かった」のあとに「しかし」と接続詞をいれ、続く一文を想定してみよ。
A39 しかし、死と生とを同じように考える気持ちは変わらないままである。


        出来事 → 心境

一 一人静かに養生する → 静かないい気持ち

二 死んだ蜂を見る → 死の静かさに親しみを感じる

三 死ぬ直前のねずみを見る → 死の動騒に嫌な気分になる

四 いもりを偶然殺してしまう → 死の偶然性に生き物の寂しさを感じる

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「城の崎にて」の授業 3

2018年10月26日 | 国語のお勉強(小説)

  三段落(8)

8  蜂の死骸が流され、自分の眼界から消えて間もないときだった。ある午前、自分は円山川、それからそれの流れ出る日本海などの見える東山公園へ行くつもりで宿を出た。「一の湯」の前から小川は往来の真ん中を緩やかに流れ、円山川へ入る。ある所まで来ると橋だの岸だのに人が立って何か〈 川の中の物 〉を見ながら騒いでいた。それは大きなねずみを川へ投げ込んだのを見ているのだ。ねずみは一生懸命に泳いで逃げようとする。ねずみには首の所に七寸ばかりの魚ぐしが刺し通してあった。頭の上に三寸ほど、のどの下に三寸ほどそれが出ている。ねずみは石垣へはい上がろうとする。子供が二、三人、四十ぐらいの車夫が一人、それへ石を投げる。なかなか当たらない。カチッカチッと石垣に当たって跳ね返った。見物人は大声で笑った。ねずみは石垣の間にようやく前足をかけた。しかし入ろうとすると魚ぐしがすぐにつかえた。そしてまた水へ落ちる。ねずみはどうかして助かろうとしている。顔の表情は人間にわからなかったが〈 動作の表情に、それが一生懸命であることがよくわかった 〉。ねずみはどこかへ逃げ込むことができれば助かると思っているように、長いくしを刺されたまま、また川の真ん中のほうへ泳ぎ出た。子供や車夫はますますおもしろがって石を投げた。わきの洗い場の前で餌をあさっていた二、三羽のあひるが石が飛んでくるのでびっくりし、首を伸ばしてきょろきょろとした。スポッ、スポッと石が水へ投げ込まれた。あひるは頓狂な顔をして首を伸ばしたまま、鳴きながら、せわしく足を動かして上流のほうへ泳いでいった。自分はねずみの最期を見る気がしなかった。ねずみが殺されまいと、死ぬに決まった運命を担いながら、全力を尽くして逃げ回っている様子が妙に頭についた。自分は寂しい嫌な気持ちになった。〈 あれが本当なのだと思った 〉。自分が願っている静かさの前に、ああいう苦しみのあることは恐ろしいことだ。死後の静寂に親しみを持つにしろ、死に到達するまでのああいう動騒は恐ろしいと思った。自殺を知らない動物はいよいよ死に切るまでは〈 あの努力 〉を続けなければならない。今自分にあのねずみのようなことが起こったら自分はどうするだろう。自分はやはりねずみと同じような努力をしはしまいか。自分は自分のけがの場合、〈 それに近い自分 〉になったことを思わないではいられなかった。自分はできるだけのことをしようとした。自分は自身で病院を決めた。それへ行く方法を指定した。もし医者が留守で、行ってすぐに手術の用意ができないと困ると思って電話を先にかけてもらうことなどを頼んだ。半分意識を失った状態で、いちばん大切なことだけによく頭のはたらいたことは自分でも後から不思議に思ったくらいである。しかもこの傷が致命的なものかどうかは自分の問題だった。しかし、致命的のものかどうかを問題としながら、ほとんど死の恐怖に襲われなかったのも自分では不思議であった。「フェータルなものか、どうか?  医者はなんと言っていた?」こうそばにいた友にきいた。「フェータルな傷じゃないそうだ。」こう言われた。こう言われると自分はしかし急に元気づいた。興奮から自分は非常に快活になった。フェータルなものだともし聞いたら自分はどうだったろう。〈 その自分 〉はちょっと想像できない。自分は弱ったろう。しかしふだん考えているほど、死の恐怖に自分は襲われなかったろうという気がする。そして〈 そう 〉言われてもなお、自分は助かろうと思い、何かしら努力をしたろうという気がする。〈 それ 〉はねずみの場合と、そう変わらないものだったに相違ない。で、また〈 それ 〉が今来たらどうかと思ってみて、なおかつ、あまり変わらない自分であろうと思うと「あるがまま」で、気分で願うところが、そう実際にすぐは影響はしないものに相違ない、しかも〈 両方 〉が本当で、影響した場合は、それでよく、しない場合でも、それでいいのだと思った。それはしかたのないことだ。


Q22 「川の中の物」とは何か。15字以内で記せ。
A22 川に投げ込まれた大きなねずみ。

Q23 「動作の表情に、それが一生懸命であることがよくわかった」とはどういうことか。次の文の空欄に本文中の語を補って答えよ。
    ねずみの(  )には、(  )という(  )な気持ちがよく表れていた、ということ。
A23 動作・どうかして助かろう・一生懸命。

Q24 「あの努力」とはどういう「努力」か。40字以内で説明せよ。
A24 死ぬと決まった運命を担いながらも、全力を尽くしてその死から逃げ回る努力。

Q25 「あれが本当なのだと思った」とは、どういうことか。60字以内で説明せよ。
A25 生き物は、死ぬと決まった運命を担いながらも、
    全力を尽くしてその死から逃げようとするのが現実の姿であると
    気づいたということ。

Q26 「それに近い自分」とはどのような自分か。20字以内で記せ。
A26 ねずみと同じような努力をする「自分」。

Q27 「両方」とは何と何か、説明せよ。本文の語を用いて、30字以内で説明せよ。
A27 気分で願うところが、実際に影響する場合と、影響しない場合。

Q28 それぞれの指示内容を説明せよ。
A28 その自分  … フェータルだと言われた自分
     そう … 自分のけががフェータルなものだということ
     それ … 死ぬとわかっていても、死なない努力をすること
     それ … フェータル(致命的)な大けがをすること

Q29 「あるがまま」の反対語は何か。
A29 努力

Q30 「『あるがまま』で、気分で願うところが、そう実際にすぐは影響はしない」とはどういうことか。70字以内で説明せよ。
A30 内心は死に対する親しみをもち、静かに死を受け入れたいと思っていていても、
   実際に死に直面した場合には、反対の行動をとるかもしれないということ。


Q31 「両方」とは何と何か。
A31 気分で願うところが影響し落ち着いて死を受け入れる場合と、
   影響せずに全力を尽くして死なない努力をすること。


事 殺されかけ逃げ回るねずみを見る
       ↓
心 寂しい嫌な気持ち
  あれが本当なのだ

  川に投げ込まれたねずみ
    ↓
  どうかして助かろうと努力する
    ∥
  大けがをした時の自分
    ↓
  できるだけのことをしようと努力する
    ↑
    ↓
 (今)「あるがまま」気分で願う

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「城の崎にて 」の授業 2

2018年10月25日 | 国語のお勉強(小説)

  二段落(4~7)


4  自分の部屋は二階で、隣のない、わりに静かな座敷だった。読み書きに疲れるとよく縁のいすに出た。わきが玄関の屋根で、それが家へ接続する所が羽目になっている。その羽目の中に蜂の巣があるらしい。虎斑の大きな太った蜂が天気さえよければ、朝から暮れ近くまで毎日忙しそうに働いていた。蜂は羽目のあわいからすり抜けて出ると、ひとまず玄関の屋根に下りた。そこで羽や触角を前足や後ろ足で丁寧に調えると、少し歩き回るやつもあるが、すぐ細長い羽を両方へしっかりと張ってぶーんと飛び立つ。飛び立つと急に早くなって飛んでいく。植え込みのやつでの花がちょうど咲きかけで蜂は〈 それ 〉に群がっていた。自分は退屈すると、よく欄干から蜂の出入りを眺めていた。
5  ある朝のこと、自分は一匹の蜂が玄関の屋根で死んでいるのを見つけた。足を腹の下にぴったりとつけ、触角はだらしなく顔へ垂れ下がっていた。〈 ほかの蜂はいっこうに冷淡だった 〉。巣の出入りに忙しくそのわきをはい回るが全く〈 拘泥 〉する様子はなかった。忙しく立ち働いている蜂はいかにも生きているものという感じを与えた。そのわきに一匹、朝も昼も夕も、見るたびに一つ所に全く動かずにうつ向きに転がっているのを見ると、〈 それ 〉がまたいかにも死んだものという感じを与えるのだ。それは三日ほどそのままになっていた。それは見ていて、いかにも静かな感じを与えた。寂しかった。ほかの蜂がみんな巣へ入ってしまった日暮れ、冷たい瓦の上に一つ残った死骸を見ることは寂しかった。しかし、それはいかにも静かだった。

Q12 「それ」とは何か。20字以内で記せ。
A12 ちょうど咲きかけの植え込みのやつでの花

Q13 「ほかの蜂はいっこうに冷淡だった」に用いられている表現技法は何か。
A13  擬人法

Q14 「拘泥」の読み方と意味を記せ。
A14  こうでい こだわること

Q15 「それ」とは何か。25字以内で記せ。
A15  一つ所に全く動かずにうつ向きに転がっている蜂。

Q16 「自分」が「蜂の死骸」を気にかけていることが表されている表現を5段落から抜き出せ。
A16  朝も昼も夕も、見るたびに


 行 蜂の出入りを眺める
     ↓
 事  死んだ蜂 を見かける ←→ 生きてはたらいている蜂
     ∥                                ∥
   いかにも死んだもの          いかにも生きているもの
          ↓
 行 朝昼晩見る
          ↓
 心  寂しかった いかにも静かだった


6  夜の間にひどい雨が降った。朝は晴れ、木の葉も地面も屋根もきれいに洗われていた。蜂の死骸はもうそこになかった。今も巣の蜂どもは元気に働いているが、死んだ蜂は雨どいを伝って地面へ流し出されたことであろう。足は縮めたまま、触角は顔へこびりついたまま、たぶん泥にまみれてどこかでじっとしていることだろう。外界にそれを動かす〈 次の変化 〉が起こるまでは死骸はそこにじっとしているだろう。それともありに引かれていくか。〈 それにしろ、それはいかにも静かであった 〉。せわしくせわしく働いてばかりいた蜂が全く動くことがなくなったのだから静かである。自分はその静かさに親しみを感じた。自分は『范の犯罪』という短編小説をその少し前に書いた。范という中国人が過去の出来事だった結婚前の妻と自分の友達だった男との関係に対する嫉妬から、そして自身の生理的圧迫もそれを助長し、その妻を殺すことを書いた。それは范の気持ちを主にして書いたが、しかし今は范の妻の気持ちを主にし、しまいに殺されて墓の下にいる、その静かさを自分は書きたいと思った。
7  「殺されたる范の妻」を書こうと思った。それはとうとう書かなかったが、自分には〈 そんな要求 〉が起こっていた。〈 その前からかかっている長編 〉の主人公の考えとは、それは大変違ってしまった気持ちだったので弱った。


Q17 「次の変化」とあるが、「蜂の死骸」を動かした最初の「変化」は何か。10字程度で記せ。
A17  夜の間に降ったひどい雨

Q18 「aそれにしろ、bそれはいかにも静かであった」とあるが、二つの「それ」がさしている内容を、それぞれ示せ。
A18  a 蜂の死骸がありに引かれていくこと。
   b 蜂の死骸

「そんな要求」について、

Q19 どんな要求か。20字以内で記せ。
A19「殺されたる范の妻」を書こうという要求。

Q20 なぜそのような要求が起きるのか。20字以内で説明せよ。
A20  死の静かさに親しみを感じていたから。

Q21 「その前からかかっている長編」は、どのような作品だと推定できるか
A21 生への希望を見いだす主人公を描く作品


 事  死んだ蜂は流されてしまった

 心  死んだ蜂の静かさに親しみ
          ↓
  「殺されたる范の妻」を書こうという要求
     ∥
    死の静かさに対する親しみ
     ↑
         ↓
  その前からかかっている小説「暗夜行路」
   出生の秘密・妻の不義に悩む主人公が、
   最後はすべてを受け入れて生きようとする作品

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才能をつくる

2018年10月24日 | 学年だよりなど

    学年だより「才能をつくる」


 「絶対音感」という能力がある。世の中のありとあらゆる音を聞き分け、これはド、これはソ、これはミとファが混じった音と聞き分け、演奏という形で再現することもできる能力だ。
 有名な音楽家でも、持っている人と持ってない人がいる。
 数十年前までは、天賦の才能の一つとされていたものだが、現在では「適切な経験と訓練」によってたいていの人が習得できる能力と考え始められている。
 バイオリンややチェロの演奏家になるには、左手の動きに徹底的な訓練が必要となる。
 プロの弦楽器奏者の脳を調べてみると、左手をコントロールする脳の領域が、一般人と比較して圧倒的に大きくなっていることがわかってきた。


 ~ 音楽のトレーニングはさまざまなかたちで脳の構造や機能を変え、その結果として音楽を演奏する能力が向上する。言葉を変えれば、効果的な練習をすると、単に楽器の弾き方が身につくだけではない。演奏する能力そのものが高まるのだ。効果的な練習は、音楽を演奏するときに使う脳の領域を作り替え、ある意味では自らの音楽の「才能」を高める作業にほかならない。 (アンダース・エリクソン『超一流になるのは才能か努力か?』文藝春秋 ~


 音楽家は、演奏技能を習得するためだけに練習しているのではない。
 持って生まれた脳では不可能な演奏をするために、自分で自分の脳を作り変えているのだ。
 その結果として、彼らの演奏は人の心をうつものになる。
 聴いている側は、想像もできない美しい世界に連れて行かれ、彼らは常人にはない天賦の才能をもつ人たちだと判断する。
 実際には、常人が想像しづらいほどの練習を積んだ結果として、その演奏が生まれたのだ。
 振り返ってみると、入学したときと比べて、卒業時にはおどろくほど伸びていたと感動した先輩達を、何人も思い浮かべることができる。勉強でも部活でも。
 入学時の能力からは想像もできないレベルに達していったその姿は、「適切な経験と訓練」で中身自体が変わったからだと考えれば、納得できる。
 天から与えられたものが「才能」ではない。
 それを自分でどれくらい変えられたかによって、その人の才能の総量が決まる。
 「与えられたもの」ではなく、「自分で作るもの」と考えることができるなら、勉強や練習の方法論も変わってくるはずだ。
 どんな分野においても、ある能力を開発するために長期間にわたって訓練を続けると、それに関係する脳の領域に変化が生じる。
 脳そのものを自分で変えれるなら、「無限の可能性」という言葉さえ絵空事でなくなる。
 環境をかえることは難しい。この学校で学ぶこと、住んでいる場所、家族……。体型、容姿、性格といった自分もなかなか変えにくい。
 勉強で脳を変えることができるのなら、勉強こそ人生を変える手段といえる。

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「城の崎にて 」の授業 1

2018年10月23日 | 国語のお勉強(小説)

一段落(1~3)

1  山の手線の電車に跳ね飛ばされてけがをした、その後養生に、一人で但馬の城崎温泉へ出かけた。背中の傷が脊椎カリエスになれば致命傷になりかねないが、そんなことはあるまいと〈 医者に言われた 〉。二、三年で出なければ後は心配はいらない、とにかく要心は肝心だからと言われて、それで来た。三週間以上――我慢できたら五週間くらいいたいものだと考えて来た。
2  頭は〈 まだなんだかはっきりしない 〉。物忘れが激しくなった。しかし気分は近年になく静まって、落ち着いたいい気持ちがしていた。稲の取り入れの始まるころで、気候もよかったのだ。
3  一人きりでだれも話し相手はない。読むか書くか、ぼんやりと部屋の前のいすに腰かけて山だの往来だのを見ているか、それでなければ散歩で暮らしていた。散歩する所は町から小さい流れについて少しずつ上りになった道にいい所があった。〈 山のすそを回っている 〉辺りの小さなふちになった所にやまめがたくさん集まっている。そしてなおよく見ると、足に毛の生えた大きな川がにが石のようにじっとしているのを見つけることがある。夕方の食事前にはよくこの道を歩いてきた。冷え冷えとした夕方、寂しい秋の山峡を小さい清い流れについていくとき考えることはやはり沈んだことが多かった。寂しい考えだった。しかし〈 それ 〉には静かないい気持ちがある。自分はよくけがのことを考えた。一つ間違えば、今ごろは青山の土の下にあお向けになって寝ているところだったなど思う。青い冷たい堅い顔をして、顔の傷も背中の傷もそのままで。祖父や母の死骸がわきにある。それももうお互いに何の交渉もなく、――〈 こんなこと 〉が思い浮かぶ。それは寂しいが、それほどに自分を恐怖させない考えだった。〈 いつかはそうなる 〉。それがいつか?――今まではそんなことを思って、その「いつか」を知らず知らず遠い先のことにしていた。しかし今は、それが本当にいつか知れないような気がしてきた。自分は死ぬはずだったのを助かった、何かが自分を殺さなかった、自分にはしなければならぬ仕事があるのだ、――中学で習った『ロード・クライブ』という本に、クライブがそう思うことによって激励されることが書いてあった。実は自分も〈 そういうふうに危うかった出来事を感じたかった 〉。そんな気もした。しかし〈 妙に自分の心は静まってしまった 〉。自分の心には、何かしら死に対する親しみが起こっていた。

Q1 「医者に言われた」とあるが、医者の話を二つ抜き出し、最初と最後の5字ずつを記せ。
A1  背中の傷が ~ はあるまい   二、三年で ~ 肝心だから
 
Q2 「まだなんだかはっきりしない」とあるが、いつ以来こうなのか。20字以内で記せ。
A2  電車に跳ね飛ばされてけがをして以来。

Q3 「山の裾を回っている」の主語を本文中から抜き出せ。
A3  小さい流れ

Q4 「それ」の指す内容を本文中から抜き出せ。
A4  寂しい考え

Q5 「こんなこと」の指す内容を本文中から抜き出し、最初と最後の5字ずつを記せ。
A5  青い冷たい~交渉もなく

Q6 「いつかはそうなる」とあるが、どうなることか。10字以内で記せ。
A6  自分が死ぬこと。

Q7 「そういうふうに危うかった出来事を感じたかった」とあるが、「どういうふう」にか。
   該当する部分を本文中から抜き出し、最初と最後の五字ずつを記せ。
A7  自分は死ぬ~があるのだ

「妙に自分の心は静まってしまった」について、

Q8 その理由と考えられる一文を抜き出せ。
A8  自分の心には、何かしら死に対する親しみが起こっていた。

Q9 なぜ「妙」だというのか。60字以内で説明せよ。
A9  せっかく事故から助かったにもかかわらず、それを前向きにとらえるよりも、
   むしろ死に対する親しみを感じているから。

Q10  城の崎温泉に来てからの「自分」の心境を端的に表す語を文中から10字で抜き出せ。
A10  落ち着いたいい気持ち

Q11「妙に自分の心は静まってしまった」とはどのような心境か、80字以内で説明せよ。
A11 大事故をきっかけに、自らの死を現実感のともなった身近なものと感じるようになり、
   恐怖よりも親しみさえ感じている自分にとまどいながらも、素直に受け入れている状態。


事件 電車事故のけが
     ↓
   城崎温泉での後養生  ☆作者の実体験に基づく
     ↓
心情  落ち着いたいい気持ち
          ↓
行動 一人で寂しく過ごす
      沈んだことを考える
     ↓
心情 静かないい気持ち
   死に対する親しみ

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努力と才能

2018年10月22日 | 学年だよりなど

  学年だより「努力と才能」


 「落合陽一は誰よりも研究しているし秋元康は誰よりも詞を書いている……」と述べる箕輪厚介氏も、傍から見れば圧倒的な努力をしている編集者だ。
 しかし、彼らは努力しようとしているのだろうか。


 ~ SHOWROOM前田裕二の実像は、「芸能人と付き合う華々しいスーパー金持ち」なんかでは決してない。彼は会食して3次会まで付き合ったあと、そこから近場のカフェに移動して朝5時まで仕事をしている。そして翌朝9時には会議に出ている。「こんなに自分に負荷をかけてまで、この人は何を成し遂げたいのか」と思うほどだ。 (箕輪厚介『死ぬこと以外かすり傷』) ~


 「努力しよう」「やらなければならない」という感覚では、おそらく成功者と言われる人たちのような暮らしは成り立たない。
 それはスポーツや芸術の世界でも同じだ。
 プロとして活躍できる人、中でも一流とよばれるプレイヤーたちは、「圧倒的な努力」をしている、……ように見える。
 おそらく彼らの中では、それは日常であり、歯磨きをしないと気持ち悪いのと同じように、ふつうに練習しているだけだ。
 彼らのしていることを「努力」とよんでいる時点で、私たちは凡人なのかもしれない。
 彼らには「才能」があったから成功できたのだとも、凡人はいう。
 有名なピアニストになれるのは特別な才能をもつ人だけ、ノーベル賞に輝くような科学者になれるのは生まれつき頭のいい人だけ、プロスポーツのトッププレーヤーになれるのは類い希な運動センスと能力を生まれ持った人だけ……。
 もちろん、学問も芸術もスポーツも、努力によって一定のレベルには達することができる、しかしプロレベルに達するには持って生まれた才能が必要だと。
 才能についての私たちの理解は、いや科学研究の世界でも、このように考えられていた。
 人間の脳は、生まれたときから回路はほぼ決まっていて、そのあり方で発現する能力も決まる。
 それぞれの回路に適した練習を積むことによって発揮されるのが才能であると。


 ~ 脳の研究者は1990年代以降、脳には(たとえ成人のものであっても)それまでの想定をはるかに超える適応性があり、それゆえにわれわれは脳の能力を自らの意思でかなり変えられる、ということを明らかにしてきた。とりわけ重要なのは、脳は適切なトリガー(きっかけ)に反応し、さまざまなかたちで自らの回路を書き換えていくことだ。ニューロン(神経単位)の間に新たな結びつきが生じる一方、既存の結びつきは強まったり弱まったりするほか、脳の一部では新たなニューロンが育つことさえある。 (アンダース・エリクソン『超一流になるのは才能か努力か?』文藝春秋)
 ~

 最近の科学研究では、従来の常識が覆されているのだ。

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地味な努力

2018年10月16日 | 学年だよりなど

  学年だより「地味な努力」


 堀江貴文『多動力』、佐藤航陽『お金2.0  新しい経済のルールと生き方』、落合陽一『日本再興戦略』……。みなさんにはなじみがないかもしれないが、今年のビジネス書のベストセラーだ。これらを生み出し続けている幻冬舎の編集者、箕輪厚介氏が、こう語る。

 

 ~ 『多動力』が30万部を超えるベストセラーになって、ひとつの弊害が生まれた。
 ツィッターを眺めていると「つまらないから仕事辞めました! これぞ『多動力』」みたいな発言をよく目にする。
 各業界の縦の壁が溶けていくこれからの時代において、一つの仕事に縛られず、あれもこれも手を出してみる力は間違いなく重要だ。
 しかし、結局一つの道で頭角を現さないとどうしようもない。
 一つのことを突き詰めもせずツマミ食いしても、単なる器用貧乏になってしまう。 ~


 文芸誌『小説幻冬』に、売れっ子放送作家の鈴木おさむ氏が小説の連載をもっている。森三中・大島さんの旦那さんと言った方が伝わるだろうか。
 鈴木氏がAbemaTVで72時間テレビを制作している最中に、箕輪氏に連絡があった。


 ~ 芸能界の歴史に残るような番組を寝ずに作っているわけで、今月は連載を飛ばしでも仕方がないなと思っていた。
 すると、深夜におさむさんから「ごめん! 72時間テレビで膨大な時間を使っていた。いまから原稿書くから待ってて。絶対に飛ばさないから」というLINEが来たのだ。僕はそれを読んだ瞬間、その狂気に身震いした。
 聞けば、今までに原稿を飛ばしたことは一回もないらしいのだ。
 ここがすべての真実だと思う。あらゆることを手掛け何でも屋さんに見えるような人でも、トップに居続ける人は地味なことを誰よりもやり続けている。
 落合陽一は誰よりも研究しているし秋元康は誰よりも詞を書いている。
 いわゆる成功者を見るとき「勝ち組でうらやましいな」と思うかもしれない。
 だが彼らの本を作りながら、間近で見ていて僕はいつも思う。
「これだけ血の滲(にじ)むような圧倒的努力をしていたら、そりゃ成功するに決まっているわ」と。 (箕輪厚介『死ぬこと以外かすり傷』マガジンハウス) ~


 箕輪氏自身の仕事ぶりが、「狂気」を感じさせる。あちこち仕事を移り変わる「他動」ではなく、業界の先例や先入観にとらわれることなく、やりたいことに取り組み、徹底してやり遂げるという意味での他動力を発揮し続けているのだ。
 地味な努力をし続ける力、それは勉強や部活を(もちろんそれ以外でもいい)徹底してやり続ける力と、性質は同じだ。やり続けられる体質は、訓練で作ることができる。

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文系・理系(2)

2018年10月10日 | 学年だよりなど

    学年だより「文系・理系(2)」


 日本には、一般的な「会社」の意味で用いられる法人企業が、およそ170万社あるという。
 みなさんはそのうちいくつの会社名を言えるだろう。せいぜい何十社ではないか。
 職業自体の数は2万種とも3万種とも言われるが、そのうちのいくつを羅列することができるだろう。がんばっても百の大台にのせるのは難しいのではないか。
 それは大人も同じだ。世の中で幅広く活躍しているような人でも、ありとあらゆる職種を知っているわけでないし、まして体験していることはあり得ない。
 われわれ教員も、みなさんの親御さんも、その知識はかぎられているし、情報は古くなっている。
 知っている会社が数十社、知っている仕事は数十種という状態で、数年後には就職活動をすることになる。
 自分の知識の範囲内で仕事を選ぼうとしたら、行き詰まるのは目に見えている。
 まして現状の過小な知識量に基づいて大学や学部を選ぼうとするなど、無意味としか言えない。
 仕事や業種を調べてみることは大切だが、全てを知り尽くすことはできない。
 紙やネットの情報で知識だけを増やしたところで、表面的な理解でしかない。
 今すべきことは、どんな仕事に就いても力を発揮できる人間になろうとすることだ。
 そのためには、自分の体力、知力を根本的に高めていく必要がある。
 人としての容れ物が大きい人には、自然とそれに見合った役割が与えられるものだからだ。


 ~ よく天職が見つからないと言う人がいますが、何か特別なものを探そうとしている時点でダメだと思う。まずは「自分の内部の声に耳を澄ませよ」って言いたい。そこから見えてくるよと。そして見えてきたことに対して、とことんバカになって入れ上げて欲しい。別に仕事でなくてもいい、異性でも麻雀(マージャン)でも何でも。
 人が入れ上げたものというのは、生涯の中で必ず報われます。その時は何かのためにやっていたわけでなくても、一生懸命打ち込んだことで報われないものはない。実際、僕は高校時代に入れ上げたものがいろいろ生きています。
 例えば音楽。ビートルズが大好きで受験勉強もそっちのけでのめり込んでいました。歌詞を丸暗記したり、訳したり、東京のファンクラブと交信したり。本当に夢中だった。それはその場では生きてこない。でも、あれだけビートルズに入れ上げた時間や思い入れが僕の体の中に宿っているから、音楽の素養がなくても、日本のそうそうたるミュージシャンたちと対等な関係を築けたわけです。  … だから何でもいい、何かに入れ上げ、熱中して欲しい。壁にぶつかっても、逃げずにもがき悩み抜け。それがどれだけ大事なことかを思い知る時は必ず訪れます。 (見城徹「七転八倒こそ 仕事の正しい姿勢だ」朝日新聞) ~


 勉強も、部活も、人としての容れ物を大きくするためには、ものすごく効果的だ。
 ただし徹底的にやらないといけない。中途半端な勉強経験しかしていないと、大人になってから「高校時代の勉強に意味がなかった」と言う人になってしまう。ちゃんとやればそんなことはない。

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