1学年だより「文学部になんか(2)」
~ 「最初から言ってくれよ、文学なんか勉強しても社会で何も必要とされてないって」 ~
まさに、そのとおりだ。「源氏物語」の研究しました、専門は「安部公房」です、「ルネサンス時代の詩の研究」をしました……。どれも社会では求められていない。
経済学部でケインズの理論を身に付けました、法学部で近世の法制史を研究しました、理学部で地球資源学を学びました……。これらも求められていない。
もちろん、ごく一部のきわめて高い能力を持つ限られた学生さんは、研究開発的な部署に就職できるかもしれない。運がよければ、その知識を教える仕事につけるかもしれない。
でも、ほとんどの人にとって、「大学で学んだ内容」自体は就職に役に立たない。
かりに就職して、それを直接役に立てようという新入社員がいたら、会社は迷惑だ。
たかだか四年間の勉強が効果的に作用するほど、実社会は甘くはないからだ。
そもそも「学問」は、実社会ですぐに役立つ性質のものではない。
もし役立つとしたら学問ではない。社会ですぐに役立つ分野は、専門学校でなら学べる。
「ガクチカ」には、「ちょー勉強やりました! 勉強ばかりやってました」と、堂々と書けばいい。
せめて中谷彰宏『面接の達人』を読めばよかったかもしれない。「社会で文学の知識は求められてないけど、それを十分に身に付けられる勉強力は求められる!」と気づくだろうから。
~ だれか途中でせめて軌道修正してほしかった、叱ってほしかった、もっと真面目に将来のことを考えろって。今のままじゃ、社会は誰も今のお前を必要としないよって。こうして高学歴こじらせ人間が爆誕しました。今までの人生何だったのか。私が大切に持ち続けていた成績という武器は、もうどこにも通用しない。~
「成績」が通用すると思っている世界からは、早く脱すべきだった。
大学の勉強はすぐには役に立たない。しかし、勉強で身に付けた情報処理能力や、ぜいたくな時間を過ごした経験は、なくならない。
学問を通じて、ものごとの「見方」「切り口」を一つ身に付けるだけで、世界の見え方は変わる。
目先の利益だけでなく、広く世の中や歴史を見渡せそうな若者は、求められている。
たとえば、私大の文学部を卒業して、人気の会社に入っていく学生はたくさんいる。どこも「文学」とは無縁の職種だが。ブログの彼(彼女?)の学生さんが旧帝大生なら、いくらでも就職先はあるだろう。
文学と全く関係ない仕事をしていても、働いているうちに、大学で学んだことそのものが役に立つような場面にでくわすことが、いつかあるだろう。その時はじめて、その人のオリジナリティが発揮される。そのレベルになるまでは、辞めずに働いた方がいい。
問題は「文学部」にはない。「よく考えた上で大学に行こうと思う人だけが受験してくれますと大学教員としては助かります」と、増田先生の言葉を読みかえないといけないのだ。
~ 「最初から言ってくれよ、文学なんか勉強しても社会で何も必要とされてないって」 ~
まさに、そのとおりだ。「源氏物語」の研究しました、専門は「安部公房」です、「ルネサンス時代の詩の研究」をしました……。どれも社会では求められていない。
経済学部でケインズの理論を身に付けました、法学部で近世の法制史を研究しました、理学部で地球資源学を学びました……。これらも求められていない。
もちろん、ごく一部のきわめて高い能力を持つ限られた学生さんは、研究開発的な部署に就職できるかもしれない。運がよければ、その知識を教える仕事につけるかもしれない。
でも、ほとんどの人にとって、「大学で学んだ内容」自体は就職に役に立たない。
かりに就職して、それを直接役に立てようという新入社員がいたら、会社は迷惑だ。
たかだか四年間の勉強が効果的に作用するほど、実社会は甘くはないからだ。
そもそも「学問」は、実社会ですぐに役立つ性質のものではない。
もし役立つとしたら学問ではない。社会ですぐに役立つ分野は、専門学校でなら学べる。
「ガクチカ」には、「ちょー勉強やりました! 勉強ばかりやってました」と、堂々と書けばいい。
せめて中谷彰宏『面接の達人』を読めばよかったかもしれない。「社会で文学の知識は求められてないけど、それを十分に身に付けられる勉強力は求められる!」と気づくだろうから。
~ だれか途中でせめて軌道修正してほしかった、叱ってほしかった、もっと真面目に将来のことを考えろって。今のままじゃ、社会は誰も今のお前を必要としないよって。こうして高学歴こじらせ人間が爆誕しました。今までの人生何だったのか。私が大切に持ち続けていた成績という武器は、もうどこにも通用しない。~
「成績」が通用すると思っている世界からは、早く脱すべきだった。
大学の勉強はすぐには役に立たない。しかし、勉強で身に付けた情報処理能力や、ぜいたくな時間を過ごした経験は、なくならない。
学問を通じて、ものごとの「見方」「切り口」を一つ身に付けるだけで、世界の見え方は変わる。
目先の利益だけでなく、広く世の中や歴史を見渡せそうな若者は、求められている。
たとえば、私大の文学部を卒業して、人気の会社に入っていく学生はたくさんいる。どこも「文学」とは無縁の職種だが。ブログの彼(彼女?)の学生さんが旧帝大生なら、いくらでも就職先はあるだろう。
文学と全く関係ない仕事をしていても、働いているうちに、大学で学んだことそのものが役に立つような場面にでくわすことが、いつかあるだろう。その時はじめて、その人のオリジナリティが発揮される。そのレベルになるまでは、辞めずに働いた方がいい。
問題は「文学部」にはない。「よく考えた上で大学に行こうと思う人だけが受験してくれますと大学教員としては助かります」と、増田先生の言葉を読みかえないといけないのだ。