水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

石川直さん

2011年07月25日 | おすすめの本・CD

  打楽器パートだけ一泊先行して合宿開始。
 打楽器パートの新しいエチュードにしようと思って勝った石川直さんの本『Mastering Rudiments』。
 ドラムのきめ細かなエクササイズが山ほどつまっているのだが、練習や音楽に対する考え方を述べた第2章は、打楽器パートだけではなく、全部員が読むべき内容だった。
 「成長する者としない者の違いは、ひとえに『考え方』にある」という言葉で二章がはじまり、上達のしかた、目標の立て方、日々の暮らし方など、「ドラム」を他の楽器におきかえてすべて成り立つ。
 いやむしろ、人生全般への考え方と見てもいい。
 成長するためには「情報・環境・時間」の三つが必要という話とか、楽器演奏にかぎらずすべてに通じる話が凝縮されている。


 ~ 世の中には、問題が自分の基盤の弱さにあると気付かずに石を積み上げ続け、不安定さを感じたときに下には戻らず、今いるその十何段目かだけをひたすら固めようとする人がいる。要するに、たとえば難しい技が上手く叩けないとき、基礎の見直しをせずに、ひたすらその難しいエクササイズばかりを繰り返して人。それでは問題はいつまでたっても解決しない。(石川直『Mastering Rudiments』) ~


 打楽器の教則本を買ったつもりで、こんなに内容の濃い数頁を手に入れることができるとは思わなかった。

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7月24日

2011年07月24日 | 日々のあれこれ

 ~ トーマス・エジソンは「成功とは99%の汗と1%の才能だ」と言ったそうですが、僕は98%の運と1%の汗と1%の才能だと思います。僕より才能のある人はいっぱいいますし、僕より努力している人もいっぱいいるけれど、たまたま僕がこういう仕事を続けられているのは、98%の運に支えられているからです。(『秋本康の仕事学』) ~

 秋本康氏は、謙虚さを装っているのではなく、本気で98%は運だと思っていると思う。
 ただ、氏の言う「1%の汗と1%の才能」の「1%」の量が、人によってまったく違う。
 秋本氏の「1%」と任意の誰かの「1%」を比較したら、50と100とかのちがいではなく、たぶん1と1億ぐらい違うこともあるはずだ。
 ていうか、我々一般人は、気をつけないと努力の方向性がまちがっていることがあるから、マイナスの場合があるのだ。すると運がどれだけあっても成功ラインを超えなくなる。
 でも、98%が運というのも一面は真理かもしれないと思う。
 だって正しい努力をしててもしてなくても、人生そのものが予期しないタイミングで幕を閉じさせられることがあるのを、数ヶ月前にまざまざと実感させられたから。
 震災ではなくてもそういう出来事はあるのだ。
 たまたま身近にそういう例がないと忘れているけど、ときどき唖然とさせられる時がある。
 運の前に人間はあまりにも無力で、悲しむ力さえわいてこない。
 自分に与えられた人生がたまたま長らえていて、たまたまどこで途切れるのかわからないなら、やはりへんにかっこつけず好きに生きていたいと思う

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アイアムナンバー4

2011年07月24日 | 演奏会・映画など

 昨日、なんとなくぼおっとしてしまい、映画館のシートにただぐだっと座りたいだけが理由で南古谷ウニクスにいき、ぜひ観たいと思っていたわけでもない「アイアムナンバー4」を観たら、けっこう楽しかった。
 故郷の星を追われ地球にやってきた若者と、それを見つけて殺そうとする別の星人との戦いというストーリーが一本ある。
 ただ、なんでそういう状況になっているのかは説明もされないし、敵側が主人公を殺すメリットが今ひとつわからない。
 だいたい、主人公は異星人なんだけど、ふつうに地球のイケメンの白人なのだ。
 地球人の身体を借りたとかいうのではなく。
 で、英語で会話する。
 敵側の異星人は、地球人ではないような風貌でつくってはいるが、たんに地球の悪い人の造形。
 「スーパーエイト」のエイリアンの姿かたちをみたときも思ったけど、アメリカ人は異物を想像し創造する力を根本的にもたない人たちなのだろうと思う。
 というようなことは一例で、つっこみどころは満載の映画だったけど、おもしろかったのはなぜか。
 異星人同士の戦いとは別に、主人公の青年がハイスクールに通っているうちに起きる学園模様が描かれるのだが、「コクリコ坂」の描いた1960年代の日本の高校生象と真逆のようでありながら、どこか相通ずるものも感じられたからだ。
 出会いと別れ。困難と成長。
 好きになった人が、実は血がつながっているかもしれないという試練。
 好きになってしまったけど、自分は異星人という試練。
 なんともならないと思えば思うほど好きな気持ちは大きくなってしまう。
 さらに、別種の困難が自分をとりかこみ、もがき苦しむうちに、そこから逃げなければ何らかの光は見えてくるというメッセージ。
 けっきょく、なんでもいいのではないか。
 映画やドラマの設定は。
 いや、現実の人生においても。
 野球でも吹奏楽でも、冷静に考えたなら、なんでそんなにやらなければばらないのということをみんなやっている。
 みんな、むりむりに困難を設定して、それを乗り越えようとして泣いたり笑ったり叫んだり哀しんだり感動したりしている。
 なんで? ときかれたなら、いろいろ理屈は言えるけど、それが人間だと言うしかないのではないか。
 あと、物語かな。
 素材はなんでもいいし、たぶん結果も実はさして問題ではなく、そこに何か物語がちょっとでも生まれれば生きていけるんじゃないかという気がする。

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惜敗

2011年07月22日 | 日々のあれこれ

  昨日の9回での逆転のように、今日も最後にきめてくれるかと期待を抱いた一戦だったが、一歩及ばなかった。
  素人目に見ても、Bシードの浦実さんに一歩もひけをとってなかったし、チャンスはあった。
 残念。ほんのちょっとの差が明暗を分けるのだろう。
 あとになって思えばあの一球、あのプレーは不用意だったなんて反省も出てくるかもしれないが、当事者はその時点で不用意のつもりがあるはずはない。
 演奏でも、不用意な音を出すなという注意をすることもあるけど、演奏者は不用意にやっているわけではないのだ。それが普通なだけだ。ふつうそのものをかえないといけない。
 さてこれで、応援があったからさらえませんでしたとのいいわけはできなくなった。
 やるしかない。
 野球部のみなさん、おつかれさま。
 吹奏楽の方にもがんばってねと言ってくださった皆様、ありがとうございました。

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7月21日

2011年07月21日 | 日々のあれこれ

 吹奏楽連盟から計画停電に関するお知らせが送られてきた。
 コンクール実施時に計画停電があり、いつもの会場が使用できない場合の対応策が載っている。
 代替会場の選定から、実施要項の作成にいたるまで、細かくつくっていただいた理事の先生方には、ほんとうに頭がさがる。
 みなさん、自分の学校の練習時間を削って、手弁当で連盟の仕事をなさっているのだ。
 それに比べたら … 。いやもうよそう。
 ここで国やら役人やら東電やら御用学者やらマスコミやらの悪口を書くと、指揮レッスンの先生からまた「一見おだやかそうで内面はどす黒い」と評されてしまう。
 会社で「上が○○だから」という悪口は、そんな人の下にいるおまえ自身はどうなんだということにもなるし。
 本当に計画停電実施とかになるようなら、停電したことよりも、そこまで無能な自分たち日本人に唖然とするしかないかな。
 でも九州電力の「やらせメール」という、想定外の無能ぶりを見てしまうと、何があってもおかしくないと思って生きていかねばならない世になっているかもしれない。

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7月20日

2011年07月20日 | 日々のあれこれ

 気がついたら夏休みになっていた。
 もちろん午前は講習、午後部活の川東生に、川東教員に休みなどない。
 とはいえ第一期の講習担当からははずれているので、少し余裕がある午前のうちに免許の更新にいった。
 警察署で30分講習を受ければいいドライバーでよかった。
 以前、更新を忘れていて、里帰りしていた妻子を迎えにいった時の検問でそれがわかり、妻子を連れて帰るどころか、車までおいてこなければならなかったこと、そして鴻巣の免許センターまで行かねばならなかった思い出もいまやセピア色になった。
 講習の部屋にあった黒板に200日と書いてあって、そうか今年になって200日か、もうずいぶん後半になってしまったと思う。
 帰りがけに山田うどんでかき揚げ丼セット560円を食べる。
 埼玉の優良企業山田うどんさんのような店でも、店によってできあがりに差があるものだ。
 ごはんに卵でとじたかき揚げをのせたのがかき揚げ丼。山田うどんさん以外ではあまり見かけないメニューだが、けっこう好き。
 要はタイミングなのだろう。今日のお店は、ちょっと煮すぎてて、かき揚げのサクっと感が失われたうえに、卵が固まりすぎてとろとろ部分がなくなっている。
 卵でとじる系の丼は、このとろとろ感をどれだけ残すかが第一ではないか。
 あとつゆの量。
 そう考えると、金沢の文福、西荻窪の坂本屋のカツ丼はやはりすばらしい。
 学校から一番近い山田うどん木野目店は、タイミングはいつも完璧だ。つゆの量は時々多すぎるときがある。
 プレーヤーが同じでも、指揮者が変わると全く違ったオケになるのも、さもありなん(「なん」は強意+推量)と思う。
 学校にもどり、個人、パート、セクション、合奏、楽器の先生のお迎え、お金の整理などしているうちに一日が終わっていく。
 明日、野球の試合は出来るだろうか。

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7月18日

2011年07月18日 | 日々のあれこれ

 一年生は合奏、上級生は自主練日にした。
 午後余裕があったので、集金袋の整理や、明日配布する学年だよりを書く。


「学年だより№5~7」

 およそ1年で117㎏から67㎏というダイエットをした岡田斗司夫氏は、特別な方法をとったわけではない。「何を食べたかを記録すること」、岡田氏の方法論はこの1点だった … という話を、昨年度末に書いた。
 さらにその続きを書こうと思っててそのままだったので、書きます。
 
 夏休みを迎えて、自分を高めるための時間がたっぷりあるような、お金持ちになったような気分になっている人も多いのではないだろうか。
 そして、いろいろ計画を立て、二学期を迎える頃にはとんでもない成果をあげている自分をイメージできている人もいるだろう。
 それ自体は重要なことだ。
 将来の自分、成長した自分をイメージしてうっとりできたなら、それは大変なモチベーションになる。
 ただし、そのためにあまりにも綿密な計画を立てるのは危険だ。
 計画は通常そのとおりにはならない。
 計画通りにものごとは進むはずだと考える人は、自分の力を過大評価した傲慢な人であるとさえ言える。
 計画は思うようにならないのが普通なのだが、思うようにならないことにストレスを感じるはじめると、勉強の効率は落ちていく。
 ざっくりこれくらいやろう、というぐらいの計画を立てればいい。
 そして計画は、時間ではなく量で決めないといけない。
 英語を何時間やろうでなく、この問題集の何頁分をいつまでにとか、模試の解き直しを3セットとか、具体的に決める。
 勉強をしていること自体が目標ではなく、その勉強によって違う自分になることが目標だから。
 量をこなしていくためには、おおざっぱな目標と、綿密な記録が必要になる。
 昨年度末に書いたことをもう一回載せる。
「目標に向かって計画を立てることは重要だ。
 しかし、計画はあくまでも計画であって、明日の自分、一週間後の自分、一年後の自分がどういう状態であるのかがまったくわからない段階でつくっているのが計画である。
 結果的にまったく方針変更をしなければならない事態もおこりうる。
 だから、計画を作成することに時間をかけるよりも、毎日何をやったのかをきっちりとレコーディングしていくことの方が、今のみんなには必要だと思う。
 ノートでも手帳でもメモ帳でもペラの紙でもいい。
 日付を書き、何を、何分やったかを、ひたすら書いていくのだ。
 そうすれば、自分の生活の方向が、目標とあっているかどうかはすぐに明らかになる。」
 とにかく記録すること。記録することによって自分という人間を客観化すること。
 これを岡田氏は「レコーディング」とよび、「すべてに応用可能な、『奇跡を当たり前にする』技術」だと述べた。


 世の中には、「○○の成功哲学」「成功する人間になる方法」「リッチでモテモテになる秘密の○○」といった本が山ほどあふれている。
 私も、そういう本を見かけるとつい手にしてしまい、今までに少なく見積もっても段ボール5箱分くらいは読んできた。
 すべての本に共通して述べられていることは何か。
 それは「書く」ことの大切さだ。
 ノートであれ、手帳であれ、目標設定シートであれ、形式は様々だが、成功するため、目標達成のための具体的手だての説明の頁になると、必ず「書く」ことが述べられている。
 「自分の目標を紙に書いて見えるところに貼る」なんてのは、ほんとにどの本にも書いてある。
 また「受験を突破する技術」「資格をとるための方法」系の本には、勉強時間を確保するにはどうしたらいいかという話が必ず出てくる。
 これも、多くの本で述べられているのは、「まず毎日の勉強時間を記録することからスタートしよう」という話だ。
 これはまさしくレコーディングだ。
 「レコーディング」と言うとかっこいいが、結局日記を書く、業務日誌を書く、学習記録をつけるというただそれだけのことなのだ。
 それ自体は難しいことではない。
 しかし、「毎日」「もれなく」「細かく」というレベルでの記録になると、ちょっと大変になってくるだろう。
 そのこと自体はたいしたことはなくても、徹底されることによって、大変な効果をもたらすことが多々ある。
 実際に書き始めてみるとわかるのだが、純粋にやったことを記録していくと、一言よけいなことも書きたくなるものだ。
 今後の課題とか、やろうと思いついたこととか、不安に思ったこととか。
 それらもすべて書き留めておくといい。
 ちょっとした思いつきも、書き留められることによって、実行にうつされる可能性がきわめて高くなる。
 どんなすばらしいアイディアでも、書かれないとすぐに消え失せてしまう。
 取るに足りないアイディアでも、書かれ、実現されることで最終的には大きな成果を生み出す。
 不安や悩みは、書き出されることによって、いったん気持ちが落ち着く。
 書きもしないでもんもんとしてても、いい方向にいくことはない。
 誰かに相談してみるという手も効果的だが、書くのが一番てっとりばやい。
 書き留めておいて、ペンディング(保留・先送り)しておけばいいのだ。
 人生の悩みなんて、簡単に解決できるものではないのだから。
 だからこそ悩みの種にもなるのだし、悩むからこそ人間ではないか。
 気になることはペンディング。
 そうしているうちに解決してしまう悩みなんてのも、実はけっこうあるものだ。


 ~ 実は、自己コントロールというのは、体重管理だけに有効というわけではない。お金や仕事、人間関係や自分の将来など、広範囲に応用可能なのだ。何か迷ったとき、目標があるのにうまくいかないときには、要素を書き出してみよう。
  … 書き出したからといって、無理やりに答えを見つけなくていい。考えたことや悩んでいることを文字にして客観的に見られるようにする。それだけで充分だ。
 悩みや迷いや計画を毎日レコーディングし続ける。つまりこれが「助走」だ。
 するとある日、いくつかの悩みが「同じパターン」であるとか、「ひとつの行動で二つ以上が解決する」のがわかる日が来る。そう、「離陸」だ。
 なにをやらなければならないか。いつ、それに取り掛かるか。できないとすれば、理由は何か? 代替案としてなにが考えられるか?
  … 悩みや問題に、毎日答えなんか出さなくてもかまわない。毎日答えが出せるくらいなら、悩んだり困ったりしているはずがない。逃げないで、押しつぶされないで、ただひたすら、毎日レコーディングを続けてみよう。
  … 自分の内面や気持ちなんて不確かで、誰にもわかってもらえないものだ。同じく、人生そのものも一寸先は闇、その中を手探りで進まなければならない。まるで暗闇の中を飛ぶ飛行機のように。でも、レコーディングはあなたという飛行機に、いつも位置や方角や速度を教えてくれる。人生そのものが夜間飛行のようなものだ。悩みや迷い、それらから脱出するための計画やヒント、日々の思いをレコーディングすることこそ、人生を計器飛行することである。(岡田斗志夫『いつまでもデブと思うなよ』) ~


  未来を作るのは今の自分であり、今の自分は過去が作っている。
 過去にこだわりすぎて前に進めないのはよくないが、未来は過去から現在への延長上にあることもゆるぎのない事実だ。
 突然変異は起こらない。
 過去をレコーディングし、少しずつ、一歩ずつ未来への方向性を改善していくことによってのみ、未来は変えうる。
 今日の学習内容を記録するという、ほんの数十秒の積み重ねは、必ずみんなの未来を変える。

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ホール練習

2011年07月17日 | 日々のあれこれ

 さいたま市文化センターを夜間だけお借りしてのホール練習。
 自由曲は何回か本番を通した曲なので、そこそこ安心できるかと淡い期待をしていたが、あまかった。
 さいたま市文化センターほどごまかしのきかないホールはないと思う。
 渡辺先生にふってもらい審査員席付近で聞いて唖然とした。
 何を言っているのかわからないところがたくさんある。
 やはり、ホール練はやっておかないといけないとあらためて思う。
 しかし、年々きつくなるな。
 普段の練習とちがい、積み込みから演奏まで立ちっぱなしで、階段の上り下りがあるから。
 あと何年顧問をやれるかわかんないけど、やりかたを考えた方がいいかもしれない。
 とはいえ、やるべきことは見えたので、あとはそれをいかにつめていけるかだ。
 「本番で不安を感じないですむように練習するんだよ」という先日のバンドレッスンのお話を心にしめてやっていこう。
 野球は、おかげさまでコールド勝ち。
 万が一延長戦にでもなったら、試合会場から文化センターへの移動なんてこともあるかと思ったが、時間的余裕があってよかった。

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空色バトン

2011年07月14日 | おすすめの本・CD

 笹生陽子「サドルブラウンの犬」。


 高3の「オレ」は、がたいがよくて目つきが悪く、おさななじみの「まっつん」「タイガ」といつもつるんでいる。
 エロイことばかり考え、ろくに勉強もしないでバカ騒ぎをし、富士山の見える片田舎の高校に通う毎日を過ごしているものの、さすがに高3の一学期も終わりが近づくと、この街を出て東京の専門学校に行きたいなどと考えるようになっていた。
 まっつんが女がらみでチンピラともめて泣きついてきて、よし加勢してやるから話つけに行こうぜ、おれにまかせろ、もう大丈夫だからエロしりとりでもしようぜとまたバカ騒ぎしてたとき、オレの「おかん」の心臓がとまってしまったのだった。
 父親は単身赴任中で、そう簡単に異動が可能な状況ではない。
 当面、小学校5年の妹マドカと暮らしけいなねばならない。
 夏休みに予定してた合宿免許もとりあえずキャンセルして、「家事手伝い」の日々を過ごすことにする。
 夏の終わり、自分の仕事になった飼い犬チョロ太との散歩をしてるとき、まっつんとタイガに出会う。
 ジャージにエプロン姿が妙にうけ、そのまま神社に移動して、積もる話をする。
 勉強のできるタイガは予備校の夏期講習に通い、東京の大学にほぼ行ける状態になっているという。
 まっつんは、就職の内定をもらってて、福岡の本社に採用になっていた。


~「しっかし遠いな、九州か。それいつぐらいに決まったの」
 「えーと、合宿免許の前くらい?」
 「なんだ。さっさといえばいいのに。よかったじゃん」
 「うん、ありがとう。で、セイちゃんはどうすんの」
 「オレかぁ。オレは、どうすっかなー」
 「まぁ、あせってもしょうがないけどな」
 あ、いまなんか、まっつんにさりげなく気をつかわれた。緊張すると、まばたきが多くなるんだ、まっつんは。~


 会話に加わりにくかったのか、タイガはマシュマロをやたら口にいれ、あげくのはてにもどしてしまう。
 チョロ太を必要以上にからかって、手をかまれて悲鳴をあがえるまっつん。


~ やっぱおまえら、楽しいな。
 なんで友達なのかわかんないけど、子どものころから、こうしてずっとそばにいるって、すごいよな。 
 だから、あんまり気にすんな。
 もしかオレが上京できなくて、このまま地元に残ったとしても、おまえらのせいじゃないんだし。それならそれで、テキトーな働き口さがすから。 ~


 また3人はエロしりとりを始めてしまって、げらげら笑って見上げた空が青い。


~ こういう息子を産んで育てて、おかんはおもしろかったかな。まぁ、生きてるあいだは絶対に聞かないことだと思うけど。
 オレ、少しは世界にからんでる?
 だったら、いいな。
 マシュマロ、うめぇ。~


 なんかよかった。
 しみじみした。
 自分のなかでは、浅田次郎「角筈にて」、宮部みゆき「サボテンの花」、川上健一「カナダ通り」とかに匹敵するぐらいの心に残る一編。
 この一編からはじまる連作短編集『空色バトン』は、傑作の予感がする。

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2回戦

2011年07月13日 | 日々のあれこれ

 二回戦は、幸手高校、幸手商業高校の合同チームとの対戦。
 統廃合で再来年一緒になる二校だ。
 なので幸手高校さんはもう生徒募集を行っていない。
 吹奏楽部は今年13人の部員でB部門に挑戦するという。
 合同でも10人のベンチ入りだから、こちらが攻撃の時には、相手方のベンチががらんとしてて、あまり見ない光景だった。
 応援の演奏も少人数ながら、テンポキープがしっかりしてて、旋律がとぎれない。
 スタンドの人数では圧倒していたが、うちの演奏では未消化な部分もあったことは反省すべきだろう。
 グランドも、正直にいえば実力差はたしかにあったと思うが、応援も含めて、取り組みへの姿勢の点では決して優劣はつけられないのではないか。
 自分のおかれた条件のなかでベストをつくすこと。
 ないものねだりもせず、嘆いてもしかたのない環境のせいにもせず、やるべきことをやることが大事だ、何事も。
 グランドに立っている本校のメンバーは、ふだんの顔もよく知ってて、応援してて実に楽しい。
 応援を仕切っている3年生も、ふだん普通に教えている子たちだが、笑顔でだんどりし、下級生に指示出しをし、こちらに来てあいさつをし、終わればお礼を言いにくる。
 ほんとうは学生服を着て応援するよりユニフォームでグランドに立ちたかったことだろう。
 彼らを見てる方が、ちゃんと演奏しなきゃという気持ちになってくる。
 そして、全員がA部門のメンバーとしてコンクールに参加できるわが部の3年生たちも、それが幸せなことであることをかみしめながら演奏してほしいと思うのだ。

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