水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

あわよくば

2017年01月30日 | 学年だよりなど

 

  学年だより「あわよくば」


 ベストセラー『一分間記憶法』『一分間ノート術』『一分間勉強法』などの著者である石井貴志氏は、キャバクラ店でお説教されたことがあるという。
 軽い気持ちで「モテモテになるのが夢なんだよねー」と口にしたとき、石井氏についていたキャバ嬢が、突然お説経をはじめる。


 ~ 「モテたい? モテたいだって? あんたが本気でモテたいと思っているとは思えないけど?」
「何を言っているんだ? モテたいと本気で思っているに決まっているじゃないか」
 そう返したところ、次のような答えが返ってきた。
「いや、絶対に違うね。あなたは、モテたいとは思っていない!」
「だから、モテたいって、思っているってば!」
「本当にもてたいなら、朝もナンパ、昼もナンパ、夜もナンパの毎日を送っているはずだ。でも、あなたは、そうは見えない」
「確かに、そんな生活は送っていない … 」
「キャバ嬢にもてたいのであれば、朝は朝キャバ、昼は昼キャバ、夕方は同伴、夜はキャバクラ、朝5時からはアフターという生活をしているはずだ。だが、あなたは、そうは見えない」
「さすがに、そんな生活はしていない」
「そう。あなたのモテたいなんて、所詮、その程度なんだよ。あなたの夢なんて、所詮、『あわよくば』レベル。そう。これっぽっちも本気じゃないんだよ。本気じゃない夢は、かなわない。
 キャバ嬢だって、本気でナンバーワンになりたい人は、朝もメール、昼もメール、夕方は同伴、 出勤は週6日、空いている時間は、常に営業メールなんだよ。あなたも本気でモテたいなら、 本気でやれよ。この野郎!」 ~


 なんで客のおれが説経されなければならないんだ? と感じながら、同時に「頭をハンマーでガーンと殴られたような衝撃」を受け、感動していた。
 そうか、夢が叶わないのは本気じゃないからだ。朝から晩まで一つのことをやり続ければ、誰でも成功できる。でも本当にやっている人は少ないのだ、と。


 ~ 本気じゃない奴には、夢を叶えることはできない。クリスマスも、仕事をする。大晦日も仕事をする。お正月も仕事をしているのが、当然だ。本気なら、全力でやれ。あなたは、それで、全力を出しているつもりだろうか? まだ、いけるよね? っていうか、全然本気じゃないはずだ。本気で生きよう。本気になれば、夢は必ず叶うんだ。 (石井貴士「全力メルマガ」2016年12月) ~


 脳による人間の心理的限界は、身体的限界よりも浅いレベルに設定されている。身体が壊れるのを防ぐためだ。客観的には「それほどでもない」レベルを、当人だけは「相当」やっていると感じているという状況は多々ある。2時間勉強したくらいでやった気になったり、半日練習したくらいで勉強の手を抜いたりしてないか。まずは自分を対象化してみることだ。

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筋トレ(2)

2017年01月28日 | 学年だよりなど

 

    学年だより「筋トレ(2)」


 「記述模試」お疲れ様でした。来年は選択にあわせた模試受験になるため、一昨日の模試が人生で最高に難しいものになった人もいるかもしれない。ただし記述の難問を解くことは、力をつけるために最も効果がある勉強であることを、私大型の選択をする人も心にとめておいてほしい。
 次の「マーク模試」は、時間とのたたかいになる。「学力」をつけると同時に、「解答力」を高めていくことも今後必要だ。


 ~ センター試験は、二次試験と比べると、問題の難易度が高いわけじゃないけど、時間が足りなくなるくらい、問題をとくスピードが必要になる試験です。
 あと、問題をとく順番によっても、スピードは変わります。
 なるべく脳の思考の流れがスムーズにいける順番をみつけましょう。
 基本的には、知識型の問題を先にとき、思考型の問題は後回し。
 例えば、国語なら、漢文→古文→現代文。英語なら、文法問題→読解問題。
 化学なら、理論の原子構造→有機化学→無機化学→理論の計算問題。
 生物なら、知識問題→実験問題。といった具合です。
 決して1ページめから順番に解くのが必ずしも正解とは限りません。
 最初の方にある計算問題につまづいて焦って心を乱されたら、その後に控えている本来できるはずの知識問題も動揺して分からなくなる。
  … 自分が好きで得意で自信がある、と思い込んでいる分野に限って、絶対できるから!!と自分に言い聞かせて、完全に解けるまでのめりこんでしまう危険性が高くなります。
 好き嫌いなんか、試験本番で聞かれていません。
 問われているのは、問題がとけるか、とけないかのみ。
 だから、解きやすいタイプの問題から制覇していくのが、脳の回路的には最も効率がよいのではないかと思います。
 解く順番を変えるだけで、全問題にかかる合計時間は変わるでしょう。
 脳がスムーズに移行できる順番で解くことができれば、早く終わるはず。 (木村美紀メルマガ『木村美紀が明かす家庭教育の秘策』vol.160) ~


 先日行われたセンター試験を解いてみて、やるべきことのイメージがわいただろうか。
 一年後に何点とるか「予定」を決めなければならない。
 まず、解くための知識量が絶対的に不足しているという問題点がある。これは、一朝一夕に解決できるものではない。「いつまでに」「何を」という観点でリストアップしてみよう。
 身につけた知識量をどう活用していくか。これは、毎回の模試で、どういう解き方をするのか模索していく必要がある。どういう順番で解いたか、時間配分は成功したか、頁のめくり具合はうまくいったかなど、細かいことを記録しておこう。
 あわよくば叶えたい「夢」「目標」ではなく、確実にこなす「予定」として設定しよう。

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筋トレ

2017年01月26日 | 学年だよりなど

 

  学年だより「筋トレ」

 今日の記述模試に続いて、来週はマーク模試がある。
 来年のセンターに向けての本格的なスタートと考えて取り組んでほしい。
 センター試験には、試験の性質上、誰も解けないような難問は基本的に出題されない。
 高校二年生までの通常の学習内容に基づいて作成される。入試問題のなかでは「基本」だ。
 「センターが基本に思えない」という問題点を今みなさんは持っているが、それはこれからの課題としよう。
 基本問題ではあっても、50万人の高校生に差を付けなければならないため、問題量が多くなる。
 一定の学力をつけた者を対象にして、情報処理能力を問う試験という性質が強くなっている。
 情報処理能力は一朝一夕には身につかない。
 与えられた課題に対して、自分のもっている知識を活用して躊躇なく処理していく能力を、日常的に積み上げていかなければならない。
 クイズ番組でも活躍する薬学博士の木村美紀氏は、こう述べる。


 ~ 今年のセンター試験をふりかえってみると、化学は、実験問題など考えさせるタイプの問題が増えた印象で、問題数が増えて、計算量も多く、時間との勝負になるかと。
 単純に知識を知っているだけではダメで、もっている知識を使って問題を解決することができるかという、応用力を試されている気がすごくしました。
 ── 使えない知識はゼロと同じ。知識を使って応用できるかで差がつく ──
 ただ、知識を活用するためのウォーミングアップが必要で、脳の中にある知識ボックスから知識をぱっと取り出して、それをもとに瞬時に判断する瞬発力をきたえておかなきゃいけない。
 つまり、脳をいつでもフル稼働できる戦闘モードにしておくということ。
 事前にそういう状態に仕上げていかねばなりません。
 その戦闘モードのスイッチをMAXにするためには、最低でも1週間くらい、余裕をもって数ヶ月は必要だと感じます。
 例えるならば、脳の“筋トレ”です。
 筋トレを普段から積み重ねておく影の努力があるからこそ、いざという本番の勝負時にぱっと最大限の力が発揮できるのです。
 オリンピック選手だって、事前にトレーニングをしない人はいないでしょう。
 コンディション作りという意味では、それと似ているかもしれません。
 エアコンの暖房だって、急にスイッチをONにしても、たまに暖房準備中と表示されたりなんかして、なかなか急には温めてくれないことがあります。 … そういう現象と同じで、センター試験で使う脳も、動いていない状態から急に動けといわれても時間がかかる。 (木村美紀メルマガ『木村美紀が明かす家庭教育の秘策』vol.160) ~


 筋肉量を増やす、可動範囲を大きくする、本番に向けたコンディションづくりといった、みなさんが運動で行っているトレーニングが、そのまま脳にもあてはまる。

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紀伊國屋寄席

2017年01月25日 | 演奏会・映画など

 

 市馬師匠の「妾馬」が聞きたくて行った。35分ほどの口演。終わりの時間を考えながらだったのだろう、殿様と八五郎のやりとりの一番泣かせるとこは、時間があるならもっとたっぷり演じられる部分だろう。まして市馬師匠のことだから、いい声の都々逸をもっと聞きたかった。でもさすが落語協会会長というでき。
 まくらの、師匠小さん(五代目)が昭和天皇の園遊会に招かれたときの話はおもしろかった。五代目小さんは、前座時代に徴兵されて陸軍にいたのだが、そのころ二二六事件が起こった。小さんも反乱軍の中にいたという。
 そんな歴史があり、まさか自分が園遊会に招かれるようになるとは思ってもいず、陛下に話しかけられることなど想定もしていない。「落語の方はどうなの?」とお声をかけられ「だいぶよくなりました」とおろおろになってわけのわかんない返答をしてしまった、と。
 五代目が亡くなってずいぶん経つ。自分ら世代にとっては、三平師匠も先代のイメージがつよいが、そういう師匠方は普通に戦争に行っている。落語家は誰も戦死しないで帰還した、三平なんか太って帰ってきた、なんてネタもよく聞くが、自分ら世代にはけっこう戦争は身近なものだなと、同学年の市馬師匠の話をききながらあらためて思った。
 扇辰師匠「阿武松」、紫綬褒章受章の雲助師匠「二番煎じ」というラインナップは、ぜいたくだった。

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センター2017年 評論(1)

2017年01月24日 | 国語のお勉強(評論)

センター2017年 評論(1)


1~4段落


1 現代社会は科学技術に依存した社会である。近代科学の成立期とされる十六世紀、十七世紀においては、そもそも「科学」という名称で認知されるような知的活動は存在せず、伝統的な自然哲学の一環としての、一部の好事家による楽しみの側面が強かった。しかし、十九世紀になると、科学研究は「科学者」という職業的専門家によって各種高等教育機関で営まれる知識生産へと変容し始める。既存の知識の改訂と拡大のみを生業とする集団を社会に組み込むことになったのである。さらに二十世紀になり、国民国家の競争の時代になると、科学は技術的な威力と結びつくことによって、この競争の重要な戦力としての力を発揮し始める。二度にわたる世界大戦が科学―技術の社会における位置づけを決定的にしていったのである。
2 第二次世界大戦以後、科学技術という営みの存在は膨張を続ける。プライスによれば、科学技術という営みは十七世紀以来、十五年で〈 (ア)バイ 〉ゾウするという速度で膨張してきており、二十世紀後半の科学技術の存在はGNPの二パーセント強の投資を要求するまでになってきているのである。現代の科学技術は、かつてのような思弁的、宇宙論的伝統に基づく自然哲学的性格を失い、〈 A先進国の社会体制を維持する重要な装置となってきている。 〉
3 十九世紀から二十世紀前半にかけては科学という営みの規模は小さく、にもかかわらず技術と結びつき始めた科学―技術は社会の諸問題を解決する能力を持っていた。「もっと科学を」というスローガンが説得力を持ち得た所以である。しかし二十世紀後半の科学―技術は両面価値的存在になり始める。現代の科学―技術では、自然の仕組みを解明し、宇宙を説明するという営みの比重が下がり、実験室の中に天然では生じない条件を作り出し、そのもとでさまざまな人工物を作り出すなど、自然に介入し、操作する能力の開発に重点が移動している。その結果、永らく人類を脅かし苦しめてきた病や災害といった自然の脅威を制御できるようになってきたが、同時に、科学―技術の作り出した人工物が人類にさまざまな災いをもたらし始めてもいるのである。科学―技術が恐るべき速度で生み出す新知識が、われわれの日々の生活に商品や製品として放出されてくる。いわゆる「環境ホルモン」や地球環境問題、先端医療、情報技術などがその例である。〈 Bこうして「もっと科学を」というスローガンの説得力は低下し始め、「科学が問題ではないか」という新たな意識が社会に生まれ始めているのである。 〉
4 しかし、科学者は依然として「もっと科学を」という発想になじんでおり、このような「科学が問題ではないか」という問いかけを、科学に対する無知や誤解から生まれた情緒的反発とみなしがちである。ここからは、素人の一般市民への科学教育の充実や科学啓蒙プログラムの展開という発想しか生まれないのである。


1~4  〈 科学の歴史と科学者の立場 〉

1 16・17世紀 好事家による伝統的な自然哲学
                  ↓
    19世紀 「科学者」による知識生産
                  ↓
    20世紀  国民国家競争の戦力

2 第二次世界大戦後
         科学 … 社会体制を維持する重要な装置

3 19世紀~20世紀前半
   科学―技術 … 社会の諸問題を解決する →「もっと科学を」
      ↑
      ↓
  20世紀後半
   科学―技術 … 両面価値的存在
   (+)自然の脅威を制御
   (-)人工物が災いをもたらす →「科学が問題ではないか」

4  一般人 … 「科学が問題ではないか」
      ↑
      ↓
  科学者 …「もっと科学を」・一般人を啓蒙すべき


問1の漢字

(ア)倍増  ①培養 ②媒体 ③陪審 ④賠償 ⑤倍した
(イ)要因  ①動員 ②強引 ③婚姻 ④陰謀 ⑤起因
(ウ)厄介  ①利益 ②通訳 ③厄年 ④躍起 ⑤薬効
(エ)宣告  ①上告 ②克明 ③黒白 ④穀倉 ⑤酷似
(オ)癒やす ①空輸 ②比喩 ③愉悦 ④癒着 ⑤教諭


問2 傍線部A「先進国の社会体制を維持する重要な装置となってきている」とあるが、それはどういうことか。

 傍線部の主語は「現代の科学技術は」。
 各選択肢の主語はすべて「現代の科学は」であり、傍線部と重なるので、述語部分を見比べて言い換えになっているものを選べれば、中間部は読まなくてもいい。
 もちろん中間部を見ておかしな内容だと確信できれば、そこで落としてしまえば時間の短縮になる。

 ②「本来の目的」は一面的な断定。
 ③「為政者の厳重な管理下に置かれる」とは言えない。
 ④「世界大戦の勝敗を決する戦力を生み出す技術」は限定しすぎ。
というように、中間部でもけっこう落とせる。
 個人的には、正解選択肢⑤「知的活動という側面を薄れさせ」は危険じゃないかなと思う。最初ここを見てバツつけてしまった。
 述部を対応させるなら、

 ① 国家の莫大な経済的投資を要求する主要な分野へと変化している
 ② 国家に奉仕し続ける任務を担うものへと変化している
 ③ 先進国間の競争の時代を継続させる戦略の柱へと変化している
 ④ 経済大国が国力を向上させるために重視する存在へと変化している

にくらべて、⑤が圧倒的に傍線部Aと対応する。

 ⑤ 先進国の体系的な仕組みを持続的に支える不可欠な要素へと変化している

 A「先進国の社会体制を維持する重要な装置となってきている」

 逆にいうと、この二つが似ていると思えない人に、センターの問題は解けない。「解き方」以前に「語彙量(ボキャブラリー)」の問題だ。
 といっても、語彙がたまるのを待っていたら高校時代が終わってしまうので、「現代文重要単語集」的な本を常に手元におきながら、やはりセンターの過去問や、同じようなレベルの問題集を解き貯めていく必要がある。
 私立大にしぼっている人も、志望校の過去問を確認したなら、あとは同じ勉強を(センター過去問)すべきだ。
 そういう意味で、センターは「基本」の確認に役立つ。
 センターを基本と思えないレベルから脱却しないと、イイカンジのところには入れない。
 それは古文も漢文も同じだ。
 古文などは大体の年で、東大二次の古文より難しい本文が出題されているから、センターをおさえておけばどんな大学にも対応できることになる。
 なんといっても、センターの問題を作成されている先生方は、学習指導要領のチェックはされているはずなのだ。そんな雰囲気をかけらも感じない問題が私大には多い。


問3 傍線部B「こうして『もっと科学を』というスローガンの説得力は低下し始め、『科学が問題ではないか』という新たな意識が社会に生まれ始めているのである。」とあるが、それはどういうことか。


a 選択肢中に、もしくは選択肢の前に指示語があったら、まずはその指示対象の確認を行う。

 〈 こうして 〉= 科学―技術の作り出した人工物 → 人類にさまざまな災いをもたらし始めてもいる

  二十世紀前半の科学 … +(プラス)
    ↓
  現代の科学 … -(マイナス)の側面
    ↓
  人々は科学に対する「問題ではないか」という思いを抱いている。


b 選択肢の構造を把握する。
  「 科学( + → - ) → 科学への疑念 」
 という内容と対応させればいいのだが、「疑念」部分との対応だけで、一気に落としてしまうのが、時間的効率がいい。

 ①「明白な警戒感」、②「顕著な失望感」、③「端的な違和感」は、それで誤答としてしまえる。

 ④「全的な信頼感が揺らぎつつある」
 ⑤「漠然とした不安感が広がりつつある」 は、

は、「 「科学が問題ではないか」という新たな意識が社会に生まれ始めている 」に対応する。

 しかし⑤は、「その新知識が市民の日常的な生活感覚から次第に乖離するようになり」の部分が本文の内容とは異なるので誤答。よって、正解は④になる。

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2017年01月23日 | 日々のあれこれ

 

 入試。おかげさまで多くの受験生に来ていただき、内職のできない試験監督をし、面接で同じような質問をしまくる。
 「本校を受験しようと思ったの理由を教えてください」「どんな高校生活を送りたいですか」 …
 明らかに練習してきてないなと思われる生徒さんもいるけれど、普通に会話ができれば全く問題ない。
 会話できなさそうでも、高校に入ってからなんとかしたいと思うから、それでもいい。
 勉強以外のことまで合否判定に使おうとする大学入試の狭量さときたら … 。
「あなたの夢はなんですか」という質問に対する答えで一番多かったのは、「はい、夢はまだ決まってないのですが、高校に入ってからしっかり見つけていきたいと思います!」だった。
 なんかウソでもいいから言ってほしいなあ。そう指導されてきたのだろうけど。
 だいたい夢って「決める」ものだろうか。「よし、これがおれの夢ということにして、がんばって努力していこう!」って … っていうのは、夢というよりも、宿題みたいなニュアンスになる。
 じゃ、どんなのが夢かというと、見「てしまう」ものではないか。
 「アイドルになりたい!」とある時思いついたとする。
 何歳で思いついたことにしよう。5歳の子がそう口にしたなら「○○ちゃん、かなうといいね」と言うだろう。
 10歳ならどうだろう。かなり本気度が高いのだとしたら、親としてはそれを目指させるかどうか真剣に考えるか、自然にフェイドアウトするようにふるまうかになるだろう。
 15歳だと、本気で目指始めるには限界が近いから、ほんとに本気かをたしかめないといけない。
 なかなか親の協力無しにその道を踏み出そうとするのは難しいから。
 ただし15歳にもなれば、自分はアイドルになれるタイプかそうでないかは、うすうす自覚できるようになる。
 「夢を追うのがいちばん」「自分の好きなことをめざそう」と無責任な奨励をする先生や大人に出会い、自分を見失ってしまう若者もいるけれど。
 そんなの無理と片方で思ってても、どうしてもそれを目指すことがやめられない、それを目指さなければ自分が自分でなくなっ「てしまう」と思ってしまうこと、気づいたらごはんを食べるようにやっ「てしまっている」こと、そんなレベルのものを「夢」と言うのではないだろうか。
 夢を叶えるためにつらくても頑張ろう! という感覚では、おそらく叶わない。
 頑張っている自分に酔うことが目標になってしまう。
 はたから見たらものすごい努力に見えるようなことが、本人にとってはなんでもない、普通の暮らしになっていないと、その夢なるものには近づけない。
 だからほんとの「夢」とは、持つことさえ難しいものであるというのが実際のところかもしれない。
 そして、一般人はそれでいいのだ。夢などなくて何の問題があろうや。
 他人に迷惑をかけずに普通に生活しているなら、夢がないと他人に非難されるようなことは全くない。
 だったら面接で聞くなという意見はまったく楽しい。ただ、「将来の夢は?」と聞かれて迷うことなく「プロ野球選手です」と答え、そのとおりになった先輩もいるのは事実だ。

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東京ウインドオーケストラ

2017年01月21日 | 演奏会・映画など

 

 入試の準備が終わると、生徒は校内にいられなくなる。運動部は練習できても、うちは難しい。こんなとき、公民館やホールを借りて練習するような学校さんもあるが、こういう時はむしろ純粋な練習から離れて、ちがった形で自分の内面を高めるのもいいのではないか。そう思って入試期間は休みにしている、ていうか休みください。
 ということで、授業と準備をおえて新宿へ。新宿武蔵野館の予告編で「東京ウインドオーケストラ」というクレジットを見て、え? と思った。佼成のドキュメント映画? と思ったから。ちがったけど、楽しそうなので初日の上映にでかけた。
 東京から有名な吹奏楽団を招こうとした屋久島の町役場職員が、「東京ウインドオーケストラ」というサイトを見つける。おお。これだこれだ、昔東京で演奏をきいて感動した楽団だと。
 しかし、それはカルチャー教室で楽器を学ぶ人たちで構成されるアマチュアバンドだった。破格のオファーを受けた彼らは、いぶかしみながらもいい旅行になると、「一応」楽器をもって屋久島に向かう。
 島に着くと、まず地元の中学校で一緒に演奏しながらレッスンをお願いしますと言われ、連れていかれる。自分達よりも上手かもしれない中学生に対して、さてどう接しようかというところから始まるコメディー作品。
 もっと早くお互い気づくだろ! とつっこめるところはもちろんあるが、「東京ウインドオーケストラ」て書いてあったら、あ、佼成さんと俺だって思ってしまう。
 この出来事で、誰かが成長するとか、大事件が解決するとかのカタルシスは用意されてないが、ほのぼのとした小品だった。上映前に舞台挨拶があった。見終わって出ると、扉をあけたところに再び挨拶をされキャストの方が並んで頭を下げている。なんて律儀な。はじめての経験だった。

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戦略

2017年01月21日 | 学年だよりなど

 

  学年だより「戦略」


 センター試験が終わった。例年のごとく、結果を手にした先輩達は、悲喜こもごもの状況をむかえている。思いのほかいい結果だった人はおそらく少ない。うまくいって、予定していた点数にギリギリ到達したというレベルであろう。もう少しほしかった、失敗したと悔やむ人ももちろんいる。 それらの結果は、今年の問題やその日の体調から「たまたま」もたらされたものではない。
 センター当日を迎えるまでにどんな日々を積み重ねてきたかが、結果として点数に現れたのだ。
 これからどんな一年を過ごし、どのように勉強していくか。
 「大学入試」という試験は、ほぼ同学年同士が、一回こっきりの勝負をするところが最も特殊だと言っていい。英検や運転免許のように何回も受けられる試験ではない。司法試験ほど何年も受け続ける人はそうはいない。ゲームのようにスコアが蓄積されてもいかない。
 いくら力をつけていても、試験当日にかぎって発揮できなければ、その年は終わりだ。
 そういう意味では、オリンピックのような大会と似ている。
 ただし、世界中の猛者が集まってくるわけではないという意味で、オリンピックとは全く異なる。
 どんなに優秀な相手でも、しょせん自分と同じ期間を生きてきた日本の高校生だ。
 金メダルは各競技に一つしかないが、超難関とよばれる大学でさえ合格枠は何十、何百とある。
 一番の成績をとって合格する必要はない。自分が行きたい大学の合格最低点を上回りさえすればいいのだ。自分に与えられた時間のなかで、それを達成するには「戦略」がいる。


 ~ 受験の戦略は、合格最低点を知る事から始まる。最低でも、3年分、5年分は調べるのだ。合格者最高点と、合格者平均点、合格最低点の三つの点数が発表される事があって、多くの方が、合格者平均点を目指すと勘違いしている。でもこれは間違いである。目指すべきは合格最低点である。これを上回れば合格だし、これに達しなければ不合格となるからだ。
 合格最低点を数年分調べたら、次は自分の目標点を決めた。ここ5年程度で、東大の文科三類の合格最低点は550点中、320~350点ほどだった。そこで私は360点を目標点とし、センター
試験の配分が加算される90点を差し引き、二次試験で270点を確保することを目指した。
 次に科目ごとの目標点を決める。東大文三は英語、数学、国語、日本史、地理の5科目が出題されるので何点の配点があるか、普通の合格者は何点くらい取っているのか、などの情報を調べつつ、合計270点になるように、配分していった。 … 目標点を決めたら、徹底的に勉強法を研究していった。学校や塾の先生に相談するも良し、自分で調べるのも良し。限られた時間で結果を出せるよう勉強法を編み出していくのだ。 (平井基之『戦略的“東大”合格法 受験勉強には意義がある』「正論2月号」) ~


 たとえばセンター試験の英語で、満点を狙いにいくのか、7割でいいのかで勉強法は異なる。国語で8割を目指すとして、A君とB君とでは勉強方法が異なる。今から50時間勉強して30点アップする科目もあれば、ほとんど変わらない科目もある。
 頑張ったり、努力しようとする前に、まずは情報の収集だ。

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下克上受験(4)

2017年01月16日 | 学年だよりなど

 

    学年だより「下克上受験(4)」 


 第一希望こそ叶わなかったものの、香織さんは誰もが名を知る中学校に合格し、現在は高校一年生になっている。受験の過程を文章化し、誰かの役に立つかもしれないと自費出版した本は、産経出版社の目にとまり、全国の書店に並ぶことになった。この本を原作にしたテレビドラマ(桜井さん役は阿部サダヲさん、妻役は深田恭子!)も始まっている。
 出版を記念する講演会の場で、香織さんの声が録音で紹介された。


 ~ 私のことをすごく大変な受験勉強をしたと思っている人も多いかもしれませんが、私は全然そんなことなくて、もう少しだけ、あともう少しだけやっておけばよかったと思っています。父さんはあれが限界だったなんて言っているけど、自分が眠かったからなんじゃないかな。
  … 今私は中学2年生です。みんなにすごいと言われる中学校で生活することができました。毎日がとても幸せです。 … 学校では、たぶん私が一番貧乏だと思います。普通の学校だと普通よりちょっと貧乏なだけだけれど、私立だからみんなお金持ちです。でもそれで困ったことはまだ一度もありません。友達も普通にたくさんできました。何にも困らない生活です。
 父さんはわたしにいろいろな方法を使って成績を上げてくれました。私の場合は頭が悪すぎて塾に入れなかったので、父さんとやるしかなかったみたいです。 … それから無理して入学しても何も困らないです。ぎりぎり入学して成績いい子なんてたくさんいます。だから一番行きたい学校を狙ってください。 … 私の場合は、母が受験にすごく反対だったので、父と勉強するしかなかったけれど、父が一緒にやってくれなかったらくじけていたと思います。わからない問題ばかりでしたが、一緒に考え、一緒に同じ時間勉強してくれました。そして次の日には予習もでき夜中に父はチラシをポストに入れるバイトをしていました。それを配りやすいように折るのを手伝ったことがあります。一緒に自転車でついて行ったこともあります。父はチラシを配りながらいつも言っていました。
「お前はエリートになれ」って。チラシを配る父がすごく格好悪くて、でもうれしくて。私はちょっとラッキーな子だと思います。
 ここにいるお父様やお母様はもっとえらい人なのかもしれませんが、一緒に勉強してあげてください。そうすると、いつまでも勉強できます。ずっと一緒なら、たぶん1日15時間でも勉強できます。私が一番頑張れたのは、父の作った人生表でした。今も大事にしています。
 最後に、お父様、お母様、そして小学生のみなさん、勉強は世界が変わります。思いっきり変わります。見たことのない世界になります。頑張るだけじゃなくて、たどり着いて下さい。 ~


 桜井さんは現在、塾や家庭教師派遣会社のアドバイザーを務めたり、受験相談に関する本を出版したりしている。娘さん以上に桜井さん自身の人生も大きく変わった。
 勉強ほど自分を変えられるものは、なかなかない。
 もちろん、一生同じ場所、同じレベルでいいのなら、無理に勉強する必要はない。もしそうでない気持ちが少しでもあるなら、何を悩む必要があろうか。格好を気にする必要があろうか。
 これほど平等にチャンスが与えられるものはないのだ。

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タッドウインドシンフォニー

2017年01月15日 | 演奏会・映画など

 

 ティアラこうとうで行われたニューイヤーコンサート。
 レッスンをお願いしている先生ものってらっしゃるプロの吹奏楽団で、演奏会を収録したCDには大変お世話になっている。鈴木孝佳先生の選曲と指揮、それに見事にこたえる職人集団の奏でる音は、世界初演的作品でもずっとレパートリーにしてきたようなサウンドにしてしまう。あたたかい音とは、こういうサウンドのことか。
 コンサートマスターを務められていたサックスの新井靖志先生が昨年急に亡くなられたことで、今回は開催を見送ろうとも考えていたそうだ。
 その新井氏に捧げたいと鈴木氏がステージから語られてから演奏された「イエス涙流したもう時」は、天国にとどくかのような演奏だった。Nヘス「ロッホナガー組曲」、バーンズ「交響曲第2番」は、生で聴いてこその曲だ。

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