余裕をもって漢文を読むためには、文章はなぜ書かれるのかという根本を確認しておくといい。
もちろん句法や重要単語のマスターは前提として。
受身やら反語やらの説明はどの本にも書いてあるけど、漢文とは何が書かれた文章なのかという根本をきちんと説明してくれているのは、代ゼミの宮下先生ぐらいしか寡聞にして知らない。
漢文の評論では「政治、文学、知識人としての生き方」がその内容のほとんどを占める。
考えてみればあたりまえで、漢文を書いているのは古代中国の知識人であり、厳しい科挙の試験に合格した特殊な人々である。
ものを書くこと自体が特別な行為だから、「なんとかいう女優がいい」とか不毛なことは書かない。
筆記具だってまじ貴重品だ。
「昨日、どこそこのラーメン屋に入ったら予想以上においしかった」という文章を書くはずがない。
しかし「どこそのラーメンはおいしかった。思わず作り方を聞いたら、ごくあたりまえのやり方だった。」とは書くかもしれない。
そして「ああ、あたりまえのことをあたりまえにするということを今の人々は忘れている」とか「思うに、今の為政者には、この姿勢がかけているのではないか」と述べる。
パターンは決まっているのだ。
文章はなぜ書かれるのか。
何らかのことがらを言いたい、伝えたい、主張したいからだ。
「どこそこのラーメンはおいしい」とは、「どこそこのラーメンがおししいことに気づいてほしい」「なぜ気づかないのだ」「気づく自分はえらいだろう」の意味だ。
結果として、なんらかのことがらを「批判」することになる。
学問とは批判であると、宇佐美寛先生もおっしゃっている。
現代文の評論と同じだ。
漢文でありがたいのは、さあここから言いたいことだよと示してくれる言葉がある。
「嗚呼(ああ)」とか「夫(そ)れ」とか「今」とか「之に由りて此を見れば」とか。
前半が具体例、体験談、たとえ話であり、最後に「今、○○というものは…」と本題に入っていく。
なるほど今の政治を批判しているのか、なるほど今の知識人の生き方を批判しているのね、と理解すればいい。
書かれた文章そのものの「文脈」を意識できると、再度その文章の部分にもどったとき、わかってしまうことがある。
これも現代文とまったく同じだ。
あと句法を学ぶ際には、極力言語の文法を意識して読むべきだ。
たとえば使役の構文は「~をして~せしむ」と形を丸暗記するのは大事だが、文法的に構造をとらえたとき、英語の使役の構文とまったく同じ構造であることに気づくはず。
この「所」は関係代名詞「What」と同じだな、なんて気づけると、すうっと読めてくる。
もちろん句法や重要単語のマスターは前提として。
受身やら反語やらの説明はどの本にも書いてあるけど、漢文とは何が書かれた文章なのかという根本をきちんと説明してくれているのは、代ゼミの宮下先生ぐらいしか寡聞にして知らない。
漢文の評論では「政治、文学、知識人としての生き方」がその内容のほとんどを占める。
考えてみればあたりまえで、漢文を書いているのは古代中国の知識人であり、厳しい科挙の試験に合格した特殊な人々である。
ものを書くこと自体が特別な行為だから、「なんとかいう女優がいい」とか不毛なことは書かない。
筆記具だってまじ貴重品だ。
「昨日、どこそこのラーメン屋に入ったら予想以上においしかった」という文章を書くはずがない。
しかし「どこそのラーメンはおいしかった。思わず作り方を聞いたら、ごくあたりまえのやり方だった。」とは書くかもしれない。
そして「ああ、あたりまえのことをあたりまえにするということを今の人々は忘れている」とか「思うに、今の為政者には、この姿勢がかけているのではないか」と述べる。
パターンは決まっているのだ。
文章はなぜ書かれるのか。
何らかのことがらを言いたい、伝えたい、主張したいからだ。
「どこそこのラーメンはおいしい」とは、「どこそこのラーメンがおししいことに気づいてほしい」「なぜ気づかないのだ」「気づく自分はえらいだろう」の意味だ。
結果として、なんらかのことがらを「批判」することになる。
学問とは批判であると、宇佐美寛先生もおっしゃっている。
現代文の評論と同じだ。
漢文でありがたいのは、さあここから言いたいことだよと示してくれる言葉がある。
「嗚呼(ああ)」とか「夫(そ)れ」とか「今」とか「之に由りて此を見れば」とか。
前半が具体例、体験談、たとえ話であり、最後に「今、○○というものは…」と本題に入っていく。
なるほど今の政治を批判しているのか、なるほど今の知識人の生き方を批判しているのね、と理解すればいい。
書かれた文章そのものの「文脈」を意識できると、再度その文章の部分にもどったとき、わかってしまうことがある。
これも現代文とまったく同じだ。
あと句法を学ぶ際には、極力言語の文法を意識して読むべきだ。
たとえば使役の構文は「~をして~せしむ」と形を丸暗記するのは大事だが、文法的に構造をとらえたとき、英語の使役の構文とまったく同じ構造であることに気づくはず。
この「所」は関係代名詞「What」と同じだな、なんて気づけると、すうっと読めてくる。