水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

おもてなし日本の風景

2015年02月28日 | 日々のあれこれ

  土曜の通勤ラジオは、大野勢太さんではなく「PUNCH deドーヨ」になる。
 今朝の特集は「おもてなしニッポン大募集!」。
 来日中のウィリアム王子に、食べさせたいもの、見せたいものなどを募集するという企画だった。

 ~ ホテルに滞在しているであろう王子を、銭湯に連れていって大きなお風呂に入れてあげたい。湯上がりにはコーヒー牛乳を腰に手をあてて呑んでもらう ~

 ~ 秋葉原のメイドカフェ。オムライスの上に平仮名で「うぃりあむ」とケチャップで書いて、メイド全員でおいしくな~れ光線をあててから食べてもらう ~

 すごい。たまたま二つの投稿を聴いたが、新旧日本文化の様式美を端的に表すものとして秀逸で、聴取者さんのレベルの高さが感じられる。王子に、ほんとに体験してもらいたいものだ。メイドカフェなど、おはまりになられるのではないだろうか。


 ~ 車が高速道路を走っている。どこに向かっているのかは、日本の地理に疎いマカリにはわからない。日本の高速道路は、世界中のどんな道路よりも未来を感じさせる。清潔だからだろうか、とマカリは思う。日本人は簡単に道端にガムを吐き捨てたりしない。窓からタバコも捨てない。そして、そういうことをする人間を見たら、大多数の人間が嫌悪感を覚えるように社会ができている。嫌悪感を周囲に振りまく人間は、決して社会的に成功しないようにできている。そういった文化は、銃を持たなくても安全な社会を形成することに一役買っているのだ。金額に換算することはできないが、日本という国は素晴らしい財産を持っている。 (深見真『ライフルバード』角川春樹事務所) ~


 アメリカから送られた狙撃兵マカリの視点で、移動中に見た日本の光景を描写したシーン。
 これから主人公たちを狙撃に向かうという状況下と、見事な対比になってるが、そういう小説の構成とは別に、なるほどと思う描写だ。
 ただちに経済的価値には換算できないような、しかし貴重な文化を日本人はもっている。
 こういう感性を持たない国の方々もまた間違いなくいる。感性の違う人同士が一緒に生きていくのは、不可能ではないが、難しい。
 その現実を述べると「差別だ」とレッテルをはって非難する向きもあるが、それはそれで実に幼い思考だろう。


 3時間の授業(おれはないけど)のあと、大講堂、小講堂を卒業式バージョンにセットして、演奏曲を練習し、三時バスであがる。正直言うともっとやりたい、というかやるべきことはある。とくに今年はじめて入場曲にしてみた「青春の輝き」は。でも試験前はここまでだろう。あとは前日の追い込みでなんとか形にしよう。

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残りの人生で、今日がいちばん若い日

2015年02月27日 | おすすめの本・CD

 

 ジャケ買いではなく、タイトル買いした。しかも盛田隆二作品で、帯に「心に傷をもつ中年男女の出会いと葛藤」的な惹句が書いてあったから、自分のために書いてくれたのか一瞬思う。
 このセリフ、使える機会がないかな。「残りの人生で一番若い今日という日に、君と出会えてよかった」とか。


 ~ 「はい。残りの人生で今日がいちばん若い日、って言葉なんですが」
「あ、そうか、なるほど。それは確かに言えてますね」
「ね? なるほどって思うでしょ。考えてみれば当たり前のことなんですけどね。ぼくにとっても、あなたにとっても、残りの人生で今日がいちばん若い日、なんです」
「ええ、ええ。私たちぐらいの歳になると、何か新しいことを始めようとしても、つい億劫になってしまうことが多いですよね。でも、そういうふうに考えれば、何か新しいことにチャレンジするにしても、いつだってけっして遅くないという気がしますね。とにかく今日がいちばん若い日なんですから」
「ですねー。ほい。ということで、二人の意見が一致したところで、次の曲に行きましょう」
 菜摘がラジオを消し、こちらを見た。
「ねえ、お父さん、いまの変だよねえ? 毎日どんどん大人になってくわけだから、今日がいちばん大人の日じゃないの?」
「いや、菜摘と違って、父さんはもうこれ以上大人にならないから、大人というか、毎日どんどん歳をとっていく」「そうそう。だよね? ということは、今日がいちばん年寄りの日じゃんね。さっきの話、変だよね。間違ってるよね」
「うーん、間違ってはいないんだけど、菜摘にはピンとこないだろうな」 (盛田隆二『残りの人生で、今日がいちばん若い日』祥伝社)~


 この部分を読むまで、「今日」を「一番大人の日」ととらえる感覚を忘れていた。
 なるほど。若い人ならそう感じるのか。
 ていうか、普通に考えればそのとおりだし、自分もそう思っていたから、タイトルにぐっときてしまったのだろう。
 
 小学四年生の菜摘は、両親が離婚し、母親が一人で実家に帰ったあと、父方の祖父母と暮らしている。
 都内の出版社に勤める父親は、平日は職場に近いマンションで暮らし、休みの日はなるべく娘のもとに顔を出そうとする。
 父親の柴田直太朗は、書店への販促活動で知り合った山内百惠に、娘が学校へ行きたがらないことを相談したりするうちに、二人は男女として意識しあうようになる。
 二人は実に慎重だ。自分の気持ちに対しても、相手に対しても。
 かりに20代の男女なら、一気に燃え上がるような恋に発展してもおかしくない設定だが、個人的にははがゆいくらい進んでいかない。
 それなりに仕事を任せられている中年であれば、若い時のように気軽に呑みにいく時間をつくるのは難しい。
 実際は、つくれるんだけど、そうもいかないなあとお互いに思いながら、アポをとるようにデートの時間をつくる感覚が実にリアルに思える。
 幼い頃に自分の父親の暴力を目にしてきた過去をもつ百惠と、娘を育てながら働く直太朗が、菜摘の気持ちを最優先に考えながら、ゆっくりとつながりを深めていく様子がしみじみと描かれる。


 百恵が声をかけると、菜摘は歩きながらポシェットから財布を取り出した。
「あの、子ども料金はいくらですか」
「菜摘ちゃんね、遊園地や映画館と違って、画廊で絵を見るのはタダなの」
「えっ、タダで見れるんですか」
「そうよ」
「お友だちだから、タダになるんじゃなくて?」
「そう、友だちでも、友だちじゃなくてもタダ」
 百恵はそう言って思わず菜摘の肩を抱き寄せた。菜摘はくすぐったそうに身をよじる。そんなことさえ新鮮に感じられ、胸がときめいた。それは不思議な感覚だった。もし自分が菜摘の母親なら、三十歳で出産したことになる。傍目にはごく普通の親子に見えるかもしれない。


 菜摘は、先日ラジオで耳にした「今日がいちばん若い日」問題について、百惠に尋ねる。
 お父さんの感覚はおかしい、と。


 百恵は腕組みをして、少し考えてから口を開いた。
「菜摘ちゃん、それはね、年齢によって受け取り方がまったく逆になるんじゃないかな」
「逆?」と菜摘はきょとんとした顔になった。
「つまりね、お父さんは自分の人生が残り少なくなってきたなーつて実感しているから、そう思うのよ。ああ、残りの人生で今日がいちばん若い日だなって。でも、菜摘ちゃんみたいに人生がまだ始まったばかりの人は、今日がいちばん大人の日なのよ。分かるかな?」
「分かるような、分からないような……」
「そっか、どうやって説明しようかな」と百恵は言い、菜摘の薪をじっと見つめた。
「お父さんと私は同じ三十九歳なの。人生を八十年とすると、来年は四十歳で、二人ともちょうど折り返し地点になる、マラソンみたいに。それは分かるわよね?」
「それは分かる」と菜摘は言った。
「折り返し地点をすぎると、体力的にもかなりきつくなるし、走るのもどんどん大変になるでしょ? そういう歳になると、これからの残りの人生を想像して、今日がいちばん若い日だって思うのよ」
「あ、そうか、分かった。でも、お父さんったら、やだなー。おじいさんみたいじゃんか」
 菜摘はそう言って直太朗に舌を出してみせ、百恵のほうを振り向いた。
「じゃ、山内さんも?」
「そうねえ、どっちかといえば、今日がいちばん大人の日かな。菜摘ちゃんといっしょ」
「ほらねー、お父さん」と菜摘は言いながらも、半分目が閉じかけている。
「うん、分かった。父さんももう寝るから、菜摘も寝なさい。明日は朝早く山内さんを車で駅まで送っていくから、早く寝ないと起きられないよ」
 直太朗はそう言って、菜摘をベッドに寝かせ、毛布を顎まで引き上げた。菜摘はかすかにうなずき、目を閉じた。そのまますぐに寝入ってしまいそうだったが、菜摘は父親と百恵のことがよほど気になるのだろう。ときおり薄目を開けて、こちらを観察しているのが分かった。


 福澤徹三、深見真、伊坂幸太郎 … 。最近は、外連味たっぷりの小説ばかり読んでたかもしれない。
 がっつり肉系とか、ヨコ飯系を食べ続けたあとに、焼き魚とおひたしとお味噌汁(豆腐と油揚とネギ)でごはんをいただいてほっとするような、そんな気持ちになる作品だった。

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東大二次古文(『夜の寝覚』)

2015年02月26日 | 国語のお勉強(古文)

 

 国立の試験が始まると、もう何もしようがないので、三年の教員で集まって、予餞会(三送会)の準備をする。
 とはいえ昔のように小芝居や映画をつくる時間もないので、みんなで「糸」「3月9日」を歌う練習。この二つならギター2本の伴奏がむしろあう。
 練習後、東大の二次試験を解いた。今年は、例年以上にオーソドックスな出題だ。
 現代文第一問の評論は筑摩選書で昨年出版された『傍らにあること 老いと介護の倫理学』からの出題である。予備校の先生なら、的中させた方もいるのではないだろうか。
 とられている部分の内容は、東大を受けようとする生徒さんなら理解できるはずだし、解答の方向性も見つかるとは思うが、いざ二行の解答欄にまとめる段階で、けっこう苦労するのではないかと思われる設問だった。

 面白かったのが古文の問題。平安時代の作り物語『夜の寝覚め』の一節という、アウトロー直球の出題だが、予備校さんによってバラつきのある(古文にしては)解答例が出された設問がある。

 

 ~ 次の文章は、平安後期の物語『夜の寝覚』の一節である。女君は、不本意にも男君(大納言)と一夜の契りを結んで懐妊したが、男君は女君の素性を誤解したまま、女君の姉(大納言の上)と結婚してしまった。その後、女君は出産し、妹が夫の子を生んだことを知った姉との間に深刻な溝が生じてしまう。いたたまれなくなった女君は、広沢の地(平安京の西で、嵐山にも近い)に隠棲する父入道のもとに身を寄せ、何とか連絡を取ろうとする男君をかたくなに拒絶し、ひっそりと暮らしている。以下を読んで、後の設問に答えよ。


 さすがに姨捨山の月は、夜更くるままに澄みまさるを、めづらしく、つくづく見いだしたまひて、ながめいりたまふ。
  (ア)〈 ありしにもあらず 〉うき世にすむ月の影こそ見しにかはらざりけれ
 そのままに手ふれたまはざりける箏の琴ひきよせたまひて、かき鳴らしたまふに、所からあはれまさり、松風もいと吹きあはせたるに、そそのかされて、ものあはれに思さるるままに、聞く人あらじと思せば心やすく、手のかぎり弾きたまひたるに、入道殿の、仏の御前におはしけるに、聞きたまひて、「あはれに、言ふにもあまる御琴の音かな」と、うつくしきに、聞きあまりて、(イ)〈 行ひさして 〉わたりたまひたれば、弾きやみたまひぬるを、「なはあそばせ。念仏しはべるに、『極楽の迎へちかきか』と、心ときめきせられて、たづねまうで来つるぞや」とて、少将に和琴たまはせ、琴かき合はせなどしたまひて遊びたまふ程に、はかなく夜もあけぬ。かやうに心なぐさめつつ、あかし暮らしたまふ。
 つねよりも時雨あかしたるつとめて、大納言殿より、
  (ウ)〈 つらけれど思ひやるかな 〉山里の夜半のしぐれの音はいかにと
 雪かき暮らしたる日、思ひいでなきふるさとの空さへ、とぢたる心地して、さすがに心ぼそければ、端ちかくゐざりいでて、白き御衣どもあまた、(エ)〈 なかなかいろいろならむよりもをかしく 〉、なつかしげに着なしたまひて、ながめ暮らしたまふ。ひととせ、かやうなりしに、大納言の上と端ちかくて、雪山つくらせて見しほどなど、思しいづるに、つねよりも落つる涙を、らうたげに拭ひかくして、
  「思ひいではあらしの山になぐさまで(オ)〈 雪ふるさとはなほぞこひしき 〉
我をば、かくも思しいでじかし」と、推しはかりごとにさへ止めがたきを、対の君(カ)〈 いと心ぐるしく見たてまつりて 〉、「くるしく、いままでながめさせたまふかな。御前に人々参りたまへ」など、(キ)〈 よろづ思ひいれず顔にもてなし 〉、なぐさめたてまつる。

〔注〕
 姨捨山 … 俗世を離れた広沢の地を、月の名所である長野県の姨捨山にたとえた表現。「我が心なぐさめかねつ更級や嬢捨山に照る月を見て」(古今和歌集)を踏まえる。
 そのままに … 久しく、そのままで。
 少将 … 女君の乳母の娘。
 対の君 … 女君の母親代わりの女性。

一 傍線部ア・イ・カを現代語訳せよ。

二「つらけれど思ひやるかな」(傍線部ウ)を、必要な言葉を補って現代語訳せよ。

三「なかなかいろいろならむよりもをかしく」(傍線部エ)とはどういうことか、説明せよ。

四「雪ふるさとはなほぞこひしき」(傍線部オ)とあるが、それはなぜか、説明せよ。

五「よろづ思ひいれず顔にもてなし」(傍線部キ)とは対の君のどのような態度か、説明せよ。 ~

 

 四の「雪ふるさとはなほぞこひしき」は、「雪の降る故郷(京)が、いっそう恋しい」と直訳できる。
「ひととせ、かやうなりしに、大納言の上と端ちかくて、雪山つくらせて見しほどなど、思しいづるに」と直前にある。
 雪が降るのをみて、そういえば昔、同じくらい雪が降ったときに、庭に雪山を作らせて、姉(大納言の上)と仲良く見たなあと、女君は思い出しているのである。
 この設問は、作成の先生が「アナ雪」を観たあとに作ったにちがいない、と確信した。
 ふるさとがたんに恋しいのではなく、姉との思い出がうかぶ雪の日ゆえに「なほ」恋しいから、という感じで答えを書いて、予備校さんの答えを見たら、ちょっとちがっていた。


  「広沢での生活が心細く、京の邸は姉と睦まじく過ごしたこともある場所だから。」(駿台)

  「雪によって京とのつながりも断たれたように感じて心細くなったから。」(河合)


 もう少し直接的に、眼前の「雪」と思い出の「姉」を書き入れたい。


  「姉との間に深刻な溝が生じてしまったが、今でも姉を大切に思っているから。」(東進)


 だと、前書きを受けて姉との関係性をよく表してはいるものの、傍線部(オ)そのものの理由説明としては、「不足」なのではないかと感じる。なので、


  「雪を見ると、元の家で姉と仲良く過ごした日々がしのばれるから。」(代ゼミ)


が、いちばんいいかなと思った。
 さらに言うと、「思ひいではあらし(あらじ)」、歌のあとにも「我をば、かくも思しいでじかし(お姉ちゃんは、あたしのことを、こんなには思い出してくれないだろうなあ。せつないなあ」とある。
 
 「雪が降り積もるのを見て、もう戻れない姉の元で過ごした日々が思い出されれたから」

なんてのは、どうかなと考えた。

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マエストロ

2015年02月25日 | 演奏会・映画など

 

 原作のマンガを読んだのはずいぶん前になる。さそうあきらと言えば「こどものこども」「神童」「おれたちに明日はないっす」などなど、数々の名作が思い浮かぶが、中でも「マエストロ」は、ほんとに完成度が高いと感じた記憶がある。新作を読みたいなあ。
 映画になると聞き、さらにファゴットのレッスンにきていただいている先生(本校OB)から、「出てるんですよ」ときき、「うそっ、まじで? miwaかわいかった?」「そうですね、でもあんまり接点なかったですけど」「もったいないなあ。プロの演奏家が何人も入ってるんだ」「セリフはないですけど、けっこういました」などと会話してたので、一刻も早く観たかったけど、やっと叶った。

 ストーリーは、経営上の問題で解散を余儀なくされたオーケストラの団員たちが、謎の指揮者によって集められ、演奏会を開くというお話だ。
 ぼろい練習場にメンバーが集まってくる。
 「指揮者の天童って誰?」「知らないよ」「ま、おれたちは自分たちの音楽をすればいいのさ」「指揮者なんておかざりだから」なんていう、いかにも風な会話からはじまり、紆余曲折を経て(ざつ!)演奏会当日を迎える。
 人間的には打ち解けないものの、西田敏行扮する天童という指揮者の実力が並々ならぬものであることは、プロの団員たちにはわかってくる。
 演奏会初日を満員で迎え、二日目。なぜか観客席には誰もいない。
 ここではじめて天童がオーケストラを再結成した事情があきらかにされていく。

 驚いたのは、松坂桃李くんもmiwaさんも、演奏シーンが実に上手だったことだ。
 なかなかあれだけヴィブラートかけられない。嶋田久作さんも途中からほんとにホルン吹きらしく見えてきた。
 オーボエの方がイケメン設定だったけど、自分の知っている範囲では意外にオーボエ奏者ってイケメンさん少ないので、ここは少し違和感。オーボエ奏者に声かけられて出来てしまったヴィオラの女優さんは、年末に小さな劇場で観た「劇団ろりえ」の方で、いい女優さんだなと思ってのでうれしかった。
 中村倫也さんのティンパニがやたら上手だと思ってたら、エンドロールで、レッスンに来ていただいてる東先生の指導とクレジットが入る。いろんな意味で親しみを感じる作品で、もちろんファゴットの宮永氏も、がっつりその巨体が映っている。
 登場人物たちのキャラが立ちすぎていて、原作の雰囲気を忘れるくらい楽しかった。
 それにしても、いい音で、おっきな音で聞く「未完成」や「運命」は、なんといいものだろう。
 これだけの構築物がすでにあるジャンルというのは、後に続こうとする方々は大変だ。

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この先(2)

2015年02月24日 | 学年だよりなど

 

  学年だより「この先(2)」 

 先週の土曜、1・2年生対象に行われた進路講演会を聞かせていただいた。講師は、東大で教鞭をとられる地質学者の加藤泰浩先生。さいたま市立高砂小学校、岸中学校 県立浦和高校を経て東大に学び、地球46億年の歴史を解読したいという夢を追い続け、海底の地質を研究されている。
 同時に、その研究の過程で、大量のレアアースを含む海底の泥を発見された。今後、世界の産業界や国際関係に大きな影響を与えることになる夢の資源である。
 地質学者として世界各国をとびまわり、地球進化の歴史を明らかにするための堆積岩の発掘の様子を写真とともに話してくださったり、レアアース泥の発見と発表にまつわる様々な駆け引きの顛末を語ってくださったり、世界の最先端で活躍される方の話はこんなにもスケールが大きく、スリリングなものかと感動を覚えた。
 みなさんにも聞かせたかった。たとえ受験直前であっても、この90分はプラスにこそなれ、けっしてマイナスにはならないと思えるほど素晴らしいものだった。
 どうして、そんなに一心に研究にうちこめるのか。
 先生は「知りたいからだ」とおっしゃる。
 漠然と石に興味を抱いた中学校時代から、徐々にその好奇心を高め、地球の歴史を解明したいとの強い思いはとどまるところなく、ついには世界を牽引する研究者になられた。
 大学で学ぶとは、こういうことなのだろう。
 どの大学に行った方が就職がいいとか、環境に恵まれているとか、この学部に行くと資格もとれるとか、私達はそんな観点で大学を見る。
 もちろんそれらも大事な要素ではあるけれど、ひたすら知りたい、解き明かしたいとの純粋な知への渇望の前には、あまりにも小さなことに見えるのは事実だ。
 イチロー選手がバットを振り続けずにはいられなかったように、本田選手がボールを蹴り続けずにはいられなかったように、桑田佳祐が歌わずにはいられなかったように、加藤先生は研究せずにはいられなかった人だ。それをやらねば自分でなくなる。
 他人にやめろと言われたところで、やめられないだろうし、かりに環境に恵まれてなくても、必ずその道に進んだことだろう。それこそが「自分」であり、見つけた「自分」をないがしろにしない人生だ。事前に用意されたプリントで、加藤先生はこう書いていらっしゃる。


 ~ 勉強でもスポーツでも音楽でも、何でもいいので徹底的に「頑張る能力」を身につけ、誰も到達したことがないような高みを目指して下さい。 ~


 まもなく卒業を迎える皆さんにこう言いたい。自分のやりたいことを「探す」のは時間のムダだ。
 本当にやりたいことは、探す前にやっている。逆に探したからといってわいてくるものではない。 なんでもいいから、とりあえず徹底的にやってみる。そのこと自体が結果的にやりたいことでなかったにせよ、その経験自体が糧になる。

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でーれーガールズ

2015年02月22日 | 演奏会・映画など

  「でーれーガールズ」舞台あいさつ付きの回のチケットをネットで購入しいそいそ渋谷まででかけた。 岡山を舞台にした青春ドラマで、高校時代に仲良かった二人がちょっとしたきっかけで仲違いし、そのまま気持ちの整理ができないまま別れることになり、30年後の同窓会で再会するという、原田マハ原作の作品だ。
 名門女子校に通う主人公とその親友を、優希美青さんと足立梨花さんが演じる。
 その舞台あいさつがあると知り、練習が休みの日であれば、なんぞ行かざるをえんや。
 優希美青さんは、スケジュールの都合で来れなかった。「マッサン」では泣いてばっかなので、生笑顔を観られるかと思ってたのに、残念。足立りかりんはほんとに顔ちっさいし、足長い。
 この二人が並べば当然「あまちゃん」を連想するが、ほかに橋本愛、能年玲奈はもとより、有村架純、松岡茉優、山下リオといったキャストを並べるだけ、いかに「あまちゃん」が奇跡のドラマだったかとあらためて思う。
 映画館の客席は、年配のお客さんが多かった。二人の三十年後を演じた白羽ゆりさん、安蘭けいさんのファン層だろうか。それとも若い人は日曜の朝から映画観ないのだろうか。そうかもしれないな。自分の昔を思い出しても。
 たしかに中身は、若い人よりも大人向けだった。
 物理的な青春時代を通り過ぎてしまった人の方が、若いころに自分がしでかしたことへの後悔と諦念がほどよく入り交じって、高校生時代の二人に感情移入しやすいはずだ。
 渦中にいる人にとっては、自分の状況と設定が近くないと、感じない部分もあるんじゃないかな。
 「昔の自分もあんなだった」とひたれるご婦人、そして、とにかく可愛い子を観たいオヤジの方には、つぼにはまる作品だろう。

 映画のあと湘南新宿ラインで一気に久喜まで北上、クイックガストで昼食ののち、東武線で加須まで行き不動岡高校で指揮レッスン。「その長い音符はどういう気持ちですか、どうしたいの、それじゃ何やりたいかわかんねぇよ!」とあったかい指導をいただく。自分が部員のみなさんに鋭くつきつけている言葉をそっくりそのままである。つまり自分の棒がわるいのね。ちゃんとふるためには予習。これにつきる。アナライズなしに振り方を考えても無意味。
 古文の文章を音読してもらえば、どの程度読めているかは瞬時にわかる。それと同じで、少し動きさえすれば、どの程度譜読みしてきたかは、先生にはお見通しだ。次回のリベンジを誓いながらとぼとぼと加須駅へ向かう。帰りがけに学校に寄り、電車の中でやる予定だったけど、『火星に住むつもりかい?』がやめられず、こなせなかった仕事を少しした。

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最後の古文

2015年02月20日 | 国語のお勉強(古文)

 

 直前講習の古文編は今日が最終回。
 今の三年生に教える最後の古文には5名が参加してくれた。
 「浜松中納言物語」と「沙石集」から一問ずつ解いてもらい、物語系と説話系の二種類の違いを話す。
 現代文評論は「近代的価値の相対化」が、漢文は「知識人の生き方」が、文章全体を貫く問題意識として常に存在する。古文にも、語られる話の内容には共通する方向性がある。

 物語系の二大話題は、「男女の仲」と「死・出家」だ。
 和歌の二大テーマが「相聞」と「挽歌」であるのと同じ。
 「男女の仲」系の話は、通常うまくいかないエピソードが描写される。
 好きな人が来てくれない、契りを結んだのにそれっきり、人の妻を好きになった、好きな人が帝のもとに入内した … 。
 そういうときの鬱屈した思いが、文章になり、歌になる。
 「死・出家」に関わる話では、思うようにならない現実の前で、出家を決意するもなかなか現世への思いが断ちきれない心情が描かれたり、人の力ではなんともならない近しい人の死を前にして茫然とする姿が描かれる。
 「男女の仲」「死・出家」ともに、「人生は思うようにならないものだ」というはかなさ、せつなさが描かれる点が共通している。
 現代にいたっても、小説が描いているのは同じ世界と言っていい。

 説話は仏教説話と世俗説話の二種類に分けられる。
 仏教説話は、日常生活のエピソードをとりあげながら、仏様を大事にしないとだめだね、信心しなさいよと、一般庶民に説く話だ。
 世俗説話では、そのエピソードを通して、道徳的な教えや、生きる知恵を示す。
 「忍耐」「忠義」「孝行」など、儒教的価値観が色濃く反映している。
 こんな風にすると、こんな風に考えると、「人生はうまく生きられるものだよ」と教えてくれる。
 そういう意味で、物語が小説だとすれば、説話は現代でいえばビジネス書に近いのかもしれない。

 何をいっているのか全然読み取れない文章に出会ってしまったときも、大筋の方向性から類推して、少しでも読めるといいね、という話をした。

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面接で『特A』をとる!

2015年02月19日 | おすすめの本・CD

 

 ~ 中身は、髪型からスーツの着方、持ち物の持ち方、挨拶の仕方、握手の仕方とかをマニュアル化し、「面接とは第一印象で勝負するもの」というセオリーに基づいて徹底的に方法を練り上げたもので、私が知る範囲でこれを越えるマニュアル本は今のところありません。 (『佐藤優の実践ゼミ』文藝春秋) ~


 佐藤氏がここまで言う本は手に入れたいと思ってしまう。
 たとえそれが絶版本であっても。
 まして著者の坪田まり子さんが、往年のアイドル倉田まり子さんであることを知ればなおさら。
 それは『面接で『特A』をとる!』という文庫本だ。
 版元サイトでは、販売終了のアナウンスがされている。
 amazonで調べると、中古が多数販売されているが一冊3000円ぐらいの値がつけられている。
 上記の佐藤優氏の本から誘導されて買い求める人が増え、一気に値上がりしたことも伺い知れる。

 さて、どうしようか。
 二十年前なら、すぐに神保町の川村書店か、池袋の文庫ボックスに探しにいったことだろう。
 この文庫専門の古書店を、昔はずいぶん利用した。
 行ってみてもいいけど、電車賃を使ってでかけ、徒労に終わる可能性も高い。
 行って探すこと自体が楽しみだったが、人生の残り時間を考えると、お金で解決することは悪いことは思えない。
 それに都内に出かけていけば、電車賃だけではすむまい。せっかく来たのだから軽く何か食べようか、一杯だけ飲んじゃおうか、時間が許せばさらに大人の社交場にまで出向かないとも限らない。
 だとしたら、かりにamazonの中古本に何千円か払ったとしても、トータルでは安く上がることになるのではないか。さすがに1万円とか2万円とか値付けして出品してるヤツはムカツクが、本体+電車賃+池袋イケメンでナポリタンと生ビール代を足した値段ぐらいならと思い切って、注文してみた。
 
 一読する。
 あいさつのしかた、笑顔の作り方、写真のとりかた、電話のかけかた、礼状の出し方など、就活を控えた学生さんが知りたいことが、事細かに示されている。
 もちろん同じような本はたくさんあるに違いない。
 類書とは異なる点があるとすれば、それらのマニュアルを支える思想の堅固さだと思う。
 彼女自身に非はないにも関わらず、石もて芸能界を追われ、その後自分で切り開いた道が、キャリアカウンセラーという就職支援の仕事だった。
 第一印象がいかに大事かは、アイドル時代からの蓄積もあって身にしみているだろうし、あいさつの仕方などはそれこそ徹底的に仕込まれた経験もあるにちがいない。
 事件に巻き込まれたことも、人が人がどう評価するかという現実を知る上で、大きな肥やしになったのだ。
 一つ一つの事例を具体的マニュアルで説明しながら、なぜそうすべきかという理由、というか思想を語っているという点で、だんだんと感動をおぼえてくる。
 「礼状をその日に出さないといけないのはなぜか」という項目など、気づいたら泣いていた。
 ポップス講習会でご指導いただいた植田先生へ、礼状は書いたものの、講習会の翌々日だったことを反省した。

 「あとがき」に、「10年間、この仕事を通して … 」と書いてあるのを読み、たかだか3000円支払うことを逡巡した自分を羞じた。
 彼女の10年分の仕事がここにつまっているではないか。
 読み込んでこの内容を自分のものにできたら、いったいいくら分の価値になることだろう。
 あの佐藤優氏でさえ、こう述べる。

 
 ~ 初体面での振る舞い方とか、挨拶の仕方とかは、僕は全部、この本からパクってます(笑)そして、いまのところ、失敗していません。 ~


 そんなに良い本なら、自分も買い求めてみようと思われるだろうか。
 すでにご存じかもしれないが、就職を考える生徒さんがいる学校の先生は、読まれた方がいいと思う。
 とはいえ、文庫本に数千円は出せないという感覚は当然あるはずだ。
 坪田まり子さんは、現在大変な売れっ子で、普通に本を出してらした。
 『就活必修 面接術 2016』(さくら舎)1400円をお買い求めになってはいかがだろうか。
 『特a』に述べられた内容が、さらに整理されている本とも言える。
 1400円て、ほんとに申し訳ないような値段だ。本ほど安いものはないと、久しぶりに心の底から思った。

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この先

2015年02月18日 | 学年だよりなど


   学年だより「この先(1)」 


 試験はすべて終わった、または進路が決定したという人も多くなっていると思う。国立後期までチャレンジする人も、一ヶ月後には結果が確定する。当初(たとえば3年の初め)自分が思っていたとおりの目標を達成できる(た)人ばかりではないのが、現実ではないだろうか。
 今まで予定していたとおりに、もしくはそれ以上に努力を積み上げることができて、悔いの無い結果が得られている状態であるならば、素晴らしいことだ。今後も次の目標に向かって、そのまま突き進んでいってほしい。
 そうでない場合、まずやるべきことは何か。
 18歳と何ヶ月かの時点での正味の自分を表した結果として、現実を受け入れないといけない。
 何回も同じような話を書いてきたが、私達は万能ではない。無限の可能性をもつ神のような存在ではない。願えば叶うことは確かにたくさんあるが、願ったところで、いや願った上に相当の努力を積んだところで、叶わないものは叶わない。
 メジャーリーグで活躍したいとか、セリエAでプレーしたいとか、ミュージシャンとして世界中でライブをしたいとか、芸人になって冠番組を持ちたいとか、こういう類いの夢は、どう願っても努力しても、実現する可能性はきわめて低いだろう。
 みんなも、それをわかっているからこそ、大学進学を選んだのではないだろうか。
 だとしたら、むしろ今が人生のスタート地点に立ったということだ。
 イチロー選手になることも、本田選手になることも、じゅんいちダビッドソンになることも難しいが、会社に就職して働くことはできる可能性は高い。自分で会社を興すこともできる時代だ。
 大学に行けば、どうやって通う(住む)か、単位をどうとるか、サークルをどうするか、バイトはどうするかといった、目先の問題をとりあえずクリアしていかないといけない。
 ただし、それらをクリアしていく毎日を積み重ねるだけでは、今の正味の自分を変えていくことはなかなかできない。
 社会人として通用する要素をもたないピュアな状態で、就職活動の時期を迎えることになる。


 ~ 欧米・香港・シンガポールなどの国の常織でいったら「英語もろくにしゃべれないノースキルの文系学生が、大学を卒業しただけで職を得られること自体が、ありえない」ということです。
 欧米で文学部や社会学部・政治学部などの文系の学部を卒業して、さらに実務経験のない新卒は、まずまちがいなく100パーセント仕事がありません。でも、本人も仕事がないのはわかってますし、周りもおかしいとはいいません。そういう学部に入る時点で、なにか特別なことをしないかぎり、ただ卒業しても仕事がないというのは、あたりまえすぎる常識で、だれも疑問をはさみもしない、問題にすらしないことだからです。 (大石哲之『英語もできないノースキルの文系はこれからどうすべきか』PHP新書) ~

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アドバイス

2015年02月17日 | 教育に関すること

 村上春樹氏の期間限定のWEBサイト「村上さんのところ」では、読者、ファンからの様々な質問に村上氏が答えている。

 ~ 「僕はギャンブルがやめられません。金銭感覚が崩壊しつつあります」 ~

 アドバイスを下さいという36歳会社員に、村上さんがどう答えたか。
 ひとひねりして、なるほどと思わせるような答えが書いてるんだろうなと思いながら、読み進めていく。


 ~ 僕があなたにさしあげられるアドバイスは、たぶんありません。それは習慣というよりは、むしろ病に近いものですから、ギャンブル・アディクトを治療するための会合に出るなり、専門医に相談なさるなりされた方が良いと思います。それがいちばんの近道ではないでしょうか。僕の手には負いかねるむずかしい問題です。うまく脱出できるといいですね。がんばってください。 ~


 冷たくはない。本気で答えるなら、こう書かざるを得ないのだ。
 自分たちは何をやっているのだろう … と思ってしまった。
 自分たちとは、教員一般だ。
 「むしろ病に近いものですから、専門医に相談してください」と言わねばならない状況において、自分たちでなとかしようとしすぎてないだろうか。
 むろん、世間一般から求められている面はあるけど、積極的意志をもって専門機関に委ねることが大事なのではないか。
 できる範囲のこと、やるべき領域内のことはもちろん一生懸命やる。
 教員レベルで解決しようとしてはいけないことは、専門家にまかせ、親とともに見守り、祈り、支える。
 それは決して逃げではなく、責任ある姿勢であるはずだ。

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