水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

8月30日

2009年08月30日 | 日々のあれこれ
 車で投票所に寄って、そのまま学校に行こうかと思っていたが、混んでいる予感がして自転車にしたのは正解だった。高階中学校には、7時5分の段階でそこそこの台数の車がとまり、投票を待つ人の列ができていた。列は整骨院が開く直前のような雰囲気。初めて見る長さの列だった。
 帰宅して、「はやく行かないと投票用紙なくなる可能性がある」と妻に教えてあげたら、もう期日前投票をすましたという。
 いつのまに、そんな簡単に事前投票できるようになったのだろう。
 きっと組織に属している人は早々に投票し、落ち着いて電話かけとかやれることだろう。
 登校して、午前中は個人、パート練習だが、気になったアンサンブルをみた。
 昨日きいてなんか違和感があるなと思ったところは、たんにメロディーがおちていただけだったりした。
 午後は、文化祭合奏曲の通し。
 OBが何人も遊びにきてくれ、荒れかけた心がおさまったが、けっこうタフな合奏だった。
 そして、居残り組を送るバスを2セット出す。
 さあて、選挙はどうなるだろう。
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フリーター、家を買う。

2009年08月29日 | おすすめの本・CD
 有川浩はどんだけ抽斗があるのだろうと感心し、そのうまさと、あたたかさに、思わず感涙にむせびないた、新作『フリーター、家を買う。』(幻冬舎)。
 夏の終わりに、ちょっと元気を出したい方にぜひともおすすめしたい。
 とにかく、ページをめくった瞬間から、登場人物のキャラが立っている。
 主人公だけではなく、端役の一人一人みんなが。
 有川浩の作品ほど、映画化やドラマ化がたやすいものはないのではないか。
 『空の中』シリーズとか、ほんと映画にしてほしい。
 今回は自衛隊員ではなく、図書館司書でもなく、あるフリーターとその家族。
 そこそこの高校から、そこそこの私大に行き、そこそこの会社に入るものの、自己啓発セミナーか宗教の修行かと思われるような新人研修を受けてから、会社に対する気持ちが一気にさめ、「ここは俺の居場所じゃない」と三ヶ月で退社してしまった青年が主人公である。
 「居心地の悪くなった会社にしがみつくには誠治の自尊心は高すぎた」という1行を読んだとき、現代版「山月記」かと思ってしまった。
 すぐに別の働き口がみつかるという思いが甘いものであることに気づきながら、バイトに行って気に入らないことがあれば、すぐやめてしまう。
 仕事命で、家庭では酒乱気味の父親とは疎遠になるばかり。
 しかし、誠治は虎にはなれなかった。
 母親がうつ病にかかっていたことに気づいたからだ。
 嫁ぎ先の名古屋から、母親のようすがおかしいことを電話で察した姉がもどってくる。
 あんたもお父さんも、お母さんがこんな状態なのに何も気づかなかったのかと問いつめられるところから物語ははじまっていく。
 このお父さんもお姉さんも、濃ゆいキャラになっている。
 誠治が、肉体労働のバイトが続き出すあたりから、だんだんと成長していく様子が、いろんなエピソードの積み重ねで描かれる。
 うまくいきそうかなと思うと、事件が起きるという展開で、ほんとに読み出すとやめられない小説だった。
 バイトでの実績を買われ就職できた会社に、新入社員が入ってくる。
 東工大卒の女子でありながら、現場監督志望という変わり種だ。
 男女共用のトイレも平気だといい、華奢な身体ながら、面接スーツで40㎏のセメント袋をかつぎあげてしまう女の子。
 先輩の誠治へは、体育会系部活の後輩のように接しているのだが、ふと女の子にもどるシーンがある。
 誠治よりもさきに、読んでる方がきゅんとしてしまう瞬間。

 
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夏の終わり

2009年08月28日 | 日々のあれこれ
 文化祭に向けての合奏曲は、ABCみっつのチームに分けてとりくんでいる。
 たぶんどの学校でも多かれ少なかれあると思うのだが、コンクールが終わって3年生が引退し、じゃあ新チームでがんばっていこうと合奏をはじめたとき、コンクール前とのサウンドの差に愕然とする。
 きみたち、こんなに吹けてなかったの?
 ねえ、コンクールの曲、もう少しいい音してたじゃない、と泣きたくなる経験。
 でも、毎年のことなので、だいぶ慣れた。
 アクセントやテヌートの意味をきいて答えられない子がいても、別におかしいとは思わない。
 記号がついている音符は、何もないついてない音符とはちがってるんだよと教え、練習する。
 別におぼえがわるいわけではない。経験が少ないだけなのだ。
 何回も教えてあげればいいだけのことだ。
 「」のついている単語とついてない単語の違いを教えられない国語の先生だっている。なんら恥づることはない。
 ただし、教えたことをメモもしないで、同じミスを繰り返す場合には、プチキレが入ってしまっても、奚ぞ咎むることあらんや。
 合奏をおえて、居残りチームを送り、大宮に向かう。
 吹奏楽の先生方と夏の終わりの呑み会。
 吹奏楽の話題をえんえんと話せる貴重な呑み会であり、いろいろ苦労しながらがんばっている先生方と話せるだけで、コンクールでの傷心も癒えようというものだ。K先生、S先生、ありがとうございました。
  
 

 
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シエナ演奏会

2009年08月27日 | 演奏会・映画など
 昨日、今日と文化祭のアンサンブルチームを6つみた。
 5つが1年生主体のチームだったので、ほんとに基本的なことを指導する。
 目の前にあるのは音符の羅列だけど、、ここからここまでをひとかたまりとみて演奏するんだよ、というような指導である。
 基本的なことなのだが、教えなければ知らないままに終わる。
 生きていくうえで必要なことでは全くないから、高校で吹奏楽に入らなければしらずに終わることだ。
 ぎゃくに、それに気づくだけで、急に音楽的になる。
 ほんとに、うちの1年生しょくんは、うそ? というくらいとんでもない吹き方をするけど、こうすればいいよというと、すぐ変わる。
 教えないといけないのだ。
 芸術系の科目は、感性を大事にしよう、主体性をいかそう的な意見があるけれど、まず基本は教えてあげないとだめなのだ。
 国語も同じだな。
 小説の読み方はいろいろあるとか、国語には正解はないとかいう人がたくさんいて、研究会に出かけると「主体的な読みの創造」なんてたいそうなテーマで発表が行われていることもままあるが、まずは基本を教え込まないといけない。
 読みの基本、定石、お約束を知ったうえで、「でもおれはこう読む」というのはありだ。
 昨日は、アンサンブルをみたあと、久しぶりにシエナの演奏会に上野まで出かけた。
 おどろいたのは、音楽のおもちゃ箱コーナーの充実ぶりだ。
 充実というか、佐渡裕さんがプリマドンナの格好で4羽の白鳥をおどったり、ラテンダンサーの格好をして客席を練り歩くのだ。
 もちろん、お客さんは立たされ、踊らされ、唄わされる。
 楽しいのだが、なんか自分がやってる側になった気分で、汗が出てくる。
 世界の佐渡裕がここまでやるのだから、定演で唄っていいかななんて迷ってはいけないと思った(いっかいも迷ってないけど)。
 人前で何かをやるということは、何かをサービスするということなのだ。
 小難しい顔で、高尚な雰囲気になっているのがえらいのではない。
 
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自己推薦書

2009年08月25日 | 国語のお勉強
 3年生から、推薦入試に提出する作文の相談を受ける季節になった。
 いつも教えることだが、「今までやってきたこと」「これからやりたい」ことをかけばいいのだと教える。
 ご存じの方も多いと思うが、中谷彰宏『面接の達人』の教えそのままである。
 「今までやってきたこと」を書けば自己推薦書になり、「これからやりたいこと」を書けば志望理由書になる。
 あとは、それをどれだけ具体的に書けるかだ。
 これを教えると、だいたいの子はそれなりの内容で書けるようになる。 
 それで去年3年生の指導をいやというほどやって、1ランク上の志望理由書を書くコツがわかった。
 自分のやりたいことは世の中でどんな意味があるのかを考えてもらうのだ。

 ○○の研究がしたいです。
 じゃ、それは何のために?
 興味があるので。
 自分の満足だけのためなの? ひょっとしたら結果的にそれで終わるかも知れないけど、最初から自己満足のためだけに大学に行こうという人に、先生はお金を出したくないな。
 先生、お金ださないじゃないですか。
 何言ってるんだ。国立はもとより私立大学にしたって、莫大な助成金を国からもらってるんだよ。それはもとをただせば、先生が朝から晩まで授業やって部活やってそうじしてバス運転して働いて得たお金が税金になって、それが …
 先生の給料って、もとは誰が … ?
 あっ … 。まあ、とにかく、自己満足でいい研究はおたくなんだよ。世間にひらかれてはじめて学問と言えるんだよ。やってることは変わらないにしてもね。
 じゃあ、どうすればいいんですか?
 自分の行きたい学科、学部の学問について、いま何が問題になっているのか、どういう期待がされているのか、最近の新聞で関連する記事を読んだか、その研究がすすむと誰が喜ぶのか、自分の家族にはどんな影響があるのか、そんなことを考えないとだめなんだよ。考えた?
 いえ、あまり考えなかったです。
 直接書くことになるかどうかは別にして、そういうことを考えてるかどうかは、文章にあらわれるから、よく調べてノートにいろいろ書いてごらん。面接の対策にもなるよ。
 わかりました。ありがとうござました。

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色即ゼネレーション

2009年08月24日 | 演奏会・映画など
 70年代後半の高校生を描いた作品で、つぼに入った。
 いろんなシーンに、「そうそう、そんなだったよ」と恥ずかしくなるくらいだった。
 お父さん世代は絶対にはまると思ったのだが、ひょっとして、この中高生男子のおバカ具合は普遍的なもので、いまの高校生が見てもおもしろいかもしれない。
 昔も今も、若者の行動の原動力はエロい妄想につきるから。
 もちろん今はエロいものは簡単に手に入る。
 30年前なら秘蔵中の秘蔵で、よほど気心の知れたやつにしか見せないか、またはあまりの罪悪感ゆえに所有していること自体を隠匿してしまうかもしれないレベルの雑誌が、コンビニで簡単に手に入る。
 いや、簡単ではないかな。さすがに18歳以下禁止コーナーにおいてある雑誌を購入するのは、いまの高校生でも多少は躊躇するだろう。
 それを考えると、年齢制限というのはいいものだ。
 制限があるからこそ、どきどきできるのだ。
 この年になってしまうと、何の制限もないから、どきどきもしないし、わくわくもしない。袋とじも別に開けなくてもいいか、ぐらいの枯れ具合である。
 だからかな。
 勉強にではなく、むだなこと、おバカなことに無限の努力をそそぐことができた時代が懐かしいのかもしれない。

 女子も同じじゃないかな。
 ナオミールのCD「ラブレター」を聴きながら、目と目があった瞬間に恋に落ちたり、なんでもない一言が心にやきついてはなれなかったりするオトメな感覚というのは、きっと昔も今も関係ないと思った。


  切り抜いたワンシーン 今も鮮やかにこの胸残ってる

  たくさんの人の波に 揺られた瞬間にはじめて あなたを見た
  一瞬全ての景色がとまった 夏空に夜のパレード

  時のいたずらならば ずっとこのままでも …
  あなたのいる 綺麗なまま 景色止めてしまいたい

  これは何かの魔法なの? 引き寄せられていく
  メローな曲 遠くでほら 回り続けている

  突然強い風が背中を押した あなたと出会った今日は
  私にとって Special Day   ~ Naomil 「Special Day」~
 

 
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帰れない二人

2009年08月22日 | 日々のあれこれ
 自分も文化祭の準備に入らねばと思い、今年こそはと「帰れない二人」の楽譜をみて、少しひいてみた。
 前奏がかっこいいのだが、難しい。
 歌に入ると、いきなり「コミカルマーチ」のトリオと同じようなコード進行になっているのに気づく。
 サビに入る直前のディミニッシュの進行や、ツーファイブやら、吹奏楽の曲を勉強して(せざるを得なくて)理解したことに、こんな形で触れられるなんて。
 昔はやみくもにコードを丸暗記するだけだったので、それほどおぼえられなかた。
 今だと、見たことのないコードでも、理屈から見出すことが少しはできる。
 年をとるというのも悪いものではない。
 ただし、頭と身体は別で、わかったからといってすぐに押さえられるものではない。
 練習さえすればできるようになる自信はあるし、できるようになるスピードもたいして劣ってないような気がする。
 問題なのは、練習そのものを続けるからだでなくなってしまったことだ。
 なんてことを考えつつ、午後は文化祭で取り組む曲の合奏にのぞんだ。
 自分の練習をしてる場合じゃないかも。
 いや、しかし、彼らもやってくれるであろう。
 どう考えても、やらされるより、自分たちで苦労してつくっていった方が楽しいのだから。
 
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夏の少女

2009年08月21日 | おすすめの本・CD
 先日帰省した折、久しぶりに金沢近代文学館に立ち寄ったら、唯川恵、本谷有希子といった新しい作家も大きく展示されていて、突然唯川恵が読みたくなり、香林坊大和の本屋で『病む月』を購入し「夏の少女」を読んだら、案の定失禁みたく感涙してしまった。
 あとがきで筆者はこんなふうに書いていた。

 ~ 今年の春、実家の近くに花見に出かけた時、咲き乱れる桜を眺めながら、ふと、私はあと何回これを見ることができるのだろう、という感覚に見舞われました。
 そんなふうに、季節を逆算するようになった自分に驚きました。
 けれども、その時少しわかりかけたのです。
 愛おしい、という思いを本当に知るようになるのは、きっとこれからなのだと。
              唯川恵『病む月』(集英社文庫)より ~


 自分のすごした時間を愛おしく感じる気持ちは、今3年生たちがひしひしと感じているかもしれない。
 大学でも、大人になっても音楽を続けることはできるが、高校のコンクール前のような気持ちになることはおそらくないだろう。
 ちょっとしたことにセンチメンタルになれるのは青春期の特権だが、大人になるにつれて、そんな感情をもつ余裕も感性も減っていく。
 でも、さらに年をとって、自分が過ごしてきた時間と、過ごせるであろう時間の長さとの逆転を意識したとき、唯川恵さんのように思ってしまうこともあるかもしれない。

 せっかく金沢にいられたのだからと、片町の裏手にある「ぶんぷく」という隠れた名店で、カツ丼を何年かぶりに食べながら、おれはあと何回このカツ丼を食べられるだろうかと思ったのだ。
 唯川恵氏に比べ、なんとも無風流なきっかけなのだが。
 もちろんお金さえ気にしなければ、週末に一泊二日で、いや日帰りででも、このカツ丼だけ食べに来るのも理論的には可能だ。
 でも、家族の手前さすがにそこまではできない。
 帰省した折に必ず金沢に来られるかというと、そうも行かないこともあるだろう。
 また、店自体がいつまでもあるというものでもない。
 数年後に訪れたら店じまいしてたなんてこともないとはかぎらない。


 墓参りのために郷里金沢を訪れた尚子は、両親が他界して誰も住まなくなった実家の雨戸を開け放っているとき、見知らぬ少女を見かける。
 翌日、夫と合流し、野田山の墓地に向かう。
 夫が水を汲みに行っているとき、またその少女が現れて、尚子を見つめながらにこにこと笑う。
 「あなたもお墓参りに来たの?」と問いかける尚子に、「ここで遊んでるだけ」と答える少女は、何年も前から尚子のことを知っているかのような親しげな感じだった。
 夫がもどって来てふとふりかえった時、どこに行ったのか少女はいなくなっていた。


~ 夜は両親の部屋だった和室に布団を並べて寝た。静かな夜だ。切子の灯りにいざなわれた死に人たちも、きっと眠りについているだろう。
「尚子」
 夫の声に黙って顔を向ける。
「そっちにいっていいか」
 尚子は身体をずらし、夏布団の端を少し持ち上げた。夫が入ってくる。枕は夫に譲り、尚子は彼の腕に頭をあずけた。話すことは何もなかった。話せば、きっと泣いてしまうことを夫も尚子も知っていた。
 夫はしばらく尚子の髪をなで、それから唇を重ねてきた。温かな息が身体の中に送り込まれる。いつもそばにいるのに、いつも懐かしく感じる夫の匂い。すっかり痩せて、かつての膨らみがなくなった乳房を触れられるのが恥ずかしかった。夫の手が労(いたわ)るようにそれを包み込む。尚子は夫の背に腕を回した。痩せたのは夫も同じだった。畏(おそ)れは尚子に、そして悲しみは夫にある。夫を抱き締めたかった。私のために悲しみを背負わなくてはならなくなった夫が愛しい。ふたつの心臓が、重なり合う裸の胸の下で正しい鼓動を繰り返している。生きているのだと感じる。確かに、今、生きている。 ~


 今回の墓参りは、おそらく郷里に帰れるのは最後になるだろうことを予測してのものだった。
 自分の病気が、どうにもならないところまできていることは、夫がいくら隠そうとも、自分の身体がいちばんよくわかっていた。


~ 出会った頃、若い男と女は当然のように惹かれ合い、恋をした。ためらいと羞恥と少しばかりの自尊心が邪魔をしたが、乗り越えるのは簡単だった。その頃のふたりにとって愛情は常に行為であり、愛し合って、セックスをして、もっと愛し合った。すべての男と女がする当たり前のことを、自分たちだけが特別であるような錯覚を、何の疑いもなく存分に味わった。争いもあった。腹をたて、時には傷つけ合うことも、憎しみを覚えたこともある。それでも別れることなくここまできた。何も知らず、何も怖れず、朝になれば東の空が明るくなるように、当たり前に明日を迎えていたあの頃の自分たちがひどく眩しい。
 今はもう、一時のような激しい動揺や不安に襲われることも少なくなった。その時を迎える準備も少しずつ進んでいる。その中で、自分にできることは何だろうと考えた。夫を遺して、先に逝ってしまう自分にできること。決心したのは、そのことを私が知っているという事実を夫に気づかれないでおくということ。限られた時間を、夫の優しさを存分に受け、自由に振る舞い、夫に「し残したことがある」という後悔を残させないこと。
 東京に帰ったら、尚子はすぐに二度目の入院をする。たぶん、二度と帰ることはない。
                    唯川恵「夏の少女」(『病む月』より) ~


 翌朝、実家を出ようとすると、また少女が顔を出す。
 昨日は、お家にあそびにきてほしいなどと言ってごめんなさいと言う。
 まだ家に呼んじゃいけないとおじいちゃん、おばあちゃんに言われたからと、言うのだ。
「あなた、誰?」と思わず言ってしまった尚子を、困ったように見つめ返してくる少女を凝視すると、不意に胸をつくような思いがこみあげ、少女が誰であるかに気づくのだった。

 
 
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8月20日

2009年08月20日 | 日々のあれこれ
 学指揮、セクションリーダーとともに、熊谷女子高での講習会にでかけた。
 五十嵐清先生のご指導である。
 基礎合奏を行いながら、バンドのリーダーとして心掛けることがらを、お話いただいたのだが、「開始に先立って各校の代表者の方、自校を紹介してください。一人20秒程度。指名しませんので、お好きな方からどうぞ」とまずおっしゃる。
 いきなりの氏名無し発表である。
 小学校か中学校で、こういう発表のしかたを経験した生徒さんは、そんなにいないはずだ。むろん高校で、こういう方法をとる先生は全体の0.1%いない。
 案の定、誰も立たない。
 こんなふうに会を始められた五十嵐先生が、ただものではないと思った(ただものではないのだが)。
 リーダーになるってどういうことなの? といきなり聞かれたのだ。
 勇気を出して、ある女の子が手をあげて話しはじめると、あとが続いていった。
 各校の紹介がおわり、スケール練習の譜面をみんなで演奏する。
 姿勢、呼吸、アンブシュアの話。
 途中、メモしてますか? と聞かれる。
 ちなみに、さっきの各校の紹介をメモしましたか。今日は何高校がきてるのか、おぼえたのですかと尋ね、目をそらす参加者に、メモ帖の重要性を話される。
 みんなの前に立って声を出す時は、遠くの人を目標に。
 リーダーが指示をしているときは、援護射撃をするのがサブリーダーの役目。
 仕事をたのんだら、そのフォローまでちゃんとやる。
 楽器を持たずに聞いていたら、そのまま会社の研修で使えそうなお話ばかりである。
 様子をうかがっていると、メモのとりようが少ない。
 先生のといかけに対するリアクションがほとんどない。
 参加者がうちの部員だけだったら、多分一回きれて、返事ぐらいしろお! と叫んでいたと思う。
 みんな真面目なのだ。
 リアクションももう少ししたいのだ。
 でも、空気を読みきれなくて、自分が一番に反応して、それがへんだったらどうしようと思ってるのだ。
 よおく、わかる。
 そして、「さんはい」で吹く時の音が、同じ音なのだ。
 誰かが吹く様子をうかがってから、おもむろに吹こうとする音。
 それはまさしく、ふだんの本校の合奏の状態なのだが、うちだけの問題ではないのだろうとしみじみ思った。
 終了後、「ふつうにAでがんばっている学校どおし、がんばっていきましょう、また呑みましょう」とK先生から声をかけていただく。
 ありがたいことだ。呑みはいつでもOK!
 遠かったけど、たくさん教わることができた。
 今日習ったことを、明日の練習で、さも昔から知っていたかのように部員に話すことによって、自分のものにしていきたい。
 
 
  
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山形スクリーム

2009年08月14日 | 演奏会・映画など
 まあ、くだらない。B級。
 でも、かっこいいものをつくろうとしてB級になってしまった課題曲3みたいなのではなく、最初から徹底してB級を目指したのだからこれでいいと思う。
 竹中直人・成海璃子でなかったら、こうやって上映されることもなかっただろうし、たぶん観に行かなかった。
 そして竹中直人だからこんな豪華な出演者で、この作品がつくれたのだが、ひょっとしたら、もっとマイナーな役者さんを集めてつくった方がよかったのかなという気もする。
 キャストは豪華だ。温水さん、生瀬さん、赤井秀和はあいかわらず味わい深いし、何よりセブンティーンのモデルさんたちがいい仕事をしていて、目の保養になった。
 動いている桐谷美玲ちゃんをはじめて見られてよかった。
 問題は成海璃子ちゃんで、ずいぶんぽっちゃりしてきてるので、役柄の幅がせまくなってしまうのではないだろうか。
 榮倉奈々ちゃんと余命一ヶ月の花嫁とのギャップほどではないが、あまりに健康的なかわいさを持つ子は、悲しい役が難しい。
 成海璃子ちゃんは「罪とか罰とか」が今のところベストワークかな。

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