水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

4月30日

2009年04月30日 | 日々のあれこれ
 昨日の練習後、新宿に行った。
 西部地区で演奏する曲をずっと考えていた。
 1年生もふくめ全員で参加したいし、それをコンクールD部門で演奏できればなおいい。
 となると、そんなに難しい曲はできないのだが、簡単すぎてつまんなかったりとか、夏までやるにはあきそうというのはよくない。
 どんな難曲でも打楽器パート13名に仕事がまわることはないが、でもそれなりにやりがいのある曲にはしてあげたい。
 手持ちのCDで可能性のあるのはだいたい聴いて目星はつけたけど、曲名だけ知っているあの曲はどんなだろ、あのCDがほしいな、ネットで注文しようか、どこに頼むのがはやいかな、アマゾンにあれば速いけどあるかな、あっ在庫切れか、じゃあバンドパワーか、でも明後日くらいになるな、いざ聞きたいとなるとすぐに聞きたくなるものだ、どうしようと思って、学校帰りに南古谷から電車に乗ってしまえばいいことに気づいた。
 車を置くとすぐ電車がきて、新宿に着き東南口を出たらもうタワレコだ。
 そこで、ほしいと思っていたCDがすべてそろった。
 あれこれ悩まずにタワレコに行ってみるのが一番はやい。
 本も、ほしいなと思ってアマゾンで検索し、在庫切れ入荷待ちの表示を見ると、すぐにほしくなる。
 そんな時は、ジュンク堂に行き、それでなければあきらめがつく。
 ここになければしょうがないよね、というお店にすぐ行けるというのは、便利なところに暮らしていると思う。
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4月29日

2009年04月29日 | 日々のあれこれ
 1年生とリズム練習のあと、全員でB♭とFの音、むりやりB♭のスケール。
 吹けてなくても、そこが100%になるのを待つのではなく、とりあえず先に進んであげてほしいと上級生に指示した。なんでも同じだと思う。完璧主義だと先にすすめない。
 久しぶりに全員でリトミック的な練習。4拍子、3拍子のリズムに合わせ、ちょっとした身体の動きをつけて歩く練習。伊奈学園さんを見学させていただいて憶えてきたものだ。今年こそ、春先だけでなく年間通してやっていきたい。
 夕方、マンドリンギター部の定期演奏会に出演した打楽器を迎えに市民会館へ。
 南古谷ウニクスの前を通ると、人がいっぱいだった。
 冬に、ここの映画館で「ハッピーフライト」をたった一人で観たとき、大丈夫かなと思ったけど、さすがにGWはにぎわいそうだ。
  
  
 
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4月28日

2009年04月28日 | 日々のあれこれ
 4月3日から通っている1年生たちに(私たちにも)待望のゴールデンウィークがやってきた。4週間弱過ごしてみて、たいへんまじめな生徒さんたちであることがよくわかった。部活でみてても、みな休まずにまじめにがんばっている。
 だから、ぜいたくな悩みなのだが、もう少しリアクションがほしいと思うことはあった。
 慣れれば変わるのかもしれないが、授業中に「わかりましたか」「こうだよね」「昨日話しましたね」と問いかけたとき、うなずいてくれる子があんまりいない。不安に思い、指名して問うてみると、わかっているし、憶えているのだ。
 「今の高校生は」と一般化するのは危険かもしれないが、「ゆとり世代」になってからの生徒たちに、以前と変化があるとするなら、コミュニケーション能力ではないかなと最近思う。
 でも、ゆとり教育世代のカリキュラムで最も重視されたものとして「伝えあう力」つまりコミュニケーション能力の育成があったはずなのだ。
 国語科においても、「読み・書き」ではなく「話す・聞く」力を高めようという研究がさかんに行われてきた。
 しかし、現実には目減りしているように感じるのはなぜだろう。
 ひょっとしたら、たんに自分が歳をとって、生徒さんがたが「こんなおやじに反応したくない」と思っていることが原因なのかもしれない。
 
 定期演奏会のDVD見本が届いた。確認後、枚数分のプレスにはいってもらう。
 曲名や人名に間違いがなければもう大丈夫な状態らしいのだが、つい早送りをとめてふつうに観てしまうと、ほんと2部の後半は泣けるなあと思う。
 早くみなさまのお手元にお届けしたい。
 
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4月27日

2009年04月27日 | 日々のあれこれ
 新任の先生の研修で話をするように命じられ、次の二つを話した。
「丸腰で生徒の前に立たないようにしよう。生徒が話を聞いてくれるのは、けっしてわれわれの授業がすばらしかったり、人間的にすぐれていたりするからではまったくない。先生という鎧を着ているから生徒としてふるまってくれるだけだ。生身の人間として生徒の前にでるという危険をおかしてはいけない。ちゃんと距離もとり、生徒を君づけでよぶようにしよう」
「勉強しよう。勉強したからといって、すぐにそれが身に付くものではないし、授業がうまくなるわけではない。でも勉強している人であることは、何らかの形で生徒に伝わる。技術的に足りない部分は気持ちで補おう」
 まあしかしおれもエラくなったものだ。
 自分の一年目時代より明らかにしっかりしている若い先生方を見て、そう思ったが、そんな気持ちは顔に出さずえらそうに話しきった。
 二つめの話は、音楽にもあてはまる。
 どうしたって、技術は劣る。何年も楽器をやっている子たちの集団に比べたら、技術力の総体で勝てるわけはないのであるが、それって狭義の技術ではないだろうか。
 いい音楽をつくるには、取り組む姿勢も大事だ。
 月並みだけど音楽に対する「誠実さ」のようなもの。
 それは、音楽に限らず、いろんなものにちゃんと取り組む、努力するという過程でのばしていくことができるような気がするから、やはり大きな意味では技術と言えるのではないか。
 楽器の技術は部活中にしか練習できないが、気持ち面は生活全体でのばしていけるような気がするのである。
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スラムドッグミリオネア

2009年04月26日 | 演奏会・映画など
 「スラムドッグミリオネア」は、ひさしぶりに観る洋画だが、あたりでよかった。
 じゃ何がよかったのかと尋ねられたら答えに窮してしまうのだが。
 貧民街育ちのインド青年が「クイズミリオネア」で最高賞金を獲得できたのはなぜか。ミステリーのようにそれが明らかになっていく過程で、一人の若者の人生がうかびあがる。

 センター試験や大学入試でとりあげられた、加藤周一先生の「文学とは何か」は、科学との違い、日常との違いを示しながら文学とは何かを簡潔に説明した名文として知られる。
 文学とは具体であるという。
 科学的経験は蓄積され分類されることを志向する。
 文学的経験は具体的かつ一回かぎりのものである、と。
 愛しい人と始めてデートできた日の空とか、またはふられた時に見る景色とかを思い浮かべればわかりやすいかもしれない。
 加藤先生は、梶井基次郎の「檸檬」をとりあげて説明する。

 ~ 梶井基次郎の「レモン」の場合には、別の問題ではない。文学的経験は、単に具体的な、一回かぎりの経験なのではなく、それを通して当事者の人生の全体、つまりその人の世界の全体に対する態度が現れざるをえないような経験である。~

 自信をもって理解できているとはいえないが、また授業してみたい文章だ。
 そしてそのときは、この映画の話をネタにできているかもしれない、できれば熟成させたいなどと思った。
 現代社会の様々な問題が前面にでてくるけど、幹の部分に「純愛」という筋が通っていて泣けるのもよかった。
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4月25日

2009年04月25日 | 日々のあれこれ
「先生、今日何歌うんですか?」
 久しぶりに学食のカツ丼を食べていたら、かわかみ先生に尋ねられた。
「秘密ですけど、イルカにのった少年です」
「ええっ、ふるくないですか」
「だいじょうぶでしょう。ちょうど私らが子どものときだから」
「そうですかね、みずもち先生○年(生まれ)ですよね。年下の親御さんが多いんですよ」
「先生、何年でしたっけ」
「○年です。」
「うそっ。じゃあ干支は何ですか」
「○○です」
「上手にさば読みますねえ」
 3時間目だったので、つくりおきではなく、チーフの作りたてのカツ丼だった。
 卵はほどよい半熟状態である。しかしカツ自体に限界があるのはしょうがない。
 おいしいカツ丼を食べに行きたくなってきた(いや、もちろん学食のもおいしいです。値段から考えたらそんなに文句はありません)。体調はいいかもしれない。
 放課後、1年生が楽器をもって初めての合奏にのぞむ。
 B♭とFの音を4拍ずつのばすこと数回。
 これだけでも、なんか合奏してる気分になるのは、人数が多いせいだろう。
 ありがたいことである。来週はドレミファソぐらいまでいってみたい。
 リズム打ちととコールユーブンゲンも少しだけやって終了。
 そのあと上級生はマーチ2曲(課題曲)の合奏。
 録音してみんなで聴いてみたが、現状を把握できただろうか。
 どちらかにしぼってしまいたいが、まだ決めかねている。
 残りの時間でしっかりさらっておこうと言い残し、ジャージからスーツに着替え学校を出た。
 氷川会館で行われる、父母と教師の会の懇親会に参加するためである。
 乾杯のあと歓談していると、よくあることだが、年齢の話になり「もう四十年代生まれのお母さんも多いですよね。」的な話も出た。
 ちょっと待てよ。さすがにそうなると「イルカに乗った少年」は古すぎるだろうか、との不安もかすかにうまれた。
 先生おねがいします、と声がかかる。イントロが流れる。
「♪誰も知らない ~ 」と歌いはじめたときの客席の反応をみて、つかんだ、と思えた。あとはいつものペースにもっていけた。
 アンコールの声があり、大変僭越だと思いながらも、学校長から「歌ってよし」の合図を頂戴したので、「青いリンゴ」を歌わせていただいた。
 今年も無事自分の役割を果たすことが出来たようだ。
 若干の後悔があるとすれば、二曲目は現代の歌がよかったかもしれない。来年への課題としておこう。
 宴会がはねて学校にもどり「漢文重要例文集」の印刷。今週も乗り越えられた。
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4月24日

2009年04月24日 | 日々のあれこれ
 草なぎ君事件でいろんなコメントがあるけど、いちばん納得したのは東良美希さんの「罪を犯したことの無い者からこの若者に石を投げよ」というコメントだった。
 だいたい酔っぱらって裸になったぐらいで、ここまで大騒ぎするのはおかしくないかな。
 あのジャニーズ事務所をして、この大騒ぎを回避できなかったのだから、何か裏があるのかもしれないが。
 よっぱらって素っ裸になってしまったことぐらい、誰しも経験があるはずだ。
 なのに、さらしものにして、家宅捜索までして … 、えっ? ないですか?
 ないよね。それはない。
 しかし、大雪の日に、酔ったいきおいで裸で雪山に埋まってみるなんてチャレンジを、雪国の学生なら誰しもしているのではないだろう … 、ないよね。ぜったい、ない。
 酔ってはだかになる程度の悪さをしたことのない人がこの世にどれくらいいるのかということを、多くの人はイメージできるから、草なぎくんをかばう発言も多く目にする。
 「最低の人間だ」とアルカイダみたいな顔でコメントした方はよほど高潔なお方であらせられるのであろう。
 
 今日ははじめて1年生たちとストレッチしたり、歌ったり、リズム打ちしたりできた。
 明日は3拍子や4拍子で歩いてみようと思う。
 
 
 

 
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4月23日

2009年04月23日 | 日々のあれこれ
 昔はなかった「就活」という言葉がいつのまにか人口に膾炙したと思ってたら、「婚活」という言葉もあちこちでみかけるようになった。
 よい結婚をするにはどうすればいいか、よい相手にめぐりあうにはどうすればいいか的な方向性で語られることが多いようだが、内田樹先生の「『誰とでも結婚できる』というのが真の大人である」というお言葉が気に入っている。
 21日に書いたことと同じじゃないだろうか。
 赤い糸で結ばれた人とめぐりあって結婚することを求めるのではなく、誰と結婚しても幸せになれるのが大事。
 やりたいこと探しするよりも、与えられたことをやる。
 こんな仕事は自分をいかす仕事ではないとか、こんな会社じゃやっていけないとか、こんな学校はあわないとか、この部活はあってないかもとか言わない。
 どの学校に行っても、会社に入っても幸せになる人は幸せになる。
 つまり体質かな。
 「勉強できる体質になることが大事」とよく生徒さんがたに言うけど、同じことなのだろう。
 ちゃんと練習しようも同じ。
 学校というのは、あの手この手で体質改善をやっている場所かもしれない。
 「幸せ体質づくり」と名付けよう。
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4月22日

2009年04月22日 | 日々のあれこれ
 午前中授業、午後は吹奏楽連盟の会議にミューズまででかけた。
 総会のあと、酒井根中学校の須藤先生のお話をうかがう。
 全国大会3年連続金賞のあの須藤先生である。
 2月の楽曲研修会の際にも、お話をうかがうことができたが、その時は実際に生徒をつかっての練習方法の説明があり、たいへん参考になった。
 今回は吹奏楽や部活動に対する先生の考え方を中心にうかがうことができ、途中涙腺が決壊しかけたのは私だけではなかったと思う。
 「コンクールは出られなくてもいい、先生と音楽がやりたい!」と言われた話とか、コンクールメンバーをはずれた3年生が、サポート隊で楽器を運ぶ係をかってでて、「先生、全国のステージに立たせてくれてありがとうございました」と言いに来た話とか。
 エピソードそのものも素晴らしいのだが、そのエピソードを支える普段の活動全体の大きさを感じるから心打たれるのだろう。
 西部地区の総会では、毎年こういう形でいろんな先生のお話をうかがうことができて幸せだ。
 どの先生も共通して「音楽の前に人間をつくれ」とおっしゃる。
 身なりをただし、掃除ができないとだめだと。
 徹底していきたいものだ。
 須藤先生は「コンクールを最大の目標にしてはいけない」と言われた。
 その通りだと思う。
 最近こんなことを語りたいと考えていた。
 「コンクールは大事な目標ではあるが、でもおれはそんなのはちっちゃい目標だと思う。ある女子高生が無理やり誘われて川越東の定演に来てしまったとする。その子は、最近いやなことが重なってもう生きる意味がわかんないなんて思っていた。でも客席の隅で最後まで聞いて、なんか生きる勇気はわいてきたという思いを抱かせて帰すことができたとしたら、そっちの方が何倍もいいのだ」みたいなことを。
 須藤先生は「コンクールは好きじゃない。ほんとうは楽しく音楽をやりたい」とも言われていた。
 須藤先生ほど勝って語るからかっこいいんだよな。
 今のおれが言っても微妙だから、まず勝とうとも思った。
  
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4月21日

2009年04月21日 | 日々のあれこれ
 新入部員の楽器決めが無事おわった。
 例年よりも平和裏におわったのではないだろうか。
 もちろん、涙をのんで譲ってくれた子もいるかもしれない。
 しかし9割以上がはじめて楽器を手にするのだ。
 何が自分にあっているのか、ほんとうのところは誰にもわからない。
 今回決まった楽器で上手くなれるかどうか、いい部活ライフを送れるかどうかは、適性や才能ではなく、取り組む姿勢にあることはまちがいない。
 「希望どおりにはならなかったかもしれないが、決まった以上、それが第一希望だったと思ってとりあえず一生懸命やってごらん」と話した。
 「先生だって、別に吹奏楽部の顧問になろうなどと思っていたわけじゃない。たまたま誰もやり手がなくて、やれと言われたからやっただけなんだけど、一生懸命やってたらすごく面白くなった。人生なんてそんなものだから」とついよけいなことを言ってしまった。
 過去をふりかえると、「おれは絶対この楽器しかやりたくない。やれないならやめる」という姿勢の子が何人かいた。
 そこまでいうならと、その子に希望楽器をまかせはしたが、入部当初にそういう姿勢だった子は、だいたい途中でやめちゃったなあという印象が残っている。
 「なんでもいいです」という子が、いつのまにかどんどんはまっていく様子をみることはけっこうあった。
 学年だよりに書いたネタでこういう話がある。

 ~ ある村に伝説があった。
 ある年、ある日、ある時間にこのような風貌の旅の男が村の端を通るであろう、という。その男こそ観音であり、村に残り、村を救ってくれるであろう、というのである。
 村人たちは、その日を心待ちにしていた。
 その日、その時間がやってくると、伝説どおりの格好をした旅の男がやってきた。
 村人たちは「お待ちしていました、あなたこそ観音です。どうぞこの村を救ってください」と言う。
 実はその旅の男は、観音でもなんでもなくて、本当にただの旅人だったのだが、「あなたたちがそんなに言われるなら、わたしは、きっとそうなのでしょう」と言って、旅をやめ、その村に残り、その村のために尽くした、その男の働きは、村にとってとても役に立った、という。
 その男はもちろん、もともと観音であったわけではない。しかし役割を受け入れることにより、観音ならずとも有為な人間として生を終えたのである。
 役割を受け入れる、とはそのようなものだと思う。自分には到底そのような力はないと思っても、期待されることによって、役割を全うできる人間になっていく。(内田樹・三砂ちづる『身体知-身体が教えてくれること』)~

 「やりたいことをやろう!」と多くの人が言う。
 「自分のやりたいことを見つけよう」と。
 でも、それがほんとうにやりたいことかどうかは、実はやってみないとわからない。
 けっきょく、自分のやりたいことなんていうのは、人はわからないのだ。
 何かの縁でやれる機会があったなら、とりあえずやってみる。
 しかも一生懸命やってみる。
 一生懸命やれた人は、これが俺のやりたいことだったんじゃないかなと気づく。
 これは俺のやりたいことじゃない、と言って動き出さない人は、やりたいことがみつからないままに終わっていく。
 そんなものではなかろうか。
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