保護者のみなさま
合同練習、演奏会でご一緒していただいたみなさま
先生方
一年間お世話になりました。
「自分たちがこうして演奏できるのはみなさんのおかげなので、その思いをこめて演奏します」と、先日の部内発表会で部長の玉川くんがご挨拶したように(顧問よりしっかりしているので助かります)、感謝の気持ちを忘れずに活動していきたいと思います。
来年もよろしくお願いいたします。
みなさま、よいお年をお迎えください。
保護者のみなさま
合同練習、演奏会でご一緒していただいたみなさま
先生方
一年間お世話になりました。
「自分たちがこうして演奏できるのはみなさんのおかげなので、その思いをこめて演奏します」と、先日の部内発表会で部長の玉川くんがご挨拶したように(顧問よりしっかりしているので助かります)、感謝の気持ちを忘れずに活動していきたいと思います。
来年もよろしくお願いいたします。
みなさま、よいお年をお迎えください。
関西の奥座敷とよばれる芦原温泉は、福井県の北端にある。およそ120年前、田圃に水をひこうと井戸に掘っていたお百姓さんがお湯を掘り当てると、翌年には温泉宿が数件建てられる。明治末に敷設された鉄道のおかげで遠方からの客も増え、戦後は、昭和23年の福井大地震、31年の芦原大火と災害に見舞われながら、そのつど乗り越えて、北陸を代表する温泉街として発展していった … 。
故郷芦原温泉の歴史は、ざっくりこんなところだろうか。
今思うと、自分は街が一番賑やかだったころに幼年期を過ごしていた。高度経済成長期の終わり頃にあたるだろうか。週末や盆、正月は、お隣の旅館から聞こえる三味線や太鼓の音、芸子さんの歌を聞きながら育ち、自分も太鼓の保存会に入って、祭りではぶいぶいいわしていた。
祖父は開花亭という老舗旅館の板前だった。随分あとになって知ったことだが、給料は安かったようだ。両親がその額を聞いて驚いたと話していた。開花亭は、天皇陛下もお泊まりになられたことのある、きわめて格の高い宿だ。そこでこれか、と。でもはぶりはよかった。泊まり客からのご祝儀が相当のものだったのだ。
一番はずんでくれたのは藤山寛美だったそうだ。大阪での公演がはねたあと芦原に訪れて一晩もしくは二晩泊まり豪遊してゆく。料理がうまい、板場さんをよんでくれと呼び出され直接祝儀をもらったぞと、遅くに帰った祖父が上機嫌で話し、両親には言えないお小遣いをもらった。
昭和31年、国鉄三国芦原線の芦原駅前の民家から出た火は、おりしもフェーン現象の風にのり、16軒の旅館、300軒余の民家を焼き尽くした。温泉街の壊滅だった。
ここまでの大火事は数十年前だからこそ起きたのだと思っていたから、先日の糸魚川の大火事には驚いたのだった。
幸いなことに、けがをされた方も少なく、すでに避難所が閉鎖されて公営の住宅などに、みなさん移られたという。もちろん今後の暮らしが簡単に立ちゆかないことは間違いないし、年末年始のゆったりした気分になれないことは本当にお気の毒だ。
ただ、生きていればなんとかなる。一番大事なものだけは失わなかったことは、被災された方だけでなく、その関係の方々にとっても安堵されたことだろう。
芦原大火のときって、焼け出された人々はどうしたのだろうか。今ほど生活インフラがととのっていなかった時代だからこそ、ひょっとしたら現代人よりも耐性があったかもしれない。なにせ、その十年ほど前には戦争を経験していた方々だから。実家の父にきいてみよう。
温泉街の真ん中にある私の生家も、大火で全焼した。その後、新しい家を建てに来た大工が松田正治という青年である。その仕事ぶりが遠縁にあたる水持家に気に入られ、後に婿養子となった。
だから芦原大火がなかったら、わたくしめは、この世にいないことになる。不思議なめぐりあわせだ。
板前の祖父も、仲居さんをしていた祖母と知り合ったのち、婿養子として水持家に入った。長男として私が生まれたことは大変な喜びだったそうで、あまやかされて育ちこんなになってしまった。
大火のときに町の消防団長を勤めていたのは、開花亭の主人である北川昭治氏である。自分の旅館にも火の手は迫っている中で、私情をいっさいはさまずに消火活動を陣頭指揮し続けていた立派さを、幼いころに聞いた。北川氏は県会議員、県会議長も務められ、数年前に鬼籍に入られた。
糸魚川では、十数台のミキサー車を使って徹夜で水を運び続け、消火を手助けし続けた会社があるという。いつの時代にも義に生きる男はいるのだ。目先の利益、自分のことよりも、義を大事にする男。自分もそうありたいし、生徒さんたちも目指してほしいと思う。
今の芦原温泉は、昔ほどの活況はない。生活様式やレジャーの様式もかわったし、何より高度経済成長期にような世の中ではなくなった。とくにバブル以降は経営の苦しい旅館がほとんどだと聞く。
老舗旅館のいくつかも姿を消した。自分にとっては、開花亭がなくなったと聞いたときに、時代の変化をしみじみ感じた。故郷を捨てた自分に何かを言う資格がないことは承知しているが、ときおり帰省したおりに見る町の姿にさびしさは感じる。どんなにさびれたとしても(いや、そこまでではないのですが)、埼玉に住んでいる時間の方がはるかに長かっているとしても、自分が生まれ育った土地であることには違いない。
勝手な感傷をアピールされても、ずっと地元に暮らす人には迷惑だろうから大人しくしているが、盆と正月くらいは仏壇に手を合わせてこようと思う。自分をこの世にあらしめていただいたことに感謝して。
糸魚川の町の復興と、皆様方のご健康をお祈りいたします。
「バースデーカード」 … 橋本愛さま、健在!
「湯を沸かすほどの熱い愛」 … 宮沢りえ様は主演女優賞を、杉咲花ちゃんは助演女優賞をとりまくるでしょう。
「オーバーフェンス」 … 蒼井優さんの鬼気迫るお芝居がこわかった。
「永い言い訳」 … 本木さんはかっこよくなる一方。
「怒り」 … 宮崎あおいさんがせつない。
今年のベスト1レベルの作品がいくつもあった。
そのうえ「君の名は。」「聲の形」「この世界の片隅に」を見れたのだから、なんという当たり年だろうか。
校内アンサンブル発表会
日時 12月28日(水)14:00~16:00
会場 本校4F 第二講堂
交通 上福岡、南古谷13:30頃発スクールバスをご利用ください。
一部は中学校、高校別々でのコンクール曲の演奏から。高校生の西関東金賞「バルトーク」はさすがで、夏に聴いたときより、ますます理解が深まり表現が豊かになっていたように感じた。
先日バンドジャーナルで読んだ、指揮者大井剛史さんの全国大会への感想を思い出す。
~ プロから見て少しおかしい、あるいは間違っているというような音楽の内容でも、音がすばらしければ金賞がもらえてしまえ … ~
楽器一本一本の音そのものの美を競うコンクールなら、もっと上手なバンドはある。音楽としての構成体でここまでののものに仕上げてくるところが立派で、それがちゃんと評価されたこともすばらしい。慶應志木さんにも同じことが言え、さらに上の次元でやろうとしているということなのかもしれない。
3曲目からは中学、高校が一つになる。50人を越える十分な大編成での「レミゼ」は迫力も十分だ。個人的には民衆の苦しみ、そこから顔を出す一筋の光 … みたいな演出も聴きたくもあったが、それはないものねだりであり、いきおいのあるいい演奏だった。一部の最後は、芸大「ぱんだウインド」の代表でもあるユーフォニウム奏者佐藤采香さんをソリストに迎えてのコンチェルト。本物感がただよう演奏で、入場無料はもうしわけなかった。
休憩をはさんで、二部は「ジャパグラⅦ」(銀河鉄道とかのやつ)、「歌謡曲メドレー」(80年代中心)、「美女と野獣」、「キャラバンの到着」、「ハウルの動く城」。老若男女を満遍なく楽しませる構成のプログラム。アンコールこみで二時間弱の尺は、もう少し聞いてもいいというぐらいで、ほどよい。普通は、どの学校さんの演奏会に行っても、おなかいっぱいになる。フルコース食べて、もう十分なのに、こってりデザートを出され、さらにしめのラーメン出てきたみたいな。うちももう少し洗練してもいいかな、でも年に一回だしなあ。
鳥越先生らしい、端正な演奏会だった。
クリスマスジョイントコンサート、無事終わりました。
ちょっとたいへんでしたが、のりきれました。
合同演奏は、いい経験をさせていただいたと思います。
お忙しい年の瀬にご来場いただき、ありがとうございました!!
クリスマスジョイントコンサート
日 時 2016年12月24日(土)12:30開場 13:00開演
会 場 朝霞市民会館ゆめぱれす(入場無料)
参加校 朝霞西高校 川越東高校 所沢北高校 和光国際高校
ご来場お待ちしてます!!
演奏曲
朝霞西高等学校 雑☆エンターテインメント! ~お前をはなさない~
13:00 吹奏楽による交響ファンタジー「シン・ゴジラ」
メリーゴーラウンド・クリスマス☆
川越東高等学校 ウィークエンド・イン・ニューヨーク
13:20 スウィングしなけりゃ意味がない
シング・シング・シング
所沢北高等学校 メリー・ウィドウ
13:40 宝島
学園天国
和光国際高等学校 スター・パズル・マーチ
14:00 クリスマス・イブ 恋人はサンタクロース ウォークザダイナソー
1年生合同バンド 伝説の「日本映画」メドレー
14:33 アンバー・ドリーム
2年生合同バンド 友愛のファンファーレと聖歌
14:50 ブラス☆ワンダーランド
全員合奏・合唱 交響曲「お正月」第九番お正月
15:10 みんなで歌おう! メドレー ~クリスマス童謡編~
「あなたがたのうちで罪のないものが、最初に彼女に石を投げなさい」(ヨハネによる福音書8章)
年間1位のアドバンテージがないじゃないか! と先日文句を書いたが、結果として1位となった鹿島アントラーズに対してヤな感じを抱いていたというわけではない。
ていうか、鹿島さんすごくね?
昨日の講習中に、「すごかったね、先生最後らへん泣きそうになってたんだけど」とふってみたのに、なぜみんなしらっとしてるのかな。すなおに自分も感動しましたって言えばいいのに。かっこつけちゃって(笑)。
二枚目のイエローカードを出そうとしてやめたレフェリーへの非難の言葉がネット上にとびかっていた。たしかに試合中は、ふざけんなと思った。
でもすぐ、まあ仕方ないかなとも。極東の一素人でさえ、まさか本当にアントラーズが勝つなんてことが起こってはいけないのではないかと思ったくらいだから。
もし本当にそんな事態になったとき、審判としての自分の責任が生じるようなことは、普通は避けたい。あの流れで、レアルさんを躊躇なく10人にしてしまえる審判さんがいたなら、逆にえらいのではないか。
大人ななら、それくらいは考えるだろう。
この娑婆で、まがりなりにも社会生活を送っている大人なら、いい悪いは別にして、気持ちはわかるよねというレベルの行為だった。言ってしまえば、吹奏楽コンクールの審査にだって、同じようなことはおこるのだから。
自分が高校生だったなら、「あんな大人になりたくない」と叫んでしまったかもしれないが、今はね。
歳をとっても、こどもの感覚のまま生きていける人がいる、それはそれでうらやましい。
そういう人は、自分では気づかないし、周りも言わないのだけど、大人がフォローしてあげているものだ。
今年一番ひりひりした映画が「オーバーフェンス」だったとすれば、今年読んだ本では『17歳のうた』のひりひり感がしみた。五本の短編が収められてる。
~ 東京に好きな人を残し、舞妓として働く彩葉。
マグロ漁師の娘として生まれ、漁師の生き方に憧れる留子。
伝説のレディース総長を姉に持ち、自らも一目置かれているマリエ。
失踪した兄の代わりに、自分が家を継ぎたい千夏。
憧れの幼なじみに勧誘され、アイドルとして活動するみゆき。 ~
5人のヒロインたちは、高2女子だけでなく、地方都市に住んでいるのも共通点だ。
家族や友人、地域の暮らし、自分をとりまく様々なしがらみとどう向き合って、これからに人生をつくっていくかを模索するヒロインたちの姿。
ちがうか。彼女たちは「どう作っていくか」などと論理的に整理しながら考えているわけではない。
やりたいことが形になりそうなのに、そう動こうとすると何かしら立ちふさがるようなものがあることに漠然と気づく。
17歳になるまでは気づかなかった壁のようなものを意識してしまったざわざわ感が(ひりひりじゃなかったの?)ほんとによく伝わってきた。
ちなみに、5作品ともに違った町(村)が舞台だが、登場人物の台詞はすべて方言で書かれていて、それがきわめて自然で、たぶんネイティブの人が読んだら感心するにちがいないレベルで、相当の書き手だと感じる。
~ 「千夏は、家継ぐんやんな?」
「さあ、どうやろ」
言葉を濁して空を見上げる。暑さは真夏と変わらないのに、雲の形が違っている。
薄く裂いた綿あめみたい。
季節があとひと巡りすると、私は十八歳だ。そのころにはもう、覚悟を決めていないといけないだろう。
揺れていいのは、十七歳までだと思っている。 「Changes」(坂井希久子『17歳のうた』文藝春秋) ~
そういえば、綾瀬はるかさんの「揺れる17歳」とDVDがあったな。十数年前、彼女がここまで大女優になると予想した人は少なかったのではないか。
17歳の若者が10年後、20年後どんな人になっているのか予想するのは難しい。
それは、久しぶりに会ったOBたちを見るときも、そう感じる。そんなものなのだ。
あるべき自分を想定せよとか、なりたい自分になるために努力せよなどというのは、本当は無理な話だ。
翌日どうなるかでさえ人は予想できないではないか。
そして、何歳になっても人は「揺れ」続ける。
自信に満ちあふれ揺るぎない人生を歩んでいるように見える人も、ほとんどの人はけっこう揺れ動いているのではないだろうか。
揺らぎがあるからこそ、自分や環境の変化に対応することができる。
揺れているからこそ安定を保てるという「動的平衡」の考え方は、人生そのものにもあてはまる。
いい年をしてあまりにも揺れ動き続け過ぎる自分への弁解ではなく、そう思う。
学年だより「贅肉をつける(2)」
現在議論が進んでいる大学改革は、「グローバル化に対応する人材育成」が急務であるという問題意識が一つの大きな契機となっている。「新テスト」とよばれる入試改革もその一つだし、学部・学科の枠組みや、研究や教育内容についても新しい形が模索されている。
ただ、その方向性が「グローバル」の観点から見たときに疑問を抱く部分もあるのも事実だ。
日本では、社会に出てすぐに役立つ勉強を大学でもさせようという意見が現在の主流だと言える。 逆にアメリカの大学は、「リベラルアーツ」とよばれる一般教養をみっちり教える。文系の学問、理系の学問というような区別のない、幅広い基礎教養のことだ。
4年間、根本的なものの見方、考え方を学んだ上で、例えば医者になりたい人はメディカルスクールへ、経営学を学びたい人はビジネススクールへ進むという流れになる。
~ ボストン郊外にあるエリート女子大学ウェルズリーカレッジは、ヒラリー・クリントンやクリントン政権時代のオルブライト国務長官の出身校として知られています。ここもまた四年間、徹底したリベラルアーツ教育を行っています。
同校を訪れた際、女子学生が学内を案内してくれました。とても利発そうな黒人の女子学生でした。彼女は「私は経済学を学んでいる」と話してくれたのですが、それと同時に「でも、経営学は学ばない」と言うのです。
なぜかと尋ねると、経済学は世の中の仕組みを分析する上で必要な知識である、つまり人間の教養として必要だから学ぶ。でも経営学は、会社に就職をして働く上で役に立つ学間だから、すぐに役に立ちすぎるので大学では教えない、と言うのです。私はビックリすると同時に、目からウロコが落ちた思いでした。
現代の教養として経済学は学ぶけれど、本当に経営を学びたかったら、大学卒業後、ビジネススクールに行けばいい。こういうことなのです。
日本ではよく大学に対して、社会に出てすぐ役に立つ学問を教えてほしいと言われます。ところがアメリカは意外とそんなことがないのです。すぐに役に立つものを教えるのは専門学校で、いわゆるエリート大学は、「すぐに役に立たなくてもいいこと」を教えるのです。すぐに役に立つことは、世の中に出て、すぐ役に立たなくなる。すぐには役に立たないことが、実は長い目で見ると、役に立つ。こういう考え方なのです。 (池上彰『おとなの教養―私たちはどこから来て、どこへ行くのか?』 (NHK出版新書) ~
「長い目」で将来を考えるとかより、まずは目先の大学に受かりたいと思うかもしれない。
実はそのためにも、贅肉的な「知」を身にまとっておくことは有効なのだ。
おおげさな言い方だが、知的生命体としての器が大きいほど、受験勉強的知も身につきやすい。