俳優の亀岡拓次は、知る人ぞ知る名脇役だ。
だから、知らない人は知らない。
「知る人」といっても業界筋の人が知っているということであり、一般人にとってはせいぜい「そう言われれば見たことがある」程度の知られ方だ。
B級俳優といっていいかもしれない。しかしB級のなかにも一流と二流以下がある。
一般にB旧グルメと称さられる庶民的な食べ物、たとえばラーメン一つとっても、すべての面で一流と呼んでいいお店もあれば、同じ750円とは思えないほど志の低い一杯を出す店もある。
亀岡拓次は、B級ではあり、しょせん自分はA級ではない、主役をはる役者ではない、そこまでの野望もないと自覚し、あらゆるオファーをこなす。
今日は流れ弾にあたって死ぬ浮浪者、明日は時代劇の泥棒役、スナックでフィリピーナを口説く役、やくざに殴られる旅館の番頭さん … 。
本人がどこまで意図的にしたことかはわからないものの、結果的にミラクルとよばれるような仕事をも時にはする … という役者の物語だ。
演じるのは安田顕。
顔をみれば、「あ、この人ね、あれに出てたっけ」ぐらいに思われるのが一般的な感覚ではないだろうか。
もちろん、二流でもB級でもない方だ。
でも、安田さんの存在感は、役柄の「亀岡拓次」と重なってしまい、このへんは素のママなんじゃないかと思ってしまうくらい自然なのだ。
だから、全編を通して、そんな大きなドラマは起きない。波瀾万丈の人生は描かれない。
事件と言えば … 、スペインの有名な映画監督にオーディションを受けろと言われることだろうか。
舞台に上がることになり、憧れの大女優とエロい芝居ができたことだろうか(それにしても、三田佳子さまは昔から「女優」の役がほんとに上手)。
一番の事件は、地方ロケに出てたまたま入った居酒屋にきれいなおかみがいたことだ。
麻生久美子さんがいるほどの奇跡は普通ないが、「あの店のママさんきれかったなぁ」と、後でしみじみ思い出すぐらいの事件なら、人生のなかに起こっても不思議ではない。
ママさんといい感じで話がはずみ、そのママは出戻りの独り身で、なんていう境遇を知れば、いつしか自分の台詞における口説き比率が高くなるのも普通だろう。
「またぜったい来てね」「今度は花束もってくるよ」という言葉のやりとりを、女性はかるいやりとりのつもりでも、男の99%は本気だととらえる。
その絶妙なリアルさが全編にただよっていて、安田さんへのそれなのか、亀岡拓次という男へのそれなのか、いやおそらく観ている自分の対するものであろう愛おしさがこみあげてくる。
未来と夢のかたまりのような高校生が観ても、感動する作品ではないのかもしれない。
味わい深いなあとしみじみした自分を感じたとき、齢を重ねてきたこともわるくはないなと思えた。