水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

インターリービング

2019年06月27日 | 学年だよりなど
2学年だより「インターリービング」


 英単語が暗記できない、年代が覚えられない、公式が身体に入っていかない … 。
 勉強ができるようになるためには、覚えなければならないことが必ずあるのは言うまでもない。
 「丸暗記」や「詰め込み」は本当の勉強ではないと言う人がいるが、勉強の下地を作らなければ、勉強そのものが成立しない。どうすれば暗記できるのか。
 答えは簡単だ。「繰り返し」覚えればいい。
 繰り返し脳に入ってくる情報は、脳が勝手に判断して「暗記の格納庫」にしまおうとするからだ。
 覚えられないのは、脳の機能が劣っているのではなく、覚える作業に問題がある。
 いつも会っている人の顔と名前を忘れない理由は、いつも会っているからだ。
 毎日目にする基本的な単語は忘れるはずがないが、めったに見かけない抽象的な単語は、意図的に繰り返さなければ覚えられない。
 ある人の名前を覚えるためには、ある日1時間話し続けるより、一日5分ずつ12日間会い続ける方がいい。この人はよほど大事な人なんだと、脳は判断してくれることだろう。
 音楽の世界では、楽譜を読む、歌う、リズムをからだで刻む、楽器を演奏する、録音してきくといった活動を次から次へと行う練習方法が主流だ。
 ある曲のあるフレーズをできるようになるまでひたすら繰り返すという練習方法は、一昔前のものと考えられている。
 スポーツにおいても、様々な種類のトレーニングを組み合わせ、次から次へと繰り返していきながら、必要なスキルが自然に繰り返され身についていく方法がとられるようになっている。
 音楽でも、スポーツでも、形が変わるたびの集中力がリセットされるため、一つのことを延々繰り返すよりもはるかに効果があがることが学問的に明らかになっているからだ。
 勉強でもこの方式を採用すると効果があがる。「インターリービーング」と言われる方法だ。


 ~ かつては1つの技能をマスターするまで同じ練習をくり返す「ブロック練習」が定番でしたが、ここ数十年の研究により、1つのセッションで複数の内容を学んだほうが上達しやすいことがわかってきました。
 2015年に南フロリダ大学が行った実験では、学生に2パターンの勉強法を指示しています。
  1.1つの方程式の使い方をマスターしたら次に進む(ブロック練習)
  2.1回の授業でさまざまな方程式の使い方を学ぶ(インターリービング)
 すると、翌日のテストではインターリービングを使ったグループのほうが25%も成績が良かったうえに、さらに1か月後の追試では、両グループの得点差は倍近くに開いていました。インターリービングのほぼ圧勝と言える成果です。 (メンタリストDaiGo『超効率勉強法』学研プラス) ~


 「インターリービング学習」といっても、難しいことではない。
 「ライティング20分→文法20分→リスニング20分」「ベクトル20分→二次関数20分→行列20分」という具合に、次から次へとこなしていけばいいだけのことだ。
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音楽座ミュージカル「グッバイマイダーリン★」

2019年06月24日 | 演奏会・映画など
 ~ あるところに一匹のねずみの奥さんがいました。このねずみは、家ねずみで、庭ねずみでも野ねずみでもありません。家ねずみたちは外に出ていくことはなく、家の中が全世界です。でも、ねずみの奥さんは、他のねずみたちとちょっと違っていました。ときどき、窓の敷居の上にそっと登っていっては、ガラスに額を押し付けて外を観ていたのです。春のは色とりどりの花が庭に咲き、冬には木々が雪で白くなります。しかし、ねすみの奥さんにはそういうものが何なのか、わかりません。そんなある日、一羽のキジバトがカゴに捕らわれやってきます。キジバトの語る窓の外の世界に胸躍り、心を寄せていくねずみの奥さん。……しかし、そのとき。 ~

 原作の「ねずみ女房」は、出版以来さまざまな解釈が述べられてきたという。
 ミュージカル化された「グッバイマイダーリン★」も、観た人それぞれがそれぞれの思いを抱くだろう。
 本校の男子生徒70名も70通りの感じ方をしたはずで、そのどれかが正解ということはない。
 中身よりも歌とダンスはすごかったと言う子、ふつうにおもしろかったですよと今風に「ふつう」と言う子、とにかく迫力がやばい言う声をきいた。リハーサルの緊迫感におののいた子も多かったようだ。
 観劇された保護者のみなさまはどうだったろう。「家庭にとらわれずに外に出よう」とか「アバンチュールしちゃおうかな」などの方向にむかってらっしゃらないだろうか。
 一昨年、森彩香さんがねずみ女房を演じた初演をみたとき、正直中身はよく掴めなかった。むしろ森さんという新鋭の登場への驚きが大きかった。今回の、草月ホールでの公演は前回とは大きく変わっていた。
 この作品を「音楽座ミュージカル」という形にしようという思いの強さは、初演のときから変わらないのだろうが、音楽座らしいダンスナンバーが増え、人間らしい人間を描ける日本唯一の劇団らしく効果的なサイドストーリーをからませながら、言いたいことが複層的に積み上げられた別作品に生まれ変わっているように思えた。
 ……というのも個人的に感想にすぎず、あえて言葉にしなくてもいいとカンパニーの方は言うかもしれない。
 たしかに、菜々さん、広田さん、安寿さんの美しいアリアに酔いしれ、同学年の新木さんの美声にひたり、波奈さん、祥子さんが踊っているのをみれればいい。わかろうとするより、感じることの方が経験としては大切なのだ。それこそが生きる活力になる。
 仮にそれほど面白くなかったと思った子がいても、蓄積された経験は、表現する人の「はしくれ」である我々にとって何らかの糧になるはずだ。
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誰かのために(3)

2019年06月24日 | 学年だよりなど
2学年だより「誰かのために(3)」


 自分のため(①「自分・有形」、②「自分・無形」)だけでなく、誰かのため(③「他者・有形、④「他者・無形」)を想定したしたときに、目標の実現可能性は高まる。
 ただし③・④の比率を高めすぎることにも問題はあると、原田隆史氏は説く。


 ~ ただし、「人のために」「誰かに喜んでもらいたい」「何かの役に立ちたい」という思いばかりが強くなり過ぎると、今度は自分自身への「振り返り」や「見立て」が甘くなります。「目標は達成できなかったけど仲間がほめてくれた」「目標に向けて取り組む自分を見て家族が喜んでくれてうれしい」……。気持ちや感情が満たされるだけで終わってしまい、結果がついてきません。 ~


 思ったような結果が出なかったとき、その原因が明らかに自分にある場合でも、③・④を隠れ蓑にして、気持ちを納得させてしまう場合がある。それは、たんなる言い訳だ。
 やはり①~④をバランスよく整えて、自分を甘やかすことなく頑張る必要があるだろう。

 「自分のために」を一切考えない男がいる。誰かのためになることをしたいと常に考えている……ように見える男が。おそらく本人にその自覚はない。
 電車の中でお年寄りにすかさず席をゆずる、街中で重い荷物を背負ったお婆さんをおんぶしてあげる、高いところにポスターを貼ろうとしてる女子を手伝ってあげる、図書館で本を運んでいる後輩にかけよって持ってあげる……。
 他人の何かを気づいてあげる感覚もすぐれている。
「髪の色変えましたね、素敵ですよ」「少しやせましたね、すっきりしてますよ」「毎日、植木に水をあげてくれてありがとう」「レギュラー入りできたんだね、よかったね、努力が報われて」……。
 その名は、町田一(はじめ)。町田家五人兄弟姉妹の長男。
 眼鏡を掛けた、身なりのきちっとした男子高校生。勉強もできそうだ。
 そんなにモテそうな外見ではないが、あまりにナチュラルに優しさを発揮してしまうため、女子をキュンとさせてしまうことも多々ある。
 残念ながら、勉強はできない。運動は極端に苦手だ。そして、人間が好きだ。
 町田くんにとっては、自分の周りにいる人がみな大切な存在だ。
 この時代、こんなに人に優しくできる若者がいるだろうか、でもできるなら自分もこうなれたら素敵かもと思わせるような高校生を、安藤ゆき『町田くんの世界』(集英社)が描き、みなさんの先輩である石井裕也監督が映画化した(6月14日公開)。
 そんな町田くんを、好きになる女子がいる。
 人嫌いで、クラスメイトたちとも極力口をきかないようにしていた猪原奈々さんだ。
 自分に対する他人の思いにだけは鈍感な町田くんと、思いをよせはじめた猪原さんが、不器用ながらも徐々に距離を縮めていく様子が、時にじれったく、時にせつなく描かれる。
 いつしか、二人の幸せを心から願っている自分に気づくだろう。ぜひ、劇場へ!
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誰かのために(2)

2019年06月21日 | 学年だよりなど
2学年だより「誰かのために(2)」


 「目標」という言葉は、自分のための、目に見えてわかる結果を指して使われる。
 「第一志望に合格する」「県大会で優勝してインターハイに出る」「有名企業に就職する」「5年後には年収を10倍にする」「バンドでメジャーデビューする」などのように。
 しかし、目標が高ければ高いほど、思うような結果はなかなか出ないものだし、実現には困難が伴う。そんなとき、頼るのが自分だけの場合、人は往往にして疲れてしまうこともある。


 ~ そもそも「自分・有形」の目標だけでは、人間そう頑張り切れるものではありません。「自分・有形」の目標だけでは、目標を達成できなかったときの心のダメージも大きくなってしまいます。たとえ有形の目標が達成できなかったとしても、家族・同僚やお客様への喜びを生み出していたり、仕事に対する自分のやりがいや感情が高まっていれば成長を実感でき、再挑戦につながるのです。
 自分のやっている仕事は、社会や他者のどの部分につながっているのか。どんな利益や影響をもたらすのか。どんな感情を生み出すのか。快適さ、安心感、楽しさ、喜び、誇り、イキイキ……。自分以外の存在(社会や他者)について思いを巡らせ、想像力を先へ先へと伸ばし広めていく。この思考と感覚が優しさや思いやりの心を育てるのです。
 「私の今回の目標は、誰を幸せにするの?」「誰を喜ばせたいの?」「何を提供できるの?」ということをしっかりと考えて進んでいくと、健全な目標になり、仕事もはかどります。 (原田隆史『最高の教師がマンガで教える 目標達成のルール』日経BP) ~


 原田氏は、目標を四種類に分けて設定してみることで、実現可能性が高まると説明する。
 1つは「自分・有形」の目標。
 2つ目は「自分・無形」の目標。1つ目が達成したときにどんな気持ちになるかを想像してみるのが、「自分・無形」だ。
 さらに3つ目として「他者・有形」の目標。自分が目標を達成したときに、社会や他者にどんな具体的なプラスが与えられるかだ。
 4つ目は「他者・無形」の目標。社会や他者がどんな気持ちになるか、ということだ。
 私たちは、目標を考えるときに無意識のうちにこれらの内容を想定はする。
 ①次の大会で優勝したい、②優勝したらかっこいい、③優勝したら来年部員が増える、④親が喜んでくれるにちがいない、というように。
 ①や②だけが強い人は折れやすく、③や④を意識できる人ほどモチベーションを高く持ち続けられ、その結果として目標が叶いやすいのだ。
 ③・④を意識している人の行動は、周囲の人がそれに気づき、自然にサポートしてくれるのも大きい。逆に自分さえよければいい風に見える人は、周囲の後押しを受けにくくなる。
 自分たちの頑張りを被災地の人に届けたいという「なでしこジャパン」の思いは、周囲にいる人にももちろん伝わっていただろう。人が何事かをなすには、自分だけの力では難しい。
 勉強でも部活でも仕事でも家庭でも、それは同じはずだ。
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誰かのために

2019年06月17日 | 学年だよりなど
  2学年だより「誰かのために」


 開催中のFIFA女子ワールドカップでは、決勝トーナメント進出に向けてのあつい戦いが繰り広げられている。
 みなさんの記憶にはどの程度残っているだろうか。前々回の2011年ワールドカップでは、日本チームは見事、優勝を果たした。その前の大会までグループリーグ敗退を繰り返していた日本女子チームが、まさか優勝すると予想していた人は少なかった。
 彼女たちを支えたものは何だったのか。


 ~ 女子サッカーの日本代表、なでしこジャパンがワールドカップで優勝したときの話です。大会前の下馬評では、日本はよくて3位という予想でした。当時、テレビ番組でなでしこジャパンの中心選手だった澤穂希さんが大会について話していました。
 番組司会者「今回のワールドカップの目標は何ですか?」
 澤さん「優勝です」
 その場にいた全員が驚きました。私もびっくりしました。
 すると澤さんはこう続けました。
「私たちは、ワールドカップで優勝して、被災者や国民のみなさんに、勇気と元気を与えたいんです」
 それは東日本大震災が起きた直後でした。「被災者や国民のみなさんに、勇気と元気を与えたい」。これがなでしこジャパンの目的でした。そして見事に優勝。彼女らは帰国すると現地に行き、被災者を見舞いました。そのときようやく、彼女たちのワールドカップが終わったのです。 (原田隆史『最高の教師がマンガで教える 目標達成のルール』日経BP) ~


 2011年3月11日に起こった東日本大震災は、女子サッカーにも大きな影響を与えた。
 代表チームの練習拠点であったJビレッジは、福島原発事故の対応拠点となり全面封鎖された。
 自分達はサッカーをしていていいのだろうかと悩んだ選手たちも多かったという。
 しかし、「自分達のがんばる姿を見せることが、被災地への一番の応援になる」と信じることによって、彼女たちは自分達のもてる力を発揮することができた。
 「試合に勝つ」「いい成績をあげる」「仕事で成功する」といった目に見える目標を、われわれは掲げて努力しようとする。
 目標達成のためにがんばりきる力を与えてくれるのは、形ではない目標だ。
 その結果によって「誰かが喜んでくれる」「大切な人の笑顔が見られる」「家族が誇らしく感じてくれる」といった、自分以外への、形では表せないものを想像したとき、人はよりふんばれる。
 純粋に自分の利益のために頑張ろうとすると、意外に人は頑張りきれないものだ。
 誰かのためにという思いに支えられ、奇跡とも思えるプレーを代表チームは見せてくれた。
 彼女たちが、世界中の人々に対する「震災支援への感謝」が書かれたフラッグをもって場内を一周する様子は、今思い出しても目頭があつくなる。
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西部支部研究発表会

2019年06月14日 | 日々のあれこれ
第54回 西部支部研究発表会

6月14日(金) 15:33演奏予定

会場 狭山市民会館

曲目 《地球》~『トルヴェールの惑星』より


  応援ありがとうございました!!
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切り替え

2019年06月13日 | 学年だよりなど
2学年だより「切り替え」


 3年生にとっては、部活の集大成といえるインターハイ予選が、まさにまっただ中だ。
 見事出場権を勝ち取れたならば、夏休みまで部活は続く。メインの大会が秋に開催される種目もある。この春、いやこの春にかぎらずとも、自分の成績と目標とを考えたなら、このまま部活を続けていていいのかと悩んだことのある先輩たちも多いだろう。
 みなさんも来年同じ問題に直面するかもしれない。そこには「部活をとるか勉強をとるか」という問題があるように見えるが、本質は別のところにある。
 「部活が忙しく、受験勉強が進んでいません。引退すべきでしょうか?」
という高校3年生の相談に、『ユメタン』などの著者である木村達哉先生がこう答えている。


 ~ 僕は野球部の顧問をやってるんやけど、高3の夏まで野球を続けて現役で東大に合格した生徒をたくさん見てきた。こうやって書くと、「それは灘の生徒だからでしょ」って思うかもしれへんな。でも、うちの生徒たちでも、平日は毎日3時間の練習、週末も練習や試合が必ずある … なんて生活が夏まで続くと、さすがに焦ってくるんやないかと思うねん。部活をやっていない生徒に比べると、勉強できる時間はかなり制限されるからな。それでも平然と夏の大会を目指すし、模擬試験では好成績をとってくる。では、どうして彼らは高3の夏まで熱心に部活を続けても現役で合格できるんやろうか?
 それは、切り替えが極めて速いからやと断言できる。部活をやってる生徒たちだって、夜中まで拘束されてるわけじゃない。家に帰ってからダラダラするのではなく、風呂! → 飯! → 授業の復習! → 自分の勉強! → 終わった! → おやすみ! … って感じで、時間をスパスパと切りながらうまく使ってる生徒が多いんや。
 つまらんテレビを見たり、どうでもいい漫画を読んだり、そういう時間をカットできない人は、単なる高校3年生でしかない。本当の意味での受験生にはなれていないんやな。確かに部活は忙しいやろうけど、毎日帰ってから確実に1時間半の勉強を続けるだけでもかなりの力になるはずや。そのために必要なのは、「毎日1時間半は絶対に勉強する」と決めたら絶対に頑張る意志の強さや。切り替えの速さと意志の強さ、そして負けん気の強さが、成功へのカギを握ることになる。どうしても現役で合格したいなら、そこを意識して毎日努力することや。部活をやってる諸君、頑張るねんで! (木村達哉『キムタツ合格相談所』旺文社) ~


 時間が足りなくなるのは、今の段階ですでにわかっている。3年の春に悩むと言うことは、すでに準備がおくれていることであり、そういうタイプの人は根本的に何事も遅れがちだ。
 先を見通す力が不足しているか、先のことを考えるのが苦手かのどちらかだろう。
 大人になれば、三つも四つものことを平行して行わねばならない事態に置かれることは、いくらでもある。物理的時間の有無が、できることの量を決めるのではない。
 それが証拠に、同じ24時間を与えられていて、人によって成し遂げることの量は全く異なるではないか。大事なのは、それをやりきろうという意志であり、対策は早めにするという覚悟だ。
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「山月記」5段落の授業〈2019年版〉

2019年06月11日 | 国語のお勉強(小説)
 なぜ〈 こんな運命 〉になったかわからぬと、先刻は言ったが、しかし、考えようによれば、思い当たることが全然ないでもない。人間であったとき、〈 おれは努めて人との交わりを避けた 〉。人々はおれを倨傲だ、尊大だと言った。実は、〈 それ 〉がほとんど羞恥心に近いものであることを、人々は知らなかった。もちろん、かつての郷党の鬼才と言われた自分に、自尊心がなかったとは言わない。しかし、〈 それ 〉は臆病な自尊心とでも言うべきものであった。
 おれは詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交わって切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。かといって、また、おれは俗物の間に伍することも潔しとしなかった。ともに、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心とのせいである。己の珠にあらざることを惧れるがゆえに、あえて刻苦して磨こうともせず、また、己の珠なるべきを半ば信ずるがゆえに、碌々として瓦に伍することもできなかった。おれはしだいに世と離れ、人と遠ざかり、憤悶と慙恚とによってますます己の内なる臆病な自尊心を飼いふとらせる結果になった。人間はだれでも猛獣使いであり、その猛獣に当たるのが、各人の性情だという。おれの場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。これがおれを損ない、妻子を苦しめ、友人を傷つけ、果ては、おれの外形をかくのごとく、内心にふさわしいものに変えてしまったのだ。
 今思えば、全く、おれは、己のもっていた僅かばかりの〈 才能を空費してしまった 〉訳だ。人生は何事をも為さぬには余りに長いが、何事かを為すには余りに短いなどと口先ばかりの警句を弄しながら、事実は、才能の不足を暴露するかも知れないとの卑怯な危惧と、刻苦をいとう怠惰とがおれの凡てだったのだ。
 〈 おれよりも遥かに乏しい才能でありながら、それを専一に磨いたがために、堂々たる詩家となった者が幾らでもいるのだ 〉。虎と成り果てた今、おれはようやくそれに気が付いた。それを思うと、おれは今も胸を灼かれるような悔を感じる。おれには最早人間としての生活は出来ない。たとえ、今、おれが頭の中で、どんな優れた詩を作ったにしたところで、どういう手段で発表できよう。まして、おれの頭は日毎に虎に近づいて行く。どうすればいいのだ。おれの空費された過去は? おれは堪まらなくなる。そういう時、おれは、向うの山の頂の巖に上り、空谷に向って吼える。この胸を灼く悲しみを誰かに訴えたいのだ。おれは昨夕も、彼処で月に向って咆えた。誰かにこの苦しみが分って貰えないかと。しかし、獣どもはおれの声を聞いて、唯だ、懼れ、ひれ伏すばかり。山も樹きも月も露も、一匹の虎が怒り狂って、哮たけっているとしか考えない。天に躍り地に伏して嘆いても、誰一人おれの気持を分ってくれる者はない。ちょうど、人間だった頃、おれの傷つき易い内心を誰も理解してくれなかったように。おれの毛皮の濡ぬれたのは、夜露のためばかりではない。

Q28「こんな運命」とは何か。「こと」につながる15字を抜き出して記せ。
A28 詩人になりそこなって虎になった(こと)

Q29「こんな運命」になった原因はどのような性情にあると述べているか。6字ずつで2点抜き出せ。
A29 尊大な羞恥心   臆病な自尊心

Q30「おれは努めて人との交わりを避けた」とあるが、「人」とは具体的にどういう人のことか。それを表す単語を三つ抜き出せ。
A30 師 詩友 俗物

Q31「それ」とは何か。(25字以内)
A31 他人から倨傲、尊大と言われる態度をとっていたこと。

Q32「それ」とは何か。(25字以内)
A32 昔から郷党の鬼才とまで称されて抱いてきた自尊心。

Q32「師・詩友」と交わらなかったのはなぜか。(40字以内)
A32 自分に才能が不足しているようなことが明らかになってはいけないと怯えていたから。

Q33「俗物」と交わらなかったのはなぜか。(30字程度)
A33 自分は一般人とは違って傑出した才能を持つ人間だと信じていたから。


 己の珠にあらざることを惧れる → あえて刻苦して磨こうともせず
    ∥
 自尊心 → 臆病  ←→ (自尊心 → 尊大)

 己の珠なるべきを半ば信ずる → 碌々として瓦に伍することもできなかった
    ∥
 羞恥心 → 尊大 ←→ ( 羞恥心 → 臆病 )


心 臆病な自尊心・尊大な羞恥心
     ↓
行 努めて人との交わりを避けた
    刻苦して磨こうともせず
瓦に伍することもできなかった
     ↓
  世と離れ、人と遠ざかり
     ↓
心 憤悶と慙恚
  ますます己の内なる臆病な自尊心を飼いふとらせる
     ↓
事 外形を内心にふさわしいものに変えてしまった


Q35「臆病な自尊心」とはどのような心情か。70字以内で説明せよ。
A35 自分のプライドを守る気持ちが強すぎるために、22
   自分の才能の不足が暴露してはいけないと極度に恐れ、25
   他人との交渉を避けようとする心情。17

Q36「尊大な羞恥心」とはどういうことか。(40字以内)
A36 羞恥心をあまりに感じやすいため、
   それを隠そうとして尊大な態度になってしまうこと。

Q37 「才能を空費し」「詩によって名を成」すことができなかった原因は何であると李徴は述べているか。35字以内で抜き出せ。
A37 才能の不足を暴露するかも知れないとの卑怯な危惧と、刻苦をいとう怠惰

Q38「おれよりも遥かに乏しい才能でありながら、それを専一に磨いたがために、堂々たる詩家となった者が幾らでもいる」という言葉からは、どのような気持ちがうかがえるか。(50字以内)
A38 自分が詩家になれなかったのは、あくまでも努力不足が原因であり、才能がなかったのだとは考えたくない気持ち。

Q39 過去の自分を反省しているようで、依然として自己の責任を回避しようとする心理が働いている言葉を抜き出せ。
A39 ちょうど、人間だった頃、おれの傷つき易い内心を誰も理解してくれなかったように


李徴の自己分析 = 自己弁護

 臆病な自尊心・尊大な羞恥心
    ↓
 倨傲・尊大な態度
   ∥
才能の不足を暴露するかもしれないとの卑怯な危惧
 刻苦をいとう怠惰
    ↓
 わずかばかりの才能を空費
    ∥
 一見謙虚に反省している言辞
    ∥
 才能がないことだけは認めたくない気持ちのカモフラージュ

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「山月記」の授業(7) 補足問題

2019年06月10日 | 国語のお勉強(小説)
今年の授業で効果的だった(気がする)問題。

Q19.5「我々生き物のさだめだ」の「我々生き物の」という言葉には、無意識のうちにどのような真理が働いていると考えられるか。(60字以内)
A19.5 自分の身に起こった特殊な事態を全ての生き物に起こりうることと一般化し、
    自己の責任を回避しようとする心理。

Q24.5「此夕渓山対明月 不成長嘯但成嘷」には、どのような思いがこめられているのか。(50字以内)
A24.5 人として生きることができなくなった運命は、
    もう自分ではどうすることもできないという嘆き。

Q36.5 自分が詩家として名をなすことができなかった理由を、どう述べているか。(30字以内)
A36.5 才能の不足が暴露することを惧れ、努力を怠ったから。

Q36.6「おれよりも遥かに乏しい才能でありながら、それを専一に磨いたがために、堂々たる詩家となった者が幾らでもいる」という言葉から、どのような気持ちがうかがえるか。(50字以内)
A36.6 自分が詩家になれなかったのは、あくまでも努力不足が原因であり、才能がなかったのだとは考えたくない気持ち。

Q36.7 過去の自分を反省する言葉を述べているようで、依然として自己の責任を回避しようとする心理が働いている言葉を抜き出せ。
A36.7 ちょうど、人間だった頃、おれの傷つき易い内心を誰も理解してくれなかったように
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論理的思考(3)

2019年06月10日 | 学年だよりなど
論理的思考(3)


 当然、講義中はノートをとらなければならない。なぜか。


 ~ ノートをとるということは、教師の話の内容を分析・整理することです。例えば、次のようなことを考えながら聞くことになります。教師は今、何の主題について何を主張しているのか、その主張はどんな理由づけに支えられているか。ある事実はその主張を強める例になっているか、それとも反対の働きをする例なのか。何が主要な主張であり、何は副次的なのか。……
 とにかく、ノートをとるためには、講義内容を筆記しなければなりません。筆記するためには、今言ったように、ある構造を把握せざるを得ないのです。いわば何が幹であり、何が枝、葉であるかを区別して書くことになります。
 このような頭の働きが大事なのです。ノートをとるのは、頭をのんびりさせないため、しんどく考えさせるためです。 ~


 たとえば授業を録音するのは、ノートでの記録とは全く性質が異なる。
 録音することによって安心がもたらされる、つまり授業中頭をたるませてしまうという、ノートをとることとは真逆の意味をもつ行為だ。


 ~ ノートをする主たる目的は、考えながら聞くということです。もちろん、記録も出来ます。記録しておいて、あとで読みなおすということも出来ます。しかし、それは重要ではありません。記録することではなく、内容を整理して頭の中に入れることが大事なのです。頭に入ってしまえば、ノートは要らなくなるといってもいいくらいです。ノートではなくノー(脳)がかんじんなのです。
 一般に試験の前になって他人のノートを借りてもだめだというのも、同じわけです。他人のノートは他人の思考の産物であって、自分の思考は入っていません。自分の思考を通した内容、その意味で自分が責任を持つ内容でなければ覚えにくいのです。
 試験の前に学習内容をひとに教えるといいというのも、これです。口に出して弟や妹に教える、逃げられて、だれもいなくなったら、猫にでも教えるのです。口に出して言うためには、自力で考えて、ある種の整理をしなければならない。それがいいのです。 (宇佐美寛『論理的思考』メヂカルフレンド社) ~


 板書をただ写しただけのノートと、情報を脳に通しながら書いたノートとでは、見た目はそんなにかわってなくても、自分の頭に残るものはまるっきり異なる。
 もちろん、鉛筆で字を書く行為は脳の直接つながっているので、写すだけでも効果はある。話をきいただけの授業は、翌日ほぼ「無」になっている。
 高3のノートを見ると、どの大学に受かりそうなのかは、ある程度予測ができてしまうものだ。
 今の段階から、頭を使ったノートをとるようにしてみよう。作業ではなく勉強をするために。
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