一年生も含めてはじめて全員で合奏してみた。ドレミファソぐらいまでだけど。
一年生だけで吹かせてみると、そのひたむさが伝わってくる。
職員室にもどった時、「今すごいナイーブな音してるよね」とバレー部顧問から適切な感想をもらう。
野球応援の練習も開始した。
昨秋から演奏曲に加わった「サンライズ」はスタン・ハンセンの入場テーマだった曲だ。部員にそう言ってももちろん通じない。
そのハンセンとも熱闘を繰り広げた阿修羅原が亡くなった。海の向こうでは帝王バーンガニアも亡くなった。
昭和は遠くなりにけり、だ。
それにしても、演奏する曲は昭和テイストのものが実に多い。応援の曲はもちろん、和光国際高校さんとの合同練習で楽しませてもらった「ラブ&ピース」というポップス曲も、他のメジャーな吹奏楽曲同様、実に昭和な曲だ。
70年代ポップス、80年代ポップスと呼ばれる範疇に入る楽曲、つまり今の生徒たちが生まれてもいない時代の曲が吹奏楽にぴったり合うのは、ジャンルの特性なのだろうか。
定演で「ディープパープルメドレー」など、ほんとに楽しそうに演奏していたし、「青春の輝き」の美しさは、みんなソロを吹きたがっていたと思う。
「昭和」とくくるのが大雑把すぎるのかな。
でも、なんか新しいポップス曲はないかなと思ってもなかなかこれというのがない。
むしろJポップの方に、ポスト昭和の音楽があるようにも思える。
課題曲はⅡを演奏することにした。
参考演奏を聴き始めたころは、それほど心動かなかった。
他のに比べてスケールが小さくないかなとか、点数のびなさそうとか、自分の技量をさしおいて失礼な感想を抱いたからだ。なんと不遜で、しかも見方が小さかったのだろう。
実際に音を出してみると予想と違った。課題曲のもつ独特の高揚感にあふれている。
いろんな課題曲のつぎはぎに聞こえるという感想も耳にしたが、それを言い出したらマーチは全部は同じだ。
もっと大げさに言えば、純粋なオリジナルを生み出せる作曲家なんていないわけだし、かりにそんな曲が完成したとしても、それが課題曲になるわけがない。
曲を書くこともできないわれわれ吹奏楽顧問ふぜいが、楽曲に文句を言うなんて二兆年はやい。
あと、聞いてて、「この曲を延々と練習するのつらいな … 」というマイナス感がまったくわいてこなかった。
こうやって、ああやって、がんばればいい演奏にできるのではないか、というイメージが膨らむ曲だった。
ということで、「こうやって、ああやって」トレーニングのうち極めて重要な「曲を知る」段階に取り組んだ。
第一企画は洗足学園さんで毎年行われる課題曲クリニック。
自分はここ数年続けて参加しているが、みんなで行きましょうと三年生から提案があり、日曜日に出かけてきた。
「作曲者と語ろう」「指揮法」「合奏指導」のどの講座にいっても、教室は中高生でいっぱい。過去をふりかえっても、こんなにぎゅうぎゅう詰めだった記憶はないから、Ⅱは人気なのだ。
部員たちの多くは奏法指導の講座にも参加したはずだ。
今日は、和光国際さんとの合同練習で、この曲を一緒にさらってもらった。
午前中はパートで基礎練習と曲をさらい、午後は合奏。マーチを練習するポイントを、隣の女子のお手本つきで示してもらえて、本当にためになったのではないか。
部員たちにしてみれば、こんな合奏をできる和国の先生はすごい、それにくらべてうちの顧問は … という感想をいだくやも知れぬ。
でも、すごい先生と知り合いになって、いろんな企画に参加できるこの「友だち力」は評価してほしいなあ。
和光国際高校吹奏楽部のみなさん、本当にお世話になりました。
「水の東西」に続き、樺島忠夫先生の「語と意味」という教材に入った。
てっきり「ものとことば」をやるつもりで予習してなく、教科書を開いたら教材文が変わってて少しあせった。
ただ、どちらも主旨は同じで、「ものがあって名前をつけたのが言葉」ではなく、「言葉があるからものがある」という言語論の基本を読み取る文章だ。
日本語で、米、めし、ごはん、ライス、稲、と区別しているものは、英語だと全部「ライス」になってしまう、それは英語を使う人が区別してみてないからだ、という分かりやすい具体例が述べられている。
われわれは「めし」と「ライス」という言葉をもっているからこそ、その区別ができるのだ。
洋食屋さんでお皿に盛られているごはんはを「めし」とは言わない。
まてよ。山田うどんの御飯は丼に盛られているが、メニューには小ライス120円、中ライス160円て書いてあるような気がする。
ラーメン屋さんでついてくる御飯茶碗に入ったのも、小ライスとか半ライスって書いてあるな。「小めし」と書いてあるお店もあるが。
「洋食で出される、皿に盛っためし」という樺島先生のライスの定義は、ずれているのかもしれない。
じゃ、なんだろ。
メイン感の差じゃないかな。
たとえば定食屋さんでは、空腹を満たすための第一の存在がごはん。御飯をたいらげる「ため」におかずがある。 ラーメン屋さんでは、あくまでもメインは本体のラーメンだ。「ごはん」とか「めし」と表現した場合、日本人の意識として存在感が大きくなりすぎる。
なので、さらっと、「ついでにライスも」とか「ライスおまけね」と表現する。
洋食屋さんは、もともとステーキとかハンバーグとか、それを食べること自体が第一目標となっている。
メインは肉、付け合わせ的にパンorライス。
洋食屋さんであっても、orパンが存在しないお店なら、皿に盛ってあっても「ごはん」が可ではないだろうか。
うん、そうにちがいない。
今思いついて書いたけど、ちゃんと書けば大学のレポート一本分の値打ちはあるネタではないだろうか。
どなたか、試しに深めてみてほしい。
学年だより「幕が上がる(1)~(3)」
GW中に「何か本を読んでみよう」と考えている人に、是非お薦めしたい一冊を紹介する。
平田オリザ作『幕が上がる』(講談社文庫)、高校の演劇部を舞台にした小説だ。
主人公は、北関東のとある高校に通う高橋さおり。
高校2年の秋大会が終わり、3年生たちが引退したあと、演劇部の部長を務めることになった。
他の4人の部員と話し合って「地区大会突破、県大会出場」を目標に掲げ、新体制での活動をはじめる。とは言え、顧問は演劇については専門外の先生で、自分たちでなんとかしていかねばならない。
新体制になってからの寒い季節、みんなで基礎練習などにとりくんでみたものの、運動部のように練習試合があるわけではなく、実力がついているのかどうかの実感がわかない。
日が経つにつれて、部員のモチベーションも目標を決めた時ほどのものではなくなってくる。
新年度を迎える。
さしあたり新入部員を確保しなければ … 、5人のままでは出来ることがあまりに限られていた。
同時に、三年生になった3人は、自分たちの進路についても考えなければならない状況になっていた … 。勉強と部活の両立を考える高校生にとっては切実な話だ。
そんな彼女たち(男子部員は2年の1名だけ)に転機がおとずれた。
新任の美術の先生は大学で演劇をやっていたという話を耳にしたのだった。
「副顧問になってほしい」と頼みに行ったさおり達を、吉岡先生はコーヒーをいれて迎えてくれた。新入生オリエンテーションでの、演劇部のパフォーマンスを、吉岡先生も興味をもって見てくれていたようだった。
毎日じゃなくてもいいから練習を見てほしいと言うさおり達にこう答える。
~ 「美術部のこともあるし、新人だから、いろいろ研修とかもあるのね。 … まず、私も高校演劇のこと、少し勉強してみるよ」
「ありがとうございます」
「大会があるんでしょう?」
「秋です。秋までに、頑張りたいんです。地区大会で三番以内になって、県大会が目標です」
「何だ、小っちゃいな、目標」
「え?」
「行こうよ、全国大会」 ~
美術部も任され、初任者研修もある吉岡先生が演劇部に来られるのは、週に一回ぐらいだった。
それでも、来てくれた時の部員の上達ぶりは目を見張るものがある。
身体の動かし方、変な顔のアドバイスなど、芝居の本筋とは関係なさそうな一言を口にし、しかし言われた子はそのあと上手くなる。
「上手くなったって言うか、自由になっ」ていくのだった。
新入部員も含め12人になった演劇部の面々はめきめき成長していく。
6月の学校公演を成功させたあと、吉岡先生は部員達を集め、改まった表情で「いまのみんなの実力だったら、県大会どころか、関東大会を狙える」と話しはじめる。
~ 「 … 私は、みんなもちょっとは知ってると思うけど、大学でずっと芝居やってて、けっこうのめり込んで、いま思うと、よく単位も教職も取れたと思うけど、五年かかって卒業して、 … 後悔はしてないけど、でも怖い世界だっていうのは、よく知ってるつもりです。
楽しいうちはいいけど、やっぱり大変だし、いややっぱり楽しいんだけど、楽しすぎて人生変えちゃうかもしれないし、そんなの責任持てないしね。
だからブロック大会まで行くっていうのは、私のエゴみたいなもんで、でも、こんな素材を前にして、私が少しだけ手伝わせてもらったら、って言うか、これからは少しだけじゃなくて、手伝いでもなくて、本気で指導させてほしいんだけど。いままでは、片手間でやっていてごめんなさい。本気でやらせてください、演劇部。本気でやって、ブロック大会まで行こう」 ~
夏休み。初めての校外合宿は、東京に出て代々木の青少年センターに行くことになった。
昼間はその施設のスタジオで大会のための「銀河鉄道の夜」を練習する。
夜は下北沢や池袋へ芝居を見にでかける。
ぎゅうぎゅう詰めの小屋で汗をかきながら芝居を観た帰り路、駅を降りると「ちょっとだけ回り道するね」と彼女たちを歩道橋に連れて行く。
「ほら」と指さされて見上げた部員たちの目に飛び込んできたのは、せまるようにそびえ立つ新宿副都心の高層ビル群だった。大都会だ。
「きれいですね … 」と涙ぐむ一年生を、さおりは笑いながらも、気持ちはわかる気がした。
部員たちが一瞬暑さを忘れ、肩を寄せ合ってビルを見上げる。
「東京で銀河は見えないから、そのかわりだよ」と空に手をひろげた吉岡先生は美しかった。
役者ではなく作・演出を担当することになったさおりは、合宿までに台本を完成させていた。
自分の書いたセリフが声になっていくのを聞きながら、ああずっと演劇をやっていたいなと思う。
なかなか寝付かれず、夜も小さな灯りのついている談話コーナーにふらっと行ってみると、ユッコがソファに寝転んで台本を読んでいるのに気づき、驚いた。ユッコもさおりに気づく。
~ 私はユッコの横に座った。ユッコはそのままの変な姿勢で、
「ありがとう」
と言った。
「え、なにが?」
「言いたい台詞ばっかりだよ」 ~
「高校時代という貴重な時間を大切にしてほしい」的な話を、入学式なんかで聞いたりするものだが、それを語る大人ほどには、みなさんは本気で感じてないと思う。
でも、部活の試合で負けたあとの帰り道や、友達と馬鹿話してるだけの放課後の教室や、あまり接点のなかったクラスメイトと急に意気投合したときや、帰りに食べたラーメンがなぜかいつもよりおいしかった時や、文化祭のあと突然風が冷たく感じた瞬間やら、なんでもない具体的なその瞬間が、かけがえのないものに思えた時はないだろうか。
ちなみに「かけがえのない」は「掛け替えのない」と書く。そこに掛けてあるものを失ったなら、他に掛けるものが見つからない、つまりかわりになるものが存在しないほど大切だという意味だ。
別に高校時代だけが大事ってわけじゃないでしょ、とみなさんは思うかもしれない。
しかし、何十年も生きたわれわれから見ると、わずか十数年しか生きていない今のみんなにとっての一年、一ヶ月、一週間、一日は、やはりまぶしいほど大切に見える。
そのかけがえのなさは、当事者には自覚しにくいのも事実だ。
しかし、何かやりたいことを見つけたとき、やるべきことをやろうとしたとき、仮にそんなにやりたくないことであったとしても、何かにのめり込み打ち込んだ時には、費やした時間への愛おしさを感じることができるものだ。
みなさんにもそんな時を過ごしてほしいと思う。
最初からムダなものはない。最初から効率の良さを求めるべきではない。
~ 私は、何ものにもなれない自分に苛立っていた。
本当は何かを表現したいのに、その表現の方法が見つからない自分を持て余していた。
もう少し勉強すれば、地域で一番の進学校にも行けたのに、通学の長さを理由に、行きやすいいまの学校を選んだ自分が嫌いだった。
演劇は、そんな私が、やっと見つけた宝物だった。 ~
なんとか地区大会を勝ち抜き、県大会に臨むにあたり、さおりは台本を書き換えた。
映画やドラマで描かれる「高校生らしい高校生」なんて、現実にはいないと思った。
いっしょに芝居に取り組んできた目の前の仲間達こそが現実の姿だとの思いをこめた。
~ 私たちは、舞台の上でなら、どこまでも行ける。どこまででも行ける切符をもっている。私たちの頭の中は、銀河と同じ大きさだ。 … どこまでも行けるから、だから私たちは不安なんだ。その不安だけが現実だ。誰か、他人が作ったちっぽけな「現実」なんて、私たちの現実じゃない。 (平田オリザ『幕が上がる』講談社) ~
書き換えた台詞、そこに込めた思いは客席に十分伝わっていると思えた。
県大会の舞台が終わる。幕が降りた瞬間、今まで聞いたことのないような拍手が聞こえてくる。
反対側の部隊袖でガッツポーズをする役者が見える。ユッコと中西さんが抱き合うのが見える。
後輩の男子部員が、自分のとなりで泣いている。
かけがえのない時間だった。
「評論」には、筆者の主張が書かれている。
主張とは、
何について(話題・テーマ)
どうだ・どうすべきだ・~が問題だ(言いたいこと) が書かれたもの。
それは「他人にどうしても伝えたいこと」なので、少しでも伝えるために
a 対比して述べられる ←→(対比関係)
b 形をかえて繰り返される =(相似関係)
c 理由が述べられる ↓(因果関係)
それを読み取るためには、次の具体的な表現に気をつけるとよい。
対比
… 。しかし …
… ではなく … 逆接語の後に主張がある。
相似
(抽象・一般)たとえば … (具体)
(具体)このように … (抽象・一般)
「たとえば」の前、「このように」の後ろに主張がある。
因果
なぜなら … 。 … のである。
理由が述べられている内容は主張したいこと。
☆ … と思われる
… と言えるのではないか
… ではないだろうか
断定してない表現は、実は強い主張の現れである。
〈11段落〉
11 もし、流れを感じることだけが大切なのだとしたら、我々は水を実感するのに、もはや水を見る必要さえないと言える。ただ断続する音の響きを聞いて、その間隙に流れるものを間接に心で味わえばよい。そう考えればあの「鹿おどし」は、日本人が水を鑑賞する行為の極致を表す仕掛けだと言えるかもしれない。
Q27「「鹿おどし」は、日本人が水を鑑賞する行為の極致を表す仕掛けだと言える」とあるが、そのように言えるのはなぜか、50字以内で説明せよ。
〈説明問題を解く観点〉
出題者は何を「説明」させたいのか = 何を「わかりやすく言い換え」させたいのか
→ わかりにくくなっている要素を確認する。
a 傍線部そのものの分析
1 構造(SVO・SVC)は? 2 キーワードは? 3 指示語は?
b 傍線部前の確認
1 S・Oは? 2 指示語は? 3 接続は?
a 傍線部そのものの分析より
日本人が水を鑑賞する行為の極致する行為の「極致」
↓
極致 … きわめつくした境地・これ以上ないと思われるレベル
↓
日本人の水の鑑賞のしかたは、とんでもない境地に達している
b 傍線部前の確認より
「そう」考えれ「ば」
↓
「そう」考える「と」→「鹿おどしは」「極致だ」と言える
↓
「そう」=流れを感じることだけが大切なのだとしたら、我々は水を実感するのに、
もはや水を見る必要さえないと言える。
↓
水を感じるのに、水を必要としない … この境地
※ 矢を射るのに弓を必要としない
ヒットをうつのにバットを必要としないレベル
c 答えの基本形(「SV」・「SC」ということ)に整える。
↓
A27 鹿おどしは、日本人が水を見ないことによって水を鑑賞する
境地に達していることを表す仕掛けであるから。
Q28 この文章を通して筆者が述べたかったのは、どういうことですか。20字以内で述べなさい。
A28 鹿おどしに象徴される日本人独特の感性
Q29 Q28の答えが次のようなものであった場合、それぞれ何がよくないのかを説明しなさい。
ア 日本と西洋における水の鑑賞の仕方の違い
イ 鹿おどしと噴水の持つ文化的意味
ウ 日本人が慣れ親しむ鹿おどしの巧みな構造
エ 伝統を大切にする日本人の生き方
A29 アは答えとしてアサい。「違い」という現象から本質を述べるのが評論。イはアより深さはましているが、「鹿おどし」と「噴水」が並立になっているのがよくない。あくまでメインは「鹿おどし」。ウは本質からズレている。エは話題そのものがズレている。
A ←→ B の場合、あくまでもメインはAだから、簡潔に要旨をまとめるときはAで説明する。
Q30 全文の主旨を100字以上120字以内でまとめなさい。
A30 日本人にとって水は自然に流れる姿こそが美しく、
西洋の噴水のような造形の対象とはしなかった。
それは日本人が形のないものを積極的に恐れない心を持ち、
自然と一体化して生きてきたからであり、
鹿おどしは日本人のその独特の感性を象徴的に表す装置である。
〈9・10段落〉
9 言うまでもなく、水にはそれ自体として定まった形はない。そうして、形がないということについて、おそらく日本人は西洋人と違った独特の好みを持っていたのである。「行雲流水」という仏教的な言葉があるが、そういう思想はむしろ思想以前の感性によって裏づけられていた。それは外界に対する受動的な態度というよりは、積極的に、形なきものを恐れない心の現れではなかっただろうか。
10 見えない水と、目に見える水。
Q23 「理由」を表す文を指摘せよ。
A23 「そうして、形がないということについて、おそらく日本人は西洋人と 違った独特の好みを持っていたのである。」
☆ ~のだ。 ~のである。 … 何らかの事情・理由を述べる言い方
Q24 この文は何についての理由・事情説明か。
A24 日本人が噴水をつくってこなかったことについて
Q25 「独特の好み」とあるが、日本人のどのような心のことをこう言っているのか。9段落から抜き出しなさい。
A25 積極的に、形なきものを恐れない心
Q26 「そういう思想」とは何を指すか、抜き出しなさい。
A26 行雲流水
日本人の独特の好み
∥
行雲流水 … 思想以前の感性
∥
積極的に、形なきものを恐れない心
☆ 行雲流水 … 空を行く雲、流れる水のように、何事にも執着を持たず、
成り行きにまかせることがよいとする考え。
日本人は、物事を自然のなりゆきにまかせるんです。
なんでもかんでも人の手を加えて支配したような気になるのは神をもおそれぬ行為なんですね。
それにあれこれ苦労したって、人知を超えた部分てあるじゃないですか。
最後はなりゆきにまかせるしかないよ、っていう感覚を心の底にもってるんですよ。
その感覚を端的に表す言葉が「行雲流水」です。
じゃあ「なりゆきにまかせる」という意味とイメージの近い語は? 「受動的」ですね。
しかし作者が言いたいのは、「行雲流水」は「受動的」ではなく実は「積極的」な態度だ、といいたいんですね。
日本人は「形なきものを恐れな」かった。逆に考えると、西洋人は、「形なきものを恐れ」たのです。
その結果、たとえば庭一つとっても全部人の手をいれます。メディチ家の写真みてみよう。きちっとしてませんか。全部人工的でで左右対称になっています。
人間の暮らしの前に立ちはだかる厳しい自然を対象(オブジェクト)化し、自分達で造型して、支配下に置きたいと考えました。
その結果、西洋の庭は人工的な対称(シンメトリー)的なものに作られます。
日本の庭はちがいますね。いかに自然らしさを出すか。優秀な庭師は一生懸命庭をつくります。そしてある日「これで終わり」って言うんです。「師匠なんか足りなくないですか」と弟子が聞く。「この木は小さすぎませんか」とか。すると師匠は、「馬鹿やろう。二百年経つとちょうどよくなるんだ」とか言うんです。
最後の仕上げは「積極的に」自然にまかせるのが日本の庭造りです。
西洋の庭は完成したときに、完全な美をつくろうとします。対照(コントラスト)的ですね。
西洋人にとって自然は対象化するものであり、日本人にとって自然は一体化するものだったのです。
(日本)自然と一体化 ←→ (西洋)自然を対象化
これから読んでいく評論にこういう話はよくでてきます。そういう意味でも「水の東西」を基本中の基本としてマスターしてください。
日本 西洋
形なきものを恐れない ←→ (形なきものを恐れる)
行雲流水 ←→ (自然のなりゆきにまかせない)
自然と一体化 ←→ 自然を対象化
見えない水 ←→ 目に見える水
〈6・7・8段落〉
6 時間的な水と、空間的な水。
7 そういうことをふと考えさせるほど、日本の伝統の中に噴水というものは少ない。せせらぎを作り、滝をかけ、池を掘って水を見ることはあれほど好んだ日本人が、噴水の美だけは近代に至るまで忘れていた。伝統は恐ろしいもので現代の都会でも、日本の噴水はやはり西洋のものほど美しくない。そのせいか東京でも大阪でも、町の広場はどことなく間が抜けて、表情に乏しいのである。
8 西洋の空気は乾いていて、人々が噴き上げる水を求めたということもあるだろう。ローマ以来の水道の技術が、噴水を発達させるのに有利であったということも考えられる。だが、人工的な滝を作った日本人が、噴水を作らなかった理由は、そういう外面的な事情ばかりではなかったように思われる。日本人にとって水は自然に流れる姿が美しいのであり、圧縮したりねじ曲げたり、粘土のように造型する対象ではなかったのであろう。
Q20「そういうこと」とはどういうことか。40字以内で述べよ。
A20 日本人は時間的な水を好み、西洋人は空間的な水を楽しむということ。
「そういうこと」が、直前の「時間的な水と、空間的な水。」を指すのはわかりますね。この部分を、「どういうことか」という問いの答えになるように、必要な言葉を補います。
「どういうことか」に対する答えの骨格は次のような形になります。
何(S)が ~(V)する ということ。
何(S)が ~(C)だ ということ。
このように、体言的な表現は用言化し、抽象的な表現は具体化するという方向性で答えを作ります。
Q21 日本人が噴水をつくらなかったのはなぜか。本文の語を用いて40字以内で説明せよ。
A21 日本人にとって水は自然に流れる姿が美しく、造型する対象とはならなかったから。
手順 「本文の言葉を用いて」 … 該当箇所を抜き出す → 変形する
a 該当箇所 … 日本人にとって水は自然に流れる姿が美しいのであり、圧縮したりねじ曲げたり、粘土のように造型する対象ではなかったのであろう。
~のだ。~のである。 … 何らかの事情・理由を表す文。
b このまま抜き出すと字数がオーバーするので、短くする。
→ 「圧縮したり~のように」は「造型」の具体例なので、ここをカット。
c 「なぜか」という問いなので、「~だから。」と文末処理をする。
6 時間的な水←→空間的な水
7 日本 … 伝統的に噴水が少ない
8 日本人が、噴水を作らなかった理由
↓
日本人 … 水を造形の対象にはしなかったから(内面的事情)
↑
↓
西洋人 … 噴水を作る
↑
外面的事情 a空気の乾燥 b水道の技術
Q22 西洋人が噴水を作った「内面的事情」はどういうものと考えられるか。
A22 西洋人にとって水は自然に流れる姿を美しいと感じるものではなく、人為によって造型すべき対象であったから。
書いてないこと内容 … 書いてある内容から類推する
A … a1・a2
↑
↓
B … b1・(b2)
b2が空欄だったなら、a2の反対の内容か、b1と同じ内容かが入る。
昨日、楽器決めが終わった。第一希望にならなかった人も、とりあえずしばらく頑張ってみよう、何が合ってるかはやってみないとわからないものだよ、と話した。
その昔、ホルンを担当して芽が出ず、打楽器にうつるも活躍できず、最後はバリトンサックスに移動して開花した先輩がいたくらいだからね。半年とかやってみて、どうしても違うと思ったら、そのときは相談にのるから。
そう言えばその先輩はこんなことがあった。コンクールの前日に夜遅くまで練習し(当時は直前しかちゃんと追い込まなかったからね)、その先輩は終電をのがしてしまったのね。翌朝、赤い顔で会場に現れたのは、公園で夜明かしして蚊に刺されまくったからなのです。そんな先輩もいたんだよ、と話してて顔ははっきりうかんでるのに、名前がでてこなかった。
今日授業中に「あいみ君だ」と急に思い出した。「フェスティーボ」ではじめて銅賞をいただいた時ではなかっただろうか。いろんな記憶が混在しつつ、思い出しにくくなっている。同時にピンポイントでやけに鮮明な一場面があったりする。手帳のやることリストのレッスン依頼がラッスンゴレライに見えたりもする。
楽器は決まったが、今日は一年クラス懇談会のため一年生のみオフ日。気が付くとGWがすぐそこまで来ている。
明日はパートによっては買い物に出かけるので、全体集合はない。土曜日、みんな来てくれるといいなあ。
学年だより「勉強の超基本システム(2)」
4 わからない時はわかるところまでもどる
わからなくなったら、どの時点でわからないかをまず発見する。そこから再スタートすればいい。それがわからない時は先生に相談すればいい。病気と同じで、症状と進行具合いが明らかになれば、治療法は見いだせる。
5 やることを書き出す
やりたいこと、やるべきことをすべて書き出す。そして、やったことはどんどん「赤」でチェックしていく。赤チェックの入り具合いで、残された時間と、やるべき量との関係が視覚で一瞬にして把握できる。
何がどれくらいあるのかがわからないと人は不安なものだが、視覚によって全体像を把握できると、かりにその全体量が多くても精神的ゆとりが生まれる。
6 やったことを記録する
その日にやれたことを記録していこう。みんなは、まだ自分がどれくらいの量をどれくらいの時間でこなせるかの判断ができる状態になっていない。この記録を蓄積していくことで、2年3年になるにつれて、自分で勉強計画が立てられるようになる。
具体的には、学習記録ノートを作るといいだろう。生徒手帳のスケジュール欄を利用してもいい。
最初のうちは、英語を30分、数学を1hやったという時間の記録だけでもいいから、毎日何かは書こう。『ターゲット』1~50とか、『サクシード』8~12のように具体的に記録できたらなおよい。さらに、ちょっとした反省や今後の課題もメモしていけるようになれば理想的だ。
手帳に書くことで、自分が客観化できる。それにしたがって今後やるべきことが明確になり、その後のモチベーションともなる。この作業は、大学の勉強にも、大人になってからの仕事でも通用する。日々ちょっと記録することが習慣となり、習慣は体質をかえていく。
7 要るものは貼る・不要なものは捨てる
必要なプリントはノートに貼って保存するのが基本だ。だからはさみとノリは常備しておくこと。 必要な情報は、どこにあるのかがわかり、すぐに活用できるようにしないといけない。
みなさんにとっては、ノートが「情報の集積地」となる。
☆ 家にコピー機を用意する
ノートを情報の集積地にするためには、コピーを上手に利用できると効率がいい。
英語や古文は、教科書の本文をコピーしてノートに貼ってしまえば、書き込みしやすいし、そのノートさえあれば、復習ができる。少し拡大して貼ることもできるし、逆に授業でもらったプリント類は縮小すると貼りやすくなるものもある。
家庭用コピー機は2~3万円かかるが、三年間使って生まれる効果はその何十倍ではきかない。そういう工夫をする力は一生ものなので、実感として何百倍の効果といっても過言ではないと思う。