水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

ハンティンドンセレブレーション

2010年04月30日 | 日々のあれこれ
 スパークの「ハンティンドンセレブレーション」は、数年前の新譜のときに、いちはやく取り組んだ思い出深い曲だ。
 うちのD部門デビュー曲でもある。
 今日のミーティングで、今年の西部地区発表会はこの曲でいこうということになった。
 グレード3となっているが、けして簡単な曲ではない。
 うちにとって簡単な曲という概念はない。
 いや、だれにとってもか。
 グレード3の5分半の曲ではあるが、盛り込まれた内容は実に深い(ような気がする)。
 さすがスパーク先生だとあらためて思った。
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アンビバレント

2010年04月29日 | 日々のあれこれ
 NACK5で古内東子さんの歌声を久しぶりに耳にした。懐かしかったので、「誰より好きなのに」を聞いた。サビはこんな歌詞。

  やさしくされると切なくなる
  冷たくされると泣きたくなる
  この心はざわめくばかりで
  追いかけられると逃げたくなる
  背を向けられると不安になる
  誰より好きなのに

 若いおねえさん方に人気があるのも頷ける。
 もっと若い娘さん方だと、このアンビバレント(相反する感情が同時に存在するさま)な感情はまだ実感できないんじゃないかな。

 小説の記述問題に答える鉄板法則を以前あみだしたことがある。
 「逆接語を用いてアンビバレントな心情を説明せよ」という法則だ。
 「傍線部 … について、心情を説明せよ」という問題で字数が多いときには、「~ものの」「~一方で」を使って書くとなかなか深まるもので、ポイントを稼げる。

 「~した時のやさしいそぶりに胸ときめかせながらも、その優しさが本心からなのか、本心であったとしてもその気持ちがいつまで続くのかを瞬時に考えてしまい、うれしさと不安を感じている状態」みたいに。
 残念ながら、二次試験で小説が出題される大学は少なくなり、誰も教えを請うてこないので、活用されてはいない。
 近々唄いたいなと思ってる「ティアモ」もそんな感じ。

  「僕は弱いね」と 自分から告げた ずるい人だわ あなたは
  時計をはずして 微笑んでくれる 優しい人ね あなたは
  笑顔くずさないで 嘘を見抜きたくない

 生徒さん方の年代は、たとえばある大人をみて、好きなら好き、嫌いなら嫌いとストレートに思うのだろうか。たぶん自分はそうだった。
 教員から生徒、親から子ども、の場合、ふざけんなとか、勝手なことばっか言ってとか小憎らしく感じることがある反面、愛おしくてたまらなかったり、文句を言いながらもいろいろしてあげたりとかという、まさにアンビバレントなものだ。
 両者が心からわかりあえることは、だからないのだけど、それがまたいいのだろう。
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メディアリテラシー

2010年04月28日 | 日々のあれこれ
 国語教育で「メディアリテラシー」の重要性が近年叫ばれていて、いろんな方が研究されていることは知っているのだが、横文字に弱いので、積極的に触れようとしてこなかった。
 ぴたっとした訳語が思いうかばないが「情報の価値や真偽を判断する能力」とでも言えるだろうか。
 一番わかりやすいのは「メディアにだまされない力」かな。
 国語教育が責を負うべき分野だとしたら、おれは知りませんではいられないなと思う。
 たとえば、今朝の新聞の「小沢氏起訴相当」という大きな活字を見て、どう思うのかということだ。
 「検察審査会」とは一般の有権者から無作為に選ばれたメンバーで構成される。
 おれもいつ呼ばれるかわからないくらい身近なものだそうだ。
 言ってみれば素人の会議である。
 そんな大きなニュースに扱うべきものだろうか、小沢さんに不利な情報はやたら大きな記事になるな、そうしているメディアの意図はなんだろう、などと考える方向性で頭を動かせるようになるのが「メディアリテラシー」といえるだろう。
 国語教育でそれをやるべきだったんだね。
 だれもやってないから、メディアリテラシーの偏差値があまりに低い人たちばかりになってしまった。
 誰かが「あいつおかしい」と言って、テレビや新聞がそれを報道すると、一気にそっちに流れていく。
 「あいつあやしくね?」と言い出すと、みんなそっちを向いてしまう。
 国語教師の役目をちゃんと果たさねば。
 それとも、メディアの中心にいるであろうと思われる、われわれ世代に問題があるのだろうか。
 

 
 
 
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4月27日

2010年04月27日 | 日々のあれこれ
 午前の授業を終えてから上尾福祉センターでの埼玉県吹奏楽連盟総会に参加した。
 県の新理事長に大滝先生が就任される。
 大滝先生ご自身がご挨拶で述べられていたが、公立学校の校長先生ではない方の就任はきわめて希な例であり、しかし、これほど誰もが納得できる人事は考えられない。 
 人格高潔かつ力量の抜きんでた方がその組織のトップに位置することは、当然のことではあるのだが、世間一般で考えた場合そうでない例も多々ある。
 さまざまに問題もかかえていると思うが、埼玉吹連は安泰だと思った。
 安心したので、総会の場で思っていることを述べることができた。
 
 ひるがえってわが部でも問題が起こっている。
 ボタンのかけちがいというべきものであろうか。
 具体的には書けないが、部員にとって、顧問にとって気分のいいものではない。
 しかし、何事かをやろうとすれば、問題が起きるのはあたりまえだ。
 問題が起こったということは、何事かを本気でやろうとしている証拠ともいえる。
 そこでどうするかで、その人のその組織の品格が決まる。
 あらためて部全体の絆を大事にしていきたいと思う。
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課題曲クリニック

2010年04月26日 | 日々のあれこれ
 昨日は、洗足学園で開催された課題曲の講習会に参加してきた。
 桐田先生による合奏指導法の講座を二コマ、課題曲2と4を聴講する。
 それぞれ40分という限られた時間だったが、だからこそマーチで気をつけることのエッセンスを確認できた。
 課題曲4のとき、「このマーチはテンポが早い設定になってて、いま早いと感じてると思いますが、コンクールの時期になるとこれでも物足りなくなってきますよ」というお話になるほどと思う。
 楽しみだったのは4の作曲者である田島務先生のお話をうかがう講座だ。
 田島先生は、数年前に西部地区の総会の場にもおこしくださり、「エアーズ」が課題曲に選ばれたときの感動的なお話をうかがったことがある。
 そのとき、「6度音程へのあこがれがある」とおっしゃっていたと記憶するが、今回のマーチも、第一マーチが6度で跳躍する。
 自分のなかで6度と言えば、天知真理「思い出のセレナーデ」の冒頭だ。
 「♪あの~」のところ。マニアックな話しだけど。
 でも、同学年の田嶋先生なら、「ああ、あれね」とおっしゃられるかもしれない。
 今回のコンクール曲候補に「ぐるりよざ」を入れさせていただいたが、その作曲の伊藤康英先生がホストになって、田嶋先生に話をしてもらうという贅沢な企画でである。
 ただ、いかんせん40分は短かったかな。
 できれば、この私めに司会させていただければ、ほどよくお二人にふりながら、お話をはずませることができたのだが。
 ♯がふえるときは曲が進んでいく方向で、♭が増えると曲がおさまる方向になるという伊藤先生のお話は勉強になったし、作曲家であり現場の指導者でもある田嶋先生のお考えが、曲にも表れていることがよくわかり、貴重な時間だった。
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夕焼け

2010年04月24日 | 日々のあれこれ
 練習をおえて、ウェイト場でちょっとだけ腹筋をして職員室にもどろうとしたらきれいな夕焼けだった。
 ひさしぶりだなあ。
「きれいな 夕焼け雲を おぼえて いるかい
 君と はじめて であったのは 僕が一番 最初だったね」
とついくちずさむ。
 風の「君と歩いた青春」は、太田裕美も唄って有名になったが、数年前に岩崎宏美さんも「Dear Friends」というカヴァーアルバムにおさめている。
 先日和光での岩崎宏美さんライブで、予期せずこの曲を歌ってもらえて、当然のごとく滂沱たる涙を禁じえなかった。
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おもへらく

2010年04月23日 | 国語のお勉強(古文)
 「以A為B=Aを以てBと為す」は一つの句法としてあつかわれるが、「以」は前置詞、前置詞句はVの前に置かれるの原則をまず確認して教える。

 「Aを以てBと為す」は「AについてBだと思う・みなす」という意味です。
  吾以景子為美麗「私は景子をきれいだなと思った。」

 Aについて述べていることが明白な場合、Aが省略され「以てBと為す」になる。
「以V」の形のとき「以」は訳に出さなくていいので、この場合「Bだと思う・みなす」と訳せばいいです。

  吾欲観花之後「花のあと観に行きたいよね」
  北川景子出演也「北川景子のやつね」
  以為美麗「まじかわいくね?」 
 
 いっそ返り点もつけずに「以為」をセットにして「おもへらく=思っていること」と読んでしまおう、となって成立したのが「以為へらく(おもへらく)」という読みです。
 この「~く」は「曰く(いはく)」の「く」と同じ。
 「いふ」に「あく」という古代の名詞がくっついて「いふあく」→「いはく」となった。
 「のたまふ」に「あく」がついたのが「のたまはく」です。
 じゃあ、「おもへらく」は何+「あく」ですか?
 と聞くと、だいたい「思ふ+あく」と答えてくれる。
 おしいなあ、ちょっとたりない。
 でも「思ふ」に「あく」がついた言葉もあるよ。
 「思ふ」+「あく」は「思はく」。
 あいつの「おもわく」がわかんないって言うのは、こうやってできたことばです。
 「思っていること」の意味なので、「思惑」というのは当字ですね。
 他にもあります。
 「おそらく」は「おそる」+「あく」。
 「願はく」は「願ふ」+「あく」。
 じゃあ、「おもへらく」は?
 そうですね、「おもへる」+「あく」。
 「おもへる」の「る」は古文の時間に勉強したね、完了・存続の「り」です。
 何形? 名詞「あく」につながっているのだから、連体形でいいよね。
 なので、「以為へらく」は「思っていることは」となります。
 
 と、今週何回か教えていて、ふと疑問に思ったことがある。
 「すべからく~べし」という言い方。
 「すべからく」も「すべかる」+「あく」だろうと思われる。
 「すべかる」はサ変動詞「す」+当然の助動詞「べし」の連体形「べかる」。
 でも、名詞「あく」に接続させるなら普通は「べき」だから、本来「すべき」+「あく」になるはず。
 「すべかく?」そうか、これだと言いにくいから、補助活用の方を用いたのであろう。

 意味は「するべきこと(は)」となる。
 なら「べし」を最後につける必要はあるのだろうか。
 「いはく~と」「おもへらく~と」のように「と」ではだめなのか?

 呉智英先生が、「すべからく」の誤用について何回も述べられている。
 「すべからく」を「すべて」の意味で用いている人がたくさんいる、しかも文化人、知識人に多い、と。
 「すべからく」は「すべからく~べし」と呼応してはじめて意味をなす。
 「すべて」をかっこつけて「すべからく」なんて用いる人の知性はたかがしれてると、よく批判されていた。
 それを読んで以来、たまにそんな文章をみかけるたびに、「ああ、この先生も残念」と思っていた。

 「すべて」の意味で「すべからく」を用いるのは論外としても、「すべからく」の結びに「べし」がなくてもいいような気がしてきた。
 文の座りは悪いけど。
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めがね

2010年04月22日 | 日々のあれこれ
~ 楽器は人格を変えてしまいます。特に若い人では。
 吹いているうちにらっぱはらっぱ吹きの、クラはクラ吹きの性格になっていきます。
 そして気がついたときには楽器がアイデンティティの一部になり、楽器を変わるという選択肢はなくなってしまうのです。
 たとえ楽器を吹かなくなっても、音楽を聴くときにはその楽器の奏者として聴いてしまうのす。
 おそらくこれはあらゆる趣味、職業に言えることでしょう。
 人生とはそうしたものなのでしょうね。 ~

 山田先輩、コメントありがとう。
 「人生とは … 」なんて言ってみても大丈夫な歳になったね。
 何学部で学んだ、何大学を出たなんてのも、きっと良い悪いではなく、その人のアイデンティティになるのと同じかな。
 なんで大学で学んだ方がいいのですか、なぜその学問をやらないといけないのですか、と生徒さんがたに聞かれたとき、こんなふうに答えることがある。
 大学は行った方がいい。
 そして、できればその学問を一生懸命学んだ方がいい(これは遠い昔の反省もこもっているが)。
 その学問自体を身につけよ、極めよということではない。
 だって、そんな道を目指せる人は(才能面、経済面などいろんな要素によって)少数なのだから。
 その学問をすることによって、ものの見方を身につけるのが大事。
 経済を学ぶなら経済学的なものの見方、物理なら物理の、というように。
 すると、他のものの見方もあるなと気づけることにもなる。

 むかし有田和正先生から「国語のめがねをかけさせてあげるのが仕事」というお話をうかがって、瞬間的に納得したことがある。
 いろんなめがねで見ることができるようになったら、それはまさしく成長であろう。
 ある楽器を学ぶことで、その楽器を通して音楽に触れるようになるから、楽器を知らなかったときより、ものの見方は広がる。
 吹奏楽という文化的な活動をすることで、物事を習うとはどういうことか、身につけるとはどういうプロセスなのかもわかる。
 経験することで、身体にそういう回路ができる。
 回路の作る経験をすることで、新しい回路を作るためにはどうすればいいかという目安もつく。
 おお、いいことづくめではないか。
 
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楽器決め完了

2010年04月21日 | 日々のあれこれ
 無事1年生のパートを分けることができた。
 どうしても話し合いでは調整できず、じゃんけんしようかという局面があった。
 「でもなあ、打楽器でじゃんけん負けて、FLに来れるか?」とFLの3年生にきいたら、「ぼく、そうだったんですよ」という。
 ええっ? そうだったっけ。それでここまできたのか。じゃ、安心してジャンケンしてもらえるわ。
 そうこうして、パートが決まり、今日は顔合わせで終わったようだ。 
 あとは、顧問、部員みんなで協力して、一日も早く楽器が楽しくなるように、部活が楽しくなるようにしていってあげたい。
 1年生の指導をパートまかせにせずに、リズムのとりかたとか、楽譜の読み方とかどんどん教えていきたい。

 今日、あるクラスに行ったとき「先生、1Q84読みましたか」と声をかけられた。
 読んだよ。
 けっこう普通にハッピーエンドでしたね。
 そうだね、でも解決されてないこともあるよね。おもしろかった?
 はい。先生、ノルウェイの森はどうですか
 おれは、あれはちょっとぴんと来なかったんだよ
 そうですか。あれは、分かる人にしかわからないですから。
 そ、そうですね。

 職員室よりも、教室でこんな話ができる。
 昨日のお弁当に、青豆と白身魚のパスタを作ったが、前日無意識のうちに青豆を買っていたのだ。
 こんど青豆と天悟のパスタつくろうかな(どんなんやねん)。

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4月21日

2010年04月20日 | 日々のあれこれ
 午後西部地区吹奏楽連盟の総会にでかけた。
 毎年、総会のあとに催される指導者講習が楽しみなのだが、今年は中村睦郎先生のお話をきくことができた。
 先生が楽器を始められたきっかけは、中学校で友達3人で吹奏楽部に入部しにいき、他の子がトランペット希望と言ったので自分もトランペットと言ったら、じゃ君はユーフォニアムにしようと顧問の先生に言われてそれで決まってしまったのだという。
 まさかその時、自分が音大にすすみ、プレーヤーとしてシエナで活躍し、指導者として小平三中を全国大会に導く人生は予想してなかったことであろう。
 それが人生だ。
 部活の問題は生活習慣病みたいなものだというお話が印象に残っている。
 わかっているけど、なかなかやめられない、改善できないというお話。
 日々の練習への取り組みのゆるさとか、ちょっとしたことができないままであることとかが後で大きな問題につながっていくというお話。
 なるほどとあてはまることがたくさんある。
 たしかに個別には小さなことも、まあ明日からと言っているうちに抜き差しならないレベルに達してしまう。
 小さな問題をそのままにしない姿勢をもたねばならぬと思う。
 
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