水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

6月30日

2014年06月30日 | 学年だよりなど

  学年だより「団体戦」

 言うまでもなく大学合格は大きな目標だ。その目標に達するまでの距離感がつかめなくて、もがき苦しんでいる … というのが、みなさんの現状だろう。
 ただし、大きな目標ではあるけれど、あくまでも通過点であることを忘れてはならない。
 一昨日、各大学から来ていただいた方のお話しを聞きながら、大学に入った後、どう学んでもらうか、単なる就職斡旋ではないキャリア教育をどう進めるかに、どの大学さんも腐心しているのだなと感じた。
 きっと、入学後に燃え尽きたように勉強しなくなってしまう学生の存在が、どの大学でも問題になっているのだろう。
 今の時点においても、大学に入ること自体が最終目標だと勘違いしてしまうと、大げさに言うと「人として」なすべきことがいい加減になってしまう場合がある。
 具体的に言ってみよう。ものすごく勉強した結果、ものすごく偏差値が上がったとする。
 しかし、あいさつができなかったり、ゴミの分別ができなかったり、友達との約束を破って平気な人になったりするなら、その後の人生において自分の目標を達成しにくい体質になってしまう。
 現実問題としては、まず就職活動で差がつくことになる。その人間性は、足音一つで見抜かれてしまうのだから。
 斎藤孝氏の『就職力』という本の一節を紹介したことがあるが(№7)、斎藤先生は、何かにのめり込んだ経験、元気よくあいさつできること、毎日本を読む習慣こそが、就職活動でいい結果をもたらすと述べられていた。
 実はそれらのほとんどは、高校時代に積み上げておける内容ばかりであることに気づく。
 あいさつ、返事、身だしなみ、片付け … 。よしやるぞと思わなくても、ふつうにできている身体になっていることが大事で、意識的に経験を積んでいけば、いつのまにか無意識のうちにできる自分になっている。そしてそれらはそのまま他人を思いやる気持ちにつながる。
 自分だけよければいいという考えの持ち主が受験で結果が出せないことが多いのは、やはり勉強とはそういうものだからと考えるしかない。
 自分との他人との関係、自己と自己以外のものとの距離感をどれくらい測れるか。
 その能力を身につけることが勉強の本質だから。


 ~ ぜひ切磋琢磨し尊敬し合える受験仲間を作ってください。そんな友人がいると、気分が乗らない時でも、「あいつも頑張っているから自分も頑張ろう」とか、辛い時にはコミュニケーションをとって励まし合うだとか、いろいろな意味で安定した勉強の支えになってくれるものです。
 進学校の生徒たちの強みというのは、頭の良さ以上に周りに自分と同じように上位大学を目指す仲間がいて、学校全体で頑張る空気ができていることなのです。 (板野博行『勉強の鬼原則』大和書房) ~


 「受験は団体戦だ」と言われるのは、このことを言うのではないだろうか。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ベストイレブン

2014年06月30日 | 日々のあれこれ

 先々週ぐらいのSPAに、いろんな分野のベストイレブンを各界の第一人者(?)が並べてみるという企画があった。たとえばラーメンベストイレブンは、女子大生ラーメン評論家の本谷亜紀さんが、GKは○○、ディフェンダーは○○(○○にはラーメン屋さんの名前が入る。いっこも覚えてないけど)とイレブンを並べる。
 一昔前は、こういう企画といえばベストナインだったな、日本人の文化風土も変わったと、ふと思う。
 たとえば味噌ラーメンでやるなら、トップバッターは「くるり」、二番「つじ田」、三番「花田」、四番「純連」、五番「どみそ」 … みたいに。
 イレブンだとさらに二つ必要だから、よほど好きなジャンルじゃないと、並べられない。
 自分にも何か並べられるものがあるだろうか。
 たとえば吹奏楽の作曲家なら11人言えるかな。GKは櫛田胅之扶、DFに保科洋、長生淳、福田洋介、伊藤康英、MFに左から酒井格、真島俊夫、樽屋雅徳、広瀬勇人、FWに福島弘和、清水大輔の4・4・2。サブの天野正道、田村文夫は後半から投入してかきまわしにいく。なんとか11人並べられた … 。
 あとは、女優さんは楽に11人言えそうだが、キモっとか思われたらいやだし。噺家さんならいいかな。
 GKは落語協会新会長の市馬師匠。DFは白酒、喬太郎、歌武蔵の大型3バック。ボランチに談春と昇太、中盤にたい平、談笑、一の輔の器用系を配し、2トップに三三と宮治(大抜擢!)を置きたい。サブの馬るこ、ぴっかりといった二つ目もどんどん投入していく。
 なんて記事も書けるくらいの余裕がやっと生まれました。
 国語の参考書ベストイレブンとかも書けるかな。この作業は、斎藤孝先生お薦めの「偏愛マップ」づくりに通じてて、自分を見つめるためにいいかもしれない。
 とか言ってるまに、今年も半分終わってしまった。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6月26日

2014年06月26日 | 学年だよりなど

  学年だより「お手伝い」


 たとえば、今日の夕食の後にお茶碗洗いをしてみようと、高梨氏は言う。
 お茶碗洗いひとつにしても様々なことが学べる。
 お皿を割らないように洗うにはどうすればいいか、どんな順番で洗うと効率がよいか、洗剤や水を無駄なく使うにはどうすればいいか、洗ったあとの食器の立てかけ方、しまい方、など。
 その際の身についている脳の働きは、勉強を学ぶ基本としての「創意工夫」「我慢」と同じだ。
 そして、何より家族に感謝される。
 みんなも、本当にやってみたらどうだろう。お茶碗洗いでもいい、お風呂洗いでもいい、洗濯物をたたむのでもいい、玄関のおそうじでもいい。
 おうちの人から「どうしたの?」「いいよ、そんなことしなくて。気持ち悪いから」と言われてしまう人の方が多いような気もするが、でも必ず喜んでもらえる。
 おうちの人が「ありがとう」と言ってくれた時、誰もが嬉しい気持ちを抱くはずだ。


 ~ 「嬉しい … 」という気持ちは、役に立って家族の一員になれた嬉しさ、お母さんと心がつながった嬉しさ、人に親切をした時の嬉しさの「充実感・満足感」ではないでしょうか。この時の「嬉しさ」で、自分の頭の中にα波が充満するのです。その後に自分の机に向かい勉強してみて下さい。α波のお陰で、驚くほど集中力と理解力が高まり勉強が捗ります。 … 穏やかで安らかな安心した心の状態から、集中力、理解力と定着力(記憶力)がアップし、抜群の頭脳になるのです。これは脳を研究している学者も認めていることです。カリカリ・イライラ状態、面白くない心の状態で、勉強ができる人はいません。 (高梨明宏「読んで心と頭の良くなる勉強法」) ~


 逆の場合を想像してみればいい。そろそろ勉強しようかなと立ち上がった時に、「いつまでぐだぐだしてるの! 早く勉強しなさい、本気で大学行きたいの!」と言われたら、どんな気分になるか。
 もしくは友達とのちょっとしたやりとりでイラっとしてしまったり、何かうまくいかないことがあったりした後の自分。仮に自分に非があったことでさえ、先生に叱られた直後には勉強などする気にならない。
 逆に、図書館で勉強しようと移動している途中、電車の中で年配の方に席をゆずったりした後は、勉強が進む。人の心とはそういうものだ。
 思うように結果が出ないとき、人はなんとかしようともがき苦しむ。
 それ自体はすばらしいことなのだが、同じ自分のまま努力していても、だめな自分の強化や再生産になってしまうこともあるのだ。
 物事がうまくいかない時、そのこと自体を頑張るのはやめて、そのことをする「自分」を変えてみるといい。人間の中で最も変わりやすいのは、実は「心」だ。一秒もかからずに正反対の方向に向けることさえできる。
 心を変えるには行動を変えてみる。「手伝い」は心を変える手段として極めて有効だ。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西部地区研究発表会

2014年06月25日 | 演奏会・映画など

第49回 西部支部吹奏楽研究発表会

6月25日 所沢市民文化センター

16時35分演奏

演奏曲 福島弘和作曲「ラッキードラゴン~第五福竜丸の記憶」

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6月23日

2014年06月23日 | 学年だよりなど

  学年だより「コア(2)」

 「物心二元論」という近代的なものの見方、考え方を相対化すべきだとする主張を、現代文の時間に何度も読んできた。
 身体と心は別物であり、心は身体を制御できるというのが、物心二元論に基づく身体論だった。
 しかし、そのような理屈通りに人間の身体はできていない。
 むしろ、体の動きが心を規定する面も大きいと考える方が身体の実態に合致しているのではないか … 、そのような考え方が今は主流になっている。
 物事にやる気がわいてこない、前向きに取り組む気持ちになっていない精神状態が心のコアの部分にある場合、自然と行動やしぐさに現れてしまう。
 靴をパカパカ響かせて歩いてしまったり、人に会ってもあいさつできなかったり、ボタンをはずしたり、シャツを出したり、奇声を発したり、きのう寝てねえよアピールしてみたり、ゴミを散らかしてみたりする。
 そういう日常を過ごす人の人間性は、たとえばプロの人事担当にはすぐ見抜かれてしまうという。


  ~ 人の心のコアは隠そうとしても隠しきれないもので、人の性格は歩く足音にさえも露呈するものです。彼は、就職面接の視点として、協調性はあるか、穏やかな性格に見えるか、秘めたる闘志があるか、正義感があるか、我が強くないか、聞く耳があるか、独善的になるタイプか、人の見ていないところで怠け癖はあるか、部下に威張るタイプか、感性が豊かそうか、謙虚な人間か、伸びるタイプか … 等々心の内面を瞬時に見極めるとのことですこ感性の高い人は、成長するベースである謙虚さが備わり、決して靴を引きずり、ドタバタ歩くものではないことを知っています。実社会で経験豊富な「大人の目」は誤魔化せません。大学生が面接で、「10分や20分で俺の良さが分かるか?」とうそぶくのは、自分を知らない証拠、学生が自分で自分を誉めても、一流の社会人は別の視点で見ています。 (高梨明宏「読んで心と頭の良くなる勉強法」) ~


 では、どうすべきか。心のコアは変えようがないのか。
 そんなことはない。心を変えようとするのではなく、行動を変えればいいのだ。
 心と身体は結びついている。
 やる気を出すにはどうすればいいか。やればいい。
 やる気が出るのを待つのではなく、やる気を出そうと祈るのではなく、やる気が出ると書いてある本を読むのではなく、まずやること。
 やりやすいことでいいので、何かやりはじめること。それしかない。
 心と体は結びついている。
 前向きに生きるのはどうすればいいか。前向きの行動をすればいい。
 前向きになるのを待つことではなく、前向きになろうと意識することではない。
 元気な声であいさつし、机の周りの整理をし、かかとを引きずらずにサクサク歩くことだ。
 高梨明宏氏は、心を前向きにするもう一つの有効な方法も提示している。
 それは家の「お手伝い」をすることだという。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6月20日

2014年06月20日 | 学年だよりなど

  学年だより「コア」

 歯科検診のようすを見てると、多くの人が「○○番の○○です、おねがいします」「ありがとうございました」と言えているが、名前を言わずにどかっと座り、係の先生から「何番の誰?」と尋ねられている人もいることに気づく。
 この二者は、「心の方向性」とでもいうべきものが異なっている。
 様々な物事に対してどう接するかという、心のありようが異なり、その結果として、ちょっとした言動の差を生んでいるのだ。
 問題は心なので、Aについても、Bについても、その人は同じ方向で取り組んでいることになる。
  中央大学に40年以上勤められ、多くの大学生、受験生に接してこられた高梨明宏氏は、心の状態は「足音」を聞いてもはっきりわかるという。


 ~ 私は、多くの高校生、受験生、大学生、一般社会人を永年ある視点を持って観察してきました。それは、「足音」です。心の状態が全て足音に出ると思っています。勿論、声にも態度にも服装にも出ます。多くの人は案外自分の足音には無頓着です。センスのある人、内面に心が向かえる人はここが違うと感じます。繊細さがあれは、足をだらしなく引きずらないで歩きます、気持ち悪いと気がついているからです。昔の剣豪で、ドタバタ歩いた人はいないようです。人間の癖は、意識しないと何事も永遠に変らないので、足音一つでも性格が表れます。私は見学に来る高校生を拝見していますと、つくづくと足音に驚かされます。高校間の進学実績と校風によって、はっきりと関連性が表れます。
 また街中や駅の階段でも気付くと思いますが、一流の紳士淑女は不思議にもだらしない足音は出しません。駅の階段をサンダルの踵で、金槌で叩くように歩く人を見かけます。膝を一寸使えば、他人に耳障りな音を出さずに歩くことが出来ます。感性を高めるには見ず知らずの人への配慮も不可欠です。それが職場でしたら如何でしょう、その場にいる仲間からは、思考回路と会話が中断され大迷惑、いやがられますね。機会がありましたら東京駅丸の内側の横断歩道で、勤め帰りの時間帯に20分程「足音、人相、服装」をテーマに観察してみてください。皆さんの最寄りの駅や繁華街でもよいでしょう。新たな発見があると思います。 (高梨明宏「読んで心と頭の良くなる勉強法」) ~


 服装や表情、態度、ちょっとしたしぐさ、足音にまで現れてしまう、心の中にあるなにものかを、高梨氏は「コア」と表現する。
 どんな家庭で育ったか、どんな人と接してきたか、どんな経験を積んできたか、そういうものの総体として成り立っているのが心のコアであり、人の言動はその延長上に形となって表れる。


 ~ 私の学生時代の級友Y・I君は、学生の就職にも一番人気のある伊勢丹に就職し、40歳頃人事部に配属されました。彼は、「学生が面接でドアを開けて椅子に座るまでの間、その人が使えるか使えないか分かる」と言いましたが、私も全く同感でした。 ~


 では、コアは変えることはできないのだろうか。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6月16日

2014年06月16日 | 学年だよりなど

  学年だより「大学の授業料はなぜ高いのか(2)」


 「だからといって『子ども一人の教育に年間100万以上』というのはムチャだと思うんですよ。」と述べるように、岡田氏も今の授業料が適性だと言ってるわけではない。
 経済の論理では測れないものを得ることのできる場が大学であると強調しているのだ。
 これって、大学にかぎるだろうか。
 幼稚園、小学校、中学校、高校 … 。
 どの年代を想定してみても、「いくら払ったから、必ずいくら分の見返りがある」という感覚で通っていたわけではないと思う。
 むしろ、そこで過ごした時間、思い出、人間関係、得がたい体験など、辛いことも苦しいことも含めて、その後の人間形成に大きく影響する場が学校であることを思うと、経済原理だけでその価値をはかることは、根本的に正しくないのではないか。
 その点が、たとえば免許の取得をさせてくれなければ意味のない自動車学校のように、資格をとることを第一にする学校との違いだろう。


 ~ だから大学に就職を保証させてはならない。
 「役に立つこと」を期待したり命じてはダメだし、経済的効率を追求するのもマチガイです。
 もちろん、無駄遣いは監視すべき。
 でもなにより、「割高ですごくムダだけど、私に必要な”なにか”があるかも知れない」と思える場所であること。
 その「夢」を失うことの方が、大学自身にも、そこに通う人にも、お金を出す親にも、一番不幸なことだと思います。
 僕たちが大学に求めているのは、価格を競争させることではありません。
 その価値を後世に残すことなんです。 (「岡田斗司夫メルマガ」より) ~


 自分のやるべき仕事が見つかる、自分の師匠に出会う、生涯をともにする友人と出会う、生涯の伴侶と出会う、自分のものの見方がかわる体験をする … 。
 金銭的な値打ちに換算できないものをいかに身につけるかが、むしろ大切だとも言える。
 だとしたら、仮にオープンキャンパスに行ってみるのにしても、見たり聞いたりするポイントは何だろう。
 就職の実績だろうか、学食の豪華さだろうか、出題傾向だろうか。
 そういう目に見えるものも大事な要素ではあるが、まずはその大学の「気」を感じてくることだろう。オープンキャンパスでない日の方が、その大学のもつ「気」を感じ取りやすいというのは、そういう意味でだ。
 そして前号に書いた「信用保証」も、お金には換算できないものの一つだ。
 「どこそこの大学を出ていると、これだけの信用が得られる」という数値で表せるようなものではないが、われわれ凡人が身につけて損のない一つの武器であることは間違いない。 
 丸腰でこの世の中をわたっていけるほど恵まれた才能をもつ人は、そんなにいないのだから。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

城北埼玉中学高等学校吹奏楽部

2014年06月15日 | 演奏会・映画など

 城北埼玉さんの定期演奏会は、彩の国さいまた芸術劇場の音楽ホールで行われた。
 イベントではなく音楽をやる会場としては、自分が知っているかぎりでは埼玉で一番いいホールではないだろうか。しかも駅から歩けるし、駐車場もある。きれいだし。いいなあ。
 客席数約600席のホールは、吹奏楽の大きな団体が演奏するには、客席的もステージもやや手狭感があるかもしれないが、20~30人といったバンドにはちょうどいいのではないか。
 それぐらいの規模で運営しているバンド、つまり中学校は多く見られるバンドが、じゃこの音楽ホールを借りられるかというと、使用料金などもふくめてなかなか難しい面がある。
 バンドの規模や実力にほどよく適合した会場で演奏を行えているバンドは、意外に少ないのかもしれない。
 うちも、せっかく大ホールを借りられてるのだから、もう少し鳴るバンドにならないといけないし、集客もワンランクあげないといけないのだ。
 そういえば、先日うかがった巨大なバンドの演奏会はソニックシティの大ホールだった。2500席のハコで昼夜二回公演して完売する団体で、あとで話をきくと中身の充実ぶりもすごかったらしい。(行ったんじゃないの?)実はその日、受付で座席券をもらってその席に座っていたら、女性のグループの方がみえて、そこは自分の席ですとチケットを提示される。このキャパの会場で、顧問の先生お一人で座席交換方式をやってたら、そういうことも起こりうるな、今回は縁が無かったのだなと思い、会場をあとにしたのだった。運営方法まで含めて、規模にあわせた会場を使ってはじめて多くのお客さんに満足感を与えるのだろう。
 城北さんの演奏はそれにしても、ほんとにずいぶん昔から聞かせていただいているが、今最も充実していると言ってもいいのではないだろうか。1部で演奏してたのは25人だったかな。
 客席の最後方までしっかり鳴り響いてとどいてくる。音楽性の高い3年生たちがよくバンドをひっぱっている。
 1部が終わった瞬間に、会場にいる本校メンバーをつれて帰り、練習したくなったぐらいうまかった。
 2部の脚本やお芝居からも、彼らの才能が十分に発揮されていた。先日は慶應さんとの合同練習に刺激を受けたが、がんばれば歩いて行き来できる(けっこうがんばらないといけないけど)城北さんとも、また一緒に練習させてもらいたいと思った暑い一日だった。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

Ballada

2014年06月14日 | おすすめの本・CD

 安室奈美恵さんのバラードベストが車の中で流れ続けている。とくに「I will」はリピートで20回は聴き、10回は泣いた。
 レッスンの先生を車にお乗せしたとたん、「あ、先生これ、どうですか?」とおっしゃる。
 「いやあ、最高としか言いようがないです」
 「じゃ、買おう。安室奈美恵って、今までそんなに聴いてないんですけど、バラードってところがいいですよね」
 「そんな年でもありますね、でも、先生、日本のポップス音楽もここまで来たのかって思いますよ」
 繰り返し聴いてて、ほんとにそう思う。
 ましてスーパーモンキーズをしたがえてデビューした頃から知っているおじさん、おばさんにとっては、平成の歩み=アムロちゃんの歴史みたいな感覚もある。
 声も大人になった。曲調と音域によって様々に変わる(使い分ける)声質の豊かさにもおどろく。
 つい年寄り臭いこと思ってしまうけれど、長生きしてると、ええもんを見たり聞いたりできるものだ。
 いや、そんな受け身ではいけないか。西村主審のように、世界の中心で毅然と立っていられる男にならねば。
 「先生、ほかに何か、お薦めありますか」
 「これ、井上陽水の氷の世界ですけど、最近新しい版で出たんですよ。40年も前にこんなことをやってたんだなって、あらためて驚きました」
 「氷の世界」は日本初のミリオンセラーアルバムだそうだが、当時の日本人の音楽偏差値をいっきに5ぐらい上げた作品じゃないだろうか。井上陽水という天分と、星勝、安田裕美、忌野清志郎といった当時のとんがってるメンバーの奇跡的な融合体が生み出したものだ。
 それに比べると、安室ちゃんのアルバムは、彼女を頂点とする巨大な氷山のかけらのような気がする。
 だからなおさら、いま業界ってこんなことになってるんだ、全然西洋のポップスに負けてなくね、と感じてしまう音がする。
 「嵐とかいきものがかりも、ほんとにいい音しますものね」
 とフルートの先生もおっしゃる。
 「先生、これは知らないでしょ。WEABERっていうバンドですけど」
 「え、先生メンズも聴くんだ」
 「聴きますよ。この若者たち、声がいいです。ていうか、吹奏楽のCDをぜんぜん聴いてないのばれちゃいましたね」
 「あたしも、おんなじですから。クラシックのCDかけると、ほかのこと何もできなくなっちゃうんで、そんなに聴いてないですから」
 おれのは、それとは違うなとは思いながら、でもいい音楽を求め続けるという意味では、ジャンルに関係なく聴いてて問題ないのではないかと思った。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

6月13日

2014年06月13日 | 学年だよりなど

  学年だより「大学の授業料はなぜ高いのか」

 ~ 「大学の授業料て、おかしくないですか? 何十億、何百億かけた映画でも1800円なのに。大学の1講義なら500円でいいだろ! 就職先を保証してくれる訳でも無いのに。 ~

 「岡田斗司夫メルマガ」で寄せられた意見だ。
 みなさんは、どう思うだろう。
 大体の人は、「ほんとだよ、高すぎるよ!」と同意するのではないだろうか。
 自分も、二人の娘を大学に通わせている立場としては、マジ高いと感じることが多々ある。
 しかし、1講義500円でいいだろうとは、さすがに思わない。
 大学という機関が、100円のコインを入れたら100円の缶コーヒーが出る機械のようなものではないと知っているからだ。
 「大学は自由経済のロジック上にあるサービス機関ではない」と岡田斗司夫氏は説明する。


 ~ 学校は「文化背景」であり「帰属できる場所」です。
 過疎の村の小学校が潰れるとき、なぜみんな哀しいのでしょうか?
 それは学校が「教育サービス産業」ではなく、思い出の場所であったり、都会へ出た後も思い出せる故郷だからです。
 大学が潰れちゃうと、その大学の卒業生全員が履歴書に「元・○○大学」と書くことになります。つまり信用保証としても使えなくなっちゃう。
 学生は「将来の身分保障のためにも、大学が潰れたら損」なんです。
 だから学生や地域全体で「大学の現在と未来」を維持する必要がある。
 大学とは「帰属場所」「社会保障の担保」という意外な機能も持ってるわけですね。 ~


 自分のアイデンティティを形成し、心の支えの一つとなりうるものを、1時間500円とか、映画一本分とかの尺度で測れないことは言うまでもない。
 大学は、本来就職も保証しないし、社会に出て役立つ知識や技術の提供の場ではない。


 ~ 大学は、もっと「低機能」です。
 単位は与えますが、その単位は実社会ではほとんど役に立ちません。
 就職の保証どころか、役に立つと期待するほうがマチガイなんですよ。
 大学というのは、年間100万以上かけて通う「お稽古」施設です。
 ムダで贅沢です。だから素晴らしいんだし、その「ムダで贅沢さ」を素晴らしいと思える人たちの間で「価値」が通用しています。
 企業によっては学歴を重んじるのは、この「無駄な贅沢に身を投じる余裕と資格があったか?」を人物採用の基準にしてるわけですね。 ~


 就職のため、実社会にすぐに役立つことを身につけるため、といった目標のみで進学することは、かえって得るものの少ない学生生活になるということだろう。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする