水持先生の顧問日誌

我が部の顧問、水持先生による日誌です。

3月29日

2013年03月29日 | 日々のあれこれ

 昨日は駿台の教員研修に出かけて部活は見れなかった。今日は課題曲3の合奏。
 思っていたほどできなくはなかった。じゃ昨日やったマーチ聴かせてと言って、なかじま先生にふってもらい2と4を聴く。てごわい。Tegoi! こんな難しいマーチ久しぶり … 、なのか、実力不足なのか。
 課題曲とは、ほんとによくバンドの課題があらわになるように書かれているものだとあらためて感心した。
 合奏後、坂口良子さんの訃報をしる。なんといっても「池中玄大80㎞」の坂口さんの魅力的な姿が、ありありと目に浮かぶ。秋吉久美子さん、檀ふみさん、太田裕美さん、この世代のお姉さん方には憧れてたなあ。

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アニバーサリー

2013年03月28日 | おすすめの本・CD

 窪美澄『アニバーサリー』は、冒頭で二人の女性が出会おうとする場面が描かれ、すぐに、そのうちの一人の生い立ちが語られ始める。昭和十年、東京の下町に生まれた晶子は、両親や三人の兄に大事にされながら何不自由なく育っていった。しかし、戦争が晶子の生活を一変させた。疎開による家族との別れ、終戦後の親友との別れや生活の苦労、結婚して東京を離れて子どもを産み、家庭を顧みない夫との生活と子育ての苦労。死別と流産。そしてだんだんと自分なりの仕事や存在価値を見いだしていく過程。昭和から平成を生きた一人の女の人生としてこの第一章だけで十分読み応えがある。
 昭和五十五年生まれの平原真菜は、幼いころ母親が料理研究家としてブレイクしはじめ、小学校卒業まで家政婦の宮崎さんに育てられる日々を過ごした。母親の望む私立中学には合格できず、母親が毎日つくってタッパーにいれておく食事が食べられなくなる。早くこの世が消えてなくなればいいと願いながら、援助交際に身を任せる高校時代。カメラマンになろうと志し、師匠との子どもを身ごもり一人で育てて決意するまでの様子が描かれる第二章は、やや類型的に過ぎないかとちょっとだけ思ったけど、女の子のひりひりした孤独感が伝わってきた。
 まったく接点のないような二人の人生が、2011年の3月11日に交差する。

 y=x+2の直線と、y=2x-6の直線は、(8,10)で交差する。
 人と人との出会いは、二つの線が交差する点のようだと書きたかったのだけど、精一杯がんばって、この式しか書けなかった。せめて片方は曲線にしたかったよぉ。
 関数を表す線は、一点で交差すると再びそれぞれ自分の道を進んでいく。
 人と人は、別々の人生を生きてきて、ある一点で交差したとき、それまでの軌跡の延長上とは異なる人生を歩みはじめる場合がある。
 式で言うと、その点以降は傾きが変わるみたいに。
 傾きを変えるような交差の仕方を、われわれは出会いと呼ぶのではないか(やった! まとまった)。

 窪美澄氏は、交差前の二本の線の軌跡をこれでもかと描く。
 だから、交差後なぜその二本が傾きを変えざるを得ないかも、必然性をもってせまってくる。
 いや、読者としては、交差する必然性さえいつのまにか見いだしながら読み進めているかな。
 出会いはさらに、血縁を超えた結びつきに発展していく場合があることは、窪氏は今までにも描いてきた。『ふがいない』でも『くじら』でも。
 考えてみれば、男女のほれたはれたは、赤の他人同士が何のゆえにか結びついて、時に生涯をともにまでしてしまうことになるわけだし、逆に親子だからといって無条件に絆が存在するわけではない。血がつながっているからなおさら一緒になんかいたくない関係なんてのはざらにある。
 
 戦後すぐ別れることになった千代子と、晶子はある偶然で再会する。彼女はまた別種の苦労を重ね、自分の子をもうけることはなかった。
 真菜は、震災後の不安のなかで、もう女が迷いもなく子どもを産める時代は来なくなったとの思いを抱きながら、絵莉菜を出産した。
 この四人が家族のように寄り添っていく最後の場面に、光を差しているように思えた。


 ~ 「こんな可愛い子に、私みたいな苦労はさせたくないねぇ」
 目をぱっちり開けて、千代子のほうを見ている絵莉菜に向かって、千代子がしみじみと言った。
「 … でも。この子は生まれたときから苦労続きです。父親もいないし、地震も続いているし、原発も。人生の始まりから、茨の道を歩かせているんじゃないかと不安になります」
 真菜の顔を見て、千代子が笑い出す。
「 … あなた、ほんと馬鹿だねぇ。そんなこと言ったって、今さら、この子の人生、無しにはできないじゃない」
 絵莉菜が小さな口を開けて、またぐずり始める。真菜はシャツのボタンを外し、乳房を口にふくませた。
「どんなにひどい世の中だって、親がいなくたって、子どもは育っていくわよ。その子の親は、あなたしかいないんだから、あなたが育てたいように育てればいいじゃない。あの人にしてもらいたかったこと、その子にしてやればいいんじゃないの」
  …
「だけどね、あなたが正しいと思ってしてあげたことだって、この子は嫌がるかもしれないよ。いくら親が愛情だと思って、子どもに差し出したって、子どもは毒に感じることだってあるんだから。その子もいつか、母親を憎むかもしれない。 … あなたみたいに。 … でも、それでいいのよ。そうやって続いていくんだから」 (窪美澄『アニバーサリー』)~

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天分

2013年03月27日 | 日々のあれこれ

 NHKのスポーツニュースで、日ハム大谷選手の「二刀流」について尋ねられた落合元監督が、「見てみたい、楽しみだ」と答えていた。
 自分が知る限りでは、野球評論家とよばれている人はみな反対を唱えていた。
 そんなことは不可能だ、プロで両方なんてできるわけがないと。なかには「プロ野球をなめるな」と語っていた方もいる。
 でも、そういう意見を述べている人の現役時代を思い出してみると、大谷選手ほどの天分をもっていた方はいただろうか。本気で二刀流をやろうと考えること自体、彼はその評論家先生のレベルをこえている人なのだ。
 だから、落合氏の話を聞いたときに、やっぱり人の可能性を伸ばすには、その可能性を理解できる人の存在がないといけないのだと思った。逆に「野球をなめてる」とか言う人には、「人間の可能性をなめるな」と言ってあげたい。
 だいたい、われわれはいつも教科指導、部活指導、生活指導、歌唱指導など四刀流か五刀流ぐらいはもとめられてるし、人としても節度あるふるまいもせねばならない。ジャパンの合宿中にさえおねえちゃんと楽しめるぐらい力がある人たちは、みんな二刀流ぐらいこなせないと。
 アメリカなら、野球とアメフトの二刀流だっているくらいだ。そんなにだめだめ言うことはないのに。

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定演後

2013年03月26日 | 日々のあれこれ

 いただいたアンケートに目を通すと、合唱が大変よかったというご意見を多数いただいた。
 毎日練習で聴いていると、うまくハモってない部分が気になったりはしてたけど、初めて聴かれた方はおそらく胸うたれるのではないかと思えるぐらい気持ちが出るようになっていた。
 楽器というメディアを使いこなすよりも、技術が一段階分少なくてすむのも要因だろうか。
 楽曲自体の力も大きい。
 一昨年の「紅白歌合戦」で嵐のみなさんが歌う「ふるさと」を耳にしてすぐ部活でも歌おうと決め、そのあと定演の候補曲もいくつか考えたけど、これを超えるのは見つからなかった。
 合唱を「ふるさと」に固定したので、震災・原発をふまえた台本にしようとも決められた。
 二番に「支えたい人がそこにいる」と歌っている。
 人には、「支えたい人」、自分が「支えてあげてる」と思う存在がいる。
 実は自分自身も、けっこうおれって部活を支えてるよねと不遜にも思うことがある。
 もっと言うと、なんでこんなこともあんなことも俺がやってるんだろ、なんて思ってしまうことも。
 いつも演奏会を終えて思うのは、自分こそが彼らに支えられている、先生やってていいよと言われてるなということだ。
 かけつけてくれたたくさんのOB達にも。
 ありがたいことだ。
 県立の先生とちがって突然の転勤もないし、おかげさまで新年度も多くの新入生を迎えられる。日ハムのヘッドコーチにまねかれることもない。顧問を命じられるかぎりは一生懸命やらせていただこうと思う。
 (て、今は殊勝な気持ちだけど、練習再開すると、きっとまたオラオラ練習してしまうのだろうな)

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第21回定期演奏会

2013年03月24日 | 日々のあれこれ

 本日は、お忙しいなか、遠路はるばるお越しいただきありがとうございました。みなさまの暖かい拍手、手拍子のおかげで、いい演奏会になりました。卒部する部員たちにも良い思い出ができたと思います。今後ともよろしくおねがいいたします。

 保護者のみなさま、OBのみんな、ありがとうございました!!

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定期演奏会

2013年03月23日 | 日々のあれこれ

第21回定期演奏会

3月24日(日)15:00開演 川越市民会館大ホール

1部 喜歌劇「チャルダッシュの女王」セレクション
   大阪俗謡による幻想曲
   マードックからの最後の手紙

2部 Jポップメドレー ~ヒーローになる時、それは今~

3部 ディズニー50周年セレブレーション
   スイングしなけりゃ意味ないね
   サザンオールスターズメドレー
   組曲「宇宙戦艦ヤマト」

               お待ちしてます!

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3月22日

2013年03月22日 | 日々のあれこれ

 午前中1部の曲を直して、午後は出入りや衣装も含めて最初から最後まで通してみた。
 予定通り進行できれば、15時開演、17時半ちょっとすぎ終演になる。これくらいなら許してもらえるかな。
 2時間45分ぐらいかかっていた年もあったが、聞きに行く側の立場からは、ちょっと長かったかもしれない。
 もちろん、卒部する部員の保護者の方なら、もっとやっててもいいという感覚もあるかもしれないが。
 結婚式の披露宴は、長くなってはいけない、とくに披露宴の挨拶は短い方がいいと、よくいう。でも、嫁に出す父親の気持ちになれば、ずうっと披露宴やっててもいいのが本音だという話も聞いたことがあるから。
 どっちかな。何年かのうちに、どっちかわかってしまうかもしれない。
 高校の定期演奏会は、普通の学校なら年に一回か二回しかやれないから、やたら盛りだくさんになりがちだ。
 いかに節制するかは、演奏技術とは別に、演奏会の品位を決める大事な要素だから、なんとかさくさく進めていきた。
 一般に演奏会は、途中休憩一回でアンコール終了までで2時間15分くらい、または休憩無しで2時間弱ぐらいまでがいいなあ。お芝居は休憩なしのが多いから、2時間超えたらきつい。映画も同じだ。
 先日観た「横道世之介」は2時間半近くあったのに、長さを感じないめずらしい作品だった。
 「プラチナデータ」は、前半で予想した流れがそのとおりに進行し、配役からも予想通りの展開だったので、最初少し寝てしまっていたのに何の支障もなかった。もう少しひねりがあってもよかった。
 夕方、音楽座ミュージカルの方から「演奏会行きますよ!」とご連絡いただいた。明日はリハーサル。

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もう少し

2013年03月21日 | 日々のあれこれ

 午前中に2部、午後1部の練習。いろいろお仕事も残っているので、3部までは手が回らない。
 うちの何倍ものメニューを盛り込んでいる、たとえば市立柏さんや習志野高校さんは、どんな練習しているんだろと思う。演奏会を充実させるには、演奏の技術を高めるのはさることながら、年間通しての「営業活動」を充実させていく必要があるのだろう。
 2部が大分いい感じになったかなと思って1部のまじめな曲にうつると、細かい部分がぼろぼろになっている。
 ちょっと繰り返すと出来るようになるが、ずうっと通していくと集中がきれる。集中してなくても無意識に吹いている音が上手な音になっているレベルまでもっていかないといけない。お客様にはもうしわけないが、そのためにも定期演奏会はあるのだろう。
 思えば、B部門に出ていた時代よりは、今の方が少し長く集中が続くようになっているような気がする。あと少しだな。

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祝日

2013年03月20日 | 日々のあれこれ

 スプリングコンサートを行う星野高校さんに、朝、演奏会のチラシを届け、その後市民会館で打ち合わせ。
 帰りがけに、不足分のカツラを買いにドンキによる。年に一回か二回しか来ない店だが、だからかもしれないが、楽しい。雑然とした感じがたまらない。B層的買い物、ヤンキー的買い物はここですればいいのかと納得する。
 学校にもどり3部の合奏を聴く。午後は、各セクションに分かれて宣伝や仕事やダンスなど。ファッションモンスターのふりが心配だったので練習を見にいったら、前部長が厳しく指導してくれてたので、安心して職員室にもどり、台本の最終直しにかかる … 、みたいな感じで過ごす定演直前の休日。全体的にはわりとまったりしてた。

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春休み

2013年03月19日 | 日々のあれこれ

 3学期の修了式。明日から春休み。休み感はまったくないが、年度の終わり感はけっこうしてきた。
 昨日は午前のうちに二部の練習、午後は会議の合間に合奏、おえて学年だよりや国語の宿題を印刷しているうちに呑み会の時間になったので、本川越プリンスホテルに向かう。9Fの「エトワール」で、ブッフェディナー(飲み放題つき4200円)を学年の先生方で食しながら、転出される先生との送別をした。ローストビーフおいしうございました。たらふく食べて学校にもどり、印刷の続き。
 今日は、修了式からの下駄箱移動、ホームルーム、教員全体での昼食会、二部通し、合奏、チラシ印刷ののち、教科の呑み会で新河岸「市場」へ。安定感のある家庭料理の居酒屋。もつ煮込みおいしゅうございました。休日前ゆえか、混んでいた。幼稚園のママさん仲間風の団体さんが後ろにいて盛り上がっていた。ご婦人の団体さんは迫力がすごい。こっちはふつうに楽しく会話してるのだが、傍目にみたら、縮こまっているかに見えたかもしれない。
 若い二人の先生と送別する。二人とも自分の新任のころを比べたら、国語の力も事務能力もおそろしくあった。なごりおしかった。若い二人にそんな感覚はないだろな。そんなにべったり親しくしてなくても、だいたい残される方はしみじみするものだ。出て行く方はそんなでもないのが普通だ。卒業生を送り出す寂しさと同じだろう。
 それにひたっている暇があまりないのがありがたい。
 それにしても、昨日、今日と、久しぶりに大人の人と長時間普通の会話をした。妙に新鮮だった。
 業務上の会話でもなく、教えているのでも叱っているのでもない会話。
 自分を抑えながら話さなければならない比率の問題なのだろう。

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